IMITATIO-XP.COM

これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

ポルノ

 複数の言語に通じた偉大な学者オリゲネスについて一時関心を持ったが、結局理解が深まる程の学びは得られなかったと思う。通読したのは清水書院の入門書「オリゲネス」とエウセビオス「教会史」程度で、後者は訳者の後書きにある通り余りに多数の人物が前後に入り乱れて登場しかつ判読困難な文章で、翻訳作業も苦心惨憺だったらしく読んでどれだけ頭に入っただろうか。彼の説く神の愛の理念による対立物統合については一体何時のことやら、多分に希望的観測に過ぎないとしか思えない。私はもし遠い将来この世の終わりが止む無く現実になったならば、正しい魂は救済され他方悪の魂は見捨られて取り残されるのではないかと考える。JBラッセルが言うオリゲネスの「どこまでも絶望的な来世観」については、言葉の表現に関する限り私も全く同感であるが、これに関して清水書院の概説書が何か言及しているかと興味を持ったが期待外れだった。殉教の奨励は山上の垂訓にも書かれているし、イエス自身もそれを実行し、権威に従わない者に対してイスタブリッシュした権力が専制的暴力を揮っていた当時の時代背景を考えると肯定的に受け止められる。
然し彼が自らの身体になしたことは余りにも特異で、これではノーマルな性行為も不可能になる。彼によって如何に性的欲望が選択の余地なく身を滅ぼす災いへの道であり、救いの妨げになる凶事と認識されたかの証拠だろう。誰がそれを許さないのだろうか。

 一般に男性の場合本人の意志とは別に勝手に勃起筋が興奮する現象が始まるのは小学生の高学年位ではないかと自分の経験から思う。あれはほんとに困りものだった。
中学でクラス担任となった女の先生は30代半ば位で一子があった。数学が受け持ちだがきれいな字を書く人で書道の先生の代理をすることもあった。彼女に熱い本気の恋心を抱いた頃、私はバスケをする学校で一番の背高のっぽだった。だから彼女にとって私は、まだ年齢的に未熟ではあってもその気があれば肉体的には十分にセンシュアルなエモーションの対象となり得たのだった。我々は言葉には出さないが有り余るケミカルを交換した。
町の人口が増加し中学の校舎が手狭になって、市が買った広い農地に新校舎を建てるプランが具体化した。全校生徒に丸一日の共同作業で川原石を集めさせ、それを埋設して基礎工事に利用することになった。我々は街を貫流する川のはるか上流まで蟻のような行列を作って歩行した。目的地に着くと川原に降りて頃合いの石を運び、それを一か所に堆積するまでが与えられた任務だった。近くの石が尽きると一人一人が運ぶよりバケツリレー方式が良いということになり、その場にいた生徒たちが適当に一列に並んだが、彼女は私を呼んで隣に立たせた。川上から来た最初の石を受け取って彼女に渡す時、互いの指が触れた。その時彼女は一瞬手を止めたがすぐ機械的に隣に渡した。手が触れた瞬間、彼女は身体から匂いのする気体を下方に放出した。
翌年彼女は学校を変わりやがて住所も変わった。我々の関係は別段何事もなかったのだが、私は高校に進学した後もそれを引きずって数年間勉強はそっちのけで熱い思いに耽溺した。しばしば何か心臓を打つものがあり、するとその一瞬鼓動が止まり、苦しみとも喜びともつかぬ甘美な情動が激しく疼いた。私の人生設計が狂い、成績が余り振るわなかったとすれば一半の原因はそれである。
数年前彼女は既に亡くなったという風の便りが聞こえた。ダンテのように、私は夢で彼女がいる場所を尋ねたと思う。そこは生活排水によってぬめぬめした白いこけが生えたどぶ川のような流れのほとりで、彼女はいなかったが男の影が見えたのはご主人だったかも知れない。あれが悲しい水辺の国か。でも流れている水は透明で汚れてはいなかっただけ救われるが、水辺のほとりが意味するものは何か。

 大学に入学してすぐに入ったあばら屋の寮は赤裸々な欲求不満児のたまり場で下品な冗談の花盛りだった。その解放感と共に、一定以上の人間が集まり何の束縛もない場所で刺戟を受けた自由で知的な好奇心がどれ程大学生活を楽しく感じさせたことか。当時は学生運動もさかんでストライキのピケ要員や街頭デモにかりだされたのには煩悶した。寮祭やコンパで酔ってみんなで数え歌や替え歌を合唱した。あの雰囲気こそ日本人が持つkinshipだろう。そこで覚えた歌があちら側で私の減点項目としてしばしば引き合いに出されたのを知っている。それと無記名で出したヌードダンサーへの手紙の件も。当時環状線天満駅の近くにショーの小屋があり、もちろん強制ではないが新入寮生をそこに行かせる事が冗談半分のイニシエーションの儀式だった。私が見たショーのトリは桐・・・というダンサーで後でB級映画にも出た結構な美人だった。それを見て、こんな上等な女が何故こんな仕事をするのだろうと哀れで仕方なかったのだ。声に「ストリッパーなんかに手紙を書いた」と非難されたが「何を書いたか知ってるだろう」と返答したのは、それとは知らずブルガーコフの言う「文章は消えない」を意識していたのか。源氏名の由来のような事を書いたと思うが幸いにも分別が働いていやらしい事は書かなかった。このことは「11.人間を取り巻く見えない世界」のオリジナルに一度書いてあったのだが、別の声に「貴方の将来のためにならない」と言われて削除した経緯がある。ただし若い時のこんな軽犯罪にもならないマイナスは今となっては仏教の単なる嫌がらせだったかも知れない。

 輸入されたプレーボーイのヘアー写真がすべてマジックで黒塗りされていた頃、社内選抜に受かってアメリカに留学した経験のある先輩が出張や私用で旅行に出るとお土産にポルノ雑誌を買ってきてそれが回ってきたが、まだモノクロで解像度も悪かった。それでも隠れて見ながらページを繰る手が小刻みに震えるのを抑え難かった。
そしてパソコンの時代に入る。最初のVAIOを買った頃はまだセキュアリティーがなかった。英語の勉強のためにCBSニュースを見ている間にアドレスを盗まれて、アメリカからポルノの有料ホームページの案内がジャンジャン入って来た。入口の窓をクリックするとおお!何と夢と憧れた金髪美女がフルカラーで一糸纏わない姿、脚をM字に広げたクローズアップ、あるいは裸の男女の本番シーン、さらには若く魅力的な女性がセルフサービスで悶える姿と、よい子は決して見てはいけない写真ばかり。これぞ何食わぬ顔で歩いている女性の真の姿か。心臓は激しく脈打ち顔は紅潮し手は汗ばんでわなわなと震え目玉は血走ってビューンと飛び出す。心の中でやめた方がいいやめた方がいいと思いつつもう止まらない。しばらく夢中で次々とページをめくった後ふと我に返って気が付くと、なんとラベルが限度を超えて並んでいる。これではマシンスピードがガタ落ちする訳だ。ラベルのバツ印をクリックして消そうとすると逆にさらにどんどん増え続けるではないか。エーッどういうこと?それにログオフ出来ない。一体どうなってるの?大事なマシンが壊れたかしら。もたもたしていると女房に気付かれる、早く抜け出さねばと焦る。仕方がないのでままよと電源を引っこ抜いたが色欲はすっ飛んで呆然ショック状態。次に無事マシンが立ち上がらなかったらどうしよう・・・こんな経験男なら誰でも一度はあるんじゃないか。数日後パソコンで調べものをしていた彼女が突然キャーッと叫ぶので何事かと行ってみると、フルスクリーンで拡大写真が出ていた。

 数週間前久し振りでまたサイトに入って嵌ってしまった。今はもうリアルで鮮明な動画の時代になっている。すごいの一言。静止画を見た時と同じ身体の反応だが残念ながら若い力は戻らない。レズビアンも今まではほんの一部の女性たちが人目につかずやっていることだったに違いない。こんな情報がオープンになると他人に及ぼす影響なしでは済まないし、これからは性についての秘密めいた概念が変わって来るだろう。あるアメリカ製の動画が印象に残った。
スーツを着た一女性が明るいオフィスで仕事をしていると、そこへ別の女性が入って来る。二人共容貌も姿も美しく、身だしなみも悪くない。顔の表情も安定していて魅力が最も引き立つ年齢。髪型も私には好ましい。二人はソファーに並んで座りしばらく会話する。一方が他方の膝に手を置き、了解が成り立った模様。服を脱いだ白い裸体も言う事ない。M vs F の警戒心や緊張感はなく、二人は並んで行進するようにしてレズの世界に入っていく。女として相手のポイントも力加減も心得ている。カメラは定位置で、またはアップで二人の動きの部分も全体も余す所なく映し出す。数少ない会話も吐息も喘ぎも同性同志の親しい雰囲気の中で発せられる音声はマイクが自然に捕えている。役割を交代するタイミングや対応する姿勢も双方が自然に了解する。男が入り込む世界ではないが、すべてが何の反感も起こさずそういうものかと受け入れられる。女の身体の感受性は千差万別なのだろうが、例えて言えば自分の身体に感じ易いバイオリンが内蔵されているなら、それを弾きまた弾かれたいと求めている同じポテンシャルの相手同志とデュエットを奏でてみたいのは自然な欲求ではないかと思う。美しい女は男からも女からもターゲットにされる。愛憎のトラブルに直面することも多いだろうが、切った張ったでもないのに他人が罪と断定して社会から排除したり、地獄に落したりしなければならないことだろうか。
その夜、私は涙も出ない悲しみを味わなければならなかった。

 日曜ミサの帰り、「もう74才で邪心は全然ありませんから」と声をかけて若い女性を昼食に誘ったが彼女はお茶だけにして下さいと言った。見た目は小柄でほとんどしゃれっ気のない服装をしていて少し大きめのジーンズを穿き、これから山歩きに行く所と言われてもおかしくない格好をしていた。彼女はダイヤモンドの原石だった。彼女のような眼をどう表現すればよいのだろう。嘘や騙しや虚飾の眼ではなく、浮薄なもしくは軽率な目でも全くない。何かを奥の方から見つめている目と言おうか。詳しい内容は分からないが精神的に苦しみ、突然夜中にこの教会の神父を訪ねて相談に乗ってもらったことがあると言う。まだ洗礼は受けていないらしい。後述するように霊や悪魔の話を持ち出しても全く拒絶反応を示さない人だった。仮に彼女を川島さんと呼ぶ。
川島さんはハワード・ストームという大学教授(Northern Kentucky University, Art Professor)の“Jesus loves me(主我を愛す)”という本を読んで啓発されたと言い、スマホの録画を見せてくれた。私は彼を全く知らなかった。ハワード・ストームはオリゲネスがいう「無目的な生活」を送っていたが危機的な臨死体験をしてイエスと出会い、還って生き方を変えるように諭されたと言う。だから「イエスは大きな愛でいつも私達を見ている」と川島さんは言った。その時私は気が付いて言うべきだった。教授がイエスに逢ったのは彼が名目的にせよクリスチャンだったからだ、だから貴女も早く洗礼を受けるべきだと。また不適切な例えかも知れないが、もし貴女が東北にいて東日本大震災で生死をさ迷ったとしてもイエスは来なかっただろうと。イエスは少しニュアンスが違うが他の宗教はどこも死者を自分のものにしたがるし、その領分ははっきりしている。川島さんは自分の家宗が何か明確に答えられなかった。だから仏教の凄まじい世界がどんなかについて迄は話が繋がらなかったし、なかなか初対面の人にいきなり話せることではないとは思う。汚いトイレの夢は見るらしいから彼女も霊感の持ち主だろう。「人間だったらまずあのトイレを清潔にしたいと思うはず」という話はした。排泄物を好む虫や動物がいる。そういう夢を見るのは魂が仏教のドメインにいる事である。人間はほとんど生き残らないのが仏教の世界だとは言わなかった。
シュタイナーやスェーデンボルグも読んだと言う。私は「シュタイナーは(図書館で)一度手に取った事がありますがあまりに初歩的な感じがした。スェーデンボルグは霊界では排泄すると自然に穴が塞がって隠される等と書いてあったがそんなことはないでしょう、むこうの世界もこの世と全く変わらないと思う」と私見を述べた。あの世がこの世と変わらないということについては「私もそう思う」とほぼ同意した。そして「シュタイナーはペテロの生まれ変わりかも知れないと思います。ペテロもシュタインも石だから」と言うと妙なことを言う、という表情をして「でもキリスト教は・・・」と抵抗を示した。私は「宗教に関係なく生まれ変わりはあります」と答え「私のブログを読んでくれませんか」とこのHPのアドレスを紙に書いた。「ブログを書いてらっしゃるんですか」と驚き、宗教のブログはよく読む方だと言った。私が自分の前世を知っているつもりだと言うと、まさかという顔をしたが、否定するというよりはどうして知ったのかが理解出来ないようだった。
「カトリックの聖歌集に“キリストのように考え”という賛美歌があってこれはそれと同じ意味です。Imitatio は英語の imitate で真似るということ、XPはカトリックの説教壇にXとPを重ね合わせたロゴマークが書いてあります。XもPもギリシャ語でXは英語のKに当たりPは英語のRに当たる、つまりKRでキリストの頭文字ですね。“キリストにならいて”という本があります」と言うと「トマス・ア・ケンピスですね」と作者の名前がすらすら出るのには私が驚いた。
川島さんはテレビも余り見ないそうで、私は映画かスポーツは見るがそれ以外余り見る気がしない。私も「放送局の悪魔という言葉があります。ほとんどあざといお笑いか食レポですよね」と同意した。少し驚いたような表情をしたが、悪魔や霊について話しても素直に受け止めてくれる。今はエグいひょうきん族とそのフォロワーの時代である。この人はあの中学の先生が出会ったかも知れない「自分が行かされた所は一番低い所。なんにも考えなかった。一体何のために生きて来たのか」という後悔を遁れる希望がありそうだ。川島さんに幸あれ。
私 「この町にはたくさん教会がありますが統一教会はやめた方がいいと思います。桜田淳子も入会したけど」
川島「まあ、その人知りませんわ」
私は年齢のギャップを感じた。今行っている教会について聞かれたので「あの神父さんは自分の進むべき道を歩んでいると思います」と答えた。
このめぐり会いは千載一遇のチャンスかもしれないと、思い切って切り出した。
私 「最近ポルノのホームページを見たんですが、この話貴女はどう思いますか」彼女は戸惑っている様子だったがレズの動画について感じた事をそのまま話した。
私 「そのあと動画に出た女の仲間の霊が私を尋ねて来たようです。それによると霊の仲間たちはみんな泣いているそうです。あんなことをして彼女の来世は最早ゴミ捨て場しかないのだと。シラキュースまで出たのに」
川島「そんな、むごい・・・(学歴について)そこまで判るんですか。その大学については知りません」
私 「今はもう見てません。私に付いていた清浄な霊がいなくなり、代わりに汚れた霊がいっぱい来たそうですから。それは判るんです。夜見たくもないのに下品なイメージを送られて、それから遁れようと転々寝返りを打つはめになる」私自身の霊的な姿が劣化したとも、2階級格下げだとも言われた。
川島「(付随霊が変わったことについて)そうなると思います」
私 「私は美の訴求力を信じます。美しい絵、美しい景色、美しい花、美しい女性。もしあれが短足がに股のブスだったらそれ程同情しないでしょうし、第一何をやろうと見る気がしないでしょう。これは偏見でしょうか。悲劇や史劇などの映画の主人公も平凡な女性が演じたら全然感動しないと思います。西欧の女性の美しさは格別です。私も若いときキャンディス・バーゲンが好きで女優シリーズの彼女の写真集を買いました」
多分よかれと思って女性の美しさを造形した創造神は歯噛みしているだろう。関係なく画一的に審かれるのだから。人類が今の姿を得たのはそう遠い昔ではない。
川島「私も気に入った外国の女優の写真を部屋に貼ることがあります。イサベル・アジャーニなんか。でもキャンディス・バーゲンって知りません」この時キャンディス・バーゲンを名前からドイツ人の血筋だと説明したのは間違いでした。スエーデンでした。彼女はスマホでキャンディス・バーゲンを探したがうまくいかなかった。
美しい絵を飾ると部屋が別のものになる。美しい景色(*)は安らぎを与え環境を保全しまた改善したいと思わせる。桜の花咲く並木を歩く嬉しさ(宴会やカラオケやゴミはうんざりだけど。ぼんぼりは余り好きでないが夜桜には必要か・・・)。美しい音楽が高揚感を与えるのも同じ。職場でもどこでも美人がいると心密かに楽しくなる。ただし外見は良くても根性の腐った女もいるから要注意。
川島「私はそういう女性の(同性愛の)立場ではないので何とも言えません」
私 「まあ、女性が女性を、男性が男性を好きになるのも分からない訳ではありません。愛ちゃん・・・何愛ちゃんでしたっけ」
川島「はるな愛だと思います」川島さんのこの物言いに別の女性を思い出す。その女性とは見合いしたが結婚には至らなかった。美人という程でもなかったし体躯に魅力が乏しかった。しかし川島さんと同じ話し方をする優れた美点のある女性だった。彼女と結婚していれば別のベターな人生があったかも知れない。
私 「NHKのファミリーヒストリーでもやってましたね。彼女は男の胎児に女の魂が入った、ミスマッチの好例です。はるな愛がテレビに映った時‘ああ失敗した’と後ろで言っていた。」
川島「(驚いた顔で頷きながら)そうなんですか」
私 「逆に女が男になりたいと思う例もある。私は自分が母の胎内に宿った時も、生まれて来た時も覚えています。そとで母が父や誰かと話す声も聞こえていました」
川島「そうですか・・・・」まだ性別のはっきりしない胎児に霊が男か女の魂を連れて来るその先見性を考えれば、いかに霊が侮り難いか、また時折失敗もあるのを話そうかと思ったが言わなかった。
もうこの位にしておこう。最後に
私 「私に新しい宗教を起こせと頼む霊がいるのです。」
川島さんはどう返事していいか分からないと黙っていた。
 女性霊が来て、食が評価にかかわること、贅沢や言動が評価にかかわること、その他のルールも男女の別なく受け入れる。でも今の神は現実に人間が如何にして生きているかを知らない、女がどういうものか、女の役割や特性が何かを知らない。それを分かってくれる別の神がいるから、と懇願した。そのために祈りの言葉も変えなければならない
ギヨーム・ポステルが言ったように女性の救いは取り残されている。男と女の違いは第一に性器である。片方は卑猥だとか穢れたものとか言い習わされた。男は身軽で女の方が重荷を負わされている。女が救われなければ人類は救われない。男女合わせて人類なのだから。後(男)の方が先になり先(女)の方が後になるとはこのことか。創世記の「イブはアダムの胸の骨から創られた」は間違っている。身体の代謝機能に不可欠なミトコンドリアは卵子から受け取るほかはない。だからアダムは単独で先在することは不可能である。
また2000年前と状況は大きく変化し人間の歴史も進歩した。審判の舞台も変わったことをどの宗教も取り込んでいない。救いには神の一方的な憐れみだけではなく人間の側の自助努力が不可欠であることも周知されねばならない。書では悪の代名詞のサタンも人間中心主義をはっきりと受け入れた。人間が借金していないのに死んでから賠償を請求されることもあってはならないだろう。

 レズに関連して、当然ながらではホモはどう思うかと聞かれるだろう。でも質問しないで欲しい。どう答えていいか分からないから。あることがあって会社で自分がホモだと思われたが余りにも真情と違っていて(それがまた実に抗弁しにくい、否定すれば否定する程怪しいなどと言う者がいる)、そう思われる位なら(霊の)ばっかり共に「お○○○ばっかり」とさんざん悪口を言われたが、その方がまだ近いと思う。
大変お太りになった女性(男性?)が出るCMがある。何のCMかよく確かめることにしている。その商品を間違っても買わないために(全部そうもいかないのだが)。露骨な差別に反対なのは当然だが、レズやホモには自然と違和感を持つ者が多いことも考慮に入れなければならないだろう。
放送局の悪魔と愛ちゃんが出たので一言追加する。以前彼女が川でウナギを網に入れて捕まえる場面があって、彼女は大きなウナギを気味悪がり、声帯はまだ男のままだからこの世にあらぬ物凄い大声を出すシーンがあったが、それを面白がって放送するディレクターがいる。またサヘル・ローズが皿を持って豚肉の料理をすすめる番組。ウケを狙って、別れた男女とその子が顔を合わせて役を演じる舞台。すべて良識を疑う。エンタメの世界が霊的にどんな世界か、そのメンバーがどうなるか後で知っても手遅れだろう。
 人間は法律の下で生きている。法律が行動を促しまた規制する。うまく法の網を遁れた者は一層厳しく審判で裁かれるだろう。生きている間は法に触れない限り自由と考えるが神に受け入れられるとは限らない。オリゲネスが感得したように、救いにあって恋愛も離婚も浮気も御法度である。これは仏教も同じらしい。リンゴは楽園追放のきっかけとなったがリンゴを半分に切ると女性器に似ている。「リンゴを食べる」とは性交することを意味しないだろうか。性の快楽のあと羞恥心が芽生えたのだろう。 
生きていくために身を落とす女もいるが、どれだけ理解されるだろうか。映画「哀愁」は昔見て忘れていたがWikipediaでストーリーを読んだだけで泣けて来る。あの映画も衆目の認める美男ロバート・テイラーと美女ビビアン・リーが演じなければ訴える力がなかっただろう。無学な母であったがあの映画を見た後「初めから終わりまで全部目に浮かび話せる」と言っていた。
東北地方の出身で、母親が娼婦でててなし児に生まれた、名前はたしか斎藤教授だったと思うが、東大医学部の先生の例もある。勉強が好きになったのは、子供の頃学校から帰るとその日何を勉強したか、何があったかを母親が全部聞いてくれたからだという話だった(うろ覚えなので何か間違っているかも知れない)。
子供の頃は公娼制度が残っていた。貸席業が並ぶ通りは通学にも買い物にも通る一般道だった。まだ小学校低学年だった頃、子供の眼にも若くて色白で清潔な愛らしい女性が夕方開店の時間に女たちの陰に隠れるようにして立っているのを見た。その姿が今でも目に浮かぶ。然し一週間後にはお酒を飲んで少し赤い顔で笑って並んでいて意外だった。それから2カ月も経たない頃彼女を見掛けなくなった。母に附いて買い物に行く途中母は知り合いの女性を見つけて立ち話した。その女性は既に別の女性と何かを話していたが、別の女性とは開店前の娼婦の一人だった。疲れた感じのする人で余り近寄りたくなかった。母が加わったのは娼婦の誰かがどうなったとか何かを買いたいがどこで売っているかという話題だった。三人の話が一段落した時、私は勇気を出してあの若い女性がどうかしたのかと聞いてみた。その娼婦は誰の事かと少し考えて「ああ、あの子は年期が明けた」と言った。私の気持ちを察したらしく、まじまじと幼い私を見て「でも女なんてみな同じよ」と言った言葉が忘れられない。あの娘さんが必要な金を用立てた後、伴侶を見つけ無事平穏に暮らして一生を全うしただろうと願う。

 「巨匠とマルガリータ」で二人が安らぎを求めて悪魔に連れられて行くエンディングは彼らが神には受け入れられないことを意味するだろう。道ならぬ恋の行く末である。然し借問する。悪魔の下に安らぎがあるか?美女がゴミに捨てられるとはどういうことか?地獄とは?地獄をあらしめる神とは何か?
10年ほど前ジョン・レノンが大きな図柄ではっきりとした姿で現れた。何も言わなかったが、親しみを込めておだやかに私を見つめ、生きている時そのままだった。彼の作ったImagineが訴えるメッセージを受け取りたい。

(*)ニュージーランドのクライストチャーチに行った時、エイボン川の透明な水と藻や水辺の植物が作る景色の美しさに見とれていた。すると後ろから「貴方達には見えないだろうけれど、川の上をたくさんの聖霊が飛んでいる」と声がした。ニンフを見てみたいものだ。地震の後ダメージから回復しただろうか。花にも聖霊がいてそれぞれ性格があるようである。 

追記
イラク戦争に興味を持った民間人の日本人男性が過激派に捕えられ、オレンジ色の服を着せられて日本語のメッセージを読まされた後、のどを掻き切られる場面が放送された。むごいと思ったが興味があるからと言って何故あんな危険な所に行くのだろうと本人の認識の甘さをまず疑った。
そのすぐ後、ニューヨークタイムスの女性記者が同様に捕まってメッセージを読まされた。まだ若くて戦場には似合わないごく普通の美人だった。多分アラビア語が出来るので派遣されたのだろう。彼女がのどを掻き切られるシーンをとても想像出来なかった。CBSニュースを見ながら私は必死でテレビ画面に向かって手を合わせて彼女が助かるように祈った。メッセージを読むことはその後二度か三度かあり自分が今の所平穏無事だ、アメリカのポリシーは間違っていると訴えた。幸いにも無事解放され、後であのメッセージは強制されたものだと釈明した。
CBSが派遣したレポーターにキンバリー・ドージャーという女性記者がいた。美人タイプではないがいつも読みの深い上手にまとまったレポートをする彼女に私は敬意を持っていた。彼女とそのクルーが襲撃された時彼女は重傷を負い他の男性クルーは即死だった。その時もテレビに向かって必死に彼女の救命を祈った。彼女はドイツの軍医療施設に運ばれ、脚に人工骨を入れる大手術を受けて、やがて回復しまた仕事に戻ることが出来た。この二人が助かったのは私の祈りが通じたせいだとは言えないだろうが大きな喜びだった。