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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

変化

 ダレス国際空港の入国審査は体験した中で一番厳しく二度写真を撮られ指紋を取られた。三月末から四月初めにかけて一週間のワシントン旅行はポトマック川の桜の満開に合わせたつもりだったが残念ながら今年の桜は例年より2週間遅れて多分一生に一度のチャンスを逃した。国会議事堂を見学した時もう40年以上前英語の先生がアメリカの精神は “Out of the Many, the One” という言葉に表されると語ったことを思い出した。議事堂やスミソニアン博物館、リンカーン記念堂、アーリントン墓地を訪れる多くのアメリカ人観光客が内心で愛国心の思いに触発されているのを感じた。その意味でワシントンD.C.は他の町とは違う特別な場所なのだろう。
アメリカの霊界がどんなかは「苛酷なまでの真実」の項に書いた通りで警戒していた。多分来ることは前もって知っていたのだろう。私のことを「田舎者が来た」と言い、「天の国なぞ日本人にくれてやる」と言っていた(書いたことも知っていたのだろうか)。彼らは現状のままでメリットを享受していた連中だろう。しかし「フランス旅行」の項で書いたと同じようなことが起きたようである。今まで霊界を牛耳っていた勢力が現在の最も文明化したアメリカを自分の眼で見て何を感じたか。帰ってからアーリントン墓地で復活した英霊たちの間で怒りが燃え上がっていると聞かされた。程なくして「審判の間違いはすべて正された」と連絡があり、私宛に何かギフトが届いたようである。

 慶賀なるかな、パウロがプロモーションした。イギリスよ喜べ、立教よ安堵せよ。私はペテロの声も聞き分けるようだ。この情報を伝えるペテロの声に同慶の情が籠っていた。あとで本人が「長い忍耐と努力の年月だった。時には投げ出したくなることもあった。甘い考えでは駄目だと伝えてくれ」と言っていた。私の前世譚は詳しすぎるというのが彼のコメントだった。何か不味いことでもあるのだろうか。確かに読み返してみると何度も同じ事ばかり書いているなという反省はあった。言われた方の立場もあるだろう。(後記参照)

「心と体と」というハンガリー映画を見た。20代の若い女と50代後半と思われる男の話である。女は自閉症の治療を受けており、名作「レインマン」でダスティン・ホフマンが演じた兄に似て記憶力抜群で、他人との付き合いが苦手でまだ異性経験はないが、大学も出ていて社会生活不適合という程ではない。ただし何事も杓子定規で融通が利かない。男は食肉処理工場の管理職で妻とは離縁して一人暮らしが長く、もう女性との関係は終わったと無理に考えている。女は男の部下として牛肉の等級審査係に新規雇用された。工場内で盗難事件が発生し、犯人の割り出しに担当刑事は心理分析官を雇うことを男に勧める。盗まれたのは牛の繁殖交配用の強力な催淫剤だった。多分盗んだのは男であろうが犯人は分からない。派遣されて来た女盛りの心理分析官が工場の全従業員と面談し分析調査する。その過程で分析官は男と女が同じ夢について語っていることを発見する。夢の中で二人は牡鹿と雌鹿になり森の中の共通する場面で何度か遭遇している。二人が示し合わせて作り話をしていると疑った心理分析官は二人を呼んで互いの夢が同じであることを告げ、それを知った男は女に一緒に寝て目覚めてからお互いの夢を語り合おうと提案する。二人は並んで床に就くが女は眠れないと言い出し、二人は起きてカードゲームを始め男は女の記憶力に驚く。この時点で女はまだ気を許さず男の下心は失敗したのだが近付きの第一ステップにはなっただろう。最後は二人が自然な成り行きで性的関係を持ち、女の自閉症がうまく克服されたことを暗示して映画は終わる。二人は正夢を見ていたのである。二人が鹿族でその暗黙の親和感がことをうまく運んだのだろうと、敢て自説を持ち出す必要はないだろう。
この映画で強烈な印象を受けたのは赤い血の色だった。場所が食肉処理工場であるだけに牛が拘束されて斬首される場面があり、女が自殺を試み浴場でリストカットして出血する場面もある。切られたばかりの牛の首の切断面がクローズアップされる。私は食肉処理工場を見学したことがないのでそのリアルな状景を目にするのは初めてだが、どこの屠場でも日常的に行われていそうなことで驚きはない。赤い血を流す動物は食べないし人間であれ鶏であれ家畜であれ雌は一切受入れないというアトス山とは典型的に逆の場所だなと思った。

 ライアル・ワトソンが面白い実験について書いていたのを思い出した。誰もいない部屋に一本の植木を植えた鉢だけが置いてある。教授が5人の学生に一人ずつ数分間その部屋に入り、そのうち一人だけが葉に火を付けたり枝を折ったり幹を蹴飛ばしたりして乱暴するよう指示する。誰がその一人になるかは学生同士で決める。5人が順番に入退室したあと、教授は木に乱暴した犯人を当てる。教授は電流計を木に繋いで待ち一人ずつ学生を部屋に呼び木の傍に立たせる。すると乱暴した学生が来た時だけ木に微弱電流が流れて針が動いた。我々はこの実験を科学的であるとして木にも感情と記憶があることを認めるだろうが、屠場で殺される牛にも同じく感情と記憶があることを深く考えない。ましてその請求が死後に来るとは思いも依らないし誰も教えない。ある時平安神宮の牛頭大王とはどんなものかと考えていると、後ろで「ミノタウロスと同じだよ」と男性の声がした。落ち着いた好感の持てる声だった。牛の霊が来ていたから私は平安神宮のことを思ったのだろう。別の時に「肉処理場に引かれる時の牛の気持ちがお前達に分かるか」とも言われた。裁きの場に丹後牛が現れて、飼い主がどんなに理不尽な人間であるかを証言した事例があるとも聞いたことがある。
 牛は人間の言葉を喋れない。この世では声で会話するが霊界では念で会話する。死者は動物が自分の意見を述べることを知り仰天するだろう。霊界は人間だけのルールが通るこの世とは全く違う環境である。ただし人間には全く理解できない言葉で会話する集団もいる。
 それだけでなく、これまで何度も書いたように肉食によって人間の霊体に異常が発生する。肉食をしない人間はいないから、宗教によって霊界を牛耳っている連中は化け物の姿をした死者の霊があまりに多いので、この世でもそんな人間が多数よろめきつつ蠢いているものと思い人間を馬鹿にしていた。開眼して自分の目で自然界が見えるようになると意外にも人間は皆ちゃんとした姿をしていて、文化的で自分達の世界よりましな暮らしをしているのを知って驚くのである。
 上述の
フランス旅行でこんなことがあった。ある食事の時80才を超えた老婦人と向かい合わせの席に座った。高齢にも拘らずそれまで彼女が結構ハードなスケジュールに少しも遅れを取らないのは大したものだと思っていた。その時出された肉料理に私が手を付けないのを見て、彼女が「どうして肉をお食べにならないのですか」と訊いた。私が「肉がうまいのは知っています。でも肉を食べるとその動物に恨まれるのですよ。死んでから仕返しに会います」と言うと、彼女はナイフとフォークを持った手を休めずソーセージを忙しく口に運びながら「仰ることの意味がわかりません」と返答した。然し齢の順で行けばあの旅行に来ていた13人の中で最初にその意味を実感するのは彼女だろう。
 耳新しいニュースで Vegan
(ビーガン)と呼ばれる料理を提供する店を紹介していた。調理に肉は全く使わないが味を工夫して美味しく出来ており、カロリーを気にする一部の愛好家に利用されているらしい。ネットの記事によればベガ星人は人間の形をしているらしいが、彼らが肉を食べないからだろうか。

 私のブログは夢の話ばっかりで何を寝言言っているのかと批判されているらしい。以下そういう向きにはまたかとうんざりされるかも知れない。「ネフィリム」の項に詳述したこの町には信長の時代に出来た城があって、その北の丸に悪の頭目が隠れ住んでいた。それがこの町を霊的に荒廃させている理由だとは知る由もなかった。彼は自分に靡いた宗教に人身御供を贈らせていたが仏教(彼を守り本尊にしている宗派は重大なミステークを犯している)だけではなく全能神を尊崇するキリスト教の宗派も含まれていた。江戸時代には城主が亡くなると殿様を犠牲に奉げる儀式が代々行われていた。
 今回遂に彼に対して捕吏の手が回った時私は夢の中でそれと思しき建物の中にいた。黒い服を着た男が凄い勢いで私にぶつかってすれ違ったが顔はよく見えなかった。今のは一体誰だろうと思った。続いて私は建物の外にいた。病院のような外観の大きな建物は彼があちこちに衝突して激しく動きつつ逃げ回る勢いで最早半壊し屋根がなくなっていた。私の目前に彼が飛び出して来て今度はその顔がはっきりと見え、日本人ではないことが分かった。彼の異常なパワーが今まで経験したことのない強烈な圧力となって腹部に感じられた。男の顔は最近のMLBの放送でよく見るエンジェルスのソーシア監督そっくりだった。とかくして彼は捕吏の手に落ち、類稀な霊力を持ちこの国の陰の世界を長らく支配してきた男は束縛された。彼こそユダヤ十二支族の始祖ヤコブその人であると教えられた。霊界で要注意人物の名前と写真が載っているリストの筆頭に出ているそうである。彼の命運がどうなるかに同情の余地はないと言われている。名前を挙げることに躊躇したが今後も関連事項が必ず出て来て説明に困ると思うのであえて書いた。

 朝鮮半島で変化があり会話の機運が高まって世界中が期待している。まるで枯れてしまった貴重な植物が絶望的な荒地の中からむくむくと芽を出して来たようで、踏みつけられず立派に育って欲しい。
文大統領が「ノーベル平和賞を貰え」と言われて「我々は平和が欲しいだけだ。ノーベル賞はトランプ氏が貰えば良い」と答えたと日経に出ていたが何と泣ける話ではないか。日本人は孔子に親しみがあり、孔子は為政者が徳によって国を統治することを説いたのに歴代の大統領が得ばかり求めて次々と訴追されているのを見ると理想と現実のギャップを感じざるを得ない。ケントさんが色々と書いているようだが私の感想はちょっと違う。北も含めて現実に彼らの政治が孔子の理想とはかけ離れているから国民が儒教を求めるだけで儒教が伝統的に根付いている訳ではないと思うし、彼らが「我々は儒教の国だ」と言うとすればそれは少々違うんじゃないかと感じる。もしこのまま行って文大統領が大統領職の報酬手当以外はお金を一切手にしなければ歴史に名が残るだろうし、そうなることを願う。一言だけ言わせてもらえば国賓のレセプションに元・公娼の老婦人を呼び主賓とハグさせる国はあまりないと思う。見解の違いか。
 同じことがローマにも言えるかも知れない。もしカトリックが問題をクリヤー出来れば最大多数のクリスチャンに恵みが齎され一番良い事だろう。然し相変わらずキッパを被ってユダヤのスタイルを守り、いま時反喫煙のキャンペーンの一翼を担っているが、社会的良心のリーダーを標榜するなら麻薬こそ最優先のテーマで、人間性の破壊と暴力と不当利得を伴う、地球上で最大の問題は麻薬ビジネスではないだろうか。何故それを言わないのだろう。ガバメントから大聖堂には予想しなかったものが存在することが分かり解決は足踏みしているとの情報が入った。今まで私にとって勉強になりこのブログを書く時にも参考にしたあるキリスト教関係のHPに、悪の実在とエクソシズムの意義を認めローマが正しい信仰の行われている場所と見直すべきとの見解が紹介されている。然しサルバルサンが梅毒という恐ろしい病気の特効薬であるように、エクソシズムは異常な怪奇現象に対する劇薬であり、背景に潜む根本的問題の除去は未だ容易ではなさそうである。

      ----------(後記)--------- 

このパラグラフに書いたことは今までの流れから見て全く矛盾していた。単純に気付いた時点で消せばいいのだが、私はここで言われたことをそれ程怪しみもせず書いてそのままブログに載せたのだった。勿論誰が言ったのかは分からないが、これは私にケアレスな失敗をやらせて顔色なさしめ、すべての努力を水の泡に帰させるための罠だった。そしてこの都市が如何に恐ろしい場所であるかに気が付いた。だから自戒のために消さないで残しておくことにした。やがてここで不吉なことが起きる予兆であったと今になって思う。
夢とは言えネフィリムの出現にしてもヤコブの出現にしても、他の町では決して起きないような事件だった。肉食については後に「爆弾発言」で考えが変るのだが、やはり肉食の危険は伴うと思う。しかしビーガンという選択が正しいのではなく、我々は敵を怖れず対決し、戦いに勝たねばならないのである。そのことはこのブログの締め括りとして最後に書き記すだろう。
この町に住んでいる期間にワシントン旅行に行ったのだが、私はアメリカについて長い間忘れていた重要なことを思い出していた。