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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

友人T

 私の中学校以来の友人T君が白血病で2022年に亡くなった。享年80才だった。彼は口数も少なく温和な性格で背丈は175cm位だったと思う。彼の父親は日本統治下の韓国で公務員をしており、従ってT君の出生地は韓国だった。実家の宗教は神道だった。中学・高校を通じてスポーツ選手として華々しく活躍する事もなかったし、学級委員として目立った活動をする事もなかったが、学業成績は優秀で、京大法学部に入り鉄鋼関係の会社に就職してそこを定年まで勤めた。就業中は横浜に住んでいたが退職後は家を子供に譲り、山梨の山奥に中古の別荘を買い求めて夫婦だけで暮していた。私も招かれて一晩だけ泊まったことがあった。一生を通じて我々の間には喧嘩口論した事も腕力ずくで対立した事もなく、多少の意見の食い違いがあっても別段しこりが残るような事はなかった。以下彼との交誼で交わした会話や、彼のとった行動の中で今も記憶に残っていることを箇条書きにする。

・中学生の時二人で歩きながら、彼に「破るという字とイトヘンに定と書いて何と読むか知ってるか」と聞かれた。「知らない」と言うと、彼が「ハタンと読む。知らない人はハジョウとかハテイと読むかも知れない」と答えた。「どういう意味?」と聞くと「会社なんかがうまく行かなくなってつぶれることを言う」と教えてくれた。「そんなの何処で教わったの?」と聞くと、「生まれる前に学校で習った」と言う。私は驚いて「僕は生まれる前持っていた知識をすっかり消されたのを覚えている」と言うと、彼も驚いて一瞬二人は見つめ合った。
人間は誰でも「他人も自分と同じだろう」と思うものである。しかし私が今までの作業を通して分かったのは、モートやイカ族には生前記憶があり連絡しあっているが、人間にはそれがないという事である(歴史上まれに例外はあるかも知れない)。そして人間にせよ人間以外にせよ、記憶操作を受ける場所はインドだということである。これは大きな問題で、世界は注目しなければならない。また、彼らは人間界がテスト社会である事を先刻承知で、みっちり予習して来ているのである。だからイカ族にはイカの学校が、モートにはネズミの学校がある。もし貴方が「私は自分をモートともイカ族とも思っていない」とか「そんな事全然考えなかった」と言うなら、貴方が人間である可能性は非常に高い。更に言えば、貴方の両親がモートであったからといって、貴方がモートであるとは限らない。
・畑に収穫されなくて放置されていた玉ねぎが伸び上がって蕾を持っていた。それを見て「ねぎ坊主を食べると馬鹿が治る」と言った。私は面白い事を言うなと思ったが、どういう意味かは聞き返さなかった。
・彼は中学2年生から我々の学校に転校して来た。1年生までは同県内のS市のF中学にいた。ある時彼が前の学校であった面白い出来事の話をしてくれた。先生がクラスの生徒の名前を順番に読んで生徒に返事させ出欠を取った時のことである。書かれた名前はタテ書である。ところがある名前で先生は行き詰った。それは「日比生」という男子生徒の姓で「ヒビオ」と読むのだが、順番表は当時ガリ版印刷だったので「生」の字がうまく印字されていなかった。おまけに原紙にあった余計な傷が印刷されて「虫」の字に似ていた。そこで先生が顔を上げて「お前はコンチュウ(昆虫)か?」と聞いたので全生徒がどっと爆笑した、という話である。
それを聞いて10日程後の事である。なぜ私がその話を持ち出したのか覚えていないが、彼に「昆虫に間違えられた話だけど」と聞くと、彼は自分のことと勘違いして、横を向いたまま「僕は昆虫じゃないよ」と言った。そして「言ってみれば軟体動物のようなものだよ。イカやタコのような」と続けた。私は唖然として「この男は一体何を考えているのだろう」と、まじまじと彼の横顔を見つめたものだった。
・私が少年雑誌に載っていた「白樺に名を刻みおくキャンプかな」という俳句を言うと、彼はいやな顔をして黙り込んだ。何が原因か分からず「白樺に傷を付けるとそこから木肌が黒くなって痛むからか」と問い質したが、彼は何も答えなかった。タネを明かすと、玉ねぎも白樺もイカ族の敵である。だから広い敷地に住んでいる人は庭に白樺を植えるとよい。
・高校生になり2年生の時同級になった。2年の社会科の科目は世界史だった。2学期の終わりの頃、彼が「フランスはどうしてもイギリスに勝てない。健闘したのはジャンヌ・ダルク位のものだ」と嘆息した。多分授業でトラファルガーの海戦でナポレオン軍がネルソン提督に敗けたことを習った直後だったのだろう。私は世界史の勉強でスペインが勝とうがイギリスが勝とうが、彼のように自分の事として一喜一憂したことはなかった。何故韓国で生まれた彼がそんなにフランスに肩入れするのか不思議に思ったが、理由は聞かなかった。
・私はスイヨプをT君からうつされたのかも知れない。爆弾発言の(註1)参照。
・大学入試の試験で「数学の問題に丁度前の晩に本を見て復習した問題が出たので助かった」と言っていた。「へー、それは良かったね」と笑って答えたが、単なる偶然だっただろうか。

・お互い社会人になってもたまに顔を会わせた。結婚式では友人代表で挨拶してくれた。会社は二人共千代田区大手町にあった。40代の中頃近くのレストランにランチ仲間と昼食に行くと偶然彼が同僚と一緒に来ていた。食事を終わって二人で短い話をした。その時彼はクリスチャンになった事を話した。「妻が先に教会に通っていたので僕も行くようになった」と、何でもない事のように言ったが多分嘘だろう。
改宗することは前々から彼の計画にあったのである。山梨の別荘も意図的に住み家として「山」を選び、また近くにプロテスタントの教会があるから行ったのだと思う。私のように漫然とカトリックの教会に行くのではなく、先読みしてプロテスタントを選んでいたのである。両者の違いを分かっていたのだった。彼は物忌みもしていたらしい。私の知る限りでは物忌みするのは正教の信者だけだったが、何処で彼はそんな事を学んだのだろうか。彼のこういったすべての事の目的は、たとえ永遠の命はなくとも生きている限り人間になり、霊界において人間として生きることだった。フランスはモートだけでなくイカ族繁殖の地でもある。ブーローニュの森はパリにおけるイカ族の巣である。

 彼はプロテスタントの審判に受かって人間になれただろうか。ある声は「彼は審判に受かって人間になれた。しかしイカ族の仲間が怨嗟して彼だけ人間になることに反対し、結局は通常通り頭部は人間で8本足のイカ人間にされた」と言った。しばらく私はこれを真に受けていたが、手の込んだ嘘だった。
 今年の始め亡くなった女優は我々と同い年だった。晩年「山」ではなく「海」の近くのマンションに住んでいた。魅力的な美女で、彼女を恋慕して売れっ子の男優や若いタレントが自殺したが理由がよく分からない。ポルシェに乗り麻雀が好きだった。左手を伸ばしてサッと牌をツモる手つきには独特の色気があった。気が合えば雀友とベッドインしたこともあっただろうが、生涯独身だったから誰からも文句は出ない。宗教に余り関心がなさそうだったから多分葬儀は仏式だったと思う。MS連合は真面目な生涯を送った人間より邪道を歩んだ人間の方を高評価するから、彼女は死後人間になったと聞いたが、これも嘘だった。

 イカ族は死んだら人間にはなれない。人間の胎児に宿ることを幽体結合と呼ぶとする。幽体結合の後胎児が成長し、人間が誕生して人生を生き、死後幽体離脱する。この幽体離脱する幽体と幽体結合する幽体は、外形が変っているだけで同じものである。イカ族の幽体は造骨機能を持っていない。従って人間の姿をしたホネのないブクブクの二本足の身体が生まれるだけである。人体は頭蓋骨と脊柱がうまく組み合わさっているが、彼らは骨がないから頭はタコのように後ろに垂れて座っていない。しかしこれでは活動出来ない。だからイカ族は頭部は人間から取って8本足を付けイカ人間に魔改造するほかないのであろう。あんなに先を見通していたT君もこれに気が付かなかったのだろうか。ロシアと戦っているウクライナ人も人間と戦えるのはこの世に生きている間だけで、彼らが「他人の褌で相撲を取っている」と言われても仕方ないだろう。

 モートは脊椎動物の部類だから造骨機能を持っている。しかし地球の生物の系統樹にはない動物なので独特のハイブリッド人間になる。私は一度見たことがあると思うが、彼等は黒っぽい肌をしていて2足歩行する裸の半人間だった。これが所謂地底人である。男は普段なるべく目立たない場所にいる。体毛があるかどうかまでは見極められなかった。個体はそんなに大きくないが(中には例外的に大きいのもいる)、多数の地底人を一度に相手にするのは大変だろうし、彼らが教会や仏閣に大量に巣食っているとすれば、人間を救い出すのは結構難しいだろう。イエスは彼等との戦い方を実地で教えてくれた。注目すべきは彼らの変面(フェイスリフト)能力である。最近もマリアを見たが口元は清楚とも言える美人だった。あれでは腹黒い女とは思わないだろう。

 このように人間の一生を終えて死んだばかりのイカ族やモートは容易に判別出来る。人間のふりなんか通用しない。もし新しい宗教になって彼らが信者に紛れ込んでいたとしてもガバメントは彼らを救い天に連れては行かないだろう。ましてやペテロの叛逆以来ガバメントがモートに対して今なお腹に据えかねる気持ちでいるのはお分かりだろう。
 人間が一生のうち落ち度を犯して猿や犬や家畜などの系統樹にある動物に落ちることがある。この場合贖罪の期間を終えれば彼らは人間に戻るだろう。魚類もこの部類で、人魚やアフロディテや浦島太郎の竜宮城伝説のように女と関係が深い。しかし最早決して人間に戻らない重罪もある。

 霊界の水中にいるイカ人間には生殖の能力がある。メスが産卵しオスが体外受精するのだが、その結果人の顔をした小さなイカ人間が水面下にうようよといるのを見た。7月頃、場所は近くの川で、例によって誰かが見ているのを傍受したのである。しかし最近の雨台風で川下に押し流され、もうあそこにいないだろう。
 地底人にも生殖能力はある。女の子は地底人に冒される。女の子は自分の番が来る日を逃げ出したい気持ちを抑えて迎える。そこが生きて行く場所だからだ。初体験で喪失感に悲しむ女の子には「処女膜の値段はいくらだ」と馬鹿にする。「後ろから先を入れさせろ」とネズミのポーズを要求する。その結果ヒトの卵子とネズミの精子が受精したらどうなるか。ヒトの染色体は46本(減数分裂すれば23本)だが宇宙ネズミの染色体は何本か。結果的にとんでもない生き物が生まれている。SF4の⑬「神の目の小さな塵・上」でモートを左右非対称・6本指・片耳の奇妙な動物だと描写しているのがこのことを暗示しているのではないか。仏教やキリスト教によるMS連合の優位がこんな倒錯したクレージーで悪魔的な状況を作り出したのだが、もう何がどうあってもいい加減にしなければならない。

 もうかなり前だが「オッペンハイマー」という評判の映画を見た。彼はユダヤ系を自称しているが、遠い先祖にダニエルのようなイカ族もユダヤにいたからそう言っているだけだろう。ユダヤ人がディアスポラ化して後、父親の先祖がオランダにいたから彼はハイマーの付いた姓を名乗っている。角田文衛という歴史学者は戦間のドイツに留学していた。彼は「純粋のユダヤ人はシンプルな名前なので見分けが付く」と言っていた。例えばノイマンやアインシュタインである。オッペンハイマー自身は生まれる前にインドにいてサンスクリットを習得し、記憶していた。インドはイカ族の国である。だから彼はSJであってもNJではない。Wikipediaによれば三神一体とはインドのブラフマン・ヴィシュヌ・シヴァであり、三位一体とはキリスト教の父と子と聖霊である。しかしアメリカの原爆開発プロジェクトをトリニティー計画と呼んだ理由はいずれとも関係なく、政府(指導力と金)と軍(技術力)と学者(知識)を原爆開発に向けて一体化させ競わせたのである。これがうまく行かなければオッペンハイマーも学者としてメンツが立たなかった。Youtubeで識者たちが各人各様にコメントしているのを見て私はそう思った。
 この映画はオッペンハイマーが査問の場に立たされ、次の水爆開発のメンバーにも招かれるべきか否かが審議される過程を再現したものだと思う。これは歴史的事実でありアメリカ人には興味深かったと思うが、我々部外者には数多い登場人物が名前も聞いたことのない者ばかりで、前半は眠くて仕方なかった。しかしロスアラモスでの実験が成功して、先ず強烈な光が先に到達し、しばらくして遅れて音と衝撃がズンと響いて来る演出はこの監督(クリストファー・ノーラン)ならではの効果的なシーンだった。原爆が広島と長崎に落された実写がないと不満を言う評もあったが、オッペンハイマーにはそんな意図はなかったと思う。前項に書いた通り日本は彼ら一族の金城湯池で現状維持に不満はない筈であった。日本の戦況も最早先が見えており、既にソビエトに敗けて降伏したナチスドイツが彼の元々のターゲットだったから、代わりにまだ交戦中の日本の何処に原爆を落すべきかで京都が第一目標であると主張したノイマンとは違っていた。しかしこの映画でノイマンは全く登場しない(何か理由がある筈だ)。
 冒頭の、水たまりに雨が降り水紋が広がるシーンは核の拡散を暗示すると解釈するのは深読みのしすぎで、イカ族が水と関係あることをノーランは知っているのではないか。主演のキリアン・マーフィーはイカ族人間のヌルヌルした感じをうまく演じていた。

 T君からの最後の年賀状で彼が重い白血病で入院している事を知った。2月に奥さん宛に病状はどうなのかと手紙を書いた。すると病院から彼が直接家に電話して来て短い話をした。その声が普段彼が話す聞き慣れた声とは別人のように違っていてショックを受けた。まるで地の底から響くような、割れた太い声だった。Youtube でオッペンハイマーがヴァガヴァッドギーターを読む声を聞いたが、驚いたことにT君と最後に話した電話の声そっくりだった。あれが彼らの地声なのだろうか。