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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

負の遺産

2016年の十大ニュースには米トランプ大統領候補の当選と小池都知事の誕生は欠かせないでしょう。厄介者の北朝鮮、Brexit、鼻息の荒い欧州各国の右派政党、ドゥテルテ大統領・・・世界のあちこちで協調や暗黙の了解を建前とする現状維持の縫い目が綻びエゴイスティックな本音が頭をもたげています。国名の通り自己中心的な中国の台頭によるパワーバランスの変化が根本にあります。余程の叡智が働かなければこのままでは衝突は避けられない状況になるかも知れません。もう一度最悪の悲劇、勝者も敗者もない悲劇を繰り返して痛悔しなければ人類は次のステップに進まないのでしょうか。国連もいまだに第二次大戦の戦勝国が拒否権を握っていてしばしば機能マヒします。
トランプ氏が日本を貿易不均衡や米駐留軍の費用負担で悪者扱いしたのは時代錯誤で的外れとの批判が多かったのですが、アメリカ市民の根底にある被害者意識は対日貿易のインバランスが始まりだったと言えないでしょうか。日本に批判的な発言をすれば有利になるという共通認識はヒラリーにもあって、選挙中「日本が為替の相場を不正操作している」と確たる根拠もなく非難していました。ドルレートは固定相場制の1960年代中頃の1ドル360円から始まって変動相場制の下で1ドル70円台までの幅でfluctuateし、それによって日本経済がどんな艱難を辿ったかについて彼らは全然関知しません。彼女のメール問題と健康問題は表面的には無関係に見えますが国務長官時代に関わったカダフィー暗殺事件で繋がり、その真相は表立って報道されることはなく疑惑の闇は深い(木村太郎氏は彼女がダーティーだと早くから決めつけていたらしい)。もし私がアメリカの有権者だったら、権力機構の権謀術策に泥(なず)み、クライアントから得る高額の報酬を目当てに公正な正義より私的な利益を優先する頭脳優秀で口達者な法律家エリート層への拭いきれない不信感に迷いつつ、結局はヒラリーに入れたのでしょうか。
米軍駐屯地のある他国に比べると日本ははるかに重い割合の駐留軍費用を負担しているのが実情らしいし、日本に財政赤字を恒常化させ借金を肥大化させたのはかつてアメリカが日本機関車論を持ち出してむりやり内需拡大政策を要求したのが一因でした。あれが政府の借金に対するためらいを思考停止させ負債の泥沼に足を踏みいれるきっかけになったと思いますが、もともと小池都知事の言うBlack Head Ratsどもは大きな顔をして議員の群れに紛れ込んでいて、建設国債などと称して国の借金に何の痛痒もなく鵜の目鷹の目で利益誘導を狙っていました。そして「あなたの所の連絡橋建設プランに賛成しますから次は私の所の新幹線プランに賛成して下さい(陰の声:それはあればあった方がいいに決まっている)」と慣れ合って互いに車の後押しして来ました。これらの面の皮の厚い面々の集まりが自民党の本質であって、石原前知事がほめ上げる田中角栄などはその中心的人物だったと言えるでしょう。最近の国政選挙で大川隆法氏が「1千兆円の国の借金の責任は国民ではなく自民党にある」と意見広告を出していましたが、そうかと言って自民党には責任を取る能力も意志もないだろうし「お前たち選挙民が話に乗って我々を選択した結果だ」と言葉を返されれば沈黙する外なく歯痒い限りです。
あれやこれやで今や国はとんでもない負の遺産を抱えてしまった。負債を軽くするために日銀の黒田総裁がいくら必死に煽いでもインフレの火種は燃え上がりません。最近OPECが減産を決定し少しは風向きが変わるかも知れませんが半面原油の値上がりは生活者や運輸関連企業にとっては痛い。この歴史的難局を乗り切り破局を回避するのに何か手段があるのか、或いは回避出来ないでどんな空前の事態が出来するのか。斎藤立教大教授(当時)が言ったように、ゆでガエルになる前にもうのんびりしている猶予はないでしょう。

 ジャパンバッシング盛んなりし頃文部省が坂村健一氏開発によるトロンをOSに積載したパソコンを学校教育で優先的に取り入れようとしたことがありましたが、アメリカがこれに「非関税障壁だ」とクレームを付けたため一言の反論もなく頓挫しました。せめて中国が良くやるように「コンピューター社会の到来に備えて中高校生のコンピューター・リテラシーを涵養するには身近に良き指導者がいて母国語のテキストとその機器が必要である。このガイドラインは官庁やビジネス界で他のOSによる優れた製品を排除しようとするものでは決してない」くらいの反論はして欲しかった。
およそ経済問題でアメリカと日本は基本的に立場が逆で、一方のメリットは他方のデメリットだということを軸にして考えなければなりません。時流に乗れと言う訳ではないが日本も唯々諾々と従うばかりでなく、もうそろそろ腹を括ってものを言うべき時ではないでしょうか。

 中高校生の頃谷崎・三島・川端らの大作家が新作を発表すると必ずベストセラーになり、そこに新しく大学を出た石原・開高・大江らが芥川賞を取って登場しました。慎太郎刈りは若者の間でブームになり大スター石原裕次郎の兄としても評判になった。石原氏の作品は高校二年(昭和32年)の頃それまでに出たものを大判の一冊にまとめたペーパーバックで読んだ記憶があります。古い権威に対する若者の反抗を謳うというが所詮色々なシチュエーションでの、刹那的で向こう見ずな暴力とセックスのパターンの繰り返しで身も蓋もなく、読み続ける気力を失ったものでした。今この時点で田中角栄を称賛するのもセンスを疑う外ありません。江川紹子さんが前都知事の業績を厳しく批判し、オリンピックに浮かれている場合ではないと書いていました。新銀行東京にしても豊洲にしても、全くfeasibleでない杜撰な計画書をでっち上げて手を挙げたオリンピックにしても、お粗末と言われても仕方ないのではないか。幸福実現党党首は彼を組織のリーダーとしてどう総括するでしょうか。余り個人攻撃してはいけないと言われているので、向きを変えて「東京都民よカッコだけで知事を選んでは駄目じゃないですか」。
 所詮オリンピックは3週間「面白かった、楽しかった、メダルをいくつ取った」で終わり、何も実質的に残るものはない壮大なお祭り即ち遊びです。スポーツマンよ、あれもこれも新調しろとSpending Spreeに浮かれている場合ではないのですよ。膨大な出費をどう工面し後始末するのか、それを貧困対策や国の負債削減に振り向ける方がよっぽどwise spendingだと思う。あちこちで起きた災害からの回復や将来の自然災害への備えにも巨額のコストが見込まれています。前例もあり小池新知事がオリンピックの負の遺産を警戒するのは正しいと思う。男どもはイケイケで来たが彼女を見ていると今後はハウスキーピング的発想を持つ女性リーダーの登場が嘱望されるように思います。彼女は私のように「勝者は称賛に値し本人も名誉だろうが、得た金メダルは中国で売られている偽メダルと実質的値打ちは同じ。いくらメダルをたくさん取ってもこの国が抱えている諸問題は全然解決しない」とまで冷めきっていないのが五輪賛同派にとってまだ救いかもしれません。
長野オリンピックでは決算書が行方不明になったが、今度のオリンピックではきちんと収支を開示して報告書が犬に食われないようにして頂きたい。

 タンムズが奸計によって窮地に陥って撃ち取られ、私に「最後はどんなことがあっても無事脱出してくれ」と言い残したという知らせはショックでした。暗澹としつつ他方で私を不安に落とし入れる例のデマかも知れない、また人間は何もかも、夢さえも完全モニターされている監視システム下で脱出なんて可能だろうかという強い疑いもありました。ある者は「タンムズは煙だから撃たれるなんてことはあり得ない」とも言うし、別の者は「やられたのは替え玉だろう」とも言う。
私の世代で覚えている人は多いでしょうが、子供の頃福島鉄次という絵物語作家が少年雑誌「冒険王」にアラブの扮装で大刀を揮(ふる)い天空を自在に飛び回り近代装備の軍隊を相手に戦う怪人を主人公にした「砂漠の魔王」というカラフルな冒険活劇を連載して人気がありました。軍は魔王のアナログ映像を分析して怪人の正体は煙だと判明するのですが作者はタンムズのことを知っていたのでしょうか。福島鉄次、小松崎茂、山川惣治らの描く絵物語は技術・ストーリー共抜群で当時の少年達を惹きつけました。中でも「砂漠の魔王」には独特の前後に類を見ないファンタジーがありました。
一歩で百メートルを飛ぶと言われるタンムズでもやられるとは余程手強い相手だ。悪の正体を暴露した私は随分恨まれているらしいが今更引き返せないでしょう。我々は一体誰と戦っているのか?
 しばらくタンムズの様子が聞かれず「天に帰っているのだろう」と言う声もありました。ある夜見た夢で私は軍服を着た将校の間近にいました。彼は偽装して敵軍に潜入した後これから敵のゲートを通って退出する所でした。難しい局面にも拘わらず彼の挙動は落ち着いていました。門衛に誰何されたが階級章を見せて通される。通りに出ると誰かが後から追いかけて来る気配がする。彼は脇道に並んでいるとある店に入り子供に金を渡した。すぐに兵隊が追い付いて男はどっちへ行ったか聞いている。子供は気が付かなかったと答えている。私も店の中に入り彼の行方を追ったがすでに姿はない。そこで目が覚めたのですが私の心臓は早鐘のように激しい動悸を打っていました。「あれはタンムズだ」という声が聞こえました。カーキ色の軍服は多分フランコ時代のスペインのものでしょう。あの夢はタンムズが健在であることをアピールしたのだとも取れます。ではこの国で彼が撃たれたという伝聞はやはり嘘だったのでしょうか?この件の顛末は未だ続きがあり現時点ではこれ以上書けません。

 次に見た短い夢で突然弾丸が間近に飛び交う危険地帯に私はいました。即座に二、三発自分が流れ弾を食らっても不思議ではないような激戦地でした。そこにいたのは私が顔を知っているような気がするサタンでした。彼が鋭い声で部下に指示していたのは私がかつて一度も耳にしたことのない言葉でした。
最近私はペテロはサタン(族の一人)だと気が付きました。マタイ16章にイエスがペテロに対し「黙れサタン、お前は神様のことより人間のことを思っている」と叱る言葉があります。人間は誰も自分の本当の出自を知らないし、バルヨナ・シモン自身も自分がサタン族であるとは全く思ってもいなかったでしょう。イエスはこの事を天の父から聞いて知っていたらしい様子が前後の文章から窺えます。さらに、イエスはシモンに対し「あなたはペテロである。そしてわたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう」と言いました。マタイ21章の「家造りたちが捨てた石、これがすみの親石となった」の「家造りたち」とは祭司長やファリサイ派等の旧約指導層で、サタンを悪魔として捨てた者たちです。片やイエスはサタンを自分の教会の親石に指名し、祭司長やファリサイ派こそ悪魔に仕えるものだと言ったのです。
イエスがペテロに「わたしはあなたに天国のかぎを授けよう。そしてあなたが地上でつなぐことは天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」と言った事とルカ福音書22章で「サタン(一族)があなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された」とは同じ事です。
しかしイエスのこの企ては失敗でした。
ルカ福音書101819の「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。わたしはあなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう」は何を意味するのでしょうか。この世に生を受ける時人間は「記憶」即ち「知力」をゼロにリセットされ、死者は一生の間僅か80年余の経験で得たものだけを携えて一人一人が霊界へ、即ち人間以外のあらゆる生物が先住し人間を待ち構えている世界へ送り込まれます。このことの危険性をサタンは見抜いていたのです。生きている時は霊界について考えようとしてもこの世の常識が立ちはだかって、非科学的な見えない世界について真面目に考える者は余程の変わり者か狂人扱いされます。
人間は自然界で自分が最高の存在と思い上がっているが、死後の霊界にいる生きとし生けるものは人間に先んじて数段長い歴史を経ているだけに、知力においても力量においても我々人間の想像をはるかに超えて上なのです。言うまでもなく彼らは霊界で人間に対し数的に圧倒的に優勢です。この事実に人間は目覚めなければならない・・・「存在は本質に優先する」のです。
パーリ語は虫の言葉で、多くの仏典がパーリ語で書かれています。ハエの王ベルゼバブは顔はハエだが人間と同じに手足がある姿で画かれ、知恵と力を秘め悪魔と恐れられています。黙示録の蝗も武装しています。サタンは「神様のことより人間のことを思って」いました。だから神のやり方に反逆し人間を守るために自ら地上に降りた。サタンを貶める者に彼の助力はないでしょう。

 黙示録1章8の「私はアルファにしてオメガである」は「真実の人間救済の教えを述べる者は私が最初で最後、以前にもいなかったし以後もいない」と解釈されます。ただしイエスの教えの山上の垂訓はそれに当てはまる者が救われることだけを説き、しない者(ELSE)がどうなるかの説明はありません。
仏教は虫や猿や虎による欺きの教えで信者は彼らの餌食です。例外的に生き残る者は余程特別な能力か特異な功績があるか、悪に加担する者です。いくら優れた仏像を拝んでも経を唱えても金をかけて葬式しても寺や庭に感動しても救いなんて嘘です。イエスは自分だけが救いの道を示し、それ以外はどれも滅びの宗教で巧妙な破滅への誘いであると言っているのです。私の名付け親からメッセージが入っています。それは「親類縁者に法華から抜け出るよう是非伝えてくれ。来るべき所ではないし我々は彼らに適わない」というものです。彼とて蔵前高専を出たエンジニアだったのですが、発心して家族を捨て僧侶になったのでした。
最近分かったサタンと私の関係を例に引きます。私は独身の頃千葉県某市に狭いアパートを借りて一人で住んでいました。あの地域を統括するのは豆蒔きをする大きな寺で、宗旨は猿の教えです。その寺が私に寄越したのは暗闇の神でその実体はワニです。多分こう言っても何の事か分からないでしょうからはっきり書きますが大黒天です。福の神なんてとんでもない、人間の子供たちをバリバリ食うbeastだそうです。あの頃「お前はえらいのを背負ってるな」と誰かに言われたことがあります。これが何と「14・改宗後」に書いた“ある方”であり、また「35・人生は遊びではない」に書いた海の神(金毘羅)の正体で、私は何度も右往左往させられた訳です。サタンは私に味方して寺に抗議してくれたのですが、この男は仏教徒だ、お前の出る幕ではないと拒絶しサタンを殴り付けた。この「殴り」の技は漫画の孫悟空にある通りぶっ飛ばされる程凄いのですがサタンはじっと耐えた。私が上から目的を持って(全然自覚していなかったが)降りて来た者であることをサタンは知っていたのです。仏教にとって私が自分自身の何たるかに気が付くまでが勝負でした。
 メソポタミアにワニを神格化する古い宗教があったようです。黙示録は難解で目星を立てる事さえ簡単には無理ですが、多分海と陸にまたがるbeastがこのワニの神でしょう。悪の三本柱の一つと言われているそうです。革命軍がローマを攻撃した時この神が多数の部下を連れて人間を迎え撃ったが、率いている部下はワニたちでした。そして人間側に味方しそのワニと戦って勝ったのがロシアの獣・・・とにかくこれが霊界で今日起きている現象の実態です。
黙示録224でサタンに秘密があることに触れていますが詳しい説明はありません。129ほかではサタンを悪魔と断定しています。という事はヨハネも旧約の呪いに呪縛されていたのでしょうか。以前私の所に何度か来たジョン少年には何か屈託を抱えている様子があったのですがこの所為でしょうか。ヨハネは死後黙示録を非難されて「サタンが実際何をしているか行って見て来い」と言われたらしい。ペテロがローマで処刑される時逆さ十字架を希望したのは、サタン族の疑いが晴れるまでイエスや他の殉教者と同じ姿で刑を受ける訳にはいかないと考えたからと思うと涙が出ます。
言えば命に関るから私に対しても「本当の事は言うな」と強圧的に脅された霊ばかりで、イエスもはっきりとは言えなかったのでしょうか。「46・苛酷なまでの真実」で書いた“人間の運命は今のままで良い云々”という仏教の本音を聞き出したのは「41・神の臨在」に書いたP(ペトラルカ)ですが、彼も危うく命を失う所をある組織に助けられたそうでほっとしました。彼もBも悪が優勢な母国を嫌ってExile中で革命軍の中にはExileが多く、ヤマトの神々は伊勢も八幡宮も反革命だったらしい。伊勢の外宮にはYHWHが祀られているという説があるようです。日ユ同祖論を裏付けてヤマトの神々がエロイムとクラバックに分けられるように、日本にはユダヤの神たちがいます。「14・改宗後」に書いた“虹を帯びて輝く神”がそのトップでしょう。この神を見た者は三人います。黙示録を書く時のヨハネ、馬上でこの神を見て落馬したサウロ(パウロ)と私です(下記*註参照)。私は黙示録の王と王座を取り巻く者たちの情景を読んでぞっとしました。もし黙示録220のイゼベルの教え(イゼベルには結婚しない女の意味がある)をカトリック、133の“頭に傷のある獣”を仏教(インドで敗北し勢力を失った)と解釈することが可能ならば、この国では悪魔のために三つの保険が掛っていることになります。神道、仏教、カトリックです。

 イエスは“あなたがたに蛇や蠍などの敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた”のですが地上のすべてのヘビや蠍を完全に退治できる訳がありません。彼は切手のようなイスラエルの地からそれらを駆逐しイスラエルを浄化しただけなのです。しかしイスラエルはローマに席巻されて荒廃し、イエスの意図を超えてその教えはパウロによりローマに伝導されて国教になり、キリスト教となった。ローマは蛇や蠍が未だ浄化されてはいなかった。そこに失敗の大きな原因があったのだと推測されます。パウロが非難されるべきかと言えば必ずしもそうではなく、聖書に汚れた手が入ったとは言えキリスト教なくしてイエスの教えは残らなかったと考えられます。
ただし人間にとって幸いなことには動物のすべてが敵ではないのです。草食動物である牛や馬は心が優しいし、力のある象やゴリラも草食です。だから牛頭馬頭
ごずめずの神を祀る八坂神社は良い信仰の可能性が高い。蛇もその本性は悪ではなく、私も今まで書いたものを見直す必要がありそうです。ヨハネの考えと違って黙示録のニコライ教とは同様に良い宗教であると考えられます。何故ならロシアに強い人間の味方がいたお蔭で、信者の真面目な信仰と相俟ってロシア正教は機能したと考えられます。では一体その動物とは何か。その姿を見てキングコングだと言う声がありますがロシアにゴリラがいる道理がない。おそらくそれは人間にとって今なお未知の存在、イエティーまたはビッグフットまたはサスカッチと呼ばれる存在ではないでしょうか。ウラル山脈近くに住む人々は彼らを神として崇めています。
日本でもこの動物神の助けがあって敵味方の兵力均衡が破れ、世界最初にガバメントが勝利し革命が終息したようです。それだけでなく天からも軍勢が押し寄せ、その力は圧倒的で世界も平定されハルマゲドンは
革命側の勝利に終わり、チューリンゲンの和議と呼ばれる講和会議が開かれたのでした。
ただしこの体制が未来永劫続く保証はなく、殺されて食われた動物の遺恨は完全に払拭出来ないでしょう。デジデリウムの重要性も変わらないでしょう。
インフォーマントとしての私は何が本当の情報か嘘かに戸惑い結論を伝えるタイミングを誤り、「46・過酷なまでの真実」は後になって聞こえたことを今の状況と取り違えたミステークで、既に「41・神の臨在」の時点で世界的に大勢は決していたようです。

ガイアの夜明けが始まったのです。

この項に書かれた悪しき宗教はすべて根絶され、今やキリスト教だけが名実共に存在しているのです。今も我々が目にする悪しき宗教の一見これまでと何ら変わりのない建造物は如何に立派でも、実は形だけの中身のない遺構だと言って過言ではありません。これらの建物がある伊勢及び川崎の周辺地域では長い間夥しい被害があったのです。

 ユダヤ人も天使がイスラエル以外から来たことを知っていました。ポステルはユダヤの始原性を高く評価しましたがこれは誤りでした。サタンやルシファーやタンムズを悪魔と欺いて定義し、人類の始祖はアダムとイブだけではなかったし、ダビデがゴリアテに勝ったという話も偽装された歴史であり、多分アブラハムが論争でニムロドに勝った話も嘘でしょう。旧約聖書の真偽が問われたのはこれが三回目だそうで、前の二回では人々はその厚顔にあきれたのでした。嘘とごまかしに充ちた旧約はまさに負の遺産なのです。

(序で乍ら私はサタニストやルシファーニストと呼ばれる人々の団体や結社とは全く関係ありません。)

(追記)
・人間はカニバリストを最大級の罪人とみなし彼が極刑に付されても異議を唱える者は少ないでしょう。歴史的真偽はともかくソニー・ビーン事件の顛末もそうなりました。それにしてもビーン一族が近親相姦によって宿した多数の胎児もアボートすることなく通常通りに魂が与えられ人となったことには逆に冷酷非情ささえ感じます。sein sollen に優先するのです。
人間は家畜だけでなくジビエと称して野生の動物全般を食用にしても犯罪にはなりません。逆に霊界では動物同志で殺しあう方が犯罪的で、動物霊が人間を食の標的にしても別段譴責されないで当たり前の事とされていたようです。現世と霊界は鏡に映った実像と虚像のように対称的です。
私に小学校以来付いていたグアナコと呼ばれる少女霊がいました。私がこのブログを書き始めてから彼女は私の文章を上手に英訳し(だからこのブログは世界で読まれているらしい)仲間の尊敬を集めていたのですが、ある時消防署に行って「今日は何月何日ですか」と聞いたことがきっかけで人間であることが露見し、捕えられてメスのブタに食われてしまったのです。「生き延びたかった」と泣いていたそうです。
アトス山に滞在したことのある聖職者の講演を聞く機会がありました。そこで出される料理には赤い血の出る動物の肉は一切使用されず、魚も中々手に入らないらしい。周辺の海でタコは比較的容易に取れるらしく、タコの干物を野菜と一緒に煮る料理がよく出ると言っていました。女人禁制に徹してメスの動物はいないので乳製品も食べないが、卵は買っているそうです。油も料理に使わないらしい。修道者が俗界に帰る時、人々は涙を流して見送るそうです。下界の生活で口にする肉が動物霊の報復を受けることを黙って同情しているのでしょうか。

・調査の結果私のクラスメート(46項参照)だけでなく上から降った他の霊もほぼ全滅で、この国では黙示録に書かれたようには行かなかった。宗教的な環境のせいだと思われます。天の怒りは頂点に達し、報復としてロケット・ミサイル・バズーカが撃ち込まれ、根城にはきれいな水爆さえ投下されて(42項参照)、さすがに彼らもやり過ぎを認めざるを得なかった。「無事でこの世に出かけた者は無事でこの世から帰って来る」約束は守られなかったのです。

・大阪はすんなり革命の理念を受け入れて意思統一されたが東京にいる権威者たちは首を縦に振らず足並みが揃わないらしい。ある神が現れて「元凶は赤坂見附だ」と言ったのですが(69項・ネーミングの権田原に関する記事参照)、「あれは三輪の神だ」という声がした。然しその神は裸同然で本来の三輪の神ではないらしい。どちらが正しいのでしょうか。
「カトリックを悪者扱いするな。名古屋で対策を講じている」という声があります。南山大学のことでしょうか。「ローマは宇宙を視野に入れている」とも言われました。
新潟では「キリスト教徒は団結すべき」との動きがでているらしい。

・陰謀論によく出るメーソンやイルミナティーは肉食しないだけではなく薬品に汚染された市販の野菜も食べないらしい。陰謀論者はケムトレイルが人口抑制の薬を蒔いていると言っていますが、人口増加によって動物たちの住む場所が侵害され怒りを買っているているのは事実でしょう。すべて動物が悪いのではなく人間にも非があると死んでから認める者も多いそうです。ある少年が「地球に来るたびに干潟がなくなっている」と言っていました。列島改造論が喜んで受け入れられたとは思えません。

・エストッペルという言葉が霊界にもあるようで何度か聞こえましたが一体何のことか疑問でした。学生の頃「エストッペルクラブ」という法学部の同好会があって言葉の意味を辞書で調べた記憶があります。Wikipediaに “エストッペル:禁反言の法理estoppel)とは、一方の自己の言動(または表示)により他方がその事実を信用し、その事実を前提として行動(地位、利害関係を変更)した他方に対し、それと矛盾した事実を主張することを禁ぜられる、という法である。先占の法理” と解説が出ています。要は早い者勝ちのルールのことでユダヤは自分たちに都合のいい善悪の定義を他に先んじて聖書に書きそれを一般原則として押し付けた訳です。
“主”という言葉は新約・旧約聖書に何度も出てきますが立場によって“主”が何を指すかが異なる筈です。どうしてキリスト教が一神教などと単純に言えるでしょうか。図書館から岩波文庫のエゼキエル書十二小預言書(上下)を借りてきて読んだのですが“主”はすべてヤハゥエに置き換えられており頭が混乱しました。特にエゼキエルではエルサレムを捨て子の女の子に例えて大人になるまで我慢強く養育した神とユダヤを取り巻く広域に影響を及ぼすそれより上位の神があり、最後はユダヤに供物を要求する神で締め括られ、すべてがヤハゥエで表示されます(文語訳聖書でも全部ヱホバになっています)。筆者は死んで「あなたは人間のクズだ」と言われたとか言われなかったとか。

・その後の調査や喚問で明かされた都庁の実態を知るにつけ、一体国家にも相当する財政規模の都行政の権限基準はどうなっているのか、ポジションに応じた承認規定はあるのかという疑問が湧きます。常識的に一定の金額以上の不動産売買取引には知事の承認が必要で文書にスタンプではなく知事自身の記名があるべきと思うのですが。知事印の管理もどうなっているのか、誰でも勝手に使用していいものではないでしょう。ハンコ行政のずさんさが窺えます。行政のTraceabilityも確保されていないようです。
(お前は政治や経済には素人なので余り立ち入るなと警告されました。何か間違いがないことを祈ります。)

(*註)後述「49・QUO VALDIS」に登場するペテロを入れると四人になります。QUO VADISが全くのフィクションか真実に立脚しているのかは何とも言えませんが、ローマに”ペテロがここでQUO VADISと呼びかけられた”と書かれた石碑があるそうです。石碑がもともとあったのか作品が書かれた後に出来たのか判りません。