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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

異端

 最近読んだ数冊の本に伴って想起した疑惑が重く胸にのしかかる。聖書に基づきキリスト教はどの宗派であれ救いへと導くと考えたのは余りにナイーブ過ぎただろうか。
初期の信徒たちが新しい宗教への純粋な信仰心と気高い勇気をもって命さえ惜しまず迫害に立ち向かったという歴史的事実がなければキリスト教は力ずくで潰されていただろうし、のちの繁栄もありえなかった。信じる人々の死も恐れない堅固な意志はイエス自身が手本となって示したことでもあった。エウゼビウス「教会史」はこうした不屈の信者たちの記録である。イエスの弟ヤコブが初代の監督職になったエルサレム教会を核として、使徒達とパウロの命をかけた宣教はエルサレム、アレクサンドリア、ローマ、アンティオキアの各管区にあまたの教会を創設して信仰の波紋を広げたが、結局歴史の重圧に耐え抜き後の信仰の拠り所となったのはローマ教会だった。「教会史」は一方で時代々の権力を担うローマ帝国の皇帝像とその治世を、他方でキリスト教を支える柱となった組織的また理論的指導者達とそこから出たおびただしい殉教者を記録したものであるが、それはまた同時にグノーシスをはじめとする多様な異端との早速開始した仮借ない対内抗争の記録でもある。「寛容と忍耐」や「神学・哲学論争の自重」(コロサイ人)には程遠く、性急すぎる対抗措置をいましめた毒麦の譬えも全く無視され「(異端的な)それらの教えは教会の教えとは両立せずそれらを信じるものに最大の不信仰をもたらすものである」として危険視され排除された。イントレランスはローマ教のコインの裏側なのだろうか。
訳者注でしばしば参照されるラクタンティウスの「迫害するものたちの死について」は迫害に関与した皇帝たちの悲惨な末路を記して興味をそそられるが翻訳は見当らない。理由は言えないがキリスト教徒がむごたらしく殺されることをキクラデスの神々への信仰の証しとして神々は満足するであろうとの迫害皇帝の思い込みは誤りで、むしろ彼らにとって逆効果だったと思う。

 中世、ローマ教会は俗権への影響力も獲得し並ぶもののない地上の権威の牙城となる。もはや教会が心貧しき者の集う場所である気配はない。以下渡辺昌美「異端カタリ派の研究」による。
教会にとって現実社会は否定さるべきものではなく「現実の秩序は神の賜物(カリスマ)として聖化さるべきものとなった」が、これに対しカタリ派は人の住む現実こそ悪神または悪魔が作った劫罰の地獄に他ならないと位置付ける。地上での繁栄に対する両者の見解は左右に分かれる。
カタリ派は「神の教会のならわしにより貞潔・真実・その他神の望みたもうすべての徳をもって祈れ」と説く。また、カタリ派教団は常に発足年次と伝達者を、従って既存教団との系譜関係を持っていた。何故なら秘蹟授与の権限はキリストの使徒委任に淵源を持つ継承の連鎖に繋がると信じられてはじめて効果を発揮したのであるから、事前に選ばれた候補に先行教団の司教による叙階、つまり権能の連続的伝達を与え正統性を継承する必要があった。まことにカタリ派は異教ではなくキリスト教である。司教・司祭が密かな大罪をおかしていた場合その祭事に与った者から言葉の恩寵が失われそのまま死ねばすなわち滅びに至るとされた。従って実例は少ないが救慰礼のやり直しを認めた。この明白な人効論的叙階の秘跡観もローマ教の伝統的秘跡事効論と相容れない。
さらに、聖書は輪廻転生について全く語らないが、カタリ派は宗門と戒律に参入せずに死んだ霊魂は野獣の体躯に入ると説いた。このことは古い宗教観から抜け切らない迷信なぞと片づけて済む問題ではない。仏教は今日も容赦なく人間の魂を獣畜に落とすらしい。その例は私の知る限り女性に特に多いが男性でも例えば多彩な分野で豊かな才能を示したある映画監督がエテ公にされたと聞いた。驚異的博識の人ギヨーム・ポステルは原始教会のユダヤ人キリスト教徒の教義には輪廻転生があり、先在するキリストの魂は輪廻すると説き、キリスト教の救いは男性原理にのみに及び女性原理には及ばなかったと言う。これは誰かがさらに論じなければならない差し迫って重要な問題である。私は「肉体が霊魂に戻る時男女の区別はない」と言ったカタリ派説を支持したい

 この本の筆者はカタリ派を単なるトラブルメーカーと捉えその悲惨な命運に左程シンパシーを感じないようである。「異端」というトゲのある言葉をためらいもなく乱発し、ある地域へのカタリズムの浸透を汚染と形容して憚らない。残忍な拷問を用いて嘘の自白を手に入れ証人を買収して偽りの証言を得ることも辞さなかったドミニコ会(フェルナン・ニール「異端カタリ派」)にカタリ派の異端審問を担当させたことを巻末でローマの「英断」と賞賛している。他人事であるがこの学者が学究のメインテーマとしてカタリ派を選び歴史を掘り返す目的は何なのか、また江戸時代の切支丹をどう見る人なのかと疑問を禁じえない。

 主観的に過ぎる想像だが、今日もしフランスとスペインの間に言葉も宗教も違う一国を見出すことが出来ればそこには一条の光が射しその存在意義は決して小さくなかっただろうと思う。
ある高貴な姿の人物が私の夢に現れて「あの船便が絶えたままなのは惜しいことだ」と言った。

 カトリックが秘跡についての解釈の対立という大問題を抱えていることを堀米雇三「正統と異端」によって教えられた。秘跡に対する客観主義(聖務重視)と主観主義(執行者重視)の、すなわち事効論(正統)と人効論(異端)の対立である。長い歴史の経過にあっても未だ溶解しないこの争点を筆頭に今日も尚カトリックは様々な矛盾を孕んでいるのではないだろうか。異端に対する過度の不寛容への反感と相俟って秘跡の解釈をどう受け取るかはキリスト教信仰に対する自分の短見を再認識させ見直しを迫った。
堀米氏は歴史学者として封建国家の成立の経緯を追う過程で国家と宗教との関係が孕む抜き難い問題に逢着したと書いている。領民にとって宗教行事を行うための場所と祭司職は欠くべからざるものであるが、王または領主が叙階の手続きを経ない聖職者をその領土に招命することがあった。このような状況を非として教皇グレゴリウス7世(1073–1085在位)よって推進されたグレゴリウス改革は聖職者叙任権の世俗権力からの奪還(聖職売買の無効)と聖職者の綱紀粛正(妻帯の禁止)を改革の二本柱とし、売買された聖職による叙品には秘蹟の効果なしとして、これに抵抗した時の神聖ローマ皇帝を破門し、ハインリッヒ4世をカノッサの屈辱で屈服させた。
然しこの改革はインノケンチウス3世(1198–1216在位)によって元に戻される。というより逆に宗教側の思うがままとなり教皇は国王の任免を決定する力さえ持つに至る。ネットで検索して得られる知識をもってしても、史上これ程意のままに強大な教皇権を振った法王は希だろう。然しそれが神意により必要とされまた当を得ていたかどうかは我々の知識の及ぶ所ではない。死後ビンラディンは悪魔に「グッジョブ」と言われたと聞いたが800年前インノケンチウス3世は神に認められたか否まれたか。基本的にイエスの教えの目指すものは地上の奢りではなかった筈である。
第三章の初めに書かれている、ローマ教会超越性の記述は言葉の壮麗を極めてまるで強烈な麻薬を嗅ぐように読む人を幻惑するが、その真実性は仮借なく問われねばならない。ローマ至上権の根拠の一つとなる、イエスがペテロに天国の鍵を与えると言ったマタイの一節(16章18)はマルコにもルカにもなく後代の挿入と見る説があるが、もしそうなら欺瞞の手口は何と用意周到なことか。
姦婦マロツイア(890-932)が教会をどんな場所にしたか(P94)。神の声がフランチェスコに既存の修道院に入ることではなく新たな修道会の設立を促したのは、由緒あるローマの地を見捨て切れない神々がローマにほど近いアッシジに自分達の住まうに相応しい場所を作らせたのかも知れない。
トレント公会議の秘蹟教令12条で「致命的罪にある司祭者が例え秘蹟要件を完璧に守っても秘蹟を与えまたは執行することは出来ないと考える者は破門に該当する」(P66)ならば私は破門である。ポステルに限らず大多数の宗派は宗教行為における仲保者の資質を求め重視する。極端に言えば邪悪なデーモンに取付かれた(資格を得たことがない、または一度資格を得たが堕落と背徳によって聖霊を失った)司祭と、秘蹟の願いを受取るべき神(または神の使い)との間に秘蹟の儀式の協労が成り立つだろうか。人間と違って霊は善悪に純粋で相互に斥力が働くと言われる。秘蹟の効果を与えるのは神自身であるから仲保者が誰であるかはもはや重要ではなくなる(アウグスティヌス)のは願い事が司祭から神へ無事引き渡された後の話しである。涜聖聖職者の執行する秘蹟は有効か無効かで問題になるのは洗礼・聖体・叙品の三秘蹟であると紹介している(P67)が、誰でも洗礼を行えるなら魔術師シモンが「金を払うから聖霊を受ける方法を伝授してくれ」と頼み拒まれなかっただろうし、もとより無償でシモンに出来た訳ではない(P135)。私見では堅信もここに含むと考えるが、それは現行の洗礼は聖霊を与えない場合もあり(P103)、与えても悲しいかな失われる場合があるあるからである。

 読売新聞のHPに「発言小町」という一般投稿のコラムがあり、ある女性が寄稿した「子供の頃姉とお人形ごっこをして遊んでいると二階で小さい女の子が見ていた。一緒に遊ぼうと誘うと彼女はもう隣りに座っていたが、不思議には思わなかった。遊び終わって彼女は帰りその後の一時期、別の子達が何人か遊びに来た。中に手や足のない子がいた」という投稿が載っていた。私も夢で両手や片足や目を失ったり、また両足首がなく骨が出ている少年を見たことがある。「右の眼・左の手のつまずき」は身体の一部を失くすのはまだ命を取られるよりはましという霊界の危険性の譬えで、もし幼児洗礼で与えられた聖霊が失われていた場合堅信式で新たな聖霊が与えられる場合もあると思う。洗礼・堅信・叙品は「消えぬ印を心に刻む」(P69)だけではない。ただし西口某のような殺人犯には邪悪な霊が住み心の印も消されていただろう。キリスト教における聖霊の役割とは何だろうか。
 5章まで客観主義と主観主義の対立の論議は時代背景を変えて延々と続く。もしローマが最大限可能な限り主観説を信奉し、人間がなすが故に犯す過ちを見付け次第速やかに修正し宥恕を願う謙虚と敬虔さを持っていればキリスト教の歴史は変わっていただろう。神はアウグスティヌスを嘉されたとは思えない。