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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

ネーミング

 オリゲネスの分厚い「ヨハネによる福音注解」を図書館から借りて来たのですが三分の一も読まないで返しました。あの時代にありながら新約聖書・旧約聖書のあらゆる箇所から縦横無尽に引用して自分の論理を補強する博覧強記ぶりには驚嘆しましたが、それはあたかも個々に見れば異なる写真を貼り合わせして、全体的に全く別の顔が出来上がるモザイク画を創るかのようでした。二元論者に対し「なぜ彼らは二神ありと言うのであろうか」と、イエスの父なる神と旧約の神は同一であることを論証せんとするのがこの著作の目的でした。私が読む気を失くした理由がそこにあります。彼は対立物の統合を究極の理想としたのかも知れませんが、性急で考え方が平板過ぎ「統合なんてあり得ない」と言うマリアの声が聞こえます。ガバメントも「旧勢力とは何度話し合いをしても無駄だった」と言っています。しかしオリゲネスの影響力は今日におよび、彼の見解と同じ過ちは今も不治の病のように繰り返し各所の教会で語られています。むしろ以下に引用するように、中華思想の方が宗教に内在する基本的な二者対立を把握していたと思います。またヨハネ福音書冒頭の第一章はのちの悪意ある改竄によるものとは見ないで、そこに書かれているロゴスを普遍的な高次の神のような存在と見做して何の疑いもなく肯定している点も、書かれたままをありのままに受け入れ余りに素朴過ぎると考えられます。私が悪意ある者によってわざわざ挿入されたのではないかと考えるロゴスとは、ストア学派の言うロゴスとは違う危険因子の可能性が高い。ただしこの「ヨハネによる福音注解」の著作がオリゲネスの生涯(185-254)の中~後期だったとすれば、ヨハネ福音書は聖書を大々的に改竄したと言われる公会議(325)よりずっと以前から今ある通りであったことの証明にはなります。私にとってヨハネ福音書だけにある「一粒の麦も死なずばただ一つにてあらん。死ねば多くの実を結ぶべし」はイエスの決意を伝えて、軽視出来ない、特別に貴重なものに思えるのです。
視点を変えて、オリゲネスの言う通りにヨハネは著作を通して積極的に一元論を証明しようとしていたのであれば、私はこれまでのヨハネに対する見方を変えなければなりません。たしかに冒頭の第一章には後から取って付けた時の不自然さは感じられないのです。ここから導かれる結論は、ヨハネはプラスマテだということになります。一体我々はヨハネをどう捉えればよいのでしょうか。そういえば、爆弾発言 part-2 を書く時、ヨハネに対する疑いが頭をかすめたことがあった。

 陰陽道のマークには円形の中に白と黒の二つの勾玉模様が組み合わされています。これは善悪二元論を表し、善悪が全体の中で当分かつ流動的に位置を占める関係をシンボライズしています。しかし実際には善悪の関係は二つの中心を持つ歪んだ楕円形で表した方がより適切で、一般的には片方の力が大きく他方が小さい尖った卵型になるのではないでしょうか。元来ユダヤにはエロイムとエッサイムの二神が存在しました。極端な場合もし一方の中心が消滅し片方の中心だけになればそれは一元的な円形で表されることになるでしょう。その黒い円形こそユダヤの姿でした。彼らは善神エロイムであるイエス及びイエスの父を放逐し、悪神エッサイムである全能神を単一の神に祭り上げたのでした。マラキ書で全能神は「レビ人の口伝を守り、信者の中の男子を犠牲に捧げ、十分の一税をすべて私の倉に納めよ。そうすれば現世利益が得られて世界で羨ましがられる国民になるだろう」と言っています。ユダヤ教祭司とその信徒である国民はそれを実行したのでした。これは明らかに自殺行為であり、声が聞こえた悲劇でした。「馬鹿ばっかりはお前達のほうだ」と涙を流すアロンの嘆きが聞こえます。
 前に取り上げた村上春樹訳「心臓を貫かれて」という本で、筆者は優れた絵の才能がありながら、いつも分岐点でどうしても間違った方を選んでしまい、結果的に殺人犯として死刑になった兄のことを書いています。失礼ながらユダヤの歴史とはこの男の選択のようなものではないでしょうか。もともとユダヤ人は弟殺しカインの末裔と呼ばれましたが、父イサクに愛されたエサウではなく全能神に愛されたヤコブを選んで建国の始祖とし、片や兄・アロンの言動の記録は少なく大祭司であるとの名だけを残し、他方YHWHと結びついた弟・モーセを大預言者としてその活動と著作を旧約に書き記し民族最大の指導者に仕立て上げました。最後の仕上げで決定的な間違いを犯し、父の代理であるイエスを死に至らせエロイムとの関係に終止符を打ち、全能神・万軍の主を自称するエッサイムを民族の神として選んだのでした。その結果彼らはユダヤ人だけが持っていた、死後の命の継続と、選ばれた者の天の国への招きという特権を反故にしたのです。アロンの嘆きも当然です。アシュケナージュやスファラディーと呼ばれるユダヤ教徒は現世利益を期待して入信した非ユダヤ人でした。彼らが利益にあやかったかどうかは才能次第でしょうが、死後の命を断たれたのは確実だったと思われます。
 全能神が現世利益をもたらすならまだましで、仏教徒はそれさえなくただ死後の命を召し上げられるだけと言われています。永平寺の僧の中にも、あるいは霊感の強い仏教徒の中にも私と同じように奇妙なイカ人間を見た者は多いと言われています(*註1)。しかしそれが仏の真の姿だとは誰も認識しなかったでしょう。Wikipediaによれば釈迦の死後1500年~2000年で末法に入ると言われていたそうですがこれは遅すぎると思われ、1000年後位が妥当な所ではないでしょうか。まして仏教守護の帝釈天がいるインドから遠く離れた日本では。
有力な仏教の始祖が生まれた年を並べてみると
 釈迦  BC500年頃
 ダルマ AD500年頃
   空海  AD774年
   親鸞  AD1173年
となり、ダルマの唱えた禅が自力救済を目指したのは末法に入ったことと関係していると思われます。空海の密教は禅に救済なしと見て自然界にある力を護法のために利用しようとしました。然し若かりし三島由紀夫が夜の闇に凶々しいものを感じたように、暗黒の自然界は人間界から排除された野獣(ノケモノ)の世界であり何がとりつくか分かりません。日本にユダヤの霊が入り込んでいるとは露知らずヤコブを頼もしい不動尊と思ったのでしょう。また、如何に先行する仏教の教えがすべて救済に至らないから、発想を転換してその逆を唱えたのだとしても、理趣経は欣求穢土の教えと言われても仕方ないでしょう。日本史の恥である忌まわしき邪教立川流に橋渡ししています。空海より400年後に生まれ、釈迦入滅後およそ1600年後に活躍した親鸞は禅も密教も救済に失敗したと見て、禅の弱点を察知して肉食し、密教の男色を嫌って妻帯しました。「汝自身を知れ」の項の 5・親鸞の見た世界にそのことを書いています。彼の欣求浄土・厭離穢土の思想は額面通りに取れば真っ当で、阿弥陀如来に絶対他力の救いを求める思想は正しかったが如何んせんもう仏教は救済力を失った時期に入っていました。天(天部)の護法なくして如来浄土への往生が叶うでしょうか。もし疑惑のある大乗の思想を本気で移植する気なら、流れを変える相応の覚悟が必要だったでしょう。霊界で親鸞はあきれる程要領よく立ち回っていたと評判です。以上は私的な仏教概観ですが、仏教誕生の地インドは恐るべき魔界です。宗教改革者である私の来るのは遅すぎた、100年前にインドから来た強力な魔物が横浜に棲みついていると言われました。

 古い宗教は乗っ取られると言われています。私は豚の名前が仏陀から取られたかのように言葉遊びをしていましたが、「虫たち」の項で書いた通り釈迦は真面目に救済を考えていたのでした。しかし仏教を乗っ取った邪悪な者たちが、引き継いだからには我らに権利ありと、人間を餌にせんとして待ち構えています。またイカの化け物であるバラムの神が仏になりすまし禅宗や浄土宗に棲みついています。これに対し日本の密教の本質はユダヤを含む渡来人系の悪霊であって、疑うことを知らない信者を待ち構えています。ただし仏教には救いの勢力が絶無なのではなく、観音は救済の神ではないでしょうか。密教の薬師は私にはどちらとも判断できませんが、救いの手助けをする神の可能性があります。「デジデリウム」の項を書いた後、新潟にある会津八一の記念館を訪ねました。見終わってそこを後にする私に「仏教だって全く救われない訳ではない」と声をかける者がいました。たしかに1%は救われると言われていますが、それをもって仏教を存在価値ありと見做すのが妥当とは思えません。仏教徒の救いの場所はニッチ状に存在するから自分で探せと言われていて、それが具体的に何処にあるかは秘密です。生き残るためにはむしろ葬儀など行わず密葬で済ませ、目立たないことが肝要でしょう(線香を上げるのが邪悪なものを呼ぶと言われています)。

 人生の最後を生まれ故郷である金沢で過ごそうと、金沢のアパートで一人暮らしを始めて2年が経ちました。なぜか必ず金沢に行かなければならないという思いがあったのです。「人間なんてみんな馬鹿だ」の項に書いた原稿却下も、うろつきまわる蛇蝎のように説教壇から言われたのも金沢のバプティスト教会で起きたことです。私は何処か自分の考えを受け入れてくれそうなとっかかりを探していたのでした。「北陸に来たら生きて帰るな」と言われていることも来て初めて知り、「変化」の項に書いたヤコブ捕縛も金沢での体験です。金沢では女たちはローマ人に何をされても絶対に逆らえなかったし、美女を選んでヤコブのために付け届けしなければならなかった。「クレムナの予言」の項の付記・「安田佐和子への手紙」に書いたように毎月三人の指名があり、指名された者は命の終わりでした。ヤコブは「何故いけないのか」と、全く罪の意識はなかったそうです。彼が捕まって以来それがやっとなくなったそうです。
 なぜヤコブが金沢にいたか。それは信長と関係があります。金沢城は信長が作った城で、ヤコブはその北の丸に棲んでいました。ですから前田家はヤコブの犠牲者でした。真言宗の守護神である不動尊の実体はヤコブでした。信長は魔王と呼ばれ、彼が築城した安土城にはぞっとするような異様な趣向がありました。空海の幼名は真魚(まお)で魔王を暗示していて、二人には繋がりがあります。信長は空海の生まれ変わりなのです。両者の共通点は稚児趣味でしょう。空海も信長も日本乗っ取りが野望でした。もし信長が天下を統一していたら日本はどうなっていたでしょうか。理趣経の作者はヤコブだと言われています。経とは名ばかりの、とんでもなくナンセンスな拵(こしら)えものなのです。ヤコブにはインドの水が合ったのでしょう。
 福井に永平寺の悲劇があり、金沢でヤコブの専横があっても、富山では何もないではないかと思われるでしょうが、私には唯一富山だけで見た忘れられない夢の記憶があります。北陸新幹線が開通して関東から北陸へは日帰り旅行が可能になりました。桜の季節にはウエザーニュースに刻々と各地の桜の開花状況がアップデートされます。満開の頃を見計らって富山のとある桜の名所を見て帰ったその夜、私は夢の中で昼間通ったと同じ所を歩いていました。そして桜の咲く山に至る道のそばに民家があり、その家の庭に見たものは、頭も骨も内蔵も取り去ってきれいに水洗され、物干しに懸けて干してある人間の白い身体でした。北陸の地もまた大変な所なのです。そのことを知ってもらいたくて敢て場所名を明かしました。日本海側に正教の教会が全くないのは訳があるのかも知れません。何もかもやり直しだと言われています。永平寺の僧侶はまず食事を改めるべきでしょう。あの後金沢のカトリックと福音派の教会のミサに参加しましたが、いずれもかたくなに旧来の式を繰り返すだけでした。キリスト教はいつ・どこで信条もアァメンも止め、信徒にガバメントの存在と「我々を裁く方は全能の神ではなくINRIです」と教え、新約聖書と雖も盲目的に書かれたままを受け入れてはならないと警告し、またどのプロテスタントがI.N.R.Iの名前を付けた磔刑像を聖堂に立てて信者がキリスト像に向かって十字を切るでしょうか。今のまま何の変化もなく従来のミサを繰り返しているだけの司祭は実りのない空しい麦とされるでしょう。最低限言えることは、まだ見直しが必要ですが、このブログは基準としての権威を与えられているということです。

 私が生まれた当時父は農業技師として金沢の農事試験場で働いていました。この地で父は三人の子の母であった先妻(*註2)を病気で失くし、後妻として東京から母を迎えました。亡妻に対する父の思い入れは深く、見合いした時「こんな美人がいるのかと思った」と叔母に語ったそうです。そして戦争中で私がまだ2才半にもならない頃、一家は長崎県諫早市に転居します。働き手が兵隊に取られ各地で人材が不足している時代でした。母によれば静岡・飛騨・諫早から仕事のオファーがあり、静岡なら東京にも近いからてっきり静岡に行くものとばかり思っていたそうです。何が父にそれまでの行動半径を超えた九州の諫早を選ばせたか、父の自由意志だから父の選択以外の理由はないと思われます。先妻は佐賀の出身で、彼女の縁者がいる佐賀に近い諫早を選んだのでしょう。ところが諫早の地がイザヤと関係のある場所だったと言えばこじつけだろうと思う人が多いでしょう。後になって分かったことですが、私はアプラクサスとして、万軍の主とヤコブを讃えるイザヤの時代を終わらせるために日本に生まれたのでした。だから私は飛んで火にいる夏の虫だった訳です。「諫早は考えられない程酷い所だった」と仲間の霊たちは言います。諫早で梅津川(「子供に届いた声」の項に書いた川)が血に染まる戦いがあり、あんまり死者が多いので霊界の警察が調べに来たそうです。父の自由意志にも介入する者(マヒマヒとかカショギと呼ばれる)がいたのです。ちなみに現在の諫早はイザヤの討伐以来生まれ変わったそうです。
東京赤坂の近くに権田原と呼ばれる地名が残っています。これはガンダーラを意味し、このあたりは今も東京を牛耳る仏教の悪霊たちの根城になっています。

 親が幼児を虐待して死に至らせる事件が続いていますが、何故か被害者の子供たちはとてもそうは読めない難読名が多い。他人にもすんなり読めるような命名は大切なことではないでしょうか。変わった名前を付けたがる親たちはどこか感覚が狂っているような気がします。それと不吉なのはVサインです。もともとVサインはチャーチルがヒトラーに呪いをかけるために霊能者から教えられた呪印でした。人を呪わば穴二つです。かつて霊能者が外国から来て迷宮入り事件を捜査する番組がありましたが、行方不明の被害者が映っている写真が判で押したようにVサインしているのを見て疑問に思ったのです。これは地震・津波など自然災害の被害者にも実例に枚挙の暇がありません。是非止めた方が良いでしょう。

 前回イギリスを訪ねたのはある少女に「リバプールに来てくれ」と言われたためでした。その後「もうイギリスに行っても無駄だ」と言われ、イギリスの抱える問題は根が深いことが分かりました。表向きジェントルマンの国にしてシェークスピア、ニュートン、コンピューターを発明したチューリングなどが生まれたイギリスは、闇に隠れ蠢くハイドの群れをも抱えている難儀な国だと感じられるのです。それが切り裂きジャックやフーリガンやパンクロックで時おり表に現れるのでしょう。バンドのセックス・ピストルズなんて「そんな露骨な名前ありえない」と思うのは私だけではないでしょう。金融界はユダヤ系ロスチャイルドに牛耳られています。古来の日本語が渡来人によって作り変えられた中に、どう考えても英語由来のものがあります。だとするとハイドたちはユダヤ人とつるんで昔からヤマトに来ていたことになります。ベニヤミン族はヤコブとは袂を分かった Philanthropic なグループですが、その英語読みのベンジャミンから便所なる新語を作った(古歩道さんは気が付いているだろうか)。愚かな行動を意味する  imbecility という単語があります。この単語から淫靡なる語を作っただけでなく、前半から陰部なる語を作り、陰部の後ろだから尻という語も作った。今では医学用語辞典にも載っている普通の言葉です。女陰は男女が繋がるから join を当てた。極め付きはオルメタ・コード(オルメタの誓い)で、これは天から降りて来た少女たちが決して身分を明かさないという秘密の約束です。オルメタ・コードを一つずつ跳ばして読むと関西地方の放送禁止用語になります。「そんな名前を付けるのは止めてくれ」と懇願しても聞き入れられなかったそうです。ハイドたちのエゲツなさが如実に感じられます。彼らが良いことをしてくれた記憶はないそうです。イギリスでの革命は至難の業かも知れません。当面はがむしゃらなEU離脱で今後イギリスに何が起きるか注目されます。              

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(*註1)かつて携帯電話会社のCMで若尾文子がイカ人間を演じていました。彼女がもぞもぞと横歩きする足元は長い裾の下からたくさんのイカの足がのぞいていました。
(*註2)彼女が何者であったかは後で分かります。