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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

フランス旅行

 聖ベネディクト(480-547年)がベネディクト会を創設したのはローマから出来るだけ離れなければならなかったからだったと書かれているが、詳しい理由は判らない。多分当時のローマがベネディクトの理想とする教会のあり方から乖離していたからではないか。服従・清貧・童貞を掲げる聖ベネディクトの戒律は後に続いた修道院の会則の規範となったと言われるが実際にはそれぞれの修道院の目指す方向には独自性があったようである。
大分前にかつてベネディクトが修道院を創設したモンテ・カッシーノの地に行った。第二次大戦中そこは連合軍の徹底的な空爆を受け瓦礫の山となった。京都は米軍による空爆の対象から除外されたのにキリスト教の聖地であるモンテ・カッシーノ修道院は跡形もなくなった。高校の世界史の教科書に空爆前・空爆の途中・空爆後のモンテ・カッシーノ修道院を上空定点から撮影した組み写真が載っていた。戦争中はイタリア軍の基地になっていたのかもしれない。再建された現在のモンテ・カッシーノ修道院は白い大きな建物で宗教のための場所であることは判るが、人影が少なく敬虔な修道者たちによる長年の祈りや貢献が積み重ねられた筈の聖所の雰囲気からは程遠かった。

 Wikipediaによればフランスのブルゴーニュ地方モンバールにあるフォントネー修道院は最古のシトー会修道院ということらしい。シトー会は1098年ブルゴーニュ出身のロベールによって創設され、内装を凝らし豪華な典礼を繰り広げ貴族的とも評されたクリュニュー会に対抗し、ベネディクトの戒律を厳格に守り構内に彫刻や美術による教示を禁止した。フォントネーがカトリックの修道院であるとしてもローマ的ではなかったと言えるだろう。私が今回このグループ旅行を選んだのは宿泊地にディジョンに二泊、ストラスブールに一泊があることで両方共まだ行ったことがなかった。残念ながらディジョンからそれ程遠くないフォントネー修道院は旅のコースに組み込まれていなかった。もし可能ならばまたの機会である。前からブルゴーニュに行ってくれと言われていた。

 参加者は首都圏から6人、静岡県から4人、長野県から2人の計12人、性別では男性3人、女性は添乗員も入れて10人で私を除けばワインが目当てだったろう。長野から来た2人連れは育苗会社のオーナー夫婦で、専門の業者向けに外国産の葡萄の苗も扱う果樹のプロだから半分観光で仕事が目的、首都圏在住の女性二人連れはソムリエの候補生で勉強が目的だったろうか。途中3か所のワイナリーに寄りブルゴーニュワインの試飲が2回、シャンパンの試飲が1回あった。道中バスは延々と広がる手入れの行き届いた葡萄畑の中のワインロードと呼ばれる街道を走り続け、ガラス窓越しに育苗会社のオーナーが写真を撮る連続シャッター音が絶えなかった。春のイギリス旅行では全く見かけない風景だった。これらの葡萄が全部一時期に最適の収穫期を迎えるとすれば膨大な短期季節労働者が必要になるだろう。モエ・エ・シャンドンのシャンペンワイナリーを見学した時そのことを日本人女性の案内係に質問すると、近くにある鉱山の労働者が毎年23週間の休暇を取って収穫を手伝い社員も総出で約3000人のマンパワーを確保して乗り切るということだった。アルサス・ローレンのフランス編入は豊富な鉄鉱石や石炭だけが目的ではなくアルサスワインのためにも必要だったことになる。昔この季節労務者の中に紛れ込んで葡萄運びの仕事を手伝えばフランス語の勉強にもなると空想したことがあるが、想像以上に苛酷な労働は身体を鍛えた鉱夫でなければ務まらないかも知れない。
 
旅行会社の添乗員は中学・高校とミッション系の学校に行ってミサにも出て宗教的な雰囲気に親しんだ人で、仕事でイスラエルに行って感動したと言っていた。ガリラヤ湖を見下ろす丘で「ここが会衆に向ってイエスが山上の垂訓を話した場所か」と思えば感動するだろうが、私がイスラエルに行った時は図らずも過ぎ越しの祭りの最中で、食べたマッツオに体調を崩して最終日テルアビブのホテルで嘔吐した経験を話し、あるキーワードでYoutubeを検索するとアメリカ東海岸のラビが出て来るトピックがありそれを見ればユダヤ人が種無しパンに何を混入しているか、彼らがどんな伝統を受け継いでいるかが分かるだろう(だから感動ばかりしてはいられないでしょう)という話をした。走行中のバスで彼女がシトー会だけでなく他の修道院のことも紹介した中で、スペインで(1216年)ドミニコ会を起した聖ドミニコの母が彼を妊娠中夢に犬が現れた逸話を語ったのを聞きびっくりして後で彼女に確かめた。異端裁判で厳しい検察の役割をしたドミニコ会士 (Dominicanis)は主の犬 (Domini canis)と呼ばれ恐れられたことがWikipediaに出ている。前項の犬の話を読んだ人の中に物知りがいてドミニコ会の事を想起したかも知れない。

 ディジョンの街は外国が近い位置にあるが今まで他国に侵略されたことはなく、フランスの東にあるから朝日の上る街と呼ばれているそうである。観光に出かけた朝は道路に水が撒いてありキラキラと光が反射していた。ここに神がいる。ローマにいた神は聖ベネディクトを立ててモンテ・カッシーノに移ったが、そこが壊滅的な打撃を受けて今はフォントネー修道院に依拠してブルグンドにいると一人想像する。もともとフランスとキリスト教の結びつきは深く他の国より恵まれていると思われていた。救われない他の街にいるフランス人が可哀そうだと言っていた。サンミッシェルを先立てたが革命を阻む壁は厚かった。その理由は、それぞれの国にたとえ限られた人数に向かってでも、種を蒔くようにコンカレントな情報を伝達して自国の言葉で証しする者が必要なのだ。それによって車の両輪が動く。私と相前後して世界中に皆同じ目的で降りて来た者が多数いた筈だが、見える世界での成功や愛や仲間への奉仕に埋没し、絶対忘れまいと誓った任務を忘れてしまったのだろう。
ではパリやマルセーユやリヨンやラングドック地方は全部駄目なのか?そんな事を断言できる勇気と権威がどうして私にあるだろうか。言えることは長い間に築かれた縄張りのような地域差があって滅びと救いの濃淡が入り混じっていることである。そうした宗教のトポロジーは世界中にあり、また一国の中でも場所によって違いがあって、人間はそのことを知らないし住所を選ぶ時も一切考えない。後になって各自が自分の運・不運を知るしかない。もし前もって教えても「余計なお世話だ」と言われるだけだろう。

 地面に横たわっていた骨が立ち上がって再び元の身体に戻るなんて信じられるだろうか。また霊界だけしか見えなかった眼がこの世の世界も見えるようになる。そうしたことが起ったようである。ホテルで見た夢に二組の両眼が現れて「この眼が見えるようになった」と教えられた。コルマールという美しい街を訪れた時「人間界の方が霊界より素晴らしい」と感動しているのが聞こえた。意外にも人間たちは見苦しくない身形をして常識を弁え、穏やかな顔で堅実に生きている。極端な表現をすれば今まで人間は恥かし気もなく恥部をさらけ出し情欲が起きれば何時何処でも行為する野蛮な生き物で見たくもないと思っていたらしい。「ソドムとゴモラの時代と同じだと思っていた」と言っていた。これまで人間が冷淡に扱われていたのは多分に長い間培われたこの固定観念のせいもあったと思う。だとすれば光の国も「解っていなかった」ことになる。悪魔は人間が如何にだらしなく貪欲で恥知らずな動物であるかを吹聴し人間のネガティブなイメージ作りに貢献していた。何か反問するといつも悪魔は“I dont know”と返答するのが決まり文句だった。日本では最近は”Maybe”と答えるようになったらしいがフランスではまだ根深い対立が残っている感じがする。話は違うがアタリもユリゲラーも自分たちの神の正体を見抜こうとしないのなら悪魔の学校の生徒の域を超えず民族の目覚めは将来に持ち越されることになるだろう。「眼」といえば改宗した直後三角形に囲まれた眼のマークが枕元に現れたがその時は何のことか分からなかった。私はイルミナティ―が何かは知らないし人々の見方は錯綜している。

 通過した比較的大きな都市ではそこに滞在いている日本人のガイドが来て、地域住民の生活に密着したマーケットに連れていかれた。私は肉売り場を足早に通り過ぎたが女性たちはどんな食材も興味深そうに見ていた。お笑いのネタにされそうだが肉を食べ過ぎると死んでから身体に一杯キノコの生えたマタンゴという怪物になっているそうである。以前夢で冷凍車の中に“最高の肉”がずらっと吊るされていたのを見たことを思い出していた。ある都市の有名なマーケットを見終わって外に出るとあちら側で「その肉を捌(さば)いていた」と言う声が聞こえた。もし野菜売り場でトリフを売っていて写真が撮れればいい土産話になると思ったがどこに見付からなかった。

50項・イギリス」に書いた中学生時代に同郷だった少年(Hiroki)が一緒に来ているのが分かった。気付かなかったがこれまで彼はよく旅行に同行していたようである。彼は今護民官をしている。実は彼はパトリックの生まれ変わりだと教えられた。今回の人生では少年時代に喧嘩して死んだあっけない人生だったが名誉回復のためにそのことを書いてくれと言われた。しかしそれだけでなく彼は聖書に出ているイエスの時代の預言者でもあったらしい。このあとの話に出て来る女性と関係がある。彼がリクヴィルで大怪我をしたらしいことも後述する。
カルカッソンヌに似たスミュールという町を歩いている時添乗員さんがある建物を指して「あれは昔教会が運営していた救貧院だった所です。あそこには貧しい人しか入れませんでした。今は展示場になっています」と言うので「では私にぴったりの所です。私なら入る資格があります」と冗談を言うと周りにいた女性たちが笑った。その時上から「心貧しきものは幸いなり」と声がしたので私も噴き出した。人間には聞こえない声が言う冗談で笑わされるのは以前よくあって、この男は何を一人笑いしているのだろう、馬鹿ではないかと怪しまれないかと心配する。

 帰りの便が出発する前日はフリータイムでシャルトルに行った。一体フランスにはノートル・ダムという名の教会がいくつあるのがろうか。全般的にフランスの教会は暗いがここは比較的明るかった。町全体も清潔でほっとする雰囲気だった。周歩廊をゆっくり見て回り一番奥の祈りの場で椅子に腰を下ろし、白い制服の修道女が床に座って祈っているのを盗み見ていた。残念ながらその顔立ちは期待したものと違っていた。中央の内陣に白い大きな大理石のマリア被昇天像がありブログで自分の書いた事を思い出すと涙が出て来た。するとどこからか若いフランス人の女性が現れて話しかけて来た。教会に入ってからずっと私を見ていたのかも知れない。フランス語は解らないと言うと英語に切り替えて「ここはパワースポットだ、マリア像の前に膝をついて40秒間跪拝すればよい」と教えてくれた。言われた通りにして立ち上がると「貴方は特別だ」と言って私がどういう人間か知りたがった。日本人であること、年齢、どういう会社で働いたかを話したがそれが自分を説明することにはならないのは分かっていたし、彼女も納得した風には見えなかった。彼女は「自分は合気道を習っているから日本には親しみがある」と言い「ギフトがある」と言って持っていた紙袋を開くと中にいくつか白い包みがあった。その一つを取り出して開くと折り鶴が出て来た。六連の丁寧に折られた折り鶴を紐に通し赤い石を重りに付けたモビールだった。

 前項に書いた記事を見て“キリスト教が愛”なんて止めてくれと対立物の統合の当事者に言われてしまった。女が両腕を押さえつけられて男にのしかかられ犯されようとしている夢を見てから女性も格闘技を習った方が良いと考えを変えた。女も強くなければ自分を守れない。それまでオリンピックの女子レスリングは関係者に限り観客席に入場させ試合の結果が出てから表彰式だけ公開すればよいと冗談を言ったりした。少林寺がなぜ僧侶に拳法を習わせるか、密教になぜ金剛杵などの武器をかたどった法具があるか。前にモルモンが特別の守りの手段を持っていると書いたことの意味が理解して貰えるだろう。

「人の子」の女性たちにキリスト教への改宗を勧める手紙を書いたのはY.Yさん、Y.Nさん、M.Wさんの三通で後は止めてしまった。サイコパス気味の男から何やら突然意味の解らない宗教のことを書いた匿名の手紙を受け取るのはショックを与えるだろう、マスコミが嗅ぎ付けたらひと騒動起きるかも知れないと懸念する。その人が結婚していて旦那と一緒に手紙を読んでどういう話になるか判らない。そうやって美女ばかりを集めて秘密めいた集会を開くとすれば「23項・異端」に引用した渡辺昌美「異端カタリ派の研究」に出ていた“グノーシスの秘密集会”と勘繰られても仕方ないだろう。この本を読んだ時「そんな馬鹿な」と思ったが今はその意味がよく分かる。
それでも他の女性にも連絡してくれと頼む声はある。Y.Nさんの一年先輩で広島出身のS.Asaさん、写真家で1960年生まれのMinekoさん、医者のArataさん、まだ若いミス・バイオレット等々。51項に書いたもめ事のあった教会に大学を出たばかりの物理の先生がいたが、彼女も仲間の一人だった。谷川の水を求めてさまよう鹿のように宗教心のある女性だった。目をつぶって説教を聞いている時幻が見え被り物を着け緑色の服を着た彼女の女神が仄かに見えた。一度話したかったがもうあの教会には行っていない。
今度の旅行で一緒だった会社オーナーの奥さんが私と同世代のむかし美人でこの人もそうではないかと感じていたが、帰ってから彼女の付随霊に「旅先で逢えたのも運命だった。是非教えてやってくれ」と頼まれた。昔はグループ旅行の参加メンバーを書いたリストをくれたが最近は個人情報を教えない。
然しあれこれ考えて遠慮ばかりしてはいられない状況にある気がする。率直に言えばイエスの時代と違って「人の子」は激減した。これまで書いたようにキリスト教さえ狡猾な悪の道具にされたのが実情である。

49項・QUO VADIS」の付記に書いた旅行家はエリザベスの生まれ変わりと聞いて驚いた。Hirokiと関係あるではないか。Wikiperiaに出ている“動物好きだが猿とだけは非常に相性が悪く、どんなにおとなしい猿でも襲い掛かられてしまう”という彼女のエピソードには深い意味がある。ペテロやパウロも語り掛ける。こういう人々が周囲に現れて何か尋常でない雰囲気である。

 入国の時から検査には緊張感があり武装した若い兵隊が市中をパトロールしていた。地下鉄を乗り継ぐ人々は足早に職場に急ぎ女性は親切に席を譲ってくれた。黒人はきちんとした服装で違和感なく働いていた。物価は高止まりし庶民は滅多にレストランには行かないと聞いた。寿司はランチで食べたものもスーパーマーケットで買ったものも悪くなかった。生活面でも治安の面でもパリは危ういバランスの上に乗っている気がしたがオリンピックでどう変わるだろうか。
私がこの地方へ旅行することは前もってフランスの悪魔たちに知れ渡っていたらしい。以前彼らは私を全然軽く見ていたが最近はとんでもないことを言い出して警戒され、この春イギリスで何かが起きた情報も伝わっていたのに違いない。悪魔たちは集合して待ち受けていて我々の一行との間に衝突があった。ストラスブールとパリのホテルで頭がグラグラした。丁度東日本大震災の時遠く離れた場所のビルの四階にいて脳が頭蓋骨の中で揺さぶられているように感じたのと同じだった。思わずベッドに手をついたがそんなに疲労感もないのに何故だろうと思った。その時守護霊と悪霊が入れ替わったらしい。旅行から帰って夢に見る世界がそれまでと全然違う。自分が暗い世界にいて身の危険を感じる。考えもなく危ない場所へ旅行するなという警告は軽視出来ないことが分かった。フランスを周遊したことがあるが無自覚な頃と今とでは事情が違うらしい。酒のある場所に悪魔も寄って来ると考えるのは思い過ごしだろうか。