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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

会話編(1)

Q:63・ヴァリス」を読んで大変驚きました。何かとんでもない方向に話が進むように感じました。前から考えていたことなのですか?
A:
考えていたとも言えるし、考えていなかったとも言えるでしょうね。やはり初めてディックの本を読んだことで受けた刺激が大きかったと思います。私にとって毎回ブログを書くことはそれまで漠然と考えていたことを整理統合する意味があります。この本の場合もブログをつけていなければ、ただ読んで面白かっただけで終わりだったと思います。文章を書く作業を通して、過去の知識や新しく調べて得た知識を寄り集めて相互に関連付けすることで、新たな視野が現れるように思います。星座ついては、霊たちの話の中にしばしば出て来る、学校では習ったこともない星の名前の記憶があります。ニビル星とかシッチン星とかナメック星とか。ハルモニア(ハーモニー)軍団についても、ネットに出ているのを見てびっくりしました。孫悟空の漫画を書いた鳥山明さんはフルカラーで夢を見る人だそうですね。多分ナメック星人も夢でご覧になって、ナメクジに似ているのでそういう名前を付けたのでしょう。然し私は順序が逆ではないかと思います。先に渡来ユダヤ人か誰かが二本の角の生えた虫を見て、ナメック人に似ているのでナメクジという名前を付けていたのではないか、という訳です。またこぐま座では最終戦争があって、環境がすっかり汚染され住めなくなったという話もあります。マルスと呼ばれていた少年がいましたが、火星から来ていたのでしょう。異端カタリ派の研究(渡辺昌美)という本に、カタリ派は独特の詳しい宇宙観を持っていたことが書かれていましたし、天文学とは違う観点で星座を宗教がらみで研究しているマニアのグループがあるのはネットで知っていました。でももし彼らが専らファンタジックで稀有壮大なテーマへの好奇心に走る余り、教理や信仰や日常的な行いなどの基本的で身近な宗教問題をおろそかにするとすれば、それはどうかと思います。

Q:誰かに64項「ヴァリス」の感想を伺いましたか?
A:
ブログをメイントする作業は全部一人でやっていることなので、誰かと話をすることはありません。一緒に暮らしている女房殿も私がこういう事をしているのは勿論知っていますが、今まで何かコメントするようなことは一切ありませんでした。興味関心なさそうですね。それでも私はこういう変わった人間なので、最近誰がブログを読んだとか、誰がどう言っているとかという情報は入って来ます。中には私を「見て来たような嘘をつく人間だ」とか、「デジデリウムなんて知ったかぶって言っているだけだ」とか、「このご時世に未開人のようなことを言っている。いまさらギリシャ神話でもないだろう」という風に見ている方もいるようです。教科書には絶対書いてないようなことばかりですから。
他方「目を開かれた」とか「真実を語っている」と真面目に受け止めてくれている方も多数いるようです。しばしば夢の中にブログを読んだ有名人や知人の顔が突然大きく現れて話し掛けて来たり、覚めている時にそういう人たちの付随霊と会話することもあります。当人は全く知らないことでしょうが。64項「ヴァリス」を載せた直後は毎晩おちおち寝てもいられない程不特定多数の霊が押し寄せて来て、人間界より霊界の方が大騒ぎでした。彼らも人間に実情を知ってもらいたいと思っているのです。「ここまで来た人間はいない」とも言っていました。逆に「こんなことまで書かれては困る」と言う立場の者もいます。
これまで霊界で権力を握っていて、欲しい儘に振る舞っていた悪魔や動物霊グループに属する少年たちが最近随分大人しくなった。代わりに人間の子供たちのグループが起き上がって活躍し始めた。それを見た第三のグループの少年たちが、人間は悪魔の仲間ではないことを知って安心して、人間たちに近寄って来たそうです。ただし彼らは塩味の食べ物は経験がないらしく、「人間の食べ物を食べたら人間の姿になれるのかな」と言っているそうです。
きっと地球は多くの星の住民が貴重な食糧を求めてやって来る命の拠り所なのです。シリウスやこぐま座のように、自分の星が住めなくなって地球に食料を依存する外なくなった宇宙人は増えていると考えられます。
人間と同じように霊界の食べ盛りの子供たちにも成長に十分なだけの食糧が必要で、ある場合は子供を地球の誰かに有償で寄託するか、もしくは人間になるために下りて来る時その仲間の付随霊として短期的に地球に来て、人間が死ぬまで地上で一緒に暮らす仕組みになっているようです。楽しみにして来た地球で、子供たちが涙も出ないような悲劇に会うことも多々あるようです。住民同士で起きる戦いもほとんどが食べ物がからんでいるのです。誰かが「(我々は)こんなものを食べている」と、袋から一掴み押し麦を掴んで見せてくれました。大人は粗食に堪えられますが子供はそうはいかないでしょう。
しかしこれまで悪が権力を握り、余りにも長く支配して常に騒擾不安の状態だったので、地球の霊界は食糧生産の条件もモラルもエコも著しく悪化し、今やほとんど絶望的なのです。植物の生長には一定の時間がかかり、従って最低限の落ち着いた環境が必要ですが、そういう雰囲気は全く感じません。何故か広大な水田が水を引いたまま作付けもされず放置されている夢を何度も見ます。土地が有効活用されていないのです。食料不足の大きな理由でしょう。今回このことが大王の怒りを買ったようです。そんな逆境ですが、いかに腐敗の度が進んでいても「絶対に諦めてはいけない」と、お互い励まし合っているようです。

Q:
でも人間の子供たちに親は肉を食べさせたいと思いますよね。
A:
自分自身のことを考えても本当にそうですね。人間は肉を食べることが危険だということをすっかり忘れていますが、霊界の子供たちは食べて問題ないかどうか、食べ物には大変気を付けています。今まで「言われた通りにやれ」は悪魔の決まり文句と考えていましたが、私の間違いでした。善悪両方共自分の立場でこの言葉を言っているのでしょう。肉を食べると、食べられた動物の霊と人間の仲間たちの霊の間で血みどろの争いが起きます。こちらの勢力が強ければ屈服させることも出来ますが、動物霊たちも侮りがたい。劣勢であれば代償を払わされます。命です。私自身多数の子供たちを失ったことを後で知って、本当に後悔しました。手薄な時を見計らったのでしょう。ですから付随霊たちはみんな傷だらけです。猿は喧嘩が強く、鳥山さんは孫悟空をヒーローのように描いていますが、猿族は悪魔にとても近いのです。
肉食はアセンションにも関係します。マトリックスのネオのように特別に霊力の強い人は例外ですが、肉を食べると悪魔が取り付きアセンション出来ないと言われています。
ユダヤ教徒・イスラム教徒・インド人は宗教的タブーなので豚を食べません。彼らは豚族との闘争は回避できているわけです。日本ではタブーがないので、餃子や豚まんやラーメンやマーボ豆腐など、他人が食べているのを見ると自分も欲しくなります。問題は戦いだけではなく、豚は特別で食べると霊体が劣化します。「これが人間だ」といって私に見せられた身体は白い肌の奇妙な肉の固まりでした。チャーシューを食べる習慣はどうにかならないかと言われましたが私にはどうも・・・。もし学校で豚は食べるなと教えるようになれば良いのですが、とてもそうはならないでしょうね。インドに旅行に行った時の現地人ガイドが「報道関係の日本人をインドに案内して通訳する仕事があり、東京で打ち合わせをするとよく食事に招待されます。今は何でも食べられるようになりました」と言っていたのを聞き、インドの人に餃子やラーメンを「どうだ、うまいだろう」と食べさせるのは無知というか奢りというか、止めた方が良いと思います。
シンガーソングライターのKKさんの付随霊が来て(彼の有名な歌が聞こえるのです)「人間はよく豚肉なんか食べるよな。バビロニアの時代から食べるなと書かれているのに」と言っているのが聞こえました。日本でさかんに豚肉を食べるようになったのは中華料理の普及が影響していると思います。でも中国の人には恐るべき四千年の薬膳食や漢方の知識があり、戦いの問題は残りますがその治癒効果である程度肉食に伴う問題を克服しているのではないかと思います。私も霊的身体の回復にとても効果のある野菜をいくつか聞いて知っています。我々が牛や鳥を食べて争いが起きるのを最小限に留めるには、肉を買って来て冷蔵庫に保管しないよう気を付けることでしょうね。ですからどうしてもたまには子供たちに食べさせたい時には・・・・。
意外ですがカズノコも豚と同じような問題があるそうです。

Q:
スポーツ選手は筋肉を付けるために肉食は必須ですよね。
A:
クーベルタンが自分のした事をどう思っているか、あちらに行ってから確かめて下さい。
既述のとおり四国は苛酷な地域です。四国出身のあるスポーツ選手は冥界ではヤクザと呼ばれる勝ち組で嫌われ者だったのですが、人間になると中々いい青年で意外だったと言います。環境のせいですね。名前を挙げるのはどうかと思いますが・・・大谷君や遼君、堂林君は人の子です。彼らが肉食によって難題を抱えることにならなければ良いのですが。特に、大谷君はトップの成績だったそうです。みんな命の80年余りを食いつなぐために人間になった。スポーツで稼いでお金を貯めて、あとはなるべく清い生活をして無事帰還して欲しいですね。そのためにぜひクリスチャンになって欲しいです。
みんな生まれる前は食物に潜む危険を知っていて、人間になったら自分はどういう生き方をしようとプランを持っていた筈だが、全部忘れてしまいます。今回フィリップKディックが書いたヴァリスの次作「聖なる侵入」も読みました。この本は未来が舞台で、彼の言い方をすれば「忘却の喪失」を扱っています。主人公の少年インマヌエルは胎内にいる時、母の乗っていた飛行物体が事故にあい、母は回復不能の怪我をしますが幸いインマヌエルは助けられ人工子宮で育てられます。その後のストーリーでインマヌエルには生前記憶の忘却は起りません。このことから、人間が生前記憶を失うのは母の子宮の中だという推論が成り立ちます。私自身、母の胎内に入る前まではよく覚えていた気がします。将来産科医療の技術が発達して、子供が胎盤に着床したら(時期が問題ですが)取り出して人工子宮で育てるようになれば、女性の負担も軽減するし、子供は優れた記憶を保てることになるのではないでしょうか。もう技術的にはそう難しいことではないでしょう。多分異星の先進的な科学では既にそうしているでしょう。イナゴと野蜜を食べて暮していた洗礼者ヨハネをイエスが「女の腹から生まれた者の中で最高の人間」と呼んだのはそういう意味だと思います。(となると忘却は地球の大気中の有害物質が原因という考えはハズレでしょう。)私はディックはピリポの生まれ変わりではないかと思います。

Q:
第五の救世主フェリックスについてはご存知でしたか。
A:
フェリックスについてはイ・ムジチのフェリックス・アーヨと黒猫フェリックスぐらいしか知りませんでした。貴女のように若い人は知らないと思いますが、私が高校生の頃「フェリックスと黄色いカバン」というアニメーションを毎夕放送していました。可愛い猫で、フェリックスが腹を抱えて笑っているのを見るとこちらまでおかしくなります。ヴァリスでもこの黒猫のことがちょっと出てきます。
フェリックスという名前を知って、どうも屁理屈に似てるな・・・と思っていると果たしてそうらしい。使徒信条の問題でキリスト教徒は全能の神に祈っているが、悪魔が全能神になりすまして信者を呼び込んでいることで、青森組と大和組は大喧嘩した。青森組が「我々は全能神とはフェリックスのことだと暗黙に了解していたではないか」というと、大和組(多分とんちのダニエル)が「先にその言葉を使って聖書に載せたのは我々の方だ。お前たちに文句を言われる筋合いはない。そんなクレームは屁理屈だ、だまされる人間の方が悪い」と受け付けなかった。青森組はダニエルにほとほと嘆いて「お前は社会のダニだ」と言ったわけです。頑迷さが悪魔グループの特徴です。
昨年の秋頃、誰かが訪ねて来て「当時の情勢からいって、ダニエルたちが悪魔に頼ったのも仕方なかった」と言うのです。バビロニア幽囚の頃、まさにイスラエルは存亡の危機だったのでしょう。悪魔と結託したダニエルの肩を持つなんて誰だろうと思ったのですが、それが62・「元凶」に書いた、守護神として仰ぐに相応しいイツハクです。彼は数的劣勢の革命軍の先頭に立って戦い、神々の絶大な信頼を得たのでした。どうやら悪魔たちは姿を消し、ダニエルも当然罰を遁れなかったのですが、彼の書き残した「ダニエル書」の論理は正当であるとして、結果的に極刑は免れたようです。以上大体の筋立ては合っている筈です。見て来たような嘘なんて言わないで下さいね。
今回の対決で新しい展開があったとすれば、彼らの目が開かれ人間の現状が分かったということです。彼らが旧態依然たる社会を続けていたのに対し、人間はずっと進歩していた。両者は別コースを進んでいて、人間の方が上だったと認めたのです。この事は人間の側についても同じで、漸次人間に霊界が見えるようになるだろうと言われています。それが本当の対立物の統合の始まりなのでしょう。
仏教徒は喜びそうですが、ヴァリスで中心的な役割をする四人組が挙げた過去の四人の救世主に釈迦が入っています。ランプトンは釈迦の信奉者で、その子ソフィアは自分の親を「彼らは狂っている」と言っています。また「人間以外の神を信じた時代は終わった」と言ったのはアタリと同じです。56項・「虫たち」に書いた物語を私に語ったのは女性霊でした。我々の周りにいるのはほとんどが動物霊だというから、彼女もそうで、仏教のシンパだったのでしょう。何事もやってみなければ分からないものですが、仏教は真実救いの宗教だったかどうか、大いに疑問です。仏教はインドでは衰退し、日本やタイやインドの周辺国で生き残っています。多分日本が一番信者が多いでしょう。寺に取り巻かれた某地はバンパイヤだらけと言います。タイにあるバンパイン宮殿という建築物の名前からバンパイヤを連想するのは考え過ぎでしょうか。信者は喉を掻き切られ、その後解体されるのです。私の従兄が死んだ時も、四十九日のあと酒を飲まされ、目が覚めた時「君の得点は大変高かったよ」と褒められたが後ろ手に縛られていました。仏はバラムにインドで自分たちがやられたことを、今度は自分たちがやる立場になっただけではないかと思います。11項・「不干斎ハビアン」で「仏教では善・悪は立場によると説く」とはこのことを意味するのでしょうが、仏教に限らない宗教の共通事象ではないでしょうか。
昨年暮れ、親鸞が成敗されたとの報がありました。場所はなんと北海道で、逃げ隠れしていたのではないか。考えて見れば、もし真宗の浄土に善人ばかりいるとすれば、「何だ、親鸞は嘘吐きじゃないか、話が違う」と言われる事になります。その本山があの大都市のど真ん中にあるのですから・・・・。親鸞はその名が示す通りアマテラスと同じく鳥族だと思います。
私電で鞍馬まで行って、鞍馬寺から貴船神社まで樹林の道を通った事があります。いつもドローンのように私の頭上にいて何かと語りかけていた少年が、そこを通って以来全く音沙汰がなくなりました。行くんじゃなかったと臍を噛みました。