これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。
“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”
池川明先生という産婦人科医師は、胎内記憶、さらに遡って懐胎前の記憶について様々なケースを集め、本(現時点未読)やブログで紹介している。私の考えと詳細まで一致する訳ではないが大筋はマッチする。しかしこれらの記憶は、大概は自然と薄らいで行くものと言われている。
魂は死後におけるその存在と行方について宗教的に問題となるテーマであるが、私は生前から存在していたとする立場である。
マニ教だけがそういう存在を原人と呼んで明確に規定しているらしい。仏教で輪廻転生を述べる場合、輪廻の主体―何が輪廻転生するかが問題になるが、ある人間になる前に現世の別の個体にいた魂が再び宿るということが輪廻だろう。ヨハネはイエス・キリストに従うかどうかは本人が決めるのではなく神が決めるのだと言っている。人間は自分の生前の出自を知らないが神は彼がどこから来たかを知っているから。放蕩息子の喩えでも、本人が自分の家を思い出すことが大事なのである。鎌田東二氏の「霊的人間」によればヘッセは魂の故郷という考えを持っていた。
また、肉体は泥と水で作られる(泥で捏ねられるという寓意を言っているのではなく、人は土に生える植物やそれを食べる動物、水、水中に発生する生物などを摂取して生きる)が、魂が泥と水から作られる訳がない。
赤ちゃんは母親を選ぶと池川氏は言う。私は自分で母を選んだという認識はなく、既に決められていてそれに従ったという感じがする。だから、カタリ派の「霊は肉に閉じ込められた」という表現(アーサー・ガーダムの「二つの世界を生きて」)には何か違和感がある。昔々の、野生馬のように捕まえられてアフリカから連れて来られた黒人奴隷ではあるまいし。むしろ、「(アフラ・マズダーのよき宗教において)魂は肉体に閉じ込められて罰を受けているのではなく、その自由な意思によって肉体という衣服をまとうのである」(ユーリー・ストヤノフ「ヨーロッパ異端の源流」より)という表現がしっくりする。「神の子」であったイエス・キリストもそうだったのではないか。ただし、その他の点で私の考えはカタリ派の言うことと基本的に似通っている。昔なら私は異端の告発を受けるところか。アルビ派が殲滅された時代でなくて、何と幸せな時代に生きていることだろう。
霊的な世界は地上で宗教的な組織とそのネットワークを持っている。人間の宗教組織にオーバーラップして。宗教は死者に対してその運命を引き受けるだけでなく、誕生についても関与している。ある女性が妊娠すると、その女性にツバ付けされた魂が下りてくる。母が妊娠した時に私が来たように。私を金沢に連れてきた男性霊も、妊娠中から誕生後しばらく付き添ってくれた女性霊も仏教に関連していたと思う。
ある女性が妊娠したかどうかは彼女の信仰する宗教のネットワークによって常にウオッチされているに違いない。女性本人が妊娠に気付くか気付かないかに関わらず。キリストが言うように、「あなたがたは髪の毛一本一本まで数えられている」のだ。霊にも男女の別がある。新しい胎児が男性(XY)か女性(XX)かは重要な問題である。男の身体には男の霊、女の身体には女の霊でなければならない。極めて初期の段階の胎胚を発見しその男女の判断をするには多分高度のテクノロジーが必要であろう。ここでミスマッチが起きたのが身体は男、心は女のような性同一性障害ではないだろうか。
以上のことから次の2点が推論される。
話は変わるが、私のような人間が何故出来たのだろうか。
交通事故のショックで特殊な能力が身についた人のことを何かで読んだことがある。
私が小学生の時、朝礼で校長先生がちょっと変わった人をみんなに紹介した。その人は地区の教育委員会のメンバーで、その時は学校関係の仕事で来ており、校長との雑談で「自分はひとの守護霊が見える」と言い、校長や教師の守護霊を透視してみせた。彼は兵隊の時中国で重傷を負って生死の境をさまよい、幸い親切な中国人に助けられ一命を取りとめて帰還し、現職に服帰した。今でも身体に銃弾の破片が残っているが、その時の怪我以来、ひとの守護霊が見えるようになったのだと言う。校長が面白がって、生徒達の守護霊もみてくれといい出した。紹介を受けて彼は朝礼壇に立ち、「守護霊はいつも同じというわけではない。男に女性霊、女に男性霊がいることも多く、また子供の霊の場合もある。子供だからといって格が劣っているわけではない」というようなことを話した。あまり風采の上がらない小柄な中年男性だった。全員は無理なので、高学年の列を前から後ろへと見て回った。何を言うのか興味があったが単に「男だ」「女だ」「子供だ」と言うだけで存外期待外れだった。中にはよく見えない者もいるらしくて、首をかしげて右や左を見た挙句「君にはいないな」と言われ、まわりが爆笑した。番が来るのを緊張して待っていたが、そっけなく私の守護者は女性霊だと言われた。
私自身、生まれて間もなくひとつ間違えば生死に関わる事故にあった。母は当時3歳の兄に私を預けて子守りをさせ、川で洗濯をしていた。ところが兄は私に「ここにじっとしていろ」と言い残して遊びに行ってしまった。そこは線路の上だった。金沢には郊外電車がある。日中はあまり本数はなかったと思う。母はけたたましい汽笛の音に何があったかすぐ気がついたと言う。電車が急停車し運転手が列車の下にもぐりこんで赤ん坊を引っ張り出した。20代初め大学生の頃、帰省した時に母とこのことを思い出話しした。「あの時は足が凍りついた」と呟いた母の顔は恐怖が蘇って青ざめていた。私が憶えているのは、電車が迫って来る瞬間あのやさしい女性霊が、いつもとは違う厳しい声で「ああ、この子は赤ちゃんで死んでしまう運命なのかしら。腹這いになって身体を低くしなさい!」と命令調で叫んだことだった。私はその言葉を理解し結果的に全く無事だった。
共感覚と呼ばれる特殊感覚の持ち主は文字や音に色があるという。これは子供の時の未分化な知覚作用(音感にも視覚にも色感にも同じに反応する)が刷り込まれて残ったせいだと言われる。私も危うく電車に敷かれかけたショックが幼時記憶を強化し消えなくしたのかも知れない。迫って来る電車がトラウマになったことはない。
揺籃期に喜怒哀楽を示すと母は「おうそうか、よしよし」と私をあやした。ある時私は自分が既に多少の理性を持っていることを示そうと、それに対し「ふつうに話しても分るよ」と答えたつもりだったが、自分の口から出たのは「バブバブ」という幼児語にすぎなかった。それで会話を諦めた。
私には妹がいる。私は昭和16年12月生まれ、彼女は昭和18年3月生まれ。妹がおくるみに包まっているのを見て、「そうだ、生まれる前に声なき声で話していたんだった」と思い出し、彼女に向って言葉にならない声で話しかけた。然し彼女からは全く反応がなかった。