これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。
“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”
殺人事件を起して逮捕された犯人が「悪魔に命令された」と言うのをよく聞くことがあるが、この犯人の気持ちが分るような気がする。私の場合誰かが背後から間歇的にメッセージコマンドを送ってきて意識が直接受け取り、それに対して「ああまたか」といつもと同じ反応を繰り返し、場合によっては無意識に小声で呟いていたりする。これには二つの事があり、一つは「インドへ行け」というメッセージである。
これまでアジアで行ったことがあるのはタイ・インドネシア・ミャンマー・マレイシアだけで、隣国の中国・韓国・台湾は将来共行かないだろう。けばけばしい偶像崇拝のインドという国はやはり強烈な個性があるから好みは人それぞれで、以前仏教徒だった頃は「年をとって最後の旅行はインドにしよう」と仏教の遺跡を訪ねることを漠然と考えていたが、今は仏教徒ではなくなった。それでも相変わらず同じことを言われる。その理由が少し解ってきた。
ローマ教が厳しく意見の相違を許さないのは前項で書いたが、対称的にシバ神は極めて寛大なのが特徴だそうである。シバ神と私の出会いがあったとすればジャワ島のプランバナン寺院かも知れない。梅棹忠夫が「文明の生態史観」で書いていたが、彼がチベットの仏像を見て「あまり有難いとは思えない」と言うと、同行の西洋人の学者が「それは日本の(完成度の高い)仏像と比べれば違和感があるかもしれない」と答えたというが、ボロブドールであれプランバナンであれ石造彫刻に関しては日本が脱帽である。大きな牛の石像に攀じ登って騎乗し記念写真を撮った。怒られるかと少し心配したがイスラム教徒のガイドは何も言わなかった。
シバ神が尊ばれるのは「寛大だから」ではなく、この神は死者の霊を復活させる類稀な力を秘めており、日本にもシバ神信仰を導入すれば救われる信者の魂は多いだろうという。私の備忘録によれば2014年3月26日に現れた神が夢の中で「我々は正当な意見に対しては耳を傾ける用意がある」と言い、終わるとすぐ「今のはシバ神です」と女の声が言った。ドラヴィダは粗暴な振舞いを謝ったとのことである。人間中心主義が宣言されて仏教界に変化があった。但しこれが具体的に何を意味するか(*註1)、各宗派による受け取り方がどうかは私には解らない。動きの背後にシバ神の差配があったと推測される。「詔(みことのり)が発せられた」というのはカミが出した宣言で、始祖の天皇も受け入れたことの証か。ヤマトの神々、ひいては皇室へのメッセージと思われる。もしようなら神社仏閣の信者は助かる可能性が大幅に増したのは確実であるが、依然罪深き者(彼ら独自の基準による)に対する懲罰が消え去りはしないし、殺された動物は人間に怨恨を持ち復讐心を抱き続けている惧れなしとしない。恐ろしい正体の仏ありと言う。彼らは「いつまでそんなことを続けるのか」と聞かれると「次から止めます」と答えるが、次が来たことはないそうである。どの宗教であれ仲保者の役割の大きいことに違いあるまいが「坊主丸儲け」的な今の仏教界または祝詞だけの神道界にどれだけ真剣に人々のために救済を祈念し奉仕する僧・神職がいるだろうか。かつて憂世の人々を救済の袈裟衣で覆いたいと願い歌を読んだ慈円(百人一首・おおけなく浮き世の民におおうかな我が立つ杣に墨染の袖)のような。
この変革に当り、汚れ仕事をやらされていた餓鬼道の少年達が自分自身助かるかどうか苦悶する声が聞こえた。私事ながら「時の終わりと始まり」の項に書いた記事のお陰で私に対するカミのお怒りは続いているらしい。
付言すればインドの神が日本語を喋るのかと疑問を持つ人もあるだろうが、五旬節に燃える舌が複数の言葉を喋った話が新約聖書にあるように、霊の知力は絶対に軽視出来ない。私の書いたものを評価する時メチエという全く聞きなれない単語を使っていた。人間の裁判が下級審と上級審で違うことがあるように宗教の審判も同じ宗派内で地域差が出るのは考えられることだが、それを宗教のトポロジ―と呼ぶそうである。
ギョーム・ポステルは例えばギリシャ神話には太陽の運行(実際は太陽ではなく地球の自転・公転だが)を司るアポロンを初めとして様々な職務を分担する神々がいるように「霊がコントロールしない自然現象や物理法則はない」と言った(*註2)。私の周りが霊達で一際(ひときわ)騒がしかった頃、突然来た男性霊の声が「お前達が大挙して(我が家に?)押し掛けるから慣性の計算が狂ってしまったじゃないか」と叱っているのが聞こえた。丁度福知山線で脱線事故が起きた直後のことである。
数年前に少年が来て「神のキリスト教会と悪魔のキリスト教会がある」と私に話したがまさかと思った。それでは改宗は救いとは限らないではないかと、敢て真剣に受け取らなかったが、カタリ派の教理にも同じ表現があるのを見付けた。この五月頃、冷やかな態度の少年が「キリスト教で助かる割合と仏教で助かる割合は変わらない」と揶揄するように言い、その物言いに「これは真実だよ」との言外の諭しを感じた。或いはこの変革で割合は逆転したのかも知れない。この時点で、悪魔のキリスト教会とは旧約の全能神を救い主と見做す教会であることに私はまだ気付いていなかった。
もう一つは「フランス語を学べ」というメッセージである。
大学の第二外国語はドイツ語でもうすっかり忘れたが数字と読み方はまあ覚えている。フランスは在職中三度旅行し三度目は妻と二人だけだったので最低限数字は出来なければ困ると思って、約3カ月かけて時間がある時に文法書を自習した。大学一年教養の第二外国語で可が取れる位はやったと妻には言ったが実際はどうだったか。それはフランス周遊十泊の汽車旅行で南仏もツールーズに二泊、アビニョンに二泊、マルセイユに二泊した。ルルドとカルカッソンヌはアビニョンに行く時途中下車した。その頃はカタリ派なぞ全く念頭になかった。カルカッソンヌの旧シテはフランス国鉄駅から大分離れていて、一度田園地帯を歩いて通る。道の脇に小川が流れていて橋があり、その橋に学生風の三人の若い娘が我々の近づくのを待っており、そばまで来ると一人が見慣れぬ日本人に迷いながら黙ってカメラを差し出した。写真を撮って欲しいのだと理解しそれを受け取ると何かそのカメラは慣れ親しんだものと随分勝手が違う。理由は私が初めて手にするドイツのカメラでどこがシャッターか解らない。ここかと思って「ici ?」と聞くと彼女は「ici !」と弾んだ声で答えた。それがその旅行中会話で使った唯一のフランス語だった。その場所は彼女たちの後ろに川と森があり、遠景にカルカッソンヌの城壁ととんがり屋根がいくつか見えるいいショットの場所だった。ファインダーを覗くとチャーミングな三人の娘がカメラに向かって愛想よくにっこり笑っている顔がアップされてどぎまぎした。旧式のフィルムカメラの時代である。水豊かな青きローヌ川が流れ明るく輝く風光明媚なアビニョンでは短いが幸せな二夜をすごした。
「汝自身を知れ」のビジターの項で書き漏らしたが、来訪者の中にアルビの子と呼ばれる霊があった。フランス人の女の子を見て「ジュスイが来た」と家の子が囁いていたし、食べたい物を聞かれて「カマンベール」と答えた声の主はフランスの子以外考えられない(*註3)。多分彼女が習得済みのスペイン語やイタリア語と違って日本語は慣れにくい言葉に違いないだろう。霊の移動速度は考えられない程速い。南仏からなら3時間弱か。大半のビジターが私に会いに来る理由は私がかつてそこにいたからであろうか?。カタリ派と私は濃厚な関係があると思われるのはその為か。人間は様々に転生し誰でも昔ユダヤ人やギリシャ人だったことがあるのは全然珍しくないと聞いた。
以下「異端」の項の続きである。フェルナン・ニール「異端カタリ派」(文庫クセジュ)は既出渡辺昌美氏の翻訳である。第二章でグノーシスとは「ギリシャ哲学を記憶し悪と神の業を対立的に把握するキリスト教徒であり」彼らは「善なる神の王国である非物質的世界と五感で認識可能なサタンの所産であるこの世とがあり、更に神と人間の性格を半々に具有する者達が住む一つまたはいくつかの中間世界があって、イエスの天の国もその一つである」と理解した。グノーシスがユダヤの歴史である旧約を軽視するのはもっともである。
更にマニ教は決して仏教・マズダ教・キリスト教のご都合主義的寄せ集めではなく「神的資料である魂」と「悪の所産である肉体」の合体である人間個々人の救済として「認識」つまりグノーシスの重要性を説いた、とある。しかし何故か「悪」を積極的存在と見ないで消極的に善の欠如状態としているが、元マニ教徒であったアウグスティヌスの二元論はこの影響を受けている。信者は「清浄者・選ばれた者」と「聴聞者・平信徒」に分れ、戒律を重視し、厳格に戒律を守る清浄者だけが死後に光明の国に復帰し、結婚・耕作・建築する(これらは忌避すべき行為とされる)平信徒は罪に応じて人間または動物に生まれ変わると説く。現世を肯定する立場のキリスト教(カトリック)の「身の毛もよだつ弾圧」にさらされて耐え忍びしばらく永らえた。著者ニールはカタリ派をマニ教の変形と見る。かつてグノーシスを排除しマニ教であれイスラム教であれ異教を迫害または攻撃の対象としたローマキリスト教の全盛時代に、非主流キリスト教徒は存在するだけで敵視される中で、カタリ派は旧約聖書を正典から外し「自分達は新約聖書だけを信奉する正当なキリスト教徒である」と主張したが、その結果は歴史が示した通りマニ教同様の運命である。マニ教が異端だからその変形であるカタリ派も異端であるという両者の関係は、ナチス支配下で「ポーランド人であるが故に標的にされたポーランド」に住むユダヤ人の立場に似ている。
ニールは更に小パオロ派とボゴミリ派についても言及している。太陽崇拝の小パオロ派は聖餐や十字架の意義を否定し、キリスト教内部に浸透して二元論こそ真実にして唯一のキリスト教と説くために、二元論と適合するあらゆる部分を聖書から探り出して論理展開した。ボゴミリ派は三位一体論を否定し、十字の聖号も認めずローマ教もビザンツ教も教会は諸々のデモンの棲み家であると説いた。
意見の食い違いが著しいが真実は奈辺にあるか。神の是とする集団はどれだったか。我々のうち死後無事に生き永らえた者はその事を知るだろう。この本では触れていないワルド派は敬虔な信仰集団として今もひっそりと残存している。いずれも位階制の外で謙虚と清貧に救いの道を求めた。
オカルトにも数秘学にも注目したポステルは、めくるめく神秘体験を経て自己の変身を自覚し自分を油注がれたメシヤであると称した。宗教の真実は様々な宗教教理に分散的・段階的に現れるとし、東洋の宗教にも深い関心を寄せた。彼によれば数秘学上1は統一を表すとし、今日理論物理学は統一的な一つの公式を模索しているが、宗教の、或いは人間救済の教えの統一理論とは何だろうか。彼の宗教観が異端というよりは狂気とされて焚刑を免れたのは不幸中の幸いだが、不寛容・権勢欲・惨劇のカトリックの歴史と16世紀当時の状況にも拘わらず、将来の展望をカトリック中心主義に置いたのは大先生の到達点として物足りない。
13世紀頃ツールーズはヴェネチア・ローマに次いでヨーロッパ第三の都市であった。総じて南仏は豊かでラングドック地方の特色は寛容の精神、発達した個人的自由の感覚、民主的都市政治の雰囲気に満ちていた。12世紀の腐敗したローマ教会聖職者の無規律化を反面教師として、ツールーズ住民は善信者の超俗と献身に引きつけられた。「カタリ派は徹底した信念を持つ者達であり、これほど全面的な信仰は対照や比較の結果生じたものではなく心の奥底から出たもので、彼らは真理を悟ったと思い込んだ」とある。ニールの思い入れがあるにせよ誠心にして純粋な彼らの心意気が伝わる。質実な完徳者の神出鬼没の行動力と彼に対する住民のサポートについても書いている。
インノケンチウス3世のために言うならば、個人の考え如何に拘わらずアルビジョア十字軍出陣は長たる者の苦渋の決断だったかも知れない。劈頭の10万人とも言われ、3万人位をニールが妥当な数字とするベジエの大虐殺でシトー会院長アルノー・アマルリックが言ったとされる「すべてを殺せ、神は神のもの(死者の中で嘉されるべき者)を知り給う」には、玉石混交の供物の中から価値あるものを神に選ばせる悪質な聖務重視主義準用の響きがある。ここに限った話ではないが、「主は言われる、復讐するは我にあり」つまり人間の視点には自己中心的な過ちが付き纏うから勝手な報復はするな、全知の神のアギーレは行われ罰するべき者を正しく罰するから、と諌めるローマ書の警告は全くネグレクトされる。あとはベジエに続くカルカッソンヌの失陥、シモン・ド・モンフォールの台頭、その他の都市の敗北と一時的巻き返し、オック全体の降伏と最後に残ったモンセギュールの抵抗へと続く。ニールは「聖なる山の威信は1244年3月16日の火刑台とともに消え去りはせぬだろう」と、その英雄的な闘いに涙のエールを送る。犠牲者の合計推定100万人。最後に、ドミニコ会派によるしつこいカタリ派根絶作戦が住民を苦しめ反乱を誘ったことにも触れている。
他人の書いた本に知ったかぶってコメントするのは楽だよなと叱られそうな気がするが・・・帚木逢生という作家は前に読んだ本が何となく素人くさい印象で感動はしたが後を曳かなかった。本業の医学を初め広く現在・過去の社会的なテーマに関心のある作家である。「聖灰の暗号」という本は中扉に「30年前モンセギュール登山で出会ったフランス人男性のカタリ派によせる思いへの共感なくしてこの本は生まれなかった」と書かれているが実体験だろうと思う。物語の舞台は丁度前法王ベネディクト16世が就任(2005年)する頃の南仏で記憶に新しい。日本人の歴史学者須貝が自然の地形の中に分割して隠されたカタリ派の悲劇に関する秘録の隠し場所を謎解きする話である。筆者がこの本のためにオック語を学び実地検証し刑執行の実態を調べカタリ派が異端尋問にどう対応したかを文献で調べる作業が可能であったバックグラウンドは、東大仏文卒のフランス語の能力のおかげだと推察する。今の私には逆立ちしても出来ない業であるが、読後に思ったのは決して不自然ではないがすべてがとても都合よく出来ているなと言う感想である。それには理由がある。「燃え上がる緑の木」の項で私がベストスリーに上げている「チボー家の人々」の終り近くで、主人公のジャックは戦場で反戦ビラを撒こうとして乗っていた飛行機が墜落し、意識不明の重体の危機に陥る。この辺りで私は「親友のダニエルが騎馬兵、兄のアントワーヌが軍医として従軍しているから、ダニエルがジャックを発見して野戦病院に運び、アントワーヌが手当してジャックは助かるんだろうな」と勝手に展開を予想した。然しそうはならなかった。そんなに都合良く事が運ぶほど戦争は甘くないと言うリアリスト・デュガールの意図を感じ、いつもこのエピソードを思い出す度に熱くなり泣けて来る。
ミゲル・デリーベスはスペインの作家だがノーベル賞有力候補のままで2010年に亡くなった。「異端者 El
hereje」は彼の最後の作品か。最初は何となく変わった本だなと思いながら読み進めるとユニークな個性の女性達が多数登場し、後半は主人公シプリアーノ・サルセドによる新教シンパグループとの交流、逃亡、逮捕、苛酷な投獄、裁判を経てクライマックスの火刑へと一気に突き進む。Vaya con su Diosという具合には行かないのか。ガチガチのカトリック教国だと思っていたスペインにも宗教改革当時すでにルターの新教に心を寄せるサルセドのような者達がいたのだろうか。
巻頭に「やはり信仰の名において行われた数々の暴力に口を閉ざすべきであろうか?宗教戦争、異端審判所の裁き、その他、人間の権利を侵害する諸々の形…。バチカン第二公会議の決定に基づき、教会は福音の原理に照らして真偽を見極め率先してその歴史の暗部を検証しなければならない」というファン・パブロ(ヨハネパウロ)二世の言葉を紹介している。宗教戦争には対イスラム教十字軍、アルビジョア十字軍、新旧キリスト教対立、南米大陸での進攻を含むだろう。腰の重いバチカンに第二公会議以降積極的な歴史検証の取り組みがあっただろうか。
「聖灰の暗号」でカトリックによる苛酷なカタリ派迫害の実態を知った須貝の「教会に対するこれまでの考えが変わった」という文章を読んだ時、私の脳内にもさっと暗い影がさした。イタリア、フランス、スペイン、ポルトガルのいずこも持つ壮麗な教会の真実の姿はどうなのだろうか。人間の目には素晴らしいが霊的には実は恐ろしい場所があるということを知らない訳ではない。火刑による反対者の抹殺はカトリックだけでなく英国教会もカルビンもこの非人道的な刑罰に手を染めたらしいし、新旧宗教対立や新教同志の内ゲバも殺人を伴った。人間の愚かさがイエスの「貴方達に平和を残す」という言葉を踏みにじり神を遠ざけたならば、そこに悪魔が忍び寄って住みついただろう。だからイギリス、北欧、ドイツを含むヨーロッパ全体がその懸念を拭えない。
私は改宗して聖書のイエスの言葉に救いを見出したが、それ以後2千年の歴史を経る中で今日のキリスト教が抱え込んだものを見落とすとすれば、旧約の徒に対する「あなたたちは目の前の梁(はり)に気が付かない」という非難がいまの教会にも当て嵌まることになる。
(*註1)ずっと後になるが「ヒンズー教では人間はハリジャンになる」ということについて真偽を問うている。
(*註2)植物にもれいが宿っていて様々な働きをする。
(*註3)カマンベールが好きなのは誰かあとで分かる。