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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

アバターは邪悪

 大学1年の英語の授業のテキストはオルダス・ハクスリーの World in world (世界の中の世界)だった。ハクスリーは二大戦間の混乱の一時期をドイツで過ごしたことがあり、政情不安だった当時のドイツの状況をこの本に書き残した。たとえば夜間、暴徒が「エアバッヒェ ドイチェラント!(ドイツよ目覚めよ)」と叫んでショーウインドーに向かって石を投げ、窓ガラスが砕け散るのを目撃した。この「目覚める」とは夢を見ていればそれに惑溺しないで続きを拒否し覚醒することを意味するだろう。夢とはこの場合色仕掛けと呼ばれる卑猥な夢を指す。

 ドイツ人は黙して語らないが、楽聖バッハさえ審判の罠に嵌ったこと、それがニセのアバターのせいであること、誰がそのニセのアバター役を請け負っていたかを知っていたのだと思う。普通に考えれば、アバターとは影のように人間と不即不離の存在であって、両者の間には人間のやることは霊界側でアバターもやるというシンクロニシティの関係があり、人間の生前の行跡はつぶさにアバターにコピーされている。だからアバターの行動記録に対し人間は死んでから「知らない」などとは言い逃れ出来ない仕組みになっていると思うだろう。しかしそのアバターを陰で操って偽物を遣わしていたのがマリア(アテナ)グループだったとはドイツ人も思いつかなかったようだ。なぜならドイツにもカトリック教会はあり、また苦心惨憺して2005年に再建したドレスデンのプロテスタント教会を再びフラウエン(聖母)教会と名付けており、教会前広場にその像があるルターの思想とマリアとはミスマッチであるから。

 夏目漱石は女が出て来る夢で、相手の顔が自分に密着し彼女の舌が口に入って来て自分の舌と絡まる感覚がまさに自分が今そうしているようにリアルだったと書いている。それは漱石の脳がアバターとコネクトされ、アバターがあちら側で女とやっていることがあたかも自分がやっていることのように思わされているのである。しかし漱石は体面を重んじて実は接吻以上のことも起きるとは書いていない。私は男だから想像に過ぎないのだが、敏感な性感帯の女性の場合インクブスの侵入に陶酔することさえあるのではないだろうか(間違っていたら御免なさい)。それで欲望を刺戟され人格が変ってしまう女性もいるらしい。アカデミズムはこんな下世話な話は真面目に取り上げない。「小さな独裁者」という映画の中で男が偽将校に向かって「処女には悪魔が宿ると言う。俺も悪魔になってお前に取り付き破滅させてやる」と言っていたのを見て「ドイツにはそんな諺があるのか」と思った。

 ある人は「つまらないことを自慢するな」と言うかも知れないが、私は結婚以来性交渉もしくはそれに準じる関係を他の女性と持ったことは一切ない(同性とは言わずもがな)。妻が閉経して以来彼女ともご無沙汰だが、そんな「無関係の関係」について夫婦間の暗黙の了解があると思っている。ところが80才が近い今でも卑猥な夢はよく見るし、気が付くと女性の股間を熱くなって摩擦している自分がいる。目が覚めて「顔も知らない女と、どんなブスかうば桜かも判らない、いいかげんにしてくれ」と何度思ったことか。死んでからもし「お前は女房以外の女としばしば猥褻行為をしているではないか。その証拠にお前のアバターの記録写真にはこんなに色々の女がとっかえひっかえ現れている」と言われても「それはアバターが勝手にやったことだ。私とは全然関係ない」と答えて嘘偽りはない。女にだらしがないのはアバターであって私ではない。これは命に関わる問題で決してつまらないことではないと自分では思っている。

 しかし既婚男性の中にも昔の彼女と再会してベッドインしたり、旅先で対価を払って女と合意の上で快楽を買った者もいるだろう。彼は自分のアバターの全記録を見せられて、そのほとんどはアバターが勝手にやったことだったとしても、全体を完全否定出来ないことになる。すると彼らは「お前がこの証拠はすべて嘘ではないと認めるならこの証拠は真実だ」と言うだろう。”If everything is not fake, then everything is true.”というのが彼らの理屈である。我々の評価に携わるその「彼ら」は通称インノケンチウスと呼ばれている。マリアがどこにでもいるようにインノケンチウスも世界中にいるのだろう。名前が示す通りインノケンチウスの指示はバチカンの指示に等しい。日本にいるインノケンチウスが「我々の揃えた裁きのドキュメントと証拠写真のデータは今まで神聖不可侵にしてすべて有効だった。この男だけを例外にするわけにはいかない」と、私を必ず有罪にしてマリアグループに引き渡すつもりでいる。かの松下氏も記録を見せられて「心当たりがない」と否定したが受け入れられなかったというから仏教徒も同じである。

 女性の場合突っ込み所満載で、誰もまさかこんなことを糾弾されるとは思いもよらないから、恥ずかしさにしどろもどろになりまともに反論出来ないらしい。弁護士もいることはいるが、これがまた偽弁護士か悪魔に恫喝されて骨抜きになっている。中学2年の時クラス担任だった光子先生の年齢は私より干支が一回りくらい上の見当だろうか。彼女の記録にはアバターが私のアバターと乳繰り合っているのが出ていたようである。「まさか実際にこんなことをするわけがない」と否定したのだが「お前はこの時一緒に感じただろう。その気が全くなかったとは言えない。これがお前の本性だ」と頭ごなしに言われて屈服させられたらしい。私も同じものを見せられて何か言われるのだろうか。高校生の頃、夢で彼女のアバターを見た記憶がある。切ない表情で今にも抱きつきそうな勢いで現れたが、余り彼女に似ていないのを不思議に思った。人間界には先生が学びたいことの専門家がいるからと勧められて来たのだが「人間なんかになるのではなかった」と悔やんでいたそうである。
 
 誰もが逃れられないこの罠を張り巡らせたのが知恵の女神アテナでありマリアはその生まれ変りである。多分ユダヤ人はマリア即ちアテナであることを知っていたに違いない。マリアを何も知らないおぼこな小娘扱いするのはとんでもない間違いであった。邪悪なアバターに欲しいままに淫行をやらせ、それを人間の感覚と記憶に結びつけて潜在意識に刷り込み、死後に問い質して記憶を覚醒させ騙しと脅しによって人間に責任をなすりつける手口は知恵の女神アテナの指金だった。また例え霊界でレプラのような悪疫に罹っていても、女の胎児に宿って人間として新生すれば遺伝子の復活力によって病痕は完璧に治癒することするも知っていた。まだ他に我々の気付かないアテナの技があるのだろうか。

 前項に書いたように新約聖書でマリアについての記述があちこちに振り撒かれ、彼女が嘘つきであることも間接的であいまいにしか表現されていないのは、現存する者についてはっきりと悪評を書き記すのは憚られるからであったろう。例えば現にこの国にもマリア族の生まれ変わりの女性がいる。彼女の名前で検索すると夥しいご乱行の記事と写真にヒットし、成程そういう事だったかと納得してもらえるだろうが、もし遠慮なく名前を出せば大問題になるのではないかと憚られる。

 しかしマリアの嘘の最大のごまかしは、イエスは確かに霊的復活を遂げて昇天したかも知れないが、それが何所にも遺体が見つからなかった言い訳にはならないことであろう。当時のユダヤ教祭司が一体イエスの遺体をどうしたのかが問題であり、それがペーゲルスの疑問(p-143)に対する答えである。人間界では一部の者しか知らないだろうが、霊界では誰でも知っていることである。

 7月某日近場のプロテスタント教会の日曜ミサに参加した時のことである。その日のテーマはミカ書で、私はミカ書について全く勉強不足だったことを認めねばならない。「牧師(または神父)が旧約聖書について蘊蓄を語るのは何とかならないか」という声があり(*註1)、またその繰り返しになるのかと危惧したが新しい発見があった。牧師はこの日の説教で東方の三博士がベツレヘムの星に導かれてエルサレムにやって来た時、ヘロデ王がメシアはどこから来るかと問うと、祭司と律法学者はミカ書5章の「ベツレヘムからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く永遠の昔にさかのぼる」を引用したことを話した。しかしイエス即ち「出生は古く永遠の昔にさかのぼる者」とは誰のことかは言わなかった。それはアポロンである。アポロンとアテナ・・・イスラエルはギリシャ神話の蒸し返しである(*註2)。

 アタリが「カニバリズムの秩序」で「古代の神々はカニバリズムの勝利者である」と言う場合ギリシャ神話の神々も例外ではあり得まい。伝聞であるが「イスラエルには立ち入り禁止のエリアがあった」「傍を通ると悪臭が漏れていた」という場所が多分マリアグループのテリトリーだったのだろう。しかしシューベルトが1825年アべ・マリアを作って賛歌が歌われ始めてからは天上の一郭に住む権利を与えられ主だった500人内外がそこにいたらしい。人間の評価が彼らの地位や処遇を決める作用をするのである。彼女らのテリトリーが実際はどんなに荒んだおぞましい場所であったかは、多分誰も書き記した者がいないので引用出来ないと思っていた。バチカンもだんまりを決め込んでいるし、誰かがマリア性悪説は偏執病者の勝手な妄想に過ぎないと反撃に出るかも知れない。私自身はブログに「サクリファイス」をアップした次の夜「このキ〇〇マは他に何を企んでいるのか」などと口走る口汚いビッチ共に夜襲され、確信は変わらないのだが。

 そこで、ブログ初期の頃掲載したT.ローザック「フリッカー、あるいは映画の魔」の項を見直すことが間接的な傍証に役立つかも知れない。この記事には前後して二つの残酷絵図の話が出て来る。一つはチューリッヒにあるアルビ派教会本部の壁画であり、それはアルビ派全滅に至る1209年カタリ派殉教の図であろう。もう一つはカリフォルニアのアルビ派教会で預言者と呼ばれ特殊で天才的な才能を持つ少年が次々と作り出すグロテスクにして末期的な動画である。作者でさえその意味する所を分かっていなかったと思うが、これは過去の歴史の一コマではなくマリア(アテナ)グループによって行われている on-going な出来事のビジュアライズであり時代への啓示だったのではないだろうか。預言とはその時点での未来へのメッセージである。

 またここで興味を引くのは、チューリッヒで主人公を案内した理事が言った「自分達はカタリ派でありイエス以前からあるキリスト教徒である」という言葉である。つまりカタリ派はキリスト教であり、キリスト教はイエスまたはマリアという名前が出て来る以前、遠く遡ってアポロンとアテネの時代からある人間救済の教えなのである。

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(*註1)イエスがバプティスマを受けた時「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」と天から声があった(マルコ1:11)。これが父なる神によるイエスに対する受容の意志表明であるなら、同時にそれはユダヤ教祭司と律法学者たちに対して「かれらはわたしの憎む者、わたしの心に逆らう者」という反語を踏まえていたと考えるべきであろう。それを明示しなかったばかりに歴史的に大きな錯誤を生んだのならそうしなかったことが悔やまれる。旧約聖書はイエスが生まれる前の書であり、これも「すべてが嘘というわけではない」が嘘だらけである。

(*註2)ゼウスなる神をどう理解すべきかは主観によって分かれると思うが、神の地位を人間と争って勝ったというなら人間ではなかったことは間違いないだろう。では彼らは異星からの渡来人か地球の先住動物かということになるが多分後者即ち類人猿であろう。ゼウスもヘラもギリシャ彫刻にあるような外形を得たのは類人猿(の霊)がヨーロッパ人ホモ・サピエンスの胎に宿ったのである。モートのように知能の程度は高かったに違いない。同様にアテナはメスの類人猿(の霊)がヘラの胎に宿ったのである。ゼウスはプロメテウスが人間に味方して火を与えたことに怒り彼に毎日鷲に内臓を食いちぎられる永劫の罰を与えた。人間に火を与えれば戦争が始まるから反対したというが、火は体毛のない人間が寒さをしのぎ、夜目が効かない人間の灯明となり、野獣の来襲を防ぎ、食物を食べやすくするのに最低限必要である。火を与えないことは人間を脆弱な抵抗力のない集団にしておきたかったのであろう。美女と見ればあの手この手で篭絡したゼウスがレトを孕ませて生まれたのがアポロンとアルテミスだった。二人が生まれる前ヘラはレトに子を生ませないように執拗に妨害した。それは本当の神が類人猿(の霊)がレトの胎児に宿るのを阻み人の子を送ったからだろう。このように考えれば姉・弟の関係と雖もアテナとアポロンは宿敵同士である。マリアがアフロディテを吊るし首にしたのもトロイ戦争を引きずっていたのだろう。