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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

転生

 20年以上前に出た「二重螺旋の悪魔」という分厚い近未来科学ミステリーの活劇本を図書館で借りたのには、それが「32・エスニックな神」の項に書いた遺伝子を操る悪魔博士の話か、直接彼が主題でなくても彼の事が何か語られているかとの期待があったからだが、結果的には見当外れに終わった。
自然界の生物の螺旋構造にはイントロンと呼ばれる無駄なパーツがあって、それを取り去っても遺伝子は正常に機能し生命体の発生や維持に支障が出ないことが実験で確かめられているらしい。
新しい情報の先行発見によって競争的優位に立とうとするバイオ企業間では、立ち入り検査を含む法的な規制監督により厳格なルールと厳重な管理施設の下にヒトのイントロンの培養実験があちこちで行なわれているというのがこのSFの前提である。ある企業の研究所で行われた実験で全く予想もしなかった破壊的な化け物が生まれ、現在は民間のバイオ事業を管掌する省庁の役人でかつて彼自身企業の研究者であった主人公はなんとかそれが完全に成育する前に退治し大事故を未然に防いだ。然し無知な学生が個人的研究でやった培養実験からも同様の化け物が生まれ、管理の甘さからそれが成長し逃亡してしまう。
怪物はGreat Old Ones、略してGooと呼ばれる。この生物は人類と同じDNAを持ちかつて地上に存在していたが既に絶滅し、死骸は土に完全に同化したので痕跡は全く残っていない。知的生物の先在でオーパーツの謎を合理化する一つの仮定か。化け物は巧みに変形して自身を武器にも道具にも建造物にも変える驚異的適応力を内蔵し、更に自らを修復しまた先端的知性を習得する能力を持つ。
やがてそれは増殖し自衛隊を主力とする防衛軍に対等以上の力で対抗するまで強大化して、両者の攻防は東京の山手線区域内を荒れ果てた戦場に変える。他方人間の側も、筋力を極限までアップしさらに被弾した負傷を瞬く間に回復する力を付与する試薬を得る。それを開発した女性研究員を信頼して主人公は薬を試し、自身のスーパーマン化に成功して先頭に立つ戦闘員となり、同様にサイボーグ化された仲間と共に決死の戦いに挑む。後にGooを無力化する薬品も彼女が開発する。
DNAを勝手にいじくればどんな危険が発生するか判らないという、我々が潜在的に持つ心理的不安を刺激し荒唐無稽とばかり言えない読後感が残る。最新の遺伝子情報から見れば20年前の筆者の知識には既にアップデートされ旧聞化したものもあろうが、うそ臭くなく読者を説得できるよう広範な知識を掻き集めている。
主人公は最後の戦いで自分の危機を救って身代わりに死んだ女性科学者を一本の遺髪から復活させるが、そんなことが実際可能になるのはいつのことだろうか。現実にはやっとiPS細胞による網膜再生の目途が立った程度なのに。蘇生したクローンに記憶もまた甦るという想定を読者はすんなり受け入れただろうか。私は後述の「巨匠とマルガリータ」に書いた通り否定的である。

 メキシコを舞台とする忌まわしい事件の報道、特にシウダーファレスを中心として連続多発する、女性をターゲットとする殺人事件の惨たらしさには無関心ではいられなかった。2年ほど前「2666」は一度手に取ったことがあるが、そのぶ厚さと二段組み活字の量に圧倒されてひとまず敬遠した。今回余りフレンドリーでなさそうな少年の「アルチンボルティーを読め」という声に促され再度挑戦した。南米文学に共通する独特の続々と雲が沸くような語り口は変わらない。本ではサンタテレサという架空の都市が惨劇の舞台である。
 正体不明のドイツ人作家アルチンボルティーを専攻するフランス、スペイン、イタリアのドイツ文学者トリオにイギリスの女性文学者が加わる。四人は互いに連絡を取りあい知識を更新し共有する。ドイツのあちこちの都市で開催される学会で四人組が反アルチンボルティー派に対して固いスクラムを組み敵を仮借なくやっつける様が大いに笑える。そのうちフランスの学者がイギリスへ行きまたその逆もあり、スペインの学者がイギリスへ行きその逆もあり、当然のようにセックスするが(これって今の常識なのですかね)、やがてトリプルプレイまでやり出すのにはあきれ果てる。リーダー格のイタリア人学者は車椅子の身体なのでそういうことはしない。身障者の方が浮かばれるというのは本当かもしれない。ノーベル文学賞の候補にアルチンボルティーの名前が挙がるが依然彼は何処とも知れず一切表に顔を出さない。(第一部) 
サンタテレサに住む亡命チリ人のドイツ文学教授は一人娘と生活している。この本の著者ボラーニョも亡命チリ人である。第一部で登場した大男のアルチンボルティーの本名(ハンス・ライター)らしき名前の人物がサンタテレサにいるという曖昧な情報を確かめに訪ねて来た上記の学者たちと会うが「ほかにも興味あるドイツ文学者はいますよね、例えば・・・」と漏らした一言で、まるで病気で羽がすっかり抜け落ちたオームのごとき様に至るまでの猛攻撃を受けた。娘は教授がバルセロナに亡命していた時の子供でスペイン国籍。やくざな男にアイドル的にほれ込まれ、麻薬に染まりかけていることが次章に出て来る。最早生娘ではないだろうがセックスシーンの描写がないだけでも救われる。父親はサンタテレサの劣悪な環境や彼女の怪しげな交友から差し迫る危険を察知して慌ただしく娘をバルセロナに逃避させる。(第二部)
アフリカ系アメリカ人の雑誌記者は急死したスポーツ担当の代役としてサンタテレサで行われるボクシングの試合の取材にこの町を訪れる。彼の本来の職務は社会面の記事担当でサンタテレサの状況を知りそのルポ記事を作成したいと上司に申請するが中々色よい返事はない。偶然会った国外退去前の教授の娘と交遊する。刑務所でそれとは知らずアルチンボルティーの甥にインタビューする。旅行で来たアメリカ娘が被害に会ったことでアメリカの覆面刑事が単身真相を探りに来て失敗する。読みながらアメリカの介入により事態打開の可能性が見出されることをひそかに期待するのは私一人ではないだろう。(第三部)
この本で最大のページ数を占める第四部は延々たる女性殺人死体遺棄事件の詳細なクロニクルである。物語はすべて被害者の遺体が発見された後警察が事件を追う形で書かれ、どの事件も迷宮入りし犯人や動機が明るみに出ることはい。検死の結果いずれも判で押したように遺体には膣と肛門への暴行、舌骨の骨折がある。舌骨の骨折は絞殺を意味する。遭遇した敵側と銃撃戦になり死んだ敵が朋輩の警官だったりする点、ジェームス・エルロイを連想する。パソコンの店を経営する大男のドイツ人が犯人として捕らえられて収監されるが本人は否定し、彼の逮捕後も犯行は続々と止むことがない。暴力的ホモ行為が蔓延する荒れ果てた刑務所内の様子も描かれる。(第四部)
第二次大戦前のライター家の描写から始まる。一次大戦の傷痍軍人で片足の父と生来片目の母、ハンス、兄を慕う年の離れた妹の四人暮らし。近くに男爵の屋敷がありそこには自由奔放で美しい娘と腹違いの弟で内気な息子がいて、この令嬢がハンスの生涯の重要な鍵を握る。母は男爵家の雑用をして何がしかの収入を得ている。独り立ちしたハンスはケルンに出て男爵の息子と出会い、ある日本人が彼らに加わり三人で共同行動することもある。この日本人の名前が少し変で、例えばイマイとかモリとか確かに存在する名前なら納得できるのだが・・・
第二次大戦が始まり招集されたハンスはルーマニア軍と一緒に戦う陸軍に配属される。ルーマニアはドイツの同盟国だったのか。そこで偶然に男爵令嬢と再会しお互いすぐに相手が誰かを認める。連隊が駐留した建物の屋根裏の隙間からハンスは男爵令嬢が股間に巨大な持ち物を有するルーマニアの将軍を相手に演じるベッドシーンを覗き見てエキサイトする。戦場の誰もいなくなった民家で壁の中に隠された手記を発見し、それを読んだハンスは物を書く衝動を刺激される。
戦争が終わって収容所から復員したハンスは第一作を帰国ユダヤ人でオーナー社長の出版社に持ち込み自分はブルーノ・フォン・アルチンボルティーだと名乗る。作品は社長に気に入られるが、珍妙な名前に抵抗する社長とそれに頑固に固執する二人のやり取りに彼ら独特の個性の強さが表れている。その会社で今は知的で魅力的な副社長格の社長夫人となっている元男爵令嬢と三度目の再会をする場面が面白い。当然双方はお互いが誰であるかをすぐに気付き、従って作家の本名もバレる訳だが、夫人は懐も寂しくむさくるしい姿のアルチンボルティーを宿に連れて行く。早速シャワーを浴びて髭も剃るように命じさっぱりしたアルチンボルティーを夫人はベッドで裸で待っている。この軽さ。アルチンボルティーが、かつて令嬢がルーマニアの将軍と交接する場面を盗み見たことを告白すると彼女は大笑い。作品は第二作、第三作と続き次第に地保を固める。
時代は今に近付き、ハンスの妹ロッテは家庭的な夫との間に男児を設け年老いて平凡に暮していて、息子はずっと親元を離れている。突然メキシコのサンタテレサから彼女に電話が入り、「私は貴方の息子さんの弁護士だが彼は今刑務所にいる」と告げられる。ロッテはメキシコまで通訳付きで出掛けることになるが、たまたま旅行中の暇つぶしに読もうと空港の売店で買った本に少女時代の自分と家族のことがそっくりそのまま書かれていて仰天する。出版社に電話すると社長夫人が出る。本の作者の妹だと名乗ると電話の相手に「あなたは昔お母さんにくっついてよくうちに来てましたね」と言われて驚き、アルチンボルティーに連絡すると言われる。かくて兄妹は再会して長い空白を埋め、アルチンボルティーがメキシコ行きの飛行機に乗るために空港に現れた所で長い物語は終わる。(第五部) 
面白おかしく書いたかもしれないが、読後この本は私の精神を禍々しく荒廃させた。一読を勧めた声の主には、私にどんな変化が起るか意地の悪い興味があったとしか思えない。多分今までにこの本を読んだ人たちに起きた心理的変化とそれに伴うリアクションも観察したのだろう。私は安易に他人に勧める気はしない。セックスは爆発的に心を占め大切にしていた宗教心やモラルを暴力的に押し退ける。
宗教的トポロジーから見ればメキシコはアステカの血生臭い儀式の中心地である。地霊が人間に及ぼす影響は推して知るべしである。身近にいる少女霊がいつの間にか様子を見に行ったらしく「ひどかった」とだけ言った。本の題名について、これは年号であり未来を暗示しているという考えがあるが果たしてそうだろうか。現にシウダーファレスで起きていることは極めて今日的で緊急かつ重要な課題である。Youtubeでこの本のBook Reviewを見た時、コメンテーターが本のタイトルを“too sex sex sex”と呼んでいるように聞こえた。

  一年ほど前、私の前世はブルガーコフだと言われた。もちろん全く記憶にはないしキリル文字も覚えていない。写真を見ても似ているような全然似ていないような・・・。彼はキエフで生まれその生涯はロシア革命の渦中にあり、1940年1月に48才で早死したが、私は1941年12月に生まれた。時間差はそんなものかと思う。「巨匠とマルガリータ」を読んだのにはそういう動機がある。ベンチで若手の詩人イワンが党の権威を着た批評家のベルリオーズに酷評されている所に悪魔が通りかかり話に加わる。導入部の悪魔四人組によるスラップスティックな事件の大騒動には、これではまるで筒井康隆じゃないかと鼻白む。この事件でベルリオーズは電車にはねられて首を切断し、イワンはショックを受け半狂人になる。主人公の巨匠が登場し、読者もその一端を知ることになるポンティオ・ピラトの物語を書いたが、体制側の批評家に酷評されて作品発表の機会を奪われ、絶望した巨匠が原稿を引き裂いて火にくべるところで、突然ある思い出が蘇った。私が中学生の頃、何故か細切れの文章の切れ端、もしくは燃えさしの紙をしきりに思い浮かべた。そこには何か意味ありげな文章が書かれている。あれは背後にいる女性霊がヌミノースとして私にイメージを送ったのだったが、それが前世記憶を喚起するまでには至らなかった。彼女は今となって「まさか霊能者になるとは思わなかった」と言っていた。末尾の解説を読むと、ブルガーコフ自身作品を批評家に酷評され原稿を燃やしてしまった実体験がある。
このブログを書き始めた頃、「次の来世はウクライナかポルトガルかブラジルに行く」と誰かに言われた。「チャイルド44」を読んだばかりの頃だった。大飢饉といい、チェルノブイリといい、つい最近のロシアとの緊張関係といい、豊かな土地を持つウクライナは何と不幸ばかり続く国だろう。国際結婚のホームページでウクライナ出身の美女たちが国外に相手を求めているのは悲しい。ある少年が夢でウクライナ行きのバス停の前に立ってこちらを見ていて、ボードの文字がはっきりと見えた。私に会いに来て帰る所だったのだろう。
四人組の頭目のヴォラントが言う「原稿は燃えないものです」という言葉は有名らしいが、それは私がいつも感じていることである。人間の書いたものは手書きであれワードであれあちら側に同時に表出される。
終盤でマルガリータが裸で箒にまたがって空を飛び、サドーヴァヤ通り50号室の以前ベルリオーズが住んでいた部屋に着くと、そこはアパートの一室とは思えない広々として複雑な構造になっている。私がN市で中古のマンションを買って住み始めた最初の晩に見た夢で、同じ平面だが別室もあり内階段もある、現実とは全く異なる構造の部屋に何人かの霊がいてこちらを見ていた。こういう点、共通の感性があるのだろうか。
甦った死者たちが大宴会を催すあたりで、私の中に取り返しのつかない悲しみのようなものが広がった。この本の翻訳は水野忠雄氏でとても読みやすい。彼が書いた解説でも、折り込みの池澤夏樹氏の梗概でも、その他いくつかブロガーが書いた感想を見ても、皆肝心なことに気が付いていないように見える。読み取れる者だけが読み取れと、作者があえて明言を避けていることがある。それも創作上のテクニックであり、私がそれを種明かしするのはどうかと思うのだが・・・そもそも大宴会の女王として檀上で来客に笑顔を振りまき挨拶するマルガリータはなぜ裸なのか。それに、なま身の人間が箒に乗って空を飛べるわけがない。そう、彼女は巨匠の帰りを一人待ちわびていた半地下の部屋で既に死んでいたのだ。夫にもう戻らないと置手紙を残し、さんざ心当たりを訪ねて巨匠の行方を追ったにも拘わらず、愛慕する巨匠は見つからなかった。絶望のあまり彼女は服毒したか、あるいは湯船の中で手首を切ったのかもしれない。人間は死後生きていたと同じ姿で甦るが多くの人間は自分が死んだことに気付かない。甦ったばかりの姿は服を着ているわけがない。宴会が終わって、大役を果たしたマルガリータはその褒賞としてヴォラントに遠慮がちに巨匠を求め、再会した二人は本来の姿に戻った悪魔四人組と共に空飛ぶ馬に乗って冥界の彼方へと飛び去る。実はその時既に巨匠も死んでいて、その死は彼が長期入院していた精神病院の隣室のイワンが知る。また巨匠が住んでいた半地下の部屋は火が放たれて、そこに放置されていたマルガリータの遺体も荼毘に付される。
ブルガーコフは演劇に関わったが、私もかつて冥界を舞台とするこの国の古典芸能の関係者だったらしい。彼が実際に共産主義国家に厳しく制約され演劇でも作品でも自由を奪われたのは事実としても、反共というよりは生死を超えたもっと大きなテーマを内に抱えていたことは理解してもらえるだろう。キリストや悪魔について私は直接的にもっと露骨な表現でここに書いている。私は無意識に「いかなる時と場所に生きようとも・・・」という言葉を呟くことがある。この作品の中で、イエスの出生やマタイの「多くの苦しみを味わい疲れ果てた者」の招きについて彼独自の見解を示している。全く個人的な思いだが、ヴォラントが満開の桜の木の下をそぞろ歩く喜びを語ったように、私は桜咲く頃にうきうきと其処ここを訪ね歩く人間である。その他のことは自分の胸だけに秘めておいた方が賢明だろう。