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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

Amortize

 Amortize という言葉は経理で繰延資産を償却する場合などに使う会計用語だが、本来は宗教用語だったのではないだろうか。このブログは Native English Speaker にも読まれているので英単語の誤用をすれば叱られるかも知れないが、私が Amortize を非モート化する、モート色を払拭する、の意味で使うことをどうか受け入れて頂きたい。その場合であっても「モートが改竄したために残存し新約聖書に仕組まれた負の遺産を清算する」という意味で使うのだから、会計で負債を取り崩すのと似ている。我々は教会で聖書を学ぶが、今の聖書は mortize された代物であるために祈りがイエスに繋がらなかった。だから聖書が信者をイエスと結びつける仲立ちとなるべき神通力を回復するには amortize するしかないのである。残念ながら原初の聖書は我々の手に入らないので完全に元の形に復元することは無理であるが、聖書を読み込んで何か不自然であったり矛盾を感じる箇所はマルキオンがしたように勇気をもって修正する必要がある。「最後の晩餐」で指摘したいくつかの点は勿論であるが、他にも例えばルカ福音書に「弟子たちの間で自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて言われた。わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ最も偉い者である。〛(946-48」という文章がある。この文章の最後に「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ最も偉い者である」とある。この「最も小さい者」とはモートのことであろう。モート族の実体は両の掌に乗るほど小さい。イエスが「私をお遣わしになった方を受け入れるに最も相応しいのはモートである」と言ったことになっているが、モートが自画自賛して改竄した捏造であろう。本来の話は12人の弟子の中でバルトロマイだけが人の子であったから、彼はイエスの兄弟であり、イエスはバルトロマイを名指ししてその理由を言ったのだろう。このエピソードは人間というものの複雑さについて聖書が取り扱うテーマの本質に触れていると思う。

 私の場合ブログに個人名を載せるとその霊を呼び寄せてしまう。それがいやで H8などという略語を使ったのだが、「赤い楯」で私がロックフェラー系石油会社の社員であったことを書いたためにロックフェラー(多分一族のうちの誰かだろう)を呼び寄せた。彼は「ジャパンは問題なかった」と言っていた。私は石油精製業のような巨大装置産業はある地域に、たとえば3社を分散して並立させ価格競争させるような種類の業種ではないと思っていた。むしろ一か所に集約しそこで常に最新技術に update し、最高の品質管理を怠らないでディマンドに答え、且つ最善の安全管理に傾注して全体的に目配りし事故発生を防止するような類の業種ではないだろうか。そういう大量処理の方が市価も下がると思う。「最後の晩餐」を書いた後も来て次のような事を言った。カトリックのことは知らなかった、地獄を亡くしたい、仏教は我々よりずっと下で信者は地獄の底辺に行く、の三件である。地獄とは罪人が放り込まれ悪魔がそれを始末した場所であり、悪魔は処罰の担当者として優遇されたが、ガバメントはそのような意味での地獄を失くした。刑罰は処刑担当者がすることになった。グッゲンハイムも「ジャパンはくそまじめに仏教を信じて今だに抜け出していない」と言っていた。初代ロックフェラーが熱心なバプティストの信者であったことは知っていた。最初私は「プロテスタントであるバプティストでもだめなのか、では人々に何を勧めればよいのか」と焦ったが、基本的に聖書が amortize されていないことはやはり共通の問題なのだと考えた。ミホラはローマから来て日本人に生まれ変った現役の女優であるが「ブロガーは間違っている、どのキリスト教も救いがない」と言っているらしいが原因はそのことであろう。

 バプティストには問題がなかったかと言えば、気になることがある。私がカトリックを批判していることに対し「とんでもない、カトリックこそベストだ」と答えたのはバプティストの牧師であった。これは単にその牧師の個人的な意見か、もしくはバプティストの牧師を養成する西南大学の指導方針なのか。今までのことはともかく、西南大学が聖書の amortize を受け入れるかどうかが、バプティスト教会が recommendable か否かの目安になると思う。これはアメリカでも同じであろう。更に、バプティズムの基本である「一人一人の価値基準の違いを重視する」という考え方が洋の東西でどういう影響があるか私見を述べる。
 最近あるロシアの教会で三位一体の聖画が粗末に扱われていることに対し、プーチン氏が教会の神父を厳しく咎め聖画を格式の高い別の教会に移したというニュースが伝わった。ではロシアで重視されている「三位一体」とは何を意味するのか。一般的な教えでは「父」神「子」キリスト「聖霊」聖神などと定義しているがそんな漠然とした話ではなく、もっと具体的な働きがある。ある家庭で夫と妻が夜の営みをした結果妻が妊娠したとする。その胎児にどんな霊をアサインするべきか。東方キリスト教では夫が人間であれば人の子を、イヌ族であれはイヌ族の霊を、レプタイルであればレプタイルの霊を、悪魔であれば悪魔の子をアサインする仕組みが出来ている。だから東方キリスト教では幼児洗礼は後で任意に変えられるものではない。ところがモートが占有している西方教会では(仏教もそうだが)家庭を勝手に複雑化し、夫が人間なのにその子供に悪魔の子をアサインして喜んだりしている。ウクライナがヨーロッパのようにモート化された結果、自分たちの国にもその影響が及び三位一体のルールが保てなくなると懸念する危機感こそプーチン氏とロシア正教が対ウクライナの戦いも止む無しとする理由であり、「シオン賢者の議定書」と無縁ではない。三位一体を正確に実施するためには外見では普通の人間と区別がつかない「父」がどのような中身(実体)を持った者であるかを見極める必要があるが、それが出来るのがサタンである。モートがサタンを敵視し悪魔の汚名を着せるのはそれが理由である。このように三位一体の原理に照らせばバプティスムは真理に悖(もと)っているのであるが、そもそもカトリックのように道理に悖った宗派があるからには再洗礼には必要性があるというややこしい結論になる。再洗礼派も色々な派に別れているようだが amortize を肯定する派であればプロテスタントとして認められるべきであると思う。

 「イルミナティー 悪魔の13血流フリッツスプリングマイヤー」というトンデモ本を図書館から借りて来て目を通した。アメリカ人に「モートは自分たちにとって都合が悪いからサタンを悪魔呼ばわりしているだけですよ。モレクが幼児犠牲を要求する悪神だなんて、モートが自分の悪事を他人のせいにする作り話ですよ。YHWHはせいぜい課長クラスで、モートによって祭りあげられただけのダミーですよ」と説得するのは無理なのだろうか。たしかにサタンのニセモノがいて悪事を働いているのは事実らしい。今回モレク神配下の選抜された1000人が光線銃を武器にして人間と一緒に戦いモートを苦しめた。「幼年期の終わりACクラーク)」のカレルレンはモレクがモデルであろう。スカル&ボーンズという一派があるらしいが、これは正真正銘の悪魔崇拝であろう。ニセの楽園神話の舞台となるパラダイスとは死者の骨がゴロゴロと転がっているジュラシックパークであり、楽園の主は悪魔である。旧約聖書もモートによって好き勝手に改竄されたのである。ローマカトリック教会、聖公会、ユニテリアン・ユニバーサリスト教会は悪魔主義者のためのニュー・ワールド・オーダーにおいて重要な役割を占めている(p-327)からといって、神学校、大学(アメリカン・カトリック大学、チリ・カトリック大学、ノートルダム大学)、宗教団体(偽キリスト文鮮明の統一教会を含む)に多額の寄付をしたロックフェラーが悪魔主義をサポートしているなんて的外れな誤解だと思う。ロックフェラーは素朴に宗教の役割を信じた善意の献金者であり、これらの団体が救済を標榜しているがどんな悪意を秘めているか、実際は何をやっているかよく分かっていなかったのである。悪魔主義がキリスト教の真実であるという論理は mortize された聖書に救済力がなっかったからで、真実というよりは現実であり、それもみんなモートのせいなのである。ロックフェラーに現人神信仰があるのはそんな大学や各種団体の中にキリストの再臨を見出せるかと期待したのだろう。どういう理由があるか知らないが、キリスト自身が生まれ変って聖書を自ら修正するのはルール違反なのだそうである。初期キリスト教はモートが新約聖書を改竄するまでは救済力を発揮したが三日天下だったと言われている。

 1000年前に生まれたロシア正教も同じ聖書を使ったいるのだろうが、それでもうまく行っていたのはテセウスにより三位一体が実行されていて神の意向に叶い、カトリックのことは他所事と切り離して考えていたからではないだろうか。かといってロシア正教が聖書の amortizeをしないでもいい訳はなく、amortize する事によってモートの侵入を抑止できるかも知れない。西方教会で三位一体が正しく理解され、且つ実行されている所はなかった。そのせいでロックフェラーの末裔の中にはニューギニアの原住民に首狩りをやって見せてくれと頼み逆に自分が首狩りされた変わり者がいたり、二人の子供(母親が悪魔の子であることを発見したのだろう)を殺して自殺した女がいた。アメリカの仲保者は誰なのか分からないが、審判にモートが介入している可能性は極めて高い。何故ならアメリカは多民族国家であるがヨーロッパの思想を色濃く受け継いでいる国だから。いずれにせよロックフェラーは地獄行きしたのだがおめおめとやられる訳にはいかなかった。稼いで得た膨大な金で強力な悪魔たちを雇い地獄に自分の地歩を築いたのである。富は力である。ロックフェラーはイルミナティーの13家族の一つで「悪魔の長」であると見るのは間違っている。同じような事はケネディー家でもあって、金の力で地獄に地歩を築いた。しかしバプティズム信仰よりカトリック信仰の方がダメージが大きく、JFKは私が20183月にアーリントンで灯し続ける火に向かって祈るまで復活出来なかったらしい(ポルトガルに行った時、私が移動した旅程の通りに子供たちが復活したそうである。これが私があちこちから「来てくれ」と言われる理由である)。だからケネディー家を悪魔主義者と見るのは間違いだろう。願わくばこのブログがロバート・ケネディー・ジュニアの目に止まって欲しい。

 人間のあらゆる行動はアバターによって向こう側でも行われ映像に残されている。そこでにせアバターに悪事をさせて記録をすり替え、審きの場で「これがお前の一生の記録だ」と見せて「こんな悪事を働いたではないか」と有無を言わさず認めさせるのがエストッペル(禁反言)の悪用であった。「心当たりがない」という言い訳は通らなかった。アメリカで弁護士制度が充実したのもこういう状況に対応したのだろう。さすがにガバメントはこんな捏造は禁じたと見え、私のにせアバターはべトナムに帰されたようである。しかし記録は映像だけではない。女たちが記録するスコアシートがあって、毎日 Appraisal が記録される。この方式は室町時代からの長い歴史があるようである。なんとそれがきれいな英文で書かれている。しかし英文では日本人にはわからないからと翻訳されているがその翻訳がどうも怪しい。記録担当の女たちもモートによって選抜されその仕事手当が貰える。その代わり「言われた通りにやれ」と何か必ず欠点を書き残さなければならない。私が毎日「だらしがない」と記録されたのは slovenly のカラムにチェックが付いたのである。他方、モートが人間になった場合何をやろうと Very Good である。このやり方全般を指揮監督していたのはマリアだった。モートは「このスコアは我々がやったのではない。女たちがやったのだ」と知らっぱくれるだろう。これでは人の子は誰も人間になりたくてもならないだろう。人間にとってモートの支配を覆すのが出直しの最初の仕事であった。アメリカもヨーロッパ同様にこのモート方式で、ロックフェラーが受からなかったのもこの手に引っかかったのであろう。末日聖徒は気の毒で見ていられなかったそうである。ロシアだけでなくアメリカでもモートは人類の共通の敵なのである。

 最近聞きなれない少年の声が聞こえ、誰だろうと耳を傾けた。彼は次のメッセージを伝えたあと立ち去った。悪魔との間に愛は成立しない、人間は悪魔と戦うことによってスーパーパワーを得る、3  LGBTなぞ無視せよ、中流階級の幻想を捨てよ、の4件である。何か様子が違うと思ったが彼はイスラムの少年だったのだろう。私はまだイスラムについての勉強が足りない。