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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

チュパカブラ

 「500年」の項で仏教徒もカトリック教徒もイスラム教徒も最後の仕上げは八本足のイカにされることを書いたが、宗派も信仰の場所も違う信徒たちが何故一様に同じ結末になるのか不思議だった。誰かが悪霊のトップの地位にいてグローバルに指令を出し統率している結果だとしか考えられなかった。それは海にいるタコでもないし小動物であるモートでもないだろう。モートについては一度彼らが嘘ばっかり言って偽情報を流し、また誕生に当たって勝手な差配をしているのは発覚したのだが、それと思しき犯人を捕まえてみるとモートだったので「なんだネズミじゃないか、そんな筈はない」と放免されたことがあった。そして一事不再理のルールによりしばらくの間放っておかれたのだが、このブログで私がモートを何度も取り上げて話題にしたために再度調査の結果関与が確認され、今回の活動禁止と追放の裁定が下されたのだった。では悪霊のトップの地位にいたのは誰かと言うと「チュカパブラ」だった。悪い冗談だと思う人も多いだろう。私もにわかには信じられなかった。

 同名の動物は南米にもいて、背中に折りたたんだ羽根のような突起物があり、カンガルーのように後ろ足で木陰から木陰へと素早く跳びまわる姿を住民にも目撃され恐れられているが、この動物は自然の環境条件が合って南米のジャングルに誕生した実在の四足動物であり、名前は同じだがここで言う「チュカパブラ」とは違う。そしてモートやイカ族と同じく霊界に棲む地球外生命体である。しかし「チュカパブラ」は人間に酷似しており、何よりの特徴は火を使って料理もするし、中には眼鏡を掛けているのもいるようである。だから人間の突然変異だと言う者もいる。彼らは煙草を嫌う。仏教でいう弥勒菩薩や大日如来の正体は「チュカパブラ」らしい。背が高いのが特徴らしいがネフィリムとは違う。彼らは大人の女さえ襲うカニバリストである。中国・インドでは広く知られている存在らしいが余り話題には上らない。インドでは弥勒菩薩をマイトレーヤと呼ぶからこれが「チュカパブラ」のインド名か。長い間人間にはならなかったが、近年は人間として現世に生まれることもある。チュカパブラ族というカテゴリーを加えなければならない。日本では割と知られた人物がいるがみんなが極端に変わっているという訳ではない。しかし時には本性を現して普通の人間には考えられない発想の本を書いたりする者がいる。例えば「バトルロワイヤル」のような作品である。この本の作者はこの本一冊しか書いていないが多分仮名だろう。こういう分子がCSJに入るとどんなことになるか、想像だに恐ろしい。「鬼滅の刃」という漫画は「チュカパブラ」へのチャレンジではないだろうか。

 ロシアが2021年夏にウクライナではなく日本攻撃を準備していたと言う米ニューズウィーク誌の記事が報じられ注目を集めた。日本の人口減少が話題になっていた頃、ロシアが「空海にやられた」と言っているという話を聞いて、どうしてそんなことまで知っているのかと驚いた。京都広隆寺には弥勒菩薩半跏思惟像がある。ロシアは「チュカパブラ」が悪魔の頭目であることも弥勒が「チュカパブラ」であることも知っていたのだろう。仏教の世界観が危険であることの一例であるが、ロシア人の霊界に対する洞察の鋭さは驚異的である。基本的にロシア正教の裁きでは「御苦労様でした。どうぞ仲間の所へお帰りなさい」ということになるそうである。私事であるが一時私が弥勒菩薩の生まれ変わりであるという声が聞こえて来て、一体何のことかと弥勒菩薩のことを書いた本を買って読んだことがあった。しかし表面的なことが書いてあるだけでどうにも理解不能だった。今考えればこの声は私を悪魔扱いするだけの意地の悪い誹謗に過ぎなかったと思い当たりぞっとする。

 ゼカリア・シッチン(1920~2010)によれば、太陽系の一番外側にニビルと呼ばれる衛星があり、この星は一周3600年の楕円形の軌道を持つとされた。彼によればこの星の住民は人類とよく似た姿を持ち、技術的に進歩した文明を持っていた(Wikipedia)。これが事実ならばニビル星人は寒暖差の激しい苛酷な環境を生き抜かねばならなかった。そして長い間に太陽の核融合によって発生する光と熱も次第に弱まるに従って繁栄期が過ぎ、もはや住民が住みづらくなり生存の糧を得ることも難しくなった。最後に互いに食うか食われるかの争いが勃発し多くの都市が焼けたが、やがて生き残った者たちはニビルを放棄して地球に移住したのではないだろうか。或いは地球に来る前に何かの衛星にいたかも知れない。広い宇宙にはありそうな話ではないか。「チュカパブラ」の正体はニビル星人のことと考えるのはそれ程荒唐無稽ではないだろう。シッチンは「我々は消え去った方が良い」と言っていたらしいが、まだ死んで間もないからこういう彼の言葉を聞いた生き証人がいるかも知れない。

 ヨハネ黙示録は難解で下手に手を出すととんだ思い違いして恥をかくだけかも知れない。しかし興味深いことなので考えていたことを書き残したい。13章15~18節に「第二の獣は獣の像に息を吹き込むことを許されて(動物霊を動物や人間に蘇生させることを許されて)獣の像がものを言う(人間になって言葉をしゃべる)ことさえ出来るようにし、獣の像を拝もうとしない者(動物霊と同じ考えで彼らを崇拝して見倣おうとしない者、即ち人間)であれば皆殺しにさせた(人間のように善行をする者は殺された)。また小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこでこの刻印のある者でなければ、ものを買うことも売ることも出来ないようになった(人間になった者には元型を示すナンバーが振られた。それ以外にはナンバーが振られなかった。人間だけが貨幣を使ってものを買ったり売ったりする)。この刻印とはあの獣の名、あるいはその数字である。ここに知恵が必要である。獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している(この数字の獣は人間である)。そして数字は六百六十六である。」666とは日本語でミロクであり、ミロクは「チュカパブラ」である。この文書が出来た2000年後、ヨハネは昭和一桁に日本で生まれ90才まで生きたが、聖書については結局何も語らなかった。

 カトリックはイエスの意図したキリスト教ではなかった。旧約聖書単体ではユダヤ教である。イエスはユダヤ教に対立する宗教としてキリスト教を興そうとした。しかしカトリックは旧約聖書も新約聖書も正典として採用しキリスト教を名乗った。イエスが生きていたらそんなことは認めなかっただろう。キリスト教は出足でつまずいたことを認めない者は愚かである。ダビンチ(多分ダビデの生まれ変わりであろう)は「最後の晩餐」の図でイエスを殺したのはペテロであることを画いている。ペテロは殉教者としてバチカンの地下に葬られているがおそらく殉教したというのは嘘であろう。トッドはカトリックという言葉は正統であるという意味だと言っているが、イカを cattle fishと言うようにカトリックとはイカの宗教という意味ではないだろうか。新約聖書だけを聖典として奉じたカタリ派こそイエスの意図したキリスト教だった(ただしヨハネ文書は要注意である)。しかしカタリ派はモンセギュールでカトリック教会とカトリックを支援する王権に敗れ全員が火あぶりになった。それでも彼らは死後みんなが救われたことを手を取り合って歓んだのだった。戦いに負けたことがすべての終わりではなかったのである。次に生まれたのがプロテスタントだった。その中の一派であるペンテコステは新約聖書のエピソードに由来しているのでイエスのキリスト教と認められた。

 ではアメリカで最大のプロテスタント集団とされる福音派はどうだろうか。最近 Youtube である学者が紹介した福音派のプロパガンダは次の通りであった。
1.同性愛者は地獄の業火に焼かれる
2.モーセの十戒を裁判所に掲げる活動をする
3.伝統的な家族観を守る
4.経済的な自由を守るために連邦政府の規制に異を唱える
5.科学や歴史に神の視点を入れる
6.白人を擁護する
7.イスラエルを国際社会の批判に対して弁護する
私は余り見ないのだが、女装したタレントが出るTV番組がある。彼(彼女)らは結構まじめにまともなことを言うようである。それ以外の点ではちゃんとした常識があるということをアピールしているのだろう。人間の中にも女性より同性に魅かれる者がいて、気に病んで自殺する者がいるそうである。余り大げさに騒がない方が良いように思う。
仏教徒であるか否かは家に仏壇があるかどうか、祈りで線香を炊くかどうかで決まる。同様にキリスト教の信者がプロテスタントかそうでないかを区別するのにも、相対する立場の間で了解した何らかのメルクマールがある筈で、詳細は知らないがミサで十戒を唱えることもカトリック信者のメルクマールである可能性がある。だから言葉には重々注意すべきであり、「貴方はその言葉を言ったからカトリックだ」と言われたら仏教徒と同じ扱いなのである。
科学や歴史に神の視点を入れるのは興味あることだが、悪魔の視点を知ることはもっと重要だと思う。神よりも悪魔の方が我々の身近にいて「チュカパブラ」のような恐るべき死に神が野放し状態で暗躍し、抜け目なく我々の弱みを狙っていることに気付かねばならない。現状では人間の無知の故に悪魔の優位は動かし難い。
自慢のルックスと酒と love ----これまで白人が歴史に重要な役割を果たしたことは否定しないが手抜かりも多いと思う。それに今のアメリカが黒人なしでやっていけるだろうか。
イスラエルという国が一体どういうルーツを持つ何人(なにびと)の国かは AI が教えてくれるだろう。

 アメリカではメガチャーチで大勢の支持者を集めて候補者を支援する集会が開かれる。大抵は牧師が熱のこもった開会のスピーチをするが、上記のような雑多なテーマを並べたてることで候補者と支持者の間に合意を形成するのが目的だとすれば、そのような集会は congregation と言うより pep rally であろう。ただし上に書いた通りこういうやり方には大きな陥穽があることも考慮しなければならない。Youtube によればイエスがイーロン・マスクに現れたと言うが、何を言ったかは分からない。私の感じではイエスは教会というものに聊かうんざりしているのではないかと思う。