これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。
“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”
猿の惑星、マッド・マックス、ザ・ウオーカー、マトリックス等々のSF映画に現れる地球の未来は救いようのない荒廃の様を描いている。一世を風靡した漫画「北斗の拳」(松嶋菜々子が司会するNHK-BSの番組が面白かった)の舞台は最終戦争後の199X年というから今となれば過去の話であるが、漫画が世に出た当初は10数年先の未来の物語だった。未来(それには自分自身の将来も含まれるだろう)を語ることは幻滅を語ることになるという暗黙の共通心理がありそうな気がする。子供たちに明るい未来のファンタジーを伝えたいと願った手塚治虫氏にも一時落ち込んだ時期があったが同じ理由からではないだろうか。最近のリアルな世界でも、自国中心主義の伝染と国家間対立の激化・イスラム教国や経済破綻した南米からの難民問題・温暖化による異常気象が原因の天災の多発・繰り返される地震や津波のニュース・プラスチックゴミによる海の汚れの蔓延など、未来にネガティブイメージを抱かせる材料は多い。赤字の国家財政やロボット・AIによる労働環境の変化は勤労者に何をもたらすのか。問題を並べ立てただけの文章で気恥ずかしいが、たとえ意見が分かれても成行きに任せて放置出来ない重要課題ばかり。この上霊界が抱えているゴミ問題まで書くのは気が重い。
フィリップ・K・ディックの原作を映画化したSF映画はブレード・ランナーとマイノリティー・レポートを見た。ブレード・ランナーは桁外れの力を与えられた複製人間が市井に紛れ込んで人間に反逆する話で、レプリカントを演じたルトガー・ハウアーの圧倒的演技が忘れられない。予知夢によって犯罪を未然に防ぐシステムが稼働するマイノリティー・レポートは万遍なく仕掛けられたレーザー光線が人間を光彩によって識別し絶えずトレースする監視世界の物語だが、今の中国では旅行者が出発駅の改札に入る時と到着駅から出る時に顔認証され、自動的に運賃を口座から引き落とすというから時代はこの映画に近付いている。これらの作品は未来のテクノロジーが現在に比べてどれ程驚異的か、同時にそれがどんな矛盾を孕んでいるかを教え、我々に希望よりも不安を感じさせる。
読んだばかりの「ヴァリス」は舞台が1970年代だから大雑把に言って50年も前の事になる。基本的に難解な本で何が言いたいのかとしばしば考え込む。ディックと私は共通点が多いと思うが彼の知識の方がはるかに膨大なので啓発されもする。宗教的ビジョンでは網羅的で通説のまま書き写す程度に留まっていると思う。然し大きな違いは私がドラッグ未経験なのに対して彼はドラッグに深入りし、その影響で何度か自殺を試み精神的に病んでいたことである。本人は言わないが多重人格症と離人症の合併症で、これでは奥さんが子供を連れて出て行くわけだろう。ストーリーテラーのわたしことフィルは作者自身だろう(かといって書いてある事が全部実体験ではあるまい)が、ホースラバー・ファットと呼ばれるドッペルゲンガーがフィルの人格とは別に存在する。訳者は決して霊という訳語を使わないが、フィルの人格がファットになったり、ファットが独立した第三者的な霊になることもある。ファットには他人が見えないものが見え、使徒トマスの人格が現れることもあるし、プラスマテ(ロゴス)が侵入することもある。ファットの記した釈義が巻末に秘密経典書としてまとめてある。その37に次のような文章がある。
被造物は・・・何か不可解な理由でもって、外なることを読み取ることができず、内なる声を聞きとることが出来ない。したがってわれわれは白痴になりはてている。われわれの知性に何かが起こってしまったのである。・・・「白痴(イディオット)」の語源は「私人(プライヴィット)」である。われわれはそれぞれ私人になり、識閾下では別として、もはや<脳>の共通思考を共有していない。したがってわれわれの本当の生活と目的は識閾下でおこなわれるのである。
「かつて人間は五感の外で何が行われているかを読み取り、また音波によらないで伝達される声を聞きとることが出来たし、それらによって形作られた共通思考の基盤を持っていた。しかし今や人間はそういう能力を失ったため情報が共有されることなく個々人に分断された。その結果われわれは相互理解を失った私人即ち愚者ばかりの世界に住んでいる」と言いたいのだと思う。「人間は馬鹿ばっかり」になったという訳である。今は回路を閉ざされた無意識の共通基盤のことをユングは「元型」と呼んだのではないか。
しかしこの能力を相変わらず維持しているグループがあった。「全能の神」麾下のユダヤ人たちである。彼らの世界では現世と霊界とのコミュニケーションが可能だったと思って間違いない。人間が外からの指示に従うことができた。それなくしてニケーヤとコンスタンチノープルで聖書を自分達の都合のいいように作り変えた者たちがいて、まことしやかな信条を生み出し、先行するドキュメントを改ざんして証拠隠滅することは出来なかっただろう。また日本でフェイクの歴史を作り、ダニエルがいたずらして次々と新ヤマト言葉を作り出すことはなかっただろう・・・ダニエルはとっくの昔に死んでいるのだから。
フィルには二人の友人がいる。ケビンは「宇宙は悲哀と敵意に満ちていて最後には誰も悲惨な運命を遁れられない(註*1)」と考えている。デイビッドはカトリックの神父で悪いことは何でも自由意志のせいにする。ケビン・デイビッド・フィル・ファットは Valis(Valid Active Living Intelligence System)というタイトルのSF映画を見に行く。その映画には四人が仲間内で日頃話し合っていて他人に誰にも話したことのない事柄---神が放つピンク色の光、第三の眼、壺等々---の映像がそこここにちりばめられているのを発見して驚く。そこで映画 Valis を制作し主演したロック歌手のエリック・ランプトンに連絡を取ると、受け入れ合否をテストする手紙が送られて来る。それに合格して彼に会うために四人はオークランドへ飛ぶ。私とて自分だけが知っている事を誰か共有できる者がいれば会って話したいと思う。映画を見に行った時もそうだが、飛行機の座席は4人分取ったのだろう。ただしひとつは空席でそこにファットがおり、他人にはなぜ余分な席が必要なのか理解できないだろうが、そのことに作者は全く触れない。エリックの家で妻リンダ・2才の娘・音響技術のプロであるミニと会う。娘は聖ソフィアの生まれ変わりでその名もソフィア。生まれながらに世界の言語に通じている。ソフィアの前ではフィルはフィルに戻りドッペルゲンガーも消える。誰であれ初めて会った彼女に「あの時ああなったのは何故か」と私的な質問すると「それはこうだったからだ」と恰も彼女も一緒にそこにいたかのように返答する。サイババ(コンピューターを意味するサイバーに似ている)もそうだった。リンダは「ソフィアは Valis の子供だ」と言うがソフィアと Valis はWi-Fiでクラウド・コンピューティングしているのだろう。当時そういう言葉はなかった。人間(または人間に宿る霊)はインテリジェント・ターミナルである。
翌日三人は立会人なしで再びソフィアに会う。ソフィアは「私がこれから教える宣布(ケリュグマ)を世界じゅうの人に伝えなさい。邪悪な意志の時代は終わり、人の子が審判の椅子に坐るだろう。これは太陽が登るように確実に訪れるだろう。残忍な王はその狡猾さにもかかわらず、争いの後に敗れるだろう・・・しかし災難と幻影の時代がまだ先にある・・・知恵の時代、知恵の支配が訪れている。恐怖のために口を閉ざせば知恵はあなたたちから離れていく・・・あなたたちが教えるのは人間という言葉。人間は神聖で、真の神、生ける神は人間そのもの。あなたたちはあなたたち以外に神を持たない。他の神々を信じた時代は永遠に終わった」と告げる。
「知恵の時代」の到来はデイビッドに向けて言ったのではないか。そこには新しい認識と覚醒がなければならない。信仰はただ旧弊の枠と慣習を守ればよいというものではない。更に宗教は人間と人間以外の者との関係、遠避けるべき他の神々とは何かを知恵(グノーシス)によって知らねばならない。この後ソフィアはすぐに次の章で死ぬからこの宣布を伝えるために来たことになり、ファットがまた復活するが、ファットはフィルから離れて第五の救世主キング・フェリックスを探し求め世界中を旅して回る。その結果は書いてない。
フィリップ・K・ディックは1982年3月に53才で死んだ。彼がこの本のソフィアの宣布を単に想像で書いたのか小説と似たような体験があったのか本人に聞くすべはない(しかし私はソフィアの宣布はガバメントのガイドラインと酷似していると思う)。霊界がコンピューターワールドであることはこれまで触れて来たし、小説の中に出て来る黒い服の男の存在や鈴の音のことは「ディックもあれを知ったのか」と私を驚かす。ホロスコープについては、会社員時代の友人Mに似た少年が部屋の中でテレビのコントローラーのスイッチをオンすると空間に等身大の人間が出て来るリアルな夢を見たことがある。
リンダは「Valisを作ったのはアルべマス星人だ」と言っているがそんな星の名は聞いたことがない(検索しても出てこない)。この本でロゴスはシリウスから来たと言っているが最近NHK-BSで見たシリウス特集と耳に聞こえた話が結びつく。シリウスは独特な動きをすることで知られていた。小さな白色矮星シリウスBの存在が確認されたが古代エジプト・ギリシャ時代の記録によればシリウスが大きな赤い星と呼ばれていたのは当時はシリウスBの赤色が際立っていたためらしい。しかしそれだけでは複雑な動きの説明にはならないので未発見のシリウスCの存在を仮定する天文学者がいる。シリウスAもシリウスBも太陽と同じく自ら光を発する恒星なので生命がいるとすればシリウスCで地球と同じ惑星ではないか。シリウスBが水素の核融合活動を止めて赤色巨星から白色矮星に変化したのであればシリウスCの居住環境にも著しい変化を与えたことは必定である。以上素人のにわか天文学だが私の耳に聞こえたのはかつてシリウスにいた生命系が住めなくなって地球に来たという話である。手塚アトムの第一話はアトム大使だった。空を覆うほどの夥しい宇宙船が地球に来襲し地球防衛軍と一触即発の危機が訪れる。そこで講和交渉のため地球代表の全権大使にアトムが選ばれるというストーリーだったと思う。宇宙人が地球に食料を求めて侵入しているとの図式がある。宇宙は逼迫している。
「マラキ」の項を書く時エリヤとはエイリアンのことではないかと閃いた。預言者エリヤが「火の馬が曳く火の戦車に乗って天に上った」と言われるのはUFOではないか。UFOは見えない物であるが例外的に見えることがある。イエスはピラトに対し「わたしの国がこの世に属していればわたしがユダヤ人に引き渡されないように部下が戦ったことだろう」と言った。このことを使徒の中で理解出来たのはユダだけだったらしい。預言者ヨハネもエリヤもエイリアンだったと考えればマラキ書の「エリヤが来る」とは必ずしも同一人間が再来することではない。マタイに「天の国は激しく奪われている」とあるのはスターウォーズであろうか。どれだけ自覚があったかは分らないが、ユングがUFOに関心を抱いたのも我々はUFOに乗って来たしUFOで帰るからであろう、もし一生の仕上がりが合格であれば。残念ながらケビンが言うように合格率はまだ低い。仏教徒はキリスト教に改宗するのが先決だが、ある明け方蒲団の中で「それだけではなくエスチューが大事だ」と言われ、聞いたことのある単語だと思ったが思い出せなかった。起きてからオンライン辞書で確かめると eschew evil や eschew flesh の用例があった。酒や肉はおろかドラッグにまで深入りしたディックの仕上がりはどうだっただろうか。この特異な作家を決して低評価する訳ではないが悲観的にしか考えられない。無自覚な者の夥しい敗残の中でも、特に女性たちの惨状が上位者の怒りを買いマリアが責任を問われて苦悶したらしい。作り話ではない。アナ雪の「心のままに」は罠であることに気付いて欲しい。最近も「豚肉を食べ過ぎて豚姫になった者が多い」と聞いた。
「ポルノ」の項(註*2)でレスビアンの動画に出た女性に対し「あんなことをして彼女はゴミ捨て場のゴミになる」と嘆く声を聞き「モーセ」の項でも「地球なんて宇宙のゴミだ」と言われたことを書いた。その予告通り夢でどこか特定できない場所に福島の震災後の汚染土を詰めた黒い巨大なビニール袋のようなものが大量に積まれていて、破れ目から地面に汚水が流れ出ているのを見た。また昨年秋東海道新幹線の止まるある駅で高いビルのホテルに一泊した時も廃棄所からスモーキーマウンティンの煙のような黒い排煙が大気中を漂い、光を遮っている夢を見た。いずれもショッキングな光景だった。「ポルノ」はアメリカの話だったからアメリカにも同様の場所があるのだろうし、アフリカにもあると聞いた。これらは他の星から廃棄物が持ち込まれて捨てられたもので、悪魔のいる場所は公認のゴミ捨て場になったらしい。だから人間は悦楽に溺れないで用が済んだら何が何でも帰還することを念頭に置かなければならないと言いたいのだが、当然ながら別のことを思い浮かべる。かつてオーストラリアがイギリスの流刑地だったように、そもそもグノーシスでいうデミウルゴス自体が記憶を消されて僻遠の未開地である地球に追放されたのではないか、人類が来る前の地球とは神にとって流ざんの場所だったのでないのか・・・ひょっとすると大気自体に記憶を消す有害成分があって地球は敬遠されていたのかも知れない(この本でも大気に何らかの有害成分があるらしい事について触れている)。デミウルゴスだけではなく数多の悪魔たちも地球に送られたのだろう。しかしオーストラリアが牧羊や小麦生産の適地であったように、逼迫した宇宙にとって炭酸同化作用が現行で営まれている地球は生物には有用不可欠な食料の生産地でもあった。
四人の神学論争では
一、神は存在しない
二、そしてともかく神は阿呆だ
と合意された。しかし彼らはこの場合どのレベルの神を論じたか、そもそも神にも上には上があると把握していたか疑問がある。正しい神も絶無ではないが、人間の周囲には神ではなく悪魔がいて神を装い人間の救済とは逆のことをしていた。大王は地球からはずっと遠くにいて直接経営にタッチしていなかったが、今回地球を訪れてこれまでの報告も人間に対するガイドのやり方も嘘ばっかりだったこと、悪魔を軽視していたが事態の重大さを認めたそうである。人間が絶滅状態に近かったのに放置されたのは、命の期間は長いから結果をレビューするのが遅れていたから。日本のメインコンピューターは四国某県にある。
-------------(後記)------------
自分で書いたこの記事をずっと後で読み返してみると、作者のフィリップ・K・ディックとは12使徒のうちの1人フェリペの生まれ変わりではなかったかと思う。使徒トマスが現れた、だとか「秘密経典書」はトマスの福音書に似ていたりする。「いつか必ず人間が審判の座に就く」という予言はガバメントにより成就している。私はガバメントのメンバーに誰々がいるとは詳しく聞いていないし、フェリペがいるという話は聞かないが、あり得ることである。最近(2024年秋)トマスが何処からともなく現れた、という声が聞こえた。このブログで初めてデミウルゴスのことを書いたのも、実はそのことと関連している。ゴミ捨て場とはサチュリコンのことであろう。
-------------(註)-------------
(註*1)人間は皆イカ(catle)の姿に変る。
(註*2)一時掲載したが削除した。