IMITATIO-XP.COM

これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

VR

 ロシアのウクライナ侵攻に関して最初に思い浮かんだ聖書の言葉はローマ書の「復讐は我がことに非ず」だった。刑法でいう「自救行為の禁止」である。しかしフランスが、イギリスが、ポーランドが、ドイツが次々とモート化した時、それに対抗するために一体誰が何をしてくれただろうか。スペインも同じで、セルバンテスは犬族の一員だったが、トップの地位を占めていたモートに向かって「我々の方がお前たちより上だ」と言ったために目を潰された。多分ナノワイヤーでやられたのだろう。彼は日本にいて「故国に帰れ」と言われたが「ヨーロッパには戻りたくない」と拒わり、山に向かってすたすたと歩き出し木陰に座り込んでしまった。彼は盲導犬として子型犬を連れていた。ヨーロッパをこういう結果に導いて、あたかも何事もなかったかのように何一つ記録を書き残させなかったローマ書の作者パウロとは一体何者なのだろうか。ロシアの常識外れに見える行動は長かったパウロの呪縛を解き放とうとする試みではなかったか?世界の耳目を集め賛否は割れるだろうが、何事が起きたのか、その隠された原因は何かについて記録を留める歴史的に最初の機会になった。

 最近パウロがジュラシック・パークの撤去に反対し「それなくしてキリスト教は成立しない」と存続を主張していることを知って、彼に対する新たな疑惑が芽生えた。まだそんな物が現存し利用されているとは思いもしなかった。今も多摩川のどこかの河川敷にあるのは聞いたことがあったが、過去の遺物くらいにしか思っていなかった。しかし日本でそれ以外でもあちこちに今も残っているし、ヨーロッパには日本よりずっと沢山のジュラシック・パークがあるらしい。考えてみれば、ヨーロッパとはイタリア(ローマ)にペテロの、フランスにマリアの、イギリス(ロンドン)にパウロの、各々の本拠があるトリレンマの世界である。以前書いたことだが、アメリカにも多数のモートが浸透し、再放送されたゴッドファーザー3部作の画面に我々には見えない物が映っていて、「沢山の食い散らされた遺体が見えた」という霊たちの声を聞いた。「アメリカに今もジュラシック・パークがあることは言うな」と日本では口止めされているそうである。どういう経過があって残っているのかは知らないが、この邪悪なジュラシック・パークの罠に嵌らないためには、正教プロテスタントも旧約聖書はもとよりパウロ文書を信仰の対象から除外しなければならない。

 フランスを慮って今まで書くのを遠慮していたことが沢山ある。私のニセアバターはベトナムから来ていたが、本来ベトナム人とは親子の情が厚く家族の結びつきを伝統的に大事にする国民だった。日本兵が戦後ベトナムに残留し現地の女性と結婚して子供も出来たが、ベトナム政府の方針で日本兵は強制帰還させられた。帰還した兵隊は日本で再婚し家族が出来た。大分前NHKの番組でこうしてベトナムで生まれた子供が大人になって日本を訪ね、父親の墓参をすると共に異母兄弟と交誼を結ぶ様子を放送した。「もっと早く墓参りに来たかったのだが遅れてしまって申し訳なかった」と詫びる素朴さに感動した。ベトナムは戦前フランス領だった。マルグリッド・デュラスはモートだったと聞いたが個人名を挙げるのは遠慮していた。フランス人はマリア信仰とモートをベトナムに齎したのだった。私のニセアバターがマリアの陰謀の片棒を担いだのにはそういう背景があった。最近、彼が福島に遊びに行ってたった一晩で一千万円もカードで使った記録があるという情報を聞いてあきれた。人間は誰もがあらぬ借金で地獄に落ちる仕組みなのである。パリはヨーロッパの中心だから旅行で5回行ったが夫婦だけでフランス一周した個人旅行が一番印象に残っている。何も知らなかったからその時鉄道でボルドー、カルカッソンヌ、ルルド、マルセイユ、リヨンと周り、パリビジョンの一泊二日のバス旅行でロワール川沿いの古城を観光して最後にモンサンミッシェルに行った。あの旅で最も素晴らしいと思ったのは半壊した橋が青いローヌ川に懸かっているアヴィニヨンでの2泊だった。こうしたツアーには付き人の霊たちだけでなく余計な友達も連れ込んでいつも何やら大遠征隊になるのだが、その費用がまた私の負債になるのである。人間はなぜこんな金食い虫を頼みもしないのに抱え込まねばならないのだろうか。こういう仕組みを作ったある方(Mr.Somebody)とは誰なのか。霊たちの中でフランスに行って以来態度が急変した者が多く、その理由は「神なぞいないと判った」から。かつて夢で、パリの一郭と思しき場所に停車した冷凍車の半開きのドアから見えた、きれいに洗ってフックで吊り下げられて並んだ首のない人体の列を霊たちも実際に見たのだろう。もうフランスには神が送った人の子のうち申し訳程度に150人ばかりが某地域にいるだけである。これで「自由・平等・博愛」と言われても何の事かと思ってしまう。

 現在アメリカで堕胎を女性の権利として認め無罪にするか選択の余地なく有罪にするかが議論されている。H8の項でトマス・モアが処刑されたことに触れたが、その刑のやり方が余りに酷くて詳細を引用するのが憚られた。しかしこの件は堕胎の話題と関連するので取り上げる。ヘンリー8世の下で有罪とされた罪人はまだ生きているうちに男根を切り取られた上で処刑された。日本だって敵の首を取ることは戦国時代に当たり前だっただろうが、こういう話は聞いたことがない。読売新聞のホームページにある発言小町という読者投稿の掲示板で「子供の頃妹と人形遊びをしていると階段の上から小さな少女が見ていた。『一緒に遊ぼう』と言うともう隣に座っていたが不思議には思わなかった。それから日替わりで何人かの子供が来て遊んだが中には手足の欠けた少女がいた」という記事があった(再掲)。手足の欠けた少女とは堕胎による掻把で手足を失った子供であるが、ちょっと考えれば想像できるように掻き壊されて死んだ者もいる筈である。霊に対するこのような罪への罰は重い。霊が胎児に宿る前であれば堕胎は安全であるという論理は成り立つだろう。トーマス・モアは性器を失った自分の霊体を見ただろうが、中国人ならば更に次のように考えるかも知れない。鶏は殺す前に熱く熱した鉄板に足を接けてたっぷりと恐怖感を味わわせ、神経を最大限に刺戟してから締めるとより旨くなる。そのように、死ぬ直前に味わった恐怖と苦痛によって供物としてのモアは悪魔をいたく喜ばせただろう、と。「プライバシー」の項に書いたオクトパシーは宗教の中に紛れ込んでいる。カズオ・イシグロさん、最後はどうか長崎でお迎え下さい。

 ヨーロッパがモート化した記録はわずかにフィクションの形でオーウエルの「1984年」に書かれただけと思っていたが、「アバターは邪悪」の項に紹介した World in World でハクスリーも書いていたことに気が付いた。この本は大学1年の英語のテキストでもうとっくに始末し今は確かめようもないのだが、そこで tantalizing effect や entangling allianceという言葉が出て来たのを思い出した。既に紹介した通り、この本はハクスリーが戦間のドイツに滞在していて見聞した様々な出来事を記録したものであり、公式発表だけではなく当時のドイツ人の間で秘かに、だが口から口へと半ば公然と囁かれていたうわさ話も書き残してあった。6月のある夜私は胸苦しい夢に襲われ、無理やり自分を夢から引きはがすようにして意識が戻っても、脳を何かで締め付けられて頭を抱えたくなるような苦痛を味わった。状況は違うが同じことは以前何度も起きた記憶があった。夢の中で45人の小柄な女たちを見たのを目が覚めても覚えていた。そして私の指先にはぬめぬめした女の秘部の感触がはっきりと残っていた。その夢が体験者に与える独特の耐え難さをハクスリーは tantalizing effectと表現し、そこには複雑に入り組んだ敵味方の関係(神vs,悪魔、真実と嘘、ドイツ人vs.ユダヤ人、ユダヤ教vs,キリスト教、人間vs,動物、カトリックvs,プロテスタント)があることを entangling alliance と表現していたのだと思い当たった。その夢は男に対しては生々しいエロスの実感を与え、女(特に生理期の)に対しては情欲を熱く燃え上がらせ、愉楽のトリックを仕掛ける Virtual Reality ゲームであった(何故なら実際には人間はそんな場所にはいないで布団の中で寝ているだけだから)。現在とある大学でロボットが手に取った物の質感を別室にいるヘッドギア着装者が感じ取るシステムの開発が試行されているが、悪魔はその技術を既に持っていたのだった。人間の脳のどの領域を刺戟すればどういう反応が起きるか、どこが性的興奮の領域かを分かっていたに違いない。心理学がフランスやイギリスよりドイツで発達したのはドイツ女性の方が生真面目で、そんな体験に深刻に悩み医師に相談したからだろう。しかしフロイトの解釈は原因を女性自身の内部に求め潜在意識や自意識や抑圧された願望で説明しむしろ女性を追い詰めたのではなかっただろうか。実際の所これは睡眠中に侵入したモートが人間の脳にピンポイントで与えた外的刺戟が原因だったのだ。ドイツ人はそれをユダヤとの関連で考え仲間内で意見が一致していたが、筋道を立てて他人に分かるように説明する論理が見つからなかった。そのため記録にはなく世界は当時のドイツ人独特の人種差別としか理解しなかった。今のロシアもこうした状況は同じだと思うが、ロシアが盛んに敵を時代錯誤的にナチ(もうあんな形で復活することはないだろう)と呼ぶ意図が私には解らない。ユダヤをキーワードとすれば両方とも反ユダヤである。何か秘められた狙いがあるのだろうか。

 女たちの記憶と指先の感触といまいましい性的興奮に加えて6月の夢で陥ったのは「こんなことをしていると俺は駄目になる」というネガティブな発想だったが、同時にバックグラウンドミュージックとして長々と垂れ流されるはやり歌だった。「1984年」ははやり歌についても触れている。それは例えば「湯の町エレジー」であったり「めんこい仔馬」であったり「愛のくらし」であったり選曲は出鱈目で何のルールもないようだが、私のような人間には目が覚めても歌声がうるさくまた煩わしく付きまとう。オーウエルはその歌の中に組み込まれている「ジンバラブー」というリフレインに気が付いただろうか?ヨーロッパでも「ジンバラブー」という言葉を聞き取った者がいて一時話題になったらしい。この言葉はジンバブエの遺跡やブードー教的な魔術を連想させるが、流石にその出所や対処法までは私には分からない。モートはやはりピグミー(またはヨーロッパの歴史に現れるドワーフ)だったのではないか。ヨーロピアンなら酒を引っかけて寝てしまう所だが、私は酒を飲まないので不眠が後を引きどうしても昼寝で睡眠不足を補うしかない。

 パウロは使徒言行録にも出て来る。
私が紹介した「1984年」に「ウインストンが街を歩いているとやせた小男が檀上に立ってアジ演説をしていた。男は党とB.Bを称賛し、(オセアニアが)イースタシアと同盟している党の方針は正しく裏切り者ゴールドシュタインと敵対国ユーラシアの非は厳しく糾弾されなければならないと長広告を揮っていた。その時突然オセアニアはイースタシアと交戦状態に入りユーラシアと同盟関係に入ったというニュースが流れた。しかし檀上の男は何事もなかったかのようにイースタシアへの誹謗中傷を並べ始めユーラシアとの同盟関係のメリットをよどみなく語り続けた」という抜粋がある。パウロとはこのやせた小男のような卓抜した二枚舌人間ではないか。改めてオーウエルの洞察のすごさに震撼するパウロさん、個人的な疑惑だが貴方はこの悪質で下品な VR の魔術に関与していませんか?

 ロシアのウクライナ侵攻に対し、ドイツ系のある女優が「全体がどうなっているかを考えもしないで、私たちを殺したいなら殺せばいい」と言ったらしい。若い頃好きで新しい作品が封切られると必ず映画を見に行ったアメリカ人の女優がいる。ある時彼女のアバターと思しき女性が覆いかぶさるように目の前にいる夢を見た。彼女は私とそうは違わない年齢だが、アバターの顔は本人と輪郭が似ているものの顔中にタテ皺が寄り皮膚に潤いがなくすっかり老け込んでいるのに驚いた。モートは本来短命なので、人間の平均寿命まで生きてから死ぬと身体から抜け出て来る時霊体はよぼよぼになっていると聞いたことがあり、彼女もモートだったのかと驚いた。「悪いことはしない」と決心して人間になったという日本のある女優は昔アイドルだった。私は彼女を武道館で近くから見たことがある。彼女もモートであることは多分間違いないだろう。彼女がこのブログに対して何を言ったかというコメントが時々伝わって来る。モートについて悪いことを書くと「そんな事をしてはいけない」と悲しむが、全体的によく調べて根拠のある文章を書いていると認めてくれているようである。タダでこんな厄介な難題と取り組んでいる苦労に同情し「ロレックスの時計をギフトしたい」と仰っているらしいが、腕に馴染んだカシオの電波時計で不自由しておりませんし、もうお会いすることは決してないでしょう。そうかと思えば光り輝くモートの少年が現れ「イェーイ」とVサインしてサッと消えたことがあったが彼はモートの王子だったらしい。モートと言っても一口では言い難く我々にとって敵と味方があるだろうし、気に入ったタイプの女もいるだろうが、もうそんな区別に気を使わないことにした。「プライバシー」の項に書いた、私が根こそぎ奪われた財産とは来る時に全資産を処分し換金して作ったもので、先に来ていた仲間たちの中で困っている者には手当てし、帰る者たちのためには旅費に当てるための準備金であり、莫大な金額だったと知った。