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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

ムネモニックな人間

『私達は、校庭に集められた小学生のように勢揃いした、日本語を話す仲間だった。かなり大勢だったと思う。これから出発することは分かっていた。然しどこからどうやって来たかは分からない・・・その時は分かっていたのだろうが。係りの大人が私達に宗教別に並ぶように指揮し、私の属する仏教グループは一番数が多かった。近くにいた一人の大人が私に話しかけ、「今の仏教はもう本来の志を亡くして崩壊しかかっているのだよ」と言った。私はそれに返答しなかったが、事情は了解している、と内心思っていた。そばにいたもう一人の大人がそれに反発して、「そんなことはない、昔とほとんど変わらない。人間が厚く仏教の教えを尊重しなくなっただけだ」と言った。最初の大人が「まあ何を言っても、ここで話したことは誰も覚えちゃいないさ」となだめた。なだめられた方はまだ割り切れなくて、「しかし人間だけが悪いのではないかもしれない・・・」と呟いていた。私は、自分は少し他人とは変わっているから、この会話を忘却しないで覚えているかも知れない、とひそかに思った。

そこに集合した各人には個々に既に予定された行き先の日本人女性があり、私自身もこれから私の母となる人の胎内にいるまだ未熟な胎児に宿るために下って行くのだが、これから私の両親となる人間が仏教徒だから、私が人間になるが故に私と一緒に人間界に下りて霊として仏教に奉仕する任務を負う、同じ所(国)から来た多数の仲間が別の離れた場所にいて、同時に出発の準備をしているのを知っていた。』

これが私のこの人生の最初の記憶である。いや、そのかなり前に、私はひとに連れられて人間界に来て「これがお前の母になる人だ」と教えられたかすかな記憶がある。推定すると母はその頃東京吉祥寺の生家に住み、まだ結婚していなかっただろう。丁度その時母は機織りをしていた。私は母にとり付いて機織りの作業を自分でもまねてやってみたが、あまりに単調な動作の繰返しで自分にはこの作業の適性がないと訴えた。親の仕事をやらされると思ったから。すると、「お前が来る時にはもう時代が変わって、こういう仕事はすたれている、それにお前は男だから」と、その仕事の能力がないことを責められはしなかった。後日私は母の織った絹の反物を目にした。その訪問の時一番印象に残ったのは人間の持つ体臭だった。食物から来るものだろう。特に厭な方は男の匂いだった。男は酒や煙草を飲む。

人間になる権利は有償で手に入れたものだとパウロは書いている。私は昭和16年12月生まれで、当時私の家族(父、母、二人の姉、兄)は金沢に住んでいた。途中どうやって来たかは覚えていないが、私はそこで案内の男性からとてもやさしい女性に引き渡された。そしてすぐに母の胎内に入れられた。霊は物質を通過する。胎児が成長するにつれて、身体が私を包み込んだ。Embed という英単語が思い浮かぶ。

胎児の体が何カ月目の時、霊と肉が合体するのか。この問いに「三か月!」とある女性が反射的に答えた。 これまで書いたようなことを人前で話すと、誰もが眉を寄せる。入学前の子供の時家族に話をしたが誰の同調も得られなかった。小学校低学年のクラスで話した時、先生も生徒も興味を示すことは示したが、積極的に賛成する者は一人もいなかった。記憶にない、だからそんなことはなかったに違いない、故にお前の意見は肯定出来ない、という反発が共通の認識であることを悟った。貴方達もそうだったのだ、忘れただけだと言っても納得してくれない。以来、反感を買わないためにこのことは話さないようにしていた。

65才になって埼玉の教会に通い始めた。洗礼を受ける前のカテキズムの勉強会で、キリストは神であるかどうかで議論したことがあった。私は神であろう、と言った。自分の経験から霊肉二元論の正当性を述べ、見えない世界は人間の想像をはるかに超えたピンからキリまでの霊の存在する世界であり、その最高位のレベルの霊が来てマリアの胎児と合体したのであろう、と。(ヨハネも神は霊である、と言っている)勉強会は回を重ね皆は私の意見を素直に受け入れてくれた訳ではなかったが、途中から既に洗礼を受けた女性Aが興味を持って参加し、彼女は私を支持した。私が霊肉合体の時期の問題に触れた時、彼女がそれは3カ月の時だった、と発言した。図らずも同じ考えの仲間を見つけた訳だが、3カ月であるかどうかについては私は確信出来なかった。Aさんが言うには、以前似たようなことを言う宗教的指導者がいて、彼女は彼の意見を抵抗なく受け入れ、「では宿った時はいつでしたか」と聞かれたのに、迷わず「3カ月の時」との答えが口から出たという。

アンディ・ガルシアが裁判官の役を演じる「揺れる評決」という映画があった。若い女性が望まぬ妊娠をして堕胎したことに対し「生命の尊厳」の観点から告発され、彼女は「産まない選択の自由」を根拠に無罪を主張する。裁判官は胎児に魂が宿る以前なら堕胎は罪にならないと、被告に有利な判決を下したと思う。Aさんの説が正しければ、その妊娠はまだ3カ月以内だったということになる。

胎内で次第に成長していく間、やさしい女性霊はずっとそばにいてくれた。私達は話をした。(イザヤ・エレミヤも胎児だった時に神の声を聞いたと述べている。)途中誰かが訪ねて来て経過を尋ね、良好だがまだ安定していないとか、もう大丈夫だ、母親が堕さない限り、でもそんな心配は必要なさそうだ、などと話しているのが聞こえた。母の声や、近くにいれば父やほかの人の声も聞こえて理解した。間もなくひどく狭苦しくなり、生まれる時が来たことを告げられた。これから羊水のない空気中に出ていくと言われたが信じられなかった。出産は子供にとっても難事だった。女性の霊に促されて産道に首だけを入れると首を締め付けられ、あまりに息苦しくなって戻ってしまい叱られた。右肩を上げ首を右に傾けて肩に乗せるように教わり再度試みると、今度はすんなりと身体全体が産道に出てそれ程困難なく通り抜けた。パッと目の前が急に明るくなった。盥に敷かれたゴムのシーツの匂いが強烈だった。その時41才の母にとって二人目の出産だった。

こうした生前の記憶をもつ者を「ムネモニックmnemonicな人間」と呼ぶそうである。このことについては後でまた触れるだろう。生まれるに当って魂は一旦過去の記憶をすべて消されるが、その後訪ねる国の言葉を学び初歩的な知識を習得して人間になる準備をするようである。

私は単に原罪のために落とされたのだろうか。それとも何か目的があって日本の一仏教徒になったのだろうか。そして仏教は合目的な宗教なのだろうか。

(追記)
この項目を記述した時敢て書かなかったが、思い直して「14・改修後」に書いた重要なことがある。また「46・苛酷なまでの真実」を書く時にさらに記憶が蘇って、この項に先立ち私が手を引かれて学校に着き日本語の授業と指導を受けたことを書いた。