これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。
“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”
エレーヌ・ペイゲルス「悪魔の起源」を手に取りまずその冒頭部分を数ページ読んだだけで、キリスト教はユダヤ教と本質的に一体であるとする先入観と、それに対し一抹の疑問を差しはさむ余地さえない確信にたじろいた。まるで悪の企みを上塗りし強化するような作業ではないか。「この本は多くの宗教学の同輩が下読みし彼らの有意義な助言によって完成した」とその協力に感謝しているが誰もが同じ考えだったのだろうか。オーウエルは「1984年」で「イエスの父なる神は旧約の主と同じであると二重思考すればいい訳だ」と対立物統合のトリックを見破っていた。同様に「サタン=悪魔」の定義も全員異議なしで皆に共有されたアプリオリな前提だったようである。この本のタイトルは ”The origin of satan” であるが訳者もその一人なのだろうか。
ペイゲルスの「キリスト教は対立する相手を悪魔呼ばわりする宗教」とする見方に対し、仲間内で「キリスト教は愛の宗教」と反論する学者もいたらしいが、どちらも的を射ていない。敵対する相手であっても愛をもって接すれば相手側の譲歩も得られ、平和的な共存が可能であろうとイエスは考えたのかも知れないが、歴史的現実を見ればその見通しは甘すぎて敵の奸計の方が上回っていた。いざ彼らを相手にしてみれば考え方が根本的に違う不倶戴天の敵だったし、悪魔の手口は予想以上に計画的で狡猾だった---「1984年」でオブライエンと対決したウインストンが負けを自覚したように。キリスト教は乗っ取られ救済の事業は挫折したと言われても仕方ない。そうした背景からジハードを標榜するイスラム教が生まれたのだろう。バチカンでさえイエスは過去の人間扱いだった。一時イスラム世界で進歩的な科学が発達し優れた思想家も輩出して、神の恩寵が下りたと思わせる時期があったし、堅い守りのお陰でなしくずしに悪魔の策略に冒されるようなことはなかった。特筆すべきことだが、仏教の餓鬼道や歪曲されたキリスト教の裏側であった、幼児や女たちが悪魔の餌にされる犠牲はイスラム世界にはなかった。
我々にはイスラム教は寛容の精神が全く欠け余りに独善的で過激過ぎるように見え、礼拝時間や食事や服装や女性との関係や偶像崇拝禁止のルールに、そこまで形式的な厳格さが必要なのだろうかと思う。彼らは暗黙の裡に他人にもそれを強要し、教祖を漫画に画いた外国出版社が襲撃され、被害者が出ても当然と見做される。世界中のどこかで反イスラム的な本が出れば一方的な欠席判決によって著者や翻訳者に対して死刑宣告が下され、刑罰が執行される(私も下手な事は書けないだろう)。敵対者や報道関係者に対するアルカイダやISのむごい暴力はしばしば公開されるが余りにも残酷で見ていられない。タリバンによって米国貿易センタービルになされた破壊行為では巻き添えに対する憐憫は微塵もなく人間理性の限界を超越している。他の文明国では考えられない女性に対する厳しい差別もイスラムの特徴である。ブルカを初めて実際に見た時は驚いた。まるで布製の監房を着た人が歩いているようだった。女に自立を助ける教育の機会は与えられない。NHKの番組でサヘル・ローズさんがシリヤやパキスタンを訪ね、イスラム女性の地位の低さを訴えていた。親のいない娘が犯されても誰も犯人を罰する者がいない。ローズさんの叔母さんが彼女の義母になった時には「他人の子を養子に出来るのは自分では子供を産めない場合だけ」というルールに従って健康な子宮を取らねばならなかった。この宗教に21世紀及び未来の世界を託せるだろうか。しかし私はこのブログをここまで書いて来て、終末はもう真近に迫っているような気がして来た。末日聖徒もそう考えているのではないだろうか。結果的にアラーが受け入れたイスラム教徒は救われて、まとまりの悪い我々は救われなかったというようなことにはならないだろうか。
やはり戦いは避けられなかったというのが Lesson lerned であろう。ガバメント・連合軍・人間グループは結束して旧支配階級である悪魔・モート連合軍と対決した。友達を殺された少年グループもこのままでは自分たちが次に殺される番だと必死で戦列に加わった。女たちも行ける者は加勢し行けない者は多くない貯えの中から金銭的に協力した。それ以外の種族は争いに巻き込まれないよう遠巻きに傍観していた。これが主たる戦いの大体の様子だったと思われる。結果的に旧支配階級は敗北を認め革命軍は成果を上げた。戦いの常であるが戦後処理で横暴な旧支配者及びその協力者に対する残酷な刑罰は避けられなかった。しかし決してモートが全面降伏した訳ではない。支配の道具であったナノワイヤーによる策はやはりあって、「シャドーボクシングするとたいてい引っかかる」と言っていたそうである。まだ世界の趨勢がどうなるかは予断を許さない。
もう凡そ1100年以上過去の話になるが、最初にモート族と人間が対峙した時人間は背の低い二足歩行の動物を全く見くびっていたそうである。しかしいざ戦闘開始となると人間の前列がばらばらと裁断されるのを見て恐れ戦き、訳も分からず逃げ出した者だけが助かったそうである。まだ日本では物々交換の時代である。それからモートは不思議な業をデモンストレーションし、人間たちを屈服させた。たとえば稲を見えない糸で刈って見せた。彼らはただの鼠ではなかった。以来人類は受け入れ難い命令にも逆らえず、現世で人間の女性が胚胎するとモートが優先的に胎児に宿り、次々と生まれる順番を待つ長いモートの列が出来た。霊界の女はやる気のない男を叱咤激励して妊娠し産まれた子供を差し出さねばならなかった。これはついこの前まで続き、このことをやっとこのブログが暴いて表沙汰になったのを喜んで涙を流す女が見えた。日本だけの話ではない。ドイツで女が「死んだ方がましだというような目に会わされる」と言った所「それならお前達を殺してやろう」と、女が殺されて食われるようになった。オーウエルは「1984年」に「母と妹はいずことも知れず連れ去られた」と書いたが、他のヨーロッパの国々の状況も同じだったと思う。女性の気の毒さは目に余る状態である。しかしオーウエル以外に誰か気付いた者はいないのだろうか。人間は死んで審きを受けるより前に脱出出来るかどうかが問題だとしきりに言っている。これは先ずナノワーヤーの罠を遁れなければならないことを意味している。
江戸時代の侍は刀を武士の魂と呼んで珍重した。刀を作る刀鍛冶は鍛冶場に神棚を祭り、まるで神事に携わるような気構えで刀を鍛錬した。武士は剣道を第一の修行の道として体と精神を鍛えた。これは霊界で日本刀によってナノワイヤーに対抗出来るようにするためではなかったか。鍛えに鍛え研ぎ澄ました妖刀村正はナノワイヤーを断ち切ることが出来た。私は自分の乗っている車や日常使っているベリータの浄水器を夢で見たことがあるし、最近の夢では皆マスクをしている。この通りこちら側で人間のすることは霊界でアバターもしていることだから、侍はあちら側にも自分の刀がある。江戸時代とはナノワイヤー対策を無意識のうちに実行している時代だった。
オーバーフロー(2)に書いたようにアメリカにも多数のモート人が存在する。アメリカで拳銃が一般化したのはモート対策ではないか。ナノワーヤーについて私を目覚めさせたのはSF三体(1)だった。中国にも特別な超感覚者がいるという記事を読んだことがある。今日の中国は監視カメラが万遍なく仕掛けられた国である。ナノワーヤーの罠を事前に見つけることは困難だが、事故が起きたあとで映像をリールバックして誰が仕掛けたかを特定し、犯人を罰して再発を防ぐことは出来る。心配し過ぎだと思う人もいるだろうが、とにかくモートの罠はあちこち今でも想像以上である。霊界では「うろうろ出歩くと怪我するよ」と言い合っているし「人間界はナノワーヤーがなくて羨ましい」とも言っている。
Youtubeでアメリカ人の一マジシャンがネパールを訪ね、空中浮揚が出来るという修業僧を探し歩く一部始終を追った記録動画を見たことがある(現在はないようです)。彼は街角でマジックを披露して人々を驚かせながら「これはマジックだから仕掛けがある」と超能力者を気取る気は全然ない。修業僧の家が何処にあるのかあちこちで尋ね、遂に僧の住む場所に辿り着く。マジシャンは僧と対面し首にかけたネックレスを頭越しに脱ぐのでもなく、留め金をはずすこともなく、恰もネックレスが首を輪切りにして外れたかのように見えるマジックを披露し、手にしたネックレスを僧にプレゼントする。僧はお返しに空中浮揚を実演することを承諾する。僧は胡坐をかいたままマジシャンの目の前で地上約20センチ位の高さまで宙に浮き、驚きの表情をしたマジシャンは僧の周りを時々屈んで僧の足元を覗き込みながら、ぐるっと見て回る。時刻は昼間で室内は結構明るい。カメラは近い距離から二人の行動を途切れることなく追っている。見終わってマジシャンは興奮しながら「なるほどワイヤーは使っていないな」と言う。まだ僧の超能力を信じた訳ではないが、トリックは見つからないという態度である。
国譲り神話でタケミカズチが十束の剣の切っ先に胡坐をかいて座り出雲神たちを驚かせたというパフォーマンスもナノワーヤーを使ったトリックだろう。空中浮揚のことを英語で levitationと呼ぶのは空中浮揚がユダヤ教レビ族のおはこだったことの傍証になりそうである。
こういう記事を書いて世間に公表している私は彼らの憎しみのターゲットである。支配的地位にあった頃彼らは私をこき下ろし「人間として不気味な怖しい生活をしている気の狂った危険人物」と言いふらしていた。一緒に来た仲間が集まって野球の対抗試合があるという連絡が入ったのでグランドに出向くという夢を見た。しかし行ってみるとベンチには日本人形を展示するガラス箱のような物がずらっと並んでいて、おのおの透明な箱の中には大きなこけしのような人型が入っていた。目が覚めて何の意味かと思案し、これらの仲間はもうみんな犠牲になったという意味だろうと考え、無念だった。最近私が何処から来たかを教える者がいた。太陽系のある星で太陽からは随分遠い。大分前旅行の番組を見ていてつけたまま寝てしまった。すると番組に出ていた女性タレントが夢に出て来て「めったに直接話す機会もない地位の高い方だった」と言っていた。私の秘密を公にしゃべる気はない。有名な元放送記者である文章家や、歌手でありタレントの男性も私と同じ母星であるらしい。彼らにも知らせなければと思うが未だ連絡していない。私の匿名の手紙を受け取った女性が「悪魔に食われるなんてこの人言っていることがおかしい」と拒否反応を示したらしいが、彼らは受け入れてくれるだろうか。名声を宛にして寄付をお願いする意図はさらさらないのだが。
クレムナの予言にある「イメージの映る箱は霊界に近い」という言葉はしばしば実感する。テレビで見た人物が良く夢に出て来る。本人に確かめた訳ではないが、その中でも鮮明に現れる人物はこのブログを読んだ方ではないだろうか。上に書いた中で、一目でサヘル・ローズさんのアバターとわかる、彼女より少し年かさの女性が身近に現れた。イスラム女性が身にまとう顔だけを出した黒いチャドルを着ていた。NHK-BSのアナザーストリーズのことは一度このブログに書いたが今も時々見る。最近司会者の女性のアバターが特別にはっきりと現れた。人間と同じに真面目で直情的な顔で、比較して悪いが夢の女性の方がもっと美人だった。夢の中での出会いは心と心のふれあいでありこのお二人に会ってみたい気になるのも無理ないが、余計なことはしない方が賢明だろう。御殿とよばれた美空ひばりさんの家に招かれた夢は特別な経験だった。彼女が自分の働きで建てた家は同じような家があちら側にもあって彼女の所有なのだろう。時々緊張を解いた時に見せたのと同じ彼女の笑顔が印象に残っている。我々の世代は姉たちがまねて歌う「悲しき口笛」や「あの丘越えて」を聞きながら育ったのだった。彼女にはどんな歌でも歌いこなして聞かせる才能があった。注目を集める立場だから色んなことを言われるのも仕方ないが、筆跡は丁寧で美しいし、日本人で彼女を悪く思っている者はほとんどいないのではないだろうか。
しかし一般的に言って旧体制が作り上げた女性のあちら側での運命は苛酷である。そのやり方には人間へのあらゆる悪意が籠められている。霊界で女は性の道具でありただ繁殖の手段でしかない。もしサヘルさんや女性司会者に会えるならそのことを伝えたい(彼女たちのような女性には気付いて欲しいが、どうぞ貴女のご自由にという人もいる)。仏教で食は支配の手段に使われ、食べる楽しみや喜びは剥奪される。腕を(おそらくナノワイヤーで)切り落とされた元料理人を多数見た。腐った魚を食べさせられたと言うが何も腐るまで待たせる必要はないだろうに。それどころか最近「やっと泉に水が湧き小川が流れるようになった」と喜ぶ声が聞こえた。どういう方法で止めていたのか知らないが、水さえも自由に飲めなかったのだった。
どうも一緒に来た仲間たちはシャッフルされ離れ離れになったようだった。どこの家にも人物評価のために派遣された女たちがいて、私を「だらしがない」と評価した女に対し「この人はだらしなくはない」と抗議する者がいた。しかし女は「何か欠点を書かなければ突き返される」と返答していた。私を酷評した文書を書かせ、それを根拠に処罰されても当然と主張する算段である。記録するのは赤の他人だから上からのガイドライン通り出鱈目な評価をすることにも抵抗が少ないし、味方は私や財産を守ることも出来ない。だから杜撰な管理で心当たりのない借金が残っていたりする。「名前があるのは悪人だけ」というルールがあり、善人は殺されても誰が死んだのか分からない仕組みである。モートと元ユダヤ人による旧体制は世界を悪魔だらけにしたいと画策していた。これまでは嘘と強制と恫喝とモラル崩壊の世界だった。そんな腐り切った体制を変えようと戦いの組織作りと指導をしているのがガバメントであり、それはまさに革命だった。
世界的に有名で作品が芝居になって上演されたこともある作家は犬族だったが、ルールに従って名前は言わない方が良いだろう。「イボンヌは人間になった時人柄も良く魅力的だった」と同族の女の思い出を語るそうである。もといたヨーロッパの国へ帰れと言われたが、帰りたくないと森の木陰に座り込んでしまった。日本の方がまだましなのだ。犬族はモートがその地位に就くまでトップだった。
上述したような次第でこの国でもモート人は多く、誰々はモートで誰々は悪魔だったということも知ったが私だけの秘密でなければならないだろう。大多数の女は何処から来て何処に戻るのか、無神経に喋る気はしない。イギリスは何故オーウエルが「1984年」に書いたような世界なのか。言えることは聖書も仏典も欽定訳も孔子の言う「巧言令色鮮し仁」なのである。
日本のある地域はモートの地盤で戦いのあとも立ち退かないそうである。地名を明かせば逆に逆恨みされるだけだろう。マリアは女たちのグループを作りイエスに反発しているらしいが、その理由は何か。賢者と言われるソロモンは何故宝物を隠したのか。コロナヴィールスとは一体何なのか。竹内結子さんは何故自殺したか・・・・
他人に言えない秘密ばかり抱えてしまった。それ故に、願わくば私が何者かを、どうか詮索しないで欲しい。
-------(付記)-------
私がこのブログにしきりにナノワイヤーのことを書くので上から調査の指令があった。その結果ワイヤーの工場の場所が分かり、工場は爆撃されて破壊されたらしい。