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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

ケルビム

 「ヴァリス」の項で「かつて人間は五感の外で何が行われているかを読み取り、また音波によらないで伝達される声を聞きとることが出来たし、それらによって形作られた共通思考の基盤を持っていた。しかし今や人間はそういう能力を失い、その結果情報は個々人に分断され普遍性を失った」というP.Kディックの考えを紹介した。基本的に人間には誰でもオカルト的能力が備わっていて、数多のダブルバイターがどこにでもいたし(私は古いタイプの人間だと言われる)、それが当たり前だったのである。だから霊界の事象のうち人間の立場から見ておかしいと思う点を人間が問題提起し、それを受けて人間界の基準に照らして霊界のルールを是正することが可能だった。また人間の進歩によって自然界の秩序が変われば霊界の秩序もフォローアップ出来ると考えられた。だから気付いた者が言わなければならなかったのである。哲学者の仕事はこの問題提起の役割を担うことだったが、哲学は求められた本来の任務を忘れて空理空論的思念に傾斜して行ったというのが実情であろう。

 このブログを読んだことのある方は水増ししても4~5百万人位で、あとの一億一千万の日本人はこんなブログがあることも知らないと思う。私は仏教を経営理念に用いて成功したMr.クレサンベールや聖徳太子の紹介に情熱を注いだもと九大教授が今はどんなに呻吟し後悔しているかを知っているし、101才まで生きた北関東出身の元総理が「復讐だ」と言って仲間を募っていることも知っているが、「私も彼らがそう言っているのを知っている」と声を挙げて話を合わせてくれる同志を見つけるのは困難である。だから私なんて見て来たような嘘を吐く空想家と見做されたし、今どき医者が「死後の世界は本当にある」と書いた本が出ている。他人の知らない霊界の話をすれば「得意がっている」と非難されることがマタイに出ている。もし間違ったことを言えば後で重いペナルティーがあると思わせ用心深く慎重に控えさせる心理操作もある。同じく「ヴァリス」でディックは「恐怖のために口を閉ざせば知恵はあなたたちから離れていく」とソフィアに言わせている。現状維持を望む勢力は霊界で何と全く別のニセブログを作りそれを私のブログであると喧伝して、役に立つ記事が出るのを待っていた人たちの期待を裏切り失望を買っていたようである。

 イカという名詞には「烏賊」という字を当てる。「賊」というのは悪い仲間という意味で、山賊は山で悪事をする連中、盗賊は盗人(ぬすっと)の集団という意味である。従って「烏賊」とはカラスの悪い仲間という意味になるが、それをイカと読む。このことはイカとカラスが同じ悪事をする仲間であることを暗示している。お山のカラスはかわいい七つの子くらいしか思い出さないが、日本の歴史上で意味のありそうなのはカラス天狗である。天狗とは天の犬の意味である。牛若丸が鞍馬山でカラス天狗に剣術を習ったとか、昔は山から都に降りてきて猛威を振るったという伝説がある。日本人なら誰でも容易に山伏装束で背中に羽を生やしイカのように尖った口ばしのある顔をして、背のうを背負い手に錫杖を持ったカラス天狗の姿を思い浮かべるだろう。彼らは額に虎の巻(トーラーの巻物)の入った小箱を結わえ付けている。鎌倉の建長寺やその他の寺にカラス天狗の像がある。八王子の高尾山もカラス天狗崇拝の場所で山門に天狗の面が飾ってあり、その赤い大きなお面についた高い鼻はユダヤ鼻と呼ばれる。高尾山がある影響で私には八王子は禍々しい場所に感じられる。エゼキエル書に
「わたしはおまえを油注がれた守護者ケルブに任命した。主となってから不正がみつかる時までおまえがやったことはみな完璧だった。しかし莫大な富に目がくらんでおまえは罪を犯した。そこでわたしは普通の罪人と同じようにおまえを神の山から追い出した。ああ、すぐれたケルブよ、おまえは自分の美しさを鼻にかけ、思い上がっていた。栄華のために自分の知恵を台無しにしてしまった。それゆえにおまえをたたき伏せ、おまえの無力をみせつけたのだ。おまえは不正な商いをして自分を汚した。それゆえおまえをみんなが見ている前で焼き、地上の灰としたのだ。おまえは見せしめとして永久に滅ぼされるのだ」
というくだりがある。ケルブとは犬である。契約の棺は一対のケルビムの像によって守られている。ギリシャ神話では地獄の番犬ケルベロスと呼ばれる。これらのエピソードを綜合するとカラス天狗とは油注がれた天の守護者ケルブが堕天使となった姿ということになる。彼らはゼウスに伴って来たクラバックの中のコアなグループであろう。不正な商いとはポルトープランスで行われているのと同じ事ではないか。商いは1人では出来ないことであり、頭目が焼かれても多数の仲間は残っていたのだろう。人間は彼らにとっては被造物であり、また自分たちが道を踏み外し頭目が懲罰を受けた原因なので人間に対し激しいい憎しみを持っているであろう。

 これまでこのブログでイカ族とモートについては詳しく申し立てしたが、ここで小達雅子さんの審判の様子がどんなだったかを再度取り上げるのは、カラス天狗については欠落していたからである。霊界ではカラス天狗のやっていることはみんな知っていた。しかし対処しようにも天狗族は「我々について人間は何も問題提起していないではないか」と聞く耳を持たなかった。それがルールであり糾弾したくても出来なかったのである。また裁きの場で一線を越えることは違反なので立ち入ることも出来なかった。予審の間小達さんは仏教が期待していたものとは全然違っていて、自分の考えがつくづく甘かったことを悟った。彼女には一時ある商社ビジネスマンとの公けになっていない男女関係の秘密があった。「安永」という男がこの件をも含め悪意を籠めてあれこれと彼女の過去をあげつらい、彼女に対する罪状を長たらしく、またくどくどと申し立てた。その中には「彼女は堕胎したから同情の余地はない」という虚偽も含まれていた。確かな挙証も反論の余地もない、高圧的で一方的な告発だった。結審の日、ブルーが審判者のシンボルカラーなので、審判者に気に入られると思って仲間が彼女に青い衣装を着せたが、反って逆効果だった。彼女は酒を飲まされ、後ろ手に縛られていた。黙っていた方が良いのに余計なことを言ったのが火に油を注いだ。彼女が「仏教が言っていることは全部嘘じゃないの」と絶叫したために棒でぶん殴られた。反抗的な態度に「誰のおかげでお〇〇〇が出来ると思っているんだ」と滅茶苦茶にぶちのめされた。イスラムが「許してやれよ」と口を挟んだが全く聞く耳を持たなかった。「美女ばかり助かると思ったのか。美人美人とおだてられてのぼせ上がるな」とカミソリで顔を切り刻まれ、血が流れ出て皮膚がめくれ上がった。そして審判者は「人間なんてどうなったっていいんだ」とうそぶいた。東京・横浜はカラス天狗が審判する地域なのである。信者はモートやイカ族が審判する地域よりもっと苛酷な扱いを受ける。この件は写真にも取られ記録も残っているから、申し立ては通る筈だそうである。

 仏教の裁きの場が悲劇の場所であることは決して女だけに限らない。またその由来を考えればカラス天狗は何もヤマトだけに限る話ではないだろう。ロシアは分っているらしい。クレムナの予言の「6.悪魔ではないが悪魔よりもっと悪い者」とはケルビム族を指すのではないか。私はフランスを良くない所のような言い方をしていたが、それでも5%は助かる見込みのある場所で、これまで1%だった日本とは段違いに良い所である。この数字が日本で今後どうなるか知らないが、生贄をなくすつもりはないそうである。ヨーロッパ人にケルビム族は相当数混入しているのではないだろうか。だから助かるパーセントが高いのかも知れない。

 昨年来色々な出来事があった。国内の衆議院議員選挙では与党が過半数を割り新内閣は多難な船出をしたが、これは新首相だけの責任ではないだろう。票が減った背景には「バレなければ犯罪にならない」とする前任者の経世への疑惑があった。そのせいで国は返すのに300年はかかるだろうと言われるバックログを抱え込んでいる。実際はバレているのだが追及されず忖度されているのである。言わせてもらえば天網恢恢疎にして漏らさず、仏教に限らず死後の裁きは決して甘くない。三権分立が建前だが各担当大臣が警察を含めすべての分野のトップに立っているので大臣の任免権を持つ首相の権限は強い。それに対し隣のK国では大統領弾劾の可否が争われている。ここでは非があれば司法が敢然と行政の長である大統領と対決する。そのために高官犯罪捜査庁という独立捜査機関がある。両国のうちどちらのやり方が良いのか分はからないが、K国にとっては北との関係維持という難題がある。また彼らの国家経済も多難に直面している。
 トランプ次期大統領は内向きの改革に比重を置くと思いきや、カナダ・グリーンランド・パナマに向けて予想さえしなかった大風呂敷を広げている。また彼は古い交誼を大事にする人のようで、元・首相夫人を招いて会食したが、彼女の夫が何をやったか大統領の地位に就いてCIA に調べさせればすぐに分かるだろう。健全財政は日米共通の課題である。兵庫県知事の再選と百条委員会での討議の経過には驚いた。出るわ出るわ、考えられないことばかりだった。裏で色にまみれているのは相撲界(何が国技だ)や将棋界だけではなくこの県庁の中も同様だった。SNSが全部正しいとは思わないがメディア上で重要な事実が故意に隠蔽されているのは間違いない。「プライバシー」という言葉は信用出来ない。Conflict of Interest (利益背反)が蔓延している疑いが濃い。根拠が薄弱で捏造された非難中傷の数々。知事は再選され、前知事以来の負のレガシーである悪しき慣習の廃止と県財政の健全化にくそまじめに取り組んで、Should be の姿に戻そうとしているように見える。大変な仕事だと思う。彼の心の支えは地元兵庫県への郷土愛で、それなくして誰にこの県のまともな知事職が勤まるだろうか。
 最後はもとジャニーズタレントのスキャンダルである。人気に奢り、女を軽視するやり方が尋常ではない。胎児なぞ腫物と同じにしか見ていない。「俺たちは雲の上から来た」と言っているそうだが、女の扱いも日頃の態度もこの言葉も、すべての点で彼が上述の審判者と同じ出自の人間と考えられても仕方ないだろう。

 イエスが「我々に反対しない者は味方だ」と言い、ペテロやヨハネのような異分子を使徒に選んだのは結果的に甘かったと考えられるが、私もまほろば時代にいて今もある勢力はキリスト教徒でなくても味方だと思っている。福岡の大宰府に本社を持ち日本各地に分社を祭っている天神様や島根にある出雲神は外来組との間に厳しい武力衝突があったに違いないし、対立は時間が解決した訳ではなく今日も続いていると思われる。国譲りの神話は決して平穏無事な譲渡ではなかっただろう。かつて出雲大社にあった96メートルの高さの社殿は外来組の侵入を見張る物見台だったのではないだろうか。箸墓に葬られた姫は通って来る男が蛇の元型の持ち主と知って驚き、箸でほとを突きさして宿った胎児を堕そうとしたが、それが災いして亡くなったのではないか。ヤマトがまほろばの頃はあり得ないことだったのである。

 スサノオは出雲神の1人と考えても良いと思う。大宮の氷川神社の主神はスサノオである。母が亡くなる前後10年程の間、毎年元旦の早朝に氷川神社にお参りしてお札を買い換えた。当時は家に仏壇と神棚があった。40年以上前母が死んで自宅で葬儀した頃は埼玉の江戸川べりに住んでいた。檀家の寺は鎌倉にあり既に父と先妻の遺骨が墓に納めてあったが、母の遺骨もそこに納めたのは葬儀の大分後だった。鎌倉は遠いので葬式には葬儀屋に頼んで近くの法華の僧に来てもらい、その寺にしばらく母の遺骨を預けた。鎌倉の寺は兄(先妻の子)が継いでいたので母と自分のために別に寺を見つけようと思ったのである。しかし妹が反対したので結局は母の遺骨も檀家の寺の墓に納めた。母の実家は三鷹にありそこも法華だった。私は仏教の信者は99%がイカ人間にされるので今は母も海を泳いでいるか海底の藻屑になったかと思っていた。多分母の元型は人間だったと思う。ところが昨年、現在は生まれ変わってイタリアにいると聞いた。生まれる前「Que cosa e quest?」なんてイタリア語の勉強をしていたと言われた。また嘘を言っているのかと思ったがどうも本当らしい。何が幸いしたのかと考えると、氷川神社のお札を買ったことではないだろうか。それと江戸川べりの家の当時の住所は埼玉県の郡部で、一般的にクラバックは都市部を支配し田舎はエロイムのエリアということになるらしい。助かりたければ田舎に住めと言われている。それと葬儀を自宅でしたこともあるかも知れない。でも最近のイタリア映画を見ると社会の劣化がひどいと思う。モロカイと呼ばれる化け物のような死後霊が蠢いていていくら埋めても出て来るらしい。しかしもうどこの国でも大差ないだろう。