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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

インド

  自分が抱えているテーマが如何に重大な問題かは弁えていて、放り出したくなるようなプレッシャーを感じさせました。前項のドラフトを書き上げた後しばらく決心がつかないで、アップロードするまでかなりの時間が必要でした。それでも「知った者が言わねばならない」という不文律が頭にあり、これは自分だけにしか起こり得ない経験と認識であって私が言わねば誰が言うだろうかとは分かっていました。その頃早朝の民放おめざめテレビで射手座の星占いが「言いたいことははっきり言わないと伝わらない」だったことは自分のことを言われているようでした。伊勢信仰の危惧についてこれまで何度も触れていたのですが、曖昧な表現だけでは一体何のことか問題点を思い描く人は少ないでしょう。例えばユダヤ人アタリの「神々はカニバリズムの勝利者である」を引用しただけで、ユダヤ教と癒着した伊勢で何が危機的なのかを具体的にイメージする人がいるでしょうか。
ある教会の牧師は「レビ記は誰も話したがらない」と言って顔を曇らせました。ヤマトに来たのはそのレビ人が中心で、彼らは世界の悪魔をヤマトに呼び集めヤマトを絶望的な場所にしたのだそうです。かつてのまほろばは底なしの泥沼に変ったのです。アマテラス神話の作り替えにはダニエルが中心となって知恵を働かせ、彼は他にも様々の狡猾なルールを作った首謀者だと言われていて、何か革新的な意見が出ても人間の言うことは全部否定し結局現状維持に持ち込むのが彼らの基本的方針だそうです。ダニエルの名前は恐れられて軽々しく口にする事さえ憚るものとされています。

 繰り返し述べたように私個人はアタリの説をそのまま鵜呑みにしていません。ユダヤの神にエロイムとエッサイムがあるようにあまねく善悪二神ありとする二元論的立場です。十字架上のイエスは「エロイ、エロイ」と呼びかけました。ただしこれまでの歴史的現実は圧倒的にアタリの言う通りだと思います。賢者ソロモンが「我々はこちらを選んだのだ」と言ったのはアブラハムの子イサクの双子の息子のうちユダヤは弟のヤコブを選びイスラエルの国名にもした事を指すのでしょう。創世記によれば兄のエサウは円満に長子権をヤコブに譲渡したことになっていますが実際はどうだったのでしょうか。エサウは地位に執着しなかったのでしょうが、これがユダヤの運命の大きな分岐点だったことに間違いないでしょう。4人の妻との間に男子を12人も生んだと言われるヤコブは精力旺盛だったのでしょうが兄エサウに子供はなかったとは考えられません。あったとすればエサウの子たちはイスラエルに属さないことになります。このエサウの子孫の運命はどうなったのかと思うのは当然の疑問ではないでしょうか。マラキ書によればエサウの領地はハイエナの住む荒廃地になったとされています。現在イスラエルと厳しく対立しているパレスチナ人の中にはエサウの子孫もいるのかも知れません。エサウの霊はヤマトを気の毒に思いながら見ていたそうです。

 神道が神像を飾らないのはユダヤ教の影響でしょうか。十戒にある偶像崇拝の禁止でユダヤ教は悪魔にアイデア賞を貰ったそうです。キリスト教をイギリスに宣教するに当たって伝道者は土着の宗教を頭ごなしに偶像崇拝主義どもと排斥したことがベーダの英国民教会史に書かれています。然しドルイドは悪魔と結託する宗教ではなかったし、もしこうした宗教とタイアップする取り組みがあれば政治的にも宗教的にもより良い歴史が得られたかも知れません。個人的な経験で言えば日本でも藤原氏と対立した道真公を祀る天満宮は悪意を秘めた神社ではないと思っています。

 伊勢神宮をユダヤ教と関連付ける説は数多くのブログで紹介され、また本にもなっているようです。そこに「伊勢神宮=ユダヤ教=ヤハゥエ=キリスト教」とする図式を見かけますが、他人の見解に余計な嘴を入れるつもりのない私でもこれにはどうしても一言反論を言わない訳には行かないのです。「人間なんてみんな馬鹿だ」の項に既成の権威(旧約聖書、ユダヤ教祭司)に対するイエスの態度として書いたように、イエスは「私は争いをもたらすために来た。すでに火の手が上がっていたらどんなに良かっただろう」と言い、自分が家族やコミュニティーの間に信仰の厳しい対立をもたらす火種であることを認めています。父親の葬儀に行こうとする男にイエスは「死者のとむらいは死者にまかせて私に従いなさい」と言ったのです。ユダヤ教とキリスト教は基本的に立場を異にする宗教と見るべきです。

 青森県にあるキリストの墓は謎めいた不思議な場所で何か只ならぬ雰囲気を感じさせます。ここに伝わる伝説の真偽の程は分かりませんが、ローマによって国を追われたユダヤ人の中には少数派のキリスト教徒も含まれていた筈であり、彼らは日本に到着した後ユダヤ教徒グループとは別行動を取ったのではないでしょうか。ここにも「ナニヤドヤラ、ナニヤドナサレノ、ナニヤドラ」というヘブライ語の歌らしき祭りが残されており、それは「おまえの聖名を賞め讃(ほめたた)えん。毛人を掃蕩して、おまえの聖名を賞め讃えん」の意味だそうです。毛人とは猿のような人間を想起させ、伊勢が猿と関係ありそうだと前に書いた事と結びつきます。
従って正しくは
「伊勢神宮=ユダヤ教=ヤハゥエvs.青森県新郷村墓跡=キリスト教=イエス」という対立の図式になるのではないでしょうか。青森とはアモリ人を連想させます。

 前項で日本に原爆が投下された時伊勢が手を叩いて喜んだと書きましたが、その事を確かめに来た者がいたようです。しかしこの地で私と接触し情報を提供する機会のあった筈の娘たちは既にすべて抹殺されていて、その事が権威者の怒りを買ったようです。ゴイムが無料で配られ豚たちが群がったのです。私がインド旅行に行っている間でした。どこにでも「余計な事は言うな」という緘口令があるのは知っていました。今いる場所に来るまで数か所に移り住みましたがこんな悲劇が起こったと聞いて嘆くのは初めてでした。具体的な地名は極力伏せていましたが「◯◯に来たら生きて帰るな」と書いたことで読んだ方のうち何処のことか分った者もいるようです。原爆の件の調査は他の場所でも行われ多数が手を挙げて確認されたそうです。亡くなった彼女たちによって私が得た情報はその事だけではなく、高天原系の体制になって以降どれだけの犠牲者があったかという概算も含まれていて、実は余りにも想像を超えた膨大な数字で流石に書く気がしなかったのです。累計数はトップシークレット事項だったのでしょう。この地が弱い者いじめの如何に苛酷な場所であるかを思い知らされました。大阪の商人が「もうかりまっか」「ぼちぼちですわ」と挨拶するように、ここでは娘たちの間で「生き抜いて」「あなたも」と交す挨拶が聞こえます。欲望には限りがないと言われています。“周辺に多大の犠牲者があった寺社”が属する地域(県)はもとより、日本各地あちこちに危険な場所があるらしいのは聞いていて、さらに動物神の有名な神社や名だたる古刹が立ち並ぶ観光地△△の住民はキリスト教に改宗しても何の意味もないと教えられました。もしそれらの町でサヴォナローラのように信仰の改革を叫んでも変人扱いされるだけでしょう。

 事ここに至って新たに四国に対する疑念が沸いて来ました。私自身は二度短い旅行をしただけで霊的な実体験があった訳ではありませんが、ユダヤに関する様々な伝説やもと神殿らしき遺構もあるようですし、見付かれば世界的大発見になるような埋蔵品探しを試みる者もおり、実際何度か特別な関心を持って四国を訪れた外国人もいたようです。ここは密教色が濃く空海が建てた八十八の札所の結界によって囲い込まれ、外部の力の及ばない治外法権的なテリトリーを形作っているようです。密教護持の守護神は果して信者に救いの恵みをもたらす善なる神だったのでしょうか。答えは「否」としか考えられません。坂東眞砂子はここに生まれ育った力量のある女流作家でしたが、彼女の書いた本の表題「死国」はこの地がどういう場所かを暗示している気がします。新四国という地名は本州のあちこちにあるようです。

 インドは人間と動物が一緒に暮らしている世界でした。ゴミの散乱した大都市で道端に寝転んでいた牛がクラクションに急き立てられてのそのそと起き上がります。放し飼いの黒豚がスイカの皮を拾って食べています。この豚は下層カーストに属する人たちの所有物で彼らの食用だそうです。地方では荷役用の象やラクダが車道を歩いています。コブラが笛に合わせて踊っていたのを珍しく思い写真を撮って立ち去ろうとすると、蛇使いに厳しい顔で呼び止められチップを払わされました。バスの車窓から道端にたむろしている30匹位のハヌマン・ラングールの群れを二度見ましたが、猿がいるからと言って人間が警戒している様子は全くありませんでした。猿は神格化されヒンズー教の寺院でシバ神とパールバティーの隣に服を着たハヌマンの像がありました。所々に山羊の群れがおり、山羊の肉はヒンズー教徒も食べるとは初めて聞きました。

 現地人通訳のシンさんがバスの中でガネーシャの話をしました。シバ神とパールバティーは結婚したがシバはヒマラヤに行ったきり帰って来ない。シンさん曰く、その理由はシバ神は火器を持っていなかったため、火器を持っている敵に敗れたのです。そこでパールバティーはガネーシャを産み自分の警護に当たらせた。ガネーシャは象だから父親は象でしょう。話を聞きながらインドの神々も巨人族なのだろうと想像していました。
インドでイスラム教を受け入れた人々はパキスタン・バングラデシュに分離したことになっていますが今もインド人の中に少数のイスラム教徒が混在しているようです。インド人のうちイスラムを受け入れた人たちはどういう理由でそうしたのでしょうか。古くからインドにはバラモン教・ヒンズー教(両者はほとんど同じで身分の違いだけでしょうか)と共にジャイナ教があり極めて厳格に殺生を禁じるその教えはインド人の伝統的精神や日常生活に深く影響を与えていると思われます。その下地を抜きに仏教を言葉だけで取り入れてもどれだけ信仰の実があるでしょうか。既に仏教そのものはインドで滅亡しています。500年程前に生まれたシーク教は少数派ですがこれまでの伝統を取捨選択しイスラムの考えも取り入れて、長く重苦しかった閉塞状況を打破する試みのように私には感じられます。こうしたインド人の模索にも拘わらず日本には何の変化もなく誕生国ではすたれた仏教が墨守され停滞しています。すべからく宗教は独立した方が良いと言われています。

 バスの中である女性参加者とシンさんがインド人は牛を食べないことを話題にしており、彼女が「あーらどうして。ビフテキはおいしいのに」と言った言葉をちぐはぐに感じ全員が沈黙して聞いていました。姉妹で参加していた女性と親しくなり「インドの牛は可哀想だと思います。緑の牧場で暮らさせてやりたい」「そう思われますか。でも牛は殺される心配もなく自由に生きて寿命を全うするのですから幸せではないでしょうか」そんな会話をしました。日本では乳牛から生まれた雄牛は生まれて間もなく子牛のステーキにされます。高齢者が普段何をしているのかと聞かれ「宗教に関するブログを持っていて時折更新しています」と答えたのですがアドレスは教えませんでした。お互い外国旅行に行った話が出て「宗教的にどこの国が一番良いですか」と彼女に聞かれ、そういう単純な質問が一番返答に困ると思いながら「さあ---フランスですかね」と答えると意外そうな顔をしたのは「イタリア」という答えを期待していたのかも知れません。

 インドに行くのは余り気が進まなかったのですが理由があります。この約40年間絶えず頭の中で誰かに「インドに行け」と言われ続けたのです。仏教徒だった頃はそれも当然かと思っていたのですが考えが変わっていました。行って何があったのか分かりませんが重い疲労感が残りました。回復するのに時間がかかり、酷暑のこの夏体調を崩した人も多いようですが何とか無事秋に辿り着きました。

 フランスが実際にどんな悲劇の場所かを私が知るのはSFシリーズを書いた後である。