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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

時の終りと始まり

自分の記憶・考え方・経験を書き記そうとして始めたこの覚え書きは、当初どんなものになるか予測していなかった。私がこれまで断続的に声を聞いていただけではなく、記憶の糸を辿り前後関係を整理して結びつけ、それを蚕が繭を紡ぐように文章として綴って行くのを見て、周りが驚愕し始めた。どうしてそんな事を知っているのだろう、誰が何時言ったのだろうと互いに噂し始めたのが分った。そして次から次に昔関わった縁者にまで遡ってこのドキュメントを読みに来た。これでは自分の書いたことが敵方に筒抜けになってしまう、彼らはきっと報復を考えるだろう。また私の考えを混乱させたり発言の価値を損なうための手を打って来るだろうと、やる気を失い何度も何度も作業を中断した。シャットダウン後は電源をオフしコードも抜いておけばいいと考えたが、その効果があったのは最初だけで、彼らは何かの対策を施して、自分たちのマシンからいつ何時でもこの文書の最新バージョンを読めるようグレードアップした。このワード文書を内蔵したパソコンがあるN市のマンション個室から所用があって帰省した時、関東の自宅に住む霊たちも既に進捗状況を承知しているのが分った。皆は当初甘く考えて成り行きを眺めていたのだが、人間の書いた文章がここまで隠された事実を明かるみに出した例はなく、私の出した推論は鋭く急所を突いているようで「誰かこの気違いの刃物を取り上げてくれないか」と悲鳴を上げていた。

私自身、結論的にこんな過激な告発をすることになるとは思いもよらなかった。これでは祟りは免れないという警告がある。聖書を起草しながらマタイも悪魔の仕返しを恐れたという。

然し考えを推し進めるにつれ、この国の余りにも理不尽で片務的な宗教の一方的専制・根拠のない彼らの奢り・虐げられた弱者たち・人間の権利の無視への現状に嘆きと歯痒さが益々募る外なかった。自分が属する宗教の危険性に対する人間の無関心も大きな問題だった。では宗教を捨ればその人間はあの世でどうなるか。信仰を持たない死後霊は無主物として好きなように誰でも手出ししてよいとする手前勝手な論理が彼らの中にあり、それも危険である。

彼らがいかなる過ちをも見逃さず人間を責め罰するなら、彼ら自身は人間以上のモラルと行いを遵守し非難される余地のないあり方をしているのか、そう反問するのは決して僭越ではないだろう。そしてその答えは絶対的にノーである。人間には記憶の断絶があるが、彼らは我々を知り尽し我々は彼らを知らないという立場の優劣があるだけである。

では我々が彼らの真相知った時何が起きるか。その時知られることを危惧していた悪しき者達の優越が崩れ、まことの救済の神と人間との連携が車の両輪のように成立して救いの恵みを齎し、不当な支配が裁かれる。人間の認識こそ力の後ろ盾ではないだろうか。イエスが人間となり「彼ら(旧約の神)が霊に対してやっていることは許されることではない」と宗教の支配の実体を証したのは使徒たちに限定され、一般信者には譬えでしか話さなかったから、ユダヤ人社会全体がイエスを理解して受け入れた訳ではなく受難は避けられなかったが、「神の秘められた計画」(コロサイ人)では栄光ある救済は異教徒が受け入れた「貴方達の中のキリスト」の存在がキーになることを暗示している。キリストの神こそ救いの神である。

特別な使命感もなかった無名の自分がこの「キリスト」とどう関係するのだろうか。自分こそ再建のキーマンであると自慢げに自称するつもりは全くないが、内面的にとても他人に同じ道を奨められないような異常で危険な人生を余儀なくされたのは事実で、よくぞ事なきを得たと思う。今まで書かなかったが霊界で私がどんなネーミングで呼ばれ、また私が彼らに対するどんな特殊な潜在能力(青海波はその一つ)を秘めているか、は自覚している。

私はこれまで何人かの人に未完のドキュメントを送りまた手渡した。読み手が容易に私の推察や結論に同意したとは決して思わない。むしろ激しい当惑・反発・疑いを買っただろう。然したとえ同意を得なくても、それは今日手軽にコピーされ伝達の波紋を広げたに違いない。誰かが指摘したことが真実であれば、その価値を否定するために霊界は身をよじって変容し「その考えは既に古い、何も事新しく取り上げる事柄ではない」とあたかも問題は過去へと消滅し今更とるに足りないものであるかのように振舞いたがる。これが鷽(嘘)替えである。私はいまさら無用な登場人物として蔑(ないがしろ)にされるだろうがそれより重要なのは少しでも現状が打開されることだ。

私を呵責する女神が「例外はマルチリだけ。この人間に救済はない」と言った時、「革命が起きる」と家にいる少女が返答した。革命とは上部構造の崩壊である。思いも因らなかったがその言葉は実現した。

2012年12月から翌年の初めにかけて、この国の冥界で何が起きたか誰か気付いた者はいないだろうか。奇しくもこの年は世界の終りとして喧伝され結局何事もなかったとされた。私はここから遠い西の方角で、暗闇の中に稲妻のような光が明滅し建物のシルエットが浮かんでは消える夢を見、別の夜もっと構図を拡大して建物の上に砲弾が降るのを見た。また偶然肉眼で窓の外の彼方の中空から大きな光が落ちるのを見たが、あれが単なる錯覚だったとは思えなかった。

この数カ月、何があったかその成り行きを息を潜めて待ち、革命は成ったのを知った。その結果、悪魔は審判者の地位を去り権威を失った。三位一体は瓦解した。メソポタミアの権威ある古い神は審判者の交代を認めた。伝聞によれば新たな後継者の候補として、冷酷非情な軍事力を持つとされる環太平洋の未知の集団、インドを支配する神、世界を震撼させたテロリストが蘇生して率いるイスラムの一派等の名前が挙がった。彼らはこの国に特定の信仰集団を持っていなかった点で有資格者である。しかしその内の誰が新たに権威者の地位を受け継ぐかによって人間への恵みは期待薄く革命の実はなくなる。不安がたち籠める中、新しい審判者には、誰も知らない、歴史に名前が出たこともない神が着いたらしい。

悪魔のために働いていた上部機構も刷新され統治の基本理念が変わる。審判のルールが変わり、コンピューターが映像によって再現した過去の実態と記録が活用され、これまで観察者が恣意的に書いた鑑定書を検証するだろう。地獄の鍵は開き1億の虜囚が解放され、闇の世界が光にさらされた。過去の優位のうま味に執着する神社仏閣は存続の条件として身を捩るような変革が必要とされるが、どう対応するだろうか。古い教えを信奉した信者の待遇が直ちに改善されるとも、悪しき神の結界が容易に浄化されるとも思えない。キリスト教が制約を解かれ自らの基準によって信者を裁くことが出来るためには己を見つめなおす自己変革が要求されるだろう。信者は乗換バスに乗り遅れるな。

ただし、何事によらず物事は単純に色分け出来ない。長く続いた体制に順応するために変質した悪しきキリスト教宗派もあり、もともと独自路線を歩んだ神社仏閣もある。