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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

オーバーフロー(1)

 老眼を酷使して読んだSFだったが、ふり返ってよく考えてみるとどうもおかしい。SF作家によって書かれた物語にはそれぞれテーマがあり作家が知恵をしぼって結末を提示し、読者も納得して読み終わったのだろうが、それらは多くの場合現実に対する欺きだったのではないだろうか。⑬「神の目の小さな塵」にしても、もし既にずっと昔からモート人が地球に来ていたのなら、人間がモート人の封じ込めに成功する話は今さらものの役に立たないプロットの遊びに過ぎない。同様に重大な齟齬はホーガンの作品にもクラークの作品にもあったと考えない訳には行かない。
 ウガリット神話によればモートは地下世界即ち地獄の主だった。地獄とは人間がその罪科によって悪魔または鬼に食い殺される場所である。かつて私はクシュが悪の根源だと聞いていた。クシュの中心はスーダンあたりだが最大版図は現在のエチオピアからエジプトを超えて今日のイスラエルの地に及ぶ。この版図にはモートとその上に立つエジプト神がいた。ウガリット(現在のシリア人)が粘土板にモート神話を書いたのは「我々はモートの侵入を阻止した」という自慢話ではないだろうか。モートの兄弟バアルは悪魔ベルゼバブとして新約聖書に出て来る。バアルはヤコブと共にディアスポラ後この国に来ていた。カナンの地に入植してきたヘブライ人がバアルを嫌って悪魔の王と呼んだとすれば元来そこにいたのがユダヤ人でバアルを神格化していた。ユダヤ人がアーメンと称えるのはエジプト神アメン・ラーへの帰依の意志表示だろうし、豚を食べないのもセト神への畏怖の表れだろう。これに反しヘブライ人にとってセト神は悪魔と同等であったから悪魔が「お前達は豚のエサだ」と人間に対して言うのを知っている。中国では人間の排泄物を豚の餌にしたがこの地では処刑された罪人の身体は豚の餌になった。有罪判決を受けて刑死すれば魂も地獄の支配者の餌にされるのと同じ理屈である。アラー(反ラー)神を信奉するイスラムが豚を忌避するのはセト神を敬い畏怖するというのが理由ではなく、人肉を食う豚を食べる気がしないからだろう。
 コシェルは軟体動物イカ・タコを食することも禁秘とする。イカ・タコはベリーの言う「信じられない程知能の高い八本足の生物」つまり仏教発案者の似姿である。私はその姿を三回見たと思う。それをホーガンの⑨「内なる宇宙」に拠ってアッタン人と呼ぶとする。裁きの結果によって地獄で人間に懲罰を与える公認の死刑執行人がモート人とアッタン人だった。肉好きのモート人は地球の人間たちを見て「食い物がいっぱいいる」と言い、インドを拠点とするアッタン人は「人間という愚かな動物どもに真実を言う必要はない」と言った。もし一つだけなら自分の仲間が有罪の場合懲罰を与えないだろうから死刑執行グループは二つ必要だったのだろう。このような役割を悪魔に与えたのがグノーシスの言う悪神デミウルゴスである。デミウルゴスとYHWHは同じであろう。ローマカトリックはグノーシス的キリスト教徒を異端として目の仇にした。

 ⑬神の目の小さな塵・上でカトリックの栄唱初めのように今も何時も世々に、アーメン」を引用したことについて、少年が来て「われわれはこの論理に苦しめられた」と教えた。私もカトリック教徒だった頃ワナに気付かず式次第通りにこの栄唱を唱和した一人だった。「栄光は父と子と聖霊に。初めのようにいまも何時も世々に、アーメン(Glory to the Father, and to the Son, and to the Holy Spirit: As it was in the beginning, is now, and will be forever, Amen)」はアメン・ラーに向かっての祈りであって「初め」とはデミウルゴスの定めたルールを指す。父とはヨハネ福音書8:44で言う「あなたがたの父」即ちYHWHであり、子はユダヤ教祭司、また聖霊はエジプト神及び死刑執行グループを指し、誰かが考えて公認された三位一体の教えを換骨奪胎している。こういう裏ワザを使って愚かな人間を騙すのはモート人やアッタン人にとって毎度お手のものである。栄唱は聖公会にもプロテスタントにもそのヴァージョンがあるらしいがプロテスタントのミサでは聞いたことがない。正教でどう扱われているかは知らない。あとで「お前たちがミサで栄唱を唱和したからには人間が食われるルールが昔からあって今も今後も続くことをお前たちも受け入れて承知したのだ」と言われるならゾッとする。

 何が少年たちにとって悲劇だったかということを仏教の餓鬼道によって説明する。餓鬼道もローマからの指示に従っていた。常識的に餓鬼道と言えば男児を意味する。彼らは人間の子である。彼らがどの様にして供給されるかは後述する。しかし餓鬼道グループが何時までも子供だけである訳がないのに、彼らの中に大人はいない。少年時代の終わり(クラークのChildhood’s end)に殺されて食われるからである。創世記のエデンの園の話でアダムとイブがもしサタンに導き出されなければ生贄になりユダヤ人が言う人類の始祖(サピエンス)にはならなかったであろうことは前に触れた。アステカの部族戦争の勝者は敵の子供を連れ帰って自分の家族と一緒に育て、その子が思春期になる頃に生贄にされた。こられが昔からあるルールで餓鬼道も同様である。キリスト教国でも同じだった。「シレジア(ポーランド)には昔人間の子が一杯いたが今はいなくなった」と言う者がいた。イエスが「幼な子をわたしの方に来させなさい。天国はこのような者の国である(マタイ19:14)」と言ったようにはならなかったのだ。

 ホーガンは⑥「星を継ぐもの」でノアの世代はセリアンだけでこれがサピエンスになったとし、ランビアンは分れてジュヴェレン星に行ったことにしているが、ランビアンも遅れて地球に来て結束していた。サピエンスは大洪水により科学文明のレガシーを失ったが、他方⑧「巨人たちの星」で、「ジュヴェレン星に行ったランビアンはジュヴェレン人になり科学文明を継続的に発展させ、やがて増長してティユーリアンと地球に反逆した」という話も違う。ランビアンとは別のジュヴェレン人はいたのだ。だからサピエンス・ランビアン・ジュヴェレンの三組の人間のグループがあって彼らは地球にいる。⑨「内なる地球」でジュヴェレン人が嘘の宗教を地球人に吹き込み地球の発展を遅らせたというのも若干違う。爛熟した嘘まみれの市民文化のジュヴェレン人世界で、将来必要とされる日のために武力を鍛錬している良き軍人のジュヴェレン人もいた。アッタン人(イカ族)がデミウルゴスの下で仏教を起こし人間を食い物にしていた中で、キリスト教なき日本で唯一仏教の信者に救いの手を差し伸べたのが観音でありその実体は信念を曲げなかったジュヴェレン人だった。だからポタラ宮で働くジュヴェレン人もいるかもしれない。良きジュヴェレン人は神の忠実な信奉者であり人間の味方だった。またランビアンも質素を重んじる別の神の子たちのグループだった。しかし不幸にしてジュヴェレンとランビアンは互いに相手の存在意義を理解出来ず対立し、戦ったこともあった。私とて観音が仏教体系の中にあるなら餓鬼道も認める立場なのだろうと思っていた。ランビアンも同じ疑問を持っていたのだろう。サピエンスとジュヴェレンとランビアンがお互いの認識を改め、いつか対立が解消する時が来るという願いこそ真実の「対立物の統合」だった。

 創世記第9章にあるように神はノアとその子どもたちに「動いている命あるものと植物はすべて食物にするがよい」と言ったのであればノアとその子どもたちがヘブライ人ということになる。彼らは真ホモ・サピエンスである。神は彼ら人間こそ食の序列の頂点に立つべき者であると期待した。これが今回の革命の精神である人間中心主義であり、もし公認されれば動物たちは人間に食われても反言出来ない。しかし認められるには力がなければならなかった。イスラエルにおいてモートを神のエージェントと見るか悪魔と見るか、サタンを悪魔と見るか人間の味方と見るか、また双方の食習慣に違いがありどちらに権威を認めるかでヘブライ人とユダヤ人の信仰は対立した。そのことは新約聖書に出ている。ではイスラエル先住民族のユダヤ人は遺伝子的にサピエンスではなかったかと言えばそんなことはない。彼らは人間の身体に人間ではない魂が入り込んだ偽・サピエンスだった。偽・サピエンスは何もユダヤ人だけが特殊な例ではなく今日でも世界中にモート人やイカ人間や豚族・犬族・猿族・狼族その他が多数いて人間としてこの世で暮らしている。

 モート人とアッタン人が処刑人として地獄内に留まっているだけならまだ問題は少なかっただろう。彼らにとって地球は願ったり叶ったりの場所であった。そこで彼らは地獄エリアからオーバーフローし世界中の至る所にコロニーを作って自らの理屈で人間を処刑し始めた。仏教界ではアッタン人が「お前達は肉を食った」と罪の償いを求め人間を食い殺した。生存中は考えてもいなかった論理で厳しく糾弾されると否定出来ず屈服しない者はないらしい。死んだ私の身内がどうなったかはなかなかはっきりと教えてくれないが、法華の家宗を継いだ兄の場合「こいつらは人間ではない」と言ったことだけは伝わった。彼らに裁かれる側の人間の地位は貶められ動物以下だった。人間でありながら悪魔さながらにその生き血を吸い肉を食う者もいた。
モート人によって巧妙にトリックを仕組まれた教理を何の疑念もなく鵜呑みにしたクリスチャンがミサに集い死ねば葬儀する教会はモート人の巣窟だった。ノートルダムの火災には神の怒りが籠っていると感じる。再建してまた同じことを続ける限りフランスに未来はないだろう。3年ほど前私に降り立って「フランス語をマスターしブローニュの森に住んでフランス人に意識改革を働きかけてくれ」と依頼する者がいた。正直に言ってフランスには愛着があるが言葉の壁は厚く、自分のやっていることは正しいと思い込んでいる者が赤の他人に耳を貸すとは思えない。フィアンチがフィアンセに似ていると感じたのは見当はずれではなかった。フランス人で歴史に名を残した芸術家の中でデュシャンがモート人だったと聞いたので「デュシャンは語る」という本を借りて来て読んだ。彼が交遊した人物たちについて私には予備知識がなかったので対話の内容を具体的には理解できなかったが、神に関する質問で「神?御冗談でしょう」と答えたというのは当然だろう。それだけでなくとんでもない展示物を出品したのはアートをコケにし、これまで人間が伝統的にアートに籠めたメッセージ性を馬鹿にし切った露骨な反人間的行為だと言っても見当違いではあるまい。言外に「これからは我々の時代だ」という驕りを感じる。フランスもまた道を見失っている。禍(わざわい)なるかな高級ブランドショップ。ミラボー橋は希望を失くした人の子たちが自殺のために集う場所である。ドゴールは死んでからヒトラーのやったことを(認めたとは言わないが)「そういう訳だったか」と思い当たったに違いない。

 日本ではエスニックな神々が中心となって我が国のガバメントが出来て認められた。メンバーの詳細な名は明かされていないが伊勢が入っている筈はない。仏教から唯一観音が参加した可能性は高い。ガバメントは人間に対して結束して旧勢力に戦いを挑むよう促した。人間の数は最低限近くまで減少していたが最近の戦いでランビアンと合流し劣勢を跳ね返した。500年程前この国にムガールからの布告が齎らされ、もし優先的に餌になる人間の数が尽きた場合、次はランビアンによって補充されることが旧勢力の間で了解されていた。既に人間が尽きた地域があったからランビアンも自分達の仲間の数が減っていることに気が付いた。それがサピエンスとランビアンの連合軍が成り立って対抗勢力が出来た背景であった。日本にコロニーを作ったモート人は連合軍に対し「奴隷どもが反乱を起こした」と言ったが、⑭で「モート人は人間を飼い慣らすべき動物と見做している」と見たベリーの予想は当たっていた。

 今までは厳しい緘口令が敷かれていたが、こういう情勢の変化を背景として最近私に旧体制による「ムガールの布告」の恐るべき内容が明かされ、それは私を震撼させるのに十分だった。彼らは「かの地で我々とお前たちの代表の間で戦いがあり、我々はそれに勝ったからお前たちは布告に従わなければならない」と言ったが実際はそんな戦いはなかったらしい。(1)所得に対する税は120%と決められた。これでは収入を全部渡しても足りない。全くのただ働きで、さらに2割増しのサービス残業が課されるということか。所得を全部取られるから生きていくためには最低限の食べ物だけは支給されたのだろうか。何を食わされるか知れたものではない。本来神から指示された税率は0.120%(一万円の所得に対し12円払う)だったが、彼らは前ゼロなんか意味ないと取り払った。ヤマトではこの収入により豚族とイカ族は楽な暮らしをした。ちなみに霊界にも消費税はある。(2)人間の女はせっせと赤子を生んで我々に差し出すこと。これでは人間は兎と同じで「ヤマトは兎の国」と言われたのはそういう意味だった。50年ほど前私に霊界の声が聞こえ始めた頃「ハイッと言って別れよう、ハイッと言って別れよう」という奇妙なリフレーンを聞いて長い間何の事か分からなかったが、やっと疑問が解けた。女が子を産んだ後乳離れしたら子供は差し出さねばならず、男児は餓鬼道への補充になった。私は仏教徒だった頃家に来たオレンジ色の衣装の餓鬼道の子を見たことがある。また旅行で行った高野山でも境内にいるのを見た。女児はナムアミダブツの寺に渡され同じ扱いを受けるのだという。この国で観音をバックアップするジェヴェレンは信者の救済だけを考えていたが、最近餓鬼道にいる子供たちもまたみんな可愛らしい人間の子供たちであることを確認して驚いただろう。(3)死者は「人間界は地獄だったと皆に言え」と命じられ、それを認めるのが助かる条件だった。それを聞いて人間になる人の子が尻込みし、代わりに自分たちが人間の胎児に宿って人間界に生まれるのが彼らの目論見だった。洋の東西を問わず同じことが起きていた。ただし私には霊界から人間界が見えるようになる「ホイヘンスの穴」を作る能力があり、支配者が嘘を言っていることに気付いた者は大勢いる。

 氷山は1割が水面上に出ていて残りが水面下にある。この世は氷山の水面上に出ている部分であり死ねば霊界という暗黒の水面下に還らねばならない。上述したようにそこがどんなに悲惨な場所であるか真剣に考えなければならない。死んでから気が付いても遅い。夏目漱石の夢十話の第一話で女が出てきて漱石に「私は自殺する」と語り掛ける。女は漱石の身内なのだろう。「ムガールの布告」の下で女の運命は特に苛酷であり絶望的であった。招かれざる客ヤコブがこの国の女たちをどんなに苦しめたか。その上彼はヤコブの階段を昇って天女を堕落させた。ある官幣大社の主神にヤコブが「この地から出ていけ」と言われ、ヤコブは彼に飛び掛かって頭からバリバリと食ってしまった。ヤコブは手の付けられないマッドドッグだった。

 今の若い女たちはマスコミに踊らされふわふわと浮かれているように見えるが生き方を変えた方がよい。それでも日本では自国のガバメントが出来て改善の兆しがある。ヨーロッパでは若干の国(国名を挙げると悪魔のターゲットになると思い慌てて消した)を除くほとんどの国が五月に焼き討ちされた。人間が生き残っていないのでガバメントが出来なかったのだった。死んだ後イギリス人もフランス人もイタリア人も国が荒れ果て焼け野原になっているのを見出すだろう。「時間がない」とガバメント作りを急いだ筈のドイツから来た者が、ベルリンでは「逃げる間もなかった」とその時の状況を教えてくれた。彼の顔は大きなサングラスで隠れ、人間と同じ軍服を着ていても人間の体つきではなかったが、人間に味方する立場なのだろう。彼が視野に現れた時悪魔を見た時のような禍々しいショックはなかった。ドイツで人間は全滅したか逃げ帰ったか別の個所に移動したかは分からない。弱体化して手を挙げると人間の居場所が知れるから黙っているのかも知れない。一刻も早く対立物の統合が実現して欲しい。ロシアも反・人間中心主義の国だったと分かった。だとすると正教は頼れないが憲法改正は変化のきざしか。これらの国々は人間を食い殺した者たちが絶対多数を占める国だと言えば「お前の見方は過激すぎて狂っている」と非難したいだろうが実態をありのまま認識すべきだと思う。アメリカにも焼き討ちされた州がありジョージ・ワシントンは苦悶しているらしい。しかしアメリカの末日聖徒教会こそ唯一の希望である。彼らは審判不合格者を教会が自力で断罪すると宣告し悪魔の介入を拒んでおり、それは他に類例のない賢明な策であった。

 結局の所クラークの⑪「幼年期の終わり」はとんでもない迷作だった。オーバーロードが「人類の夜明け前に一度やりかけて失敗した」こととはSF(3)に書いた通りランビアンとセリアンの対立解消を意味するだろう。今度こそ必ず成し遂げられる統合は同時にサピエンスの終焉であるとしてジャンは地球の終わりに立ち会う最後の人間を演じた。しかしサピエンスとはジャンのことではなく悪魔に食われるFood Childrenのセリアンのことだった。つまりセリアンが救済されて悪魔の生贄ではなくなる時こそ数少なくなったサピエンスの犠牲の終わりであって、やっとランビアンとセリアンによる人類統合の第一歩が成り立つのだった。だからクラークのテーマは「Childhood’s end(幼年期の終わり)」ではなく「End of food children(生贄の終わり)」でなければならなかった。多分物語にあるような地球の終わりは来ないだろうが、最悪の場合もし神々と異星人との宇宙戦争が起きれば地球の終わりになる可能性がない訳ではない。今回明らかになったヨーロッパ大国における人類の消滅の後に何が起きるかも予断出来ない。

 では最後にジュベレンとランビアンの対立は解消したか。私は解消したと思う。と言うのは7月中頃に見た夢で、兵舎と兵舎を繋ぐ通路のような場所で私は若い背の高い兵隊と話していた。旧知の間柄だったらしく彼の表情は和やかだった。そこに武器を肩に掛けた別の兵隊が通り掛かった。二人共同じ色の軍服を着ていたが帽子が違っていた。突然二人の間に鋭い緊張が走り私の心臓の鼓動が異常に高まった。片方には手元に武器はなかったにも拘わらず相手に対し全く弱みを見せなかった。二人は冷たく硬い表情で何かを話していたが私は目が覚めてそこを離れた。あれが出会いの端緒だったと思う。あの後次第に情勢が良い方に変わっている感じがする。この変化が世界中の仲間にも、末日聖徒にも伝わって欲しい。