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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

実名

これまで具体的な名前は書きたくても書けなかった。我が家の元の仏教の宗派も明かしていない。しかし実名なしでは訴える力が足りないという声がある。以下に出て来る名前を人々はどう受け取るだろうか。

まだ会社に勤務中で定年まで残り3~4年の頃だったと思う。大人の霊が「この男はこれだけの能力を持ちながら宗教に専念する気はなくうだつの上がらないサラリーマンで一生を終ろうとしている」と非難した。すると近くにいた少年の「でもそれって一番大事なことじゃない」と弁護する声がした。
この霊現象が始まった30代半ばに私が職を捨てて宗教に入っていたとしたら多分仏教だったろう。クリスチャンは親類縁者にいないし父亡き後の我が家の状況をよく知っている名付け親の僧侶が受験の時に「東京に来ればここから学校に通えばよい」と便宜を申し出てくれたこともある。そして経文の暗記や作法の修業に埋没しキリスト教を信者として理解することはなく、ここに書いたように聖書に照らして仏教を相対的に見直す機会はなかっただろう。

勤めていた会社が世界的規模で合併することになり退職金プラス好条件の早期退職奨励金を得て定年前に退社し、すぐにスタートした企業年金と60歳からの公的年金でまあ安定した老後を迎えた。仏門に入ったら生活の糧もそこで得なければならないし宗旨や上下関係にも拘束され自由さに限界がある。
能因法師は私と同じことを発見したが上司に否定されて自説を公表する機会はなかったそうである。(能因という名前はknowingを連想する)誰だか分らないが「私も同じだった。もし今生きていたらホームページを作って考えを公表するチャンスがあったのに」と私にHP作成を促す声があった。そういう霊を私は引き寄せているのだろうか。もともと私はイタリアの自分史「山猫」のような生涯一冊の本を書き残せればいいと考えていた。

私が反仏教の狼煙を上げることにどれ程のインパクトがあるだろうか。
明治初期に廃仏毀釈の嵐が日本中に吹き荒れたが、結局は仏教の行きすぎた行政上の特権を修正しただけで大した改革には至らなかった。この運動の中心にいた会沢正志斎も、その主眼とする所は天皇主権のアイデンティティー確立にあって、神仏を分離し神道の単独優位を復活させるための仏教敵視運動だったようである。そして神道の中心に伊勢の神を立て皇祖として祀ることをもって天皇制の宗教的権威と政治的権威の一体化を目指したと解される。しかし伊勢の中心的カミである女神アマテラスは万世一系のY染色体継承を権威の証しとする天皇制と相入れない。この矛盾を国体神学者はどう解決するのだろうか。(それとも別の男神を指すのか。)神武天皇の霊位がこの運動を支持したとは考えられない。
天皇の権威を近隣諸国(満・朝・台)に押し付け、国体を守るために防共協定を結び第二次大戦を聖戦とした独りよがりも敗戦によって打ち砕かれた。

「祟りの神」の項を書く前まで私は神道をあまりネガティブには考えていなかった。むしろ自然が残る清浄な神域と清潔感のある葬儀に好印象をもっていた。正直に言うと関東の自宅で仏壇は撤去したが宗教なんか真剣に考えない妻のために神棚は残しておき、彼女は従前の慣習に従ってお札を買い替えていた。それでこのシリーズも仏教を槍玉に上げておしまいにする心算だった。そこへ女性の霊が現れてはっきりと伊勢の女神を鬼神論のオニだと断言し、私がそれに言及しなければヤマトの問題を提起する意味がないと主張した。霊の声というものはいつも暗示的にほのめかす程度で決してはっきりと言わない。声の主は覚悟の上でルール破りをしたことになり相応の報復を逃れられなかっただろうし、それだけ危機感が深かったのだろう。私の認識が変わるとそれを補強する声が上がる。人間の崇拝を隠れ蓑にここまでむごいことが出来るかと思われる程この神の本性は危険なのだそうである。その畏れと占めている地位の高さがこの神に対する古来の信仰の理由なのかも知れない。
私は今まで人間の立場で死後に魂は危機に見舞われると書いて来た。しかしそれは「人間だけの問題ではない」と言う。西洋でデーモンが人間の周囲にいるのに対し、アジアではアスラ族が下界で人間に隣接しているという構図を当てはめると、我々はphilanthropicな霊と共存していることになる。彼らは地域ごとに国を作りお互い協力しあっているがその暮らしは決して平穏無事なものではなく、正体不明の強力な集団に襲われ密かに連れ去られて行方不明者が出る事件が起きるらしい。下部構造の弱みで犯人が追及され事件が解明されることはないが、そのハンティングの陰にこの女神のグループがあると目されているという。学者が歴史的事項を解釈するような旧事としてではなく、今そこにあるリアルな問題としてこういう事を発く私のような者の死後の運命は「火宅にある如く」危ういのは分っている。しかし己の無事ばかりを計っていては何事も成されない。前にも触れたが人間の書いたブログは向こう側にも同時に掲示され、なかでもこのHPは目下特別な関心をもってウオッチされているようである。尚、前項でこの女神を「全き者」と呼ばれていると書いたのは「アヤウタ」を「アユタヤ」と勘違いしたのに劣らず見当はずれな取り違いで、「全き者」は別の者を指すがそれについてはここでは説明しない。今回の遷宮のニュース報道でこの女神が「めんどり」と呼ばれる訳は分った。

宗教はビジネスでもあり、上部構造のために働く者や食物に毒された者が仲間内の約束を忘れて組織を裏切ることもある。加えてドラヴィダはインドから危険な霊を連れて来てヤマトを蹂躙し、今やヤマトの直き御霊(みたま)はぎりぎりまで追い詰められているそうである。ネルーは日本に詫び、また昭和天皇は崩御後日本の霊界の状況を知って悲憤慷慨された。

大学時代寮で一緒に暮らし親しくなった友人Y君は高校の国語教師の息子で、彼の父親から来る手紙はほれぼれする程達筆だった。父親は神主でもあり、Yの実家は代々神社を受け継いでいた。若者同志の雑談で深く考えないで「君の家の神社は誰を祀っているの」と聞いたことがある。こちらは天神様とか八幡様とか大国主命とか、素人が知っている名前しか受け取れる準備はなかったのだが。彼は少し怖い顔になって一瞬躊躇し、知らない神の名前を言った。続いて真顔になって場所の雰囲気に合わない恐ろしい話を始めた。同席していた仲間はあわて、さては触れてはいけない話題だったのかと質問した私は一瞬後悔した。映画「日本誕生」の原節子は実像と全く違うという話を聞いたのはその時だったか。
私がキリスト教に改宗後、浅い夢でY君に良く似た霊がフッと入って来て少しいて出て行くのを見た。はっきりとではないが一抹の淋しさが表情にあった。

同じような思い出は仏教でもある。高校時代のクラスメートのT君は学年でトップの成績を取る秀才で卒業と同時にある旧帝大の工学部に進学した。僧侶だった父親は既に亡くなり兄が京都の仏教系の大学に進んでいて、高校生のT君は檀家の葬儀があれば代役を立派に果たすと噂を聞いた。授業の合間の休み時間に、彼が「我々は死んだら食われるらしい」と言い出して何事かと級友たちは顔を見合わせた。級友のうち一人が「女は?」と聞き、T君は「女は子供を産ませられる」と即答すると皆は一斉に笑った。私は男女とも同じ運命と理解したがよくも男と女の違いに気付くものだと質問者にも感心した。「キリスト教はどうなの」と誰かが聞くと、「永遠の命を謳いそれに対抗するのがキリストだ」とT君は答え、それならキリスト教の方がいいと皆が一致したが誰も真面目には考えなかった。後日「キリスト教も同じらしい」と彼は語ったが、一体一連のことを彼は誰から教わったのか私は疑問を禁じえなかった。また「寺は真言宗なのに兄は真宗の大学に行った」と兄の選択を不思議がった。大学を卒業しいい就職先も決まったが、兄が家に帰らなかったために結局T君が住職になった。兄は県一番の都市で女と暮らしているという。今考えれば親鸞のような生き方である。T君を思い出したのは大分あとの事で、このシリーズには余り直接的な影響なかったと思うが、考えて見ると随分先を越されていたものである。
今年の初め恐い夢を見て目が覚めた。それは追い掛けられる夢で、私によく似た少年が手前の階下に身を潜めており、その心理が私に伝わったのだった。上の階にT君そっくりの、然し明らかに悪相の少年がいて光る刃物を手にしていた。すこし遠くの階段を下りかかってこちらを追っているが迷いが表れて、歩行はのろのろしていた。今でもT君への敬意と親しみは変わらないが、あちらでは私がやっている事が対立の元になっているのだろうか。

上に書いた能因法師・ネルー・昭和天皇のことは単に私の想像が生んだ創作では決してないがなかなか信じて貰えないだろう。

https://restlesspilgrim.net/blog/2011/09/15/why-inri/

ナザレのイエス