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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

世迷い言

 金縛りにあったことのある人は多いと思います。私の場合最も強烈な経験は高校3年生の頃で、その時の場所と状況を今もはっきりと覚えています。夏休みで昼寝をしていると突然ガッと強烈な力で抑えつけられ、身を捩ることさえままならず、目を覚まそうにも覚めず、しばらくの間青息吐息でした。必死で抵抗しどうにか片手をついて身を起こすと、うめき声が聞こえたのか隣室で話をしていた母と姉が「どうかしたのか」と心配そうに覗いていました。成人後も何度かあったと記憶しますが、十年程前N市に住んでいた時が最も近いケースでしょうか。やはり夏の暑い頃で、4階のマンションの一室で窓とドアを開けたままソファに横になっていました。その時にも窓から何者かが侵入して来てガッと強烈な力で抑えようとしたのですが、まだ完全に寝込んではいなかったので「来たな」と思い跳ね起きて、急いで窓とドアを締め切りSLのように煙草を吸って吐き部屋中に煙を撒き散らしたのでした。すると霊が苦しがって七転八倒しているのが分かりました。しばらくして再び窓とドアを開けて部屋に風を通すと「死ぬかと思った」と呟いている声が聞こえました。私は睡眠時無呼吸症候群の原因はこれではないかと思います。それによって新鮮そのものの魂が収穫されるのです。
 ヤコブが夜明けまで神と戦ったという故事も金縛りのことではないでしょうか。もし覚醒している時に戦うのであれば相手は人か獣以外ありえません。ヤコブは戦った相手を神と看做し「私を祝福してくれるまで戦う」と言ったことになっていますが、私の場合は金縛りを仕掛ける者をきわめて邪悪で危険な存在としか考えません。だとすると私とヤコブは立場が逆なのかも知れません。旧約聖書では戦った夜ヤコブは川の渡し場の近くで野営したことになっていて、ヤコブと水とは関係ありそうです。「変化」の項に書いた夢で、どういう仕掛けなのか壊れかけた家屋の屋根から相当量の水が流れ出ていました。それで「水を被ったので力を得て今回も捕縛出来ないかも知れない」と思われていたそうです。然しうまくいったのはガバメントのメンバーだけでなく有力な協力者がいたからで、「彼らに感謝しなければならない」と言われました。常々ヤコブは付け届けを要求していて、その時もふっくらした顔の日本的な美女が連れて来られていました。女の顔色は青ざめ表情はおびえ切って凍り付き、すでに生気はなく恐怖で見開いたままの眼は周囲を見てはいませんでした。

 この北の地方の呼び名である◯◯に来たら生きて帰るなと言われていて、夜玄関の鍵を掛けることは禁じられていたそうです。控え目に見ても彼による犠牲者は二千万人を下らないと概算されています。毎回彼の住いから出る粗大ごみの始末は大変だったそうです(なんとこれはロンドンで聞いたことと同じです)。ヤコブが捕らえられると彼らは早速自分達のした事は棚に上げて私を悪魔の一人に仕立て上げ「我々は悪の連携によって不当な侵害を受け頼みとするリーダーを失った」と自分たちに都合のいい歴史を書き始め、まわりはあきれて見ていたそうです。彼らが「騙される方が悪い」と言うのには我々の方にも言い分があるとしても、「騙されたら終りだ」と言うことには否定しようがないようです。
 彼らの逆転の発想はユダヤのシンボルマークであるダビデの星に表れていると見るのは穿ち過ぎでしょうか。もし人が紙と鉛筆を与えられて六芒星を書けと言われたら先ず最初に正三角形を書くでしょう。正三角形にはピラミッドのような安定感があります。次にその上に上下逆転した正三角形を上書きするでしょう。この第二の三角形こそ彼らの目指すものではないでしょうか。六芒星に神秘的なパワーありとネット上で吹聴するのは考え物でしょう。六芒星は安定感がなく、五芒星の方がまだ二本足で安定しています。
 このスーパーミュータントであるヤコブとその一族が何時どういう経過でヤマトに来たかは表の歴史には記載されていないので謎のままで、我々は知っている限りのイスラエルの歴史からおよその推測をするしかありません。イスラエルの国難は一度目はアッシリアに滅ぼされた時、二度目は対ローマ戦争の敗北の時、三度目は同族でありながら敵対的なイスラム勢力の勃興の時です。素人考えの域を出ませんが、多分二度目の敗北によるディアスポラ化の時と考えるとヤマトの歴史と整合します。

 話は変りますが、アマテラスとは一体どういう神なのでしょうか。私は人を非難することは出来るだけ避けた方が良いと注意を受けています。また自説を主張する余り強い口調になることも慎んだ方が良いと言われ、ときどきこのようなデスマス調の文章に戻ったりします。敵を作れば審判で面倒なことになるからでしょうか。それは確かに可能性の高いことと考えられます。今まで中丸薫さんの著作は一冊も読んだことがなく、このユニークな女性がアマテラスの生まれ変わりであると自称し、また明治天皇の孫を名乗っていることに疑問を感じ「伊勢は日本に原爆が落とされた時手をたたいて喜んだと聞いている。また明治天皇は伊勢の生贄になったとも聞いている。だとすれば彼女の言うことは矛盾しているのではないか」と感じていたことも、なるべく知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいた方が無難だと思っていました。ただし彼女の父の母が明治天皇の周囲で働く女官だったのなら、あの時代お二人の間に関係を結ぶ機会が皆無だったとは思えません。正室と側室(天皇家だから后と采女か)だけがお相手だとは限らないと思います。男女の縁と仲は微妙です。
 20代の始め頃上京する列車の中で見知らぬ老人が大声で喋っていた明治天皇に関するトリビアを思い出します。ある時の御前会議で西郷隆盛が天皇と対坐する席に座っていて前ボタンが開いていた。それに気が付いた大久保か誰かが「陛下の前で西郷は何と失礼な。厳しく注意せねばならぬ」と呟くと、明治天皇は「言うな言うな。言えば西郷は腹を切る」と止めたそうです。本当かどうか知りません。明治天皇が神道は本来ユダヤ教であると語ったというネットの記事があります。中丸薫さんに対する疑問は最後にもう一度触れるでしょう。

 30代の終り頃騒がしい幻聴に悩まされ不眠症をかこっていた頃「ひふみよいむなやこのと」や「本居宣長を読め」と何度も言われて「秘文よ忌むなやこの戸?何の意味やらさっぱり分からん。いまさら古事記伝を読んでどんな意味があるだろう」と、言っていることが理解出来ませんでした。記紀や昔の天皇の名前は難解で全く親しめませんでしたし、古代史論争にもさして関心がありませんでした。それでも声の言うことはアマテラスに何か関係あるかと思い、初めて伊勢に参詣に行った日が昭和54年3月21日だったことは偶然数字が逆に並んでいたので覚えています。二度目は知人が名古屋で催した展示会を見に行き鳥羽に泊まった折でした。
 洗礼を受けこのブログに仏教徒であることの危険を書き込み始めた後、えらくはっきりものを言う女性霊が現れ、彼女が「アマテラスこそ危険な神でそれを抜きにして議論しても意味がない」と厳しく私を非難したのは意外でした。世間並みにアマテラスに対して持っていたあいまいな崇拝の気分が強く否定されたのでした。それで「エスニックな神には善神と悪神があるがアマテラスは悪神であるらしい」と書いて載せたのですが何か割り切れない気持ちはありました。何故なら個々の神の善悪の判定は難題です。その数日後N市で最初に住んでいたマンションの部屋でもう寝ようと思って床に入っていると、何か大きな女の霊が訪れて家の霊と問答しているのに気付きました。ブログに書いた事に文句を言っているようで、家の霊が「伊勢の信者ではない。全き者は免罪される」などと答えている。それに対し「信者でなくても、全き者でもルールに触れれば我々の罰を受けた例はたくさんある」と勝手な真似は許されないことを主張し、家の霊が「革命がある」と答えたのには何も言わずいなくなった様子でした。「いまのは誰?」と聞くと少女霊が「ニワトリよ」と答え、状況の前後関係からさっきまでいたのはアマテラスで、アマテラスはニワトリと呼ばれていることを知ったのでした。事実ガバメントが活動を始めてから「近隣に多大な被害を及ぼしているのが分かった」としてアマテラスが討たれ、最後に彼女が「こんなものが何の役に立つか」と有り金を撒き散らしたとの報がありました。ヤコブと似たようなことをしていたのでしょう。ヤマトはよい収穫の場で外国からの顧客も多くビジネスはすこぶる順調だったに違いありません。大変なことだとは思いましたがニワトリなら後継者がいるだろうとも思いました。ややあって私の夢にフルスクリーンで女が現れ私を強烈に睨みつけたのがその後継者かも知れません。最近もニワトリ崇拝なぞいいかげんにやめるよう言われ、「ネフィリム」の項に「一体何時になったらこんな迷妄に幕引きが訪れるのか」と書いたのでした。
 会話に出て来たルールとはローマが決めてワールドワイドに採用されているもので、“世迷言を言う者は処罰される”という条項があるそうです。何が世迷言かそうでないかは彼らが決定し、彼らに都合の悪いことはすべて世迷言になるので私のブログもきっとその部類に入るでしょうし、決着の付かない邪馬台国論争などは世迷言の筆頭かも知れません。また誰かが“あいつは得意がってる”と言われるのは死刑宣告と同じことのようです。“拡大解釈するな”という禁止条項もあって、ある文章が何を意味するかを深読みしてはならないとされています。

 最近発見して長年の疑問が解けたのは「ひふみよいむなやこと」が女神を呼び出すヘブライ語だという記事のお陰でした(もちろん仮説の域を出ませんがユダヤ人の学者がそう言っているそうです)。つまり岩戸に隠れたアマテラスと彼女を崇める者たちはヘブライ語が分かったということです。かといってヤマトの天地開闢の時代に既にユダヤ人が来ていたと考えるのは常識的にありえない話で、今日残っている建国神話がユダヤ人によって作られた可能性が高いという事だと私は解釈します。それがディアスポラ化して日本に到着したユダヤ人だったのではないかというのが私の見解です。この神話を基に神事を行うとすれば明治天皇が言った通りですし、数多の宗教の例に倣って信者は神への供物になります。お神輿が聖櫃に似ているとか、ハッケヨイノコッタやヤーレンソーランソーランがヘブライ語として意味があるとか、カタカナがヘブライ文字に酷似しているとか、様々な単語の相似性もヤマトがユダヤ人の影響を受けた名残りなのでしょう。到来したユダヤ人と共にユダヤの強力な霊団もやって来た訳です。では何故アマテラスがニワトリなのか。それは本来のアマテラスが伊勢神宮でその地位を追われニワトリに取って代られたからだと考えられます(ここにもセカンドハンドの宗教の怖さがあります)。神々は戦います。それがどんなむごい戦いであったか人間は知るよしもありません。ですから伊勢にいるアマテラスは簒奪者でありなりすましということです。そうなると伊勢を信仰する者は皆ニワトリとそれをバックアップする者たちのための生贄です。伊勢神宮はバチカンと同じと言われています。

 こういう関心から、気が乗らない分野に首を突っ込むことに迷いながらも手に取ったのがこの3月に出た「天皇家の卑弥呼」という本でした。この本で中心的な人物は倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ、第七代孝霊天皇の皇女で吉備津彦の姉)で筆者は彼女を卑弥呼とみなしており、同じ見解の立場は多いようです。Wikipediaにトトヒは飛鳥を表すとの説を載せています。ヤマトの尊い飛ぶ鳥の百代(つまり永遠に)受け継がれる姫という程の意味でしょうか。ところでトート(ギリシャ語ではトト)はエジプト神話に登場する知恵の神、書記の守護者、時の管理人、創造神で魔法にも通じているとされ(Wikipedia)神像はサギの形で造形されます。魏志倭人伝で卑弥呼が鬼道を司るとされるのも尤もです。誰が何故こんな名前を命名したか、エジプト神話にも詳しいユダヤ人が知恵を貸したのかそこまでは分かりません。序ながら私は子供の頃鶏を飼っていたことがあり、近所の店に卵を持っていくと買い取ってくれてそれで小遣いを貯めていました。時々鳥小屋から出して遊ばせることがあり、一掴みの麦を持ってトートトトと呼ぶと鶏たちが羽を広げて駆け寄って来る様は可愛いものでした。鶏以外の動物に対してそう呼ぶ気はしませんでした。

 孝霊天皇は書紀では大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと、古事記では大倭根子日子賦斗邇命)との名前があり根子彦とは明らかに「根の国のをのこ」の意味がありそうで、第八代孝元天皇,第九代開化天皇の名前にも根子彦の文字が含まれています。天皇家には根の国系と高天原系がありこの辺りまでは間違いなく天皇の地位は出雲の根の国系だったのではないでしょうか。それが結果的に高天原系に変わりますが(国譲り)根の国系に本来の高天原伝説がなかったわけではなく、それを下敷きにして渡来ユダヤ人のリードによって捏造・簒奪された高天原伝説及びアマテラスが旧来のものに置き換わり、後継系列の天皇によって受け入られたと考えられます。歴史はやはり勝者によって書かれたことになりますが、トートは書記の守後者でもあり聖書にあるような捏造も出来ます。しかしこうして出来た高天原系天皇の系列はいいことばかりではなかったのが実情ではないか。子供たちは悪魔の学校に入れられたそうです。むしろ勝った方が貧乏くじを引いたと言えるかも知れません。その無情さに雄略天皇が「そんなやり方は止めてくれ」と頼んだが断られたそうです。また「虫たち」の項に五十鈴川は猿田彦と関係ありとの説を引用しましたが、ヤマトの猿が泣いて頼んでも駄目だったそうです。この体制での今日までの犠牲者数は如何ばかりでしょうか。
 百襲姫の弟吉備津彦は天皇の権力に反旗を翻す地域(渡来人の影響が強い)を平定しました。百襲姫も魏に使者を送った時点では姉と弟は国を治める共通の目的があると思っていたかも知れません(倭人伝にそう書いてある)。しかし百襲姫は死んで自分の何たるかを知り且つユダヤの霊たちの教唆(あるいは恫喝?)を受けて、自分と弟は立場が違い、弟が自分達の領域の侵害者であることを認めざるを得なかった(さもなくば殺すと言われた?)。かくて新しい神話は百襲姫をアマテラスにし、吉備津彦をスサノオにした、ということが考えられます。この考え(多数説)では倭国大乱をヒミコ以前と看做しその主人公を吉備津彦とします。もっとも百襲姫は大物主神(人間であろう)と結婚したのであれば大和地方(渡来人の影響が強く反・出雲的、大和朝廷発祥の場)に親しみ、亡くなる前から彼女自身吉備津彦に対立感情を持っていたかも知れません。彼女は懐妊したが夫が蛇の生まれ変わりであることを知って驚き、箸を使って堕そうとしそれが命取りになった。蛇を嫌う女性は多いと思います。この時苦悩と病で引きこもったのが岩戸隠れに相当することになります。想像の域を出ませんが出て来る言葉を繋ぎ合わせると以上のような物語が出来そうです。百襲姫の後継者が八代孝元天皇の皇女倭迹迹日姫(ヤマトトトヒヒメ)で百襲姫とは別人ではないでしょうか。既述「天皇家の卑弥呼」を読んだ方は本とは大分違うことを言っているなと思われるでしょう。いずれにせよまだ矛盾が残っていてこれ以上書くと「素人の勝手な作り話」に四方八方から矢玉が飛んで来そうです。倭という字はニンベンに委ねるという字で、倭人伝とは軽蔑的に他人に頼る者たちの話とも取れます。魏志倭人伝は時代を映してはいるが地名や人名を日本のそれと擦り合わせるのは絶望的という気がします。
 中丸薫さんが言うアマテラスとは本来のアマテラスのことでその汚名返上を願っているというのであれば、常識では付いていけない面があっても彼女の活動は無下に否定すべきではないかも知れません。

 

         ---------------(付記)---------------
 大河ドラマで信長が酒盛りの客に死んだ敵将の頭蓋骨で作った漆塗りの杯で酒を飲ませるシーンを見て異常だなと思った記憶があります。6月23日(2018年)の「BS-TBS諸説あり」と言う番組で光秀だけでなく秀吉も家康も信長に対し殺意を抱いていたとの説を取り上げていました。信長が死んで「こちらではこれを食べることになっている」と人の肉を出され「それならば戴こう」と食べたと言われています。信長が好んでそうしたか生き残るために止むを得なかったかは分かりませんがそれが我々を待っている死後の世界の入口だったとは言えるでしょう。信長はガバメントに成敗されるまで悪魔側のリーダーだったそうです。
若い時魅力的でいまは60代の良き母親である女性はニワトリだそうです。このような個人の秘密は口が裂けても言えないことだと思っています。右足と左足の踵をくっつけてつま先を90°の角度に開いて立っている女性はどう見ても我が家の庭にあるピーターラビットそっくりです。因幡の白兎の伝説で大国主命は兎を助けますが日本はウサギの国と言われています。鳥羽僧正が描いたとされる鳥獣戯画に猿と兎と蛙が出て来ることには重要な秘密が隠されています。

 天照が男性か女性かについても喧しい意見の対立があるようです。もし女性神であるとの通念がトトヒヒメ神格化のための渡来人によるフィクションであったとすれば彼らは随分大胆な捏造を試みたものであり、歴史の真実を歪める出過ぎた真似だったと言えるのではないでしょうか。戦時中軍部によって偽書と看做され関係者が弾圧された竹内文書では天照日大神は男神として登場するそうです。個人的にはインパールやノモンハンの事例・軍国主義ポリシーに見られるような、人間性の尊厳を蔑ろにする旧軍部の理念を追認し黙従する気にはなれず、竹内文書の格付けの見直しが必要であるように思われます。