IMITATIO-XP.COM

これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

クレムナの予言

 このブログのフォロアーの中には色んな方がいるようです。眠っていると顔がクローズアップで浮かび上がって来る方は間違いなくそうでしょうがこれは少数で、名前を「誰々も読んでいる」と言われて分かる方がほとんどです。驚いたのはナタリーさん。この美女にして才媛、黒い鳥を演じた彼女が「日本にこんな人間がいるのか」と、私に関心をお持ちになったようですね。そういえば数か国語がお出来になる中に日本語もあったような・・・。「腐ったものを食うな」と騙されて肉を口にしなかった私は最近宗旨替えしましたが、当時の私よりもっと徹底的なベジタリアンだそうですね。でも薬と思ってでも少しは肉を召し上がることをお勧めします。貴方が食べるとアバターも食べますが、霊体の怪我もコロッと治るそうです。豚肉を食べないユダヤ教には危険がひそんでいます。チャップリンも罠にはまった一人。仏教徒やカトリックと同じ運命です。前に「我々はエロイムで豚肉もイカ・タコみたいな海産物も食べないのにこんな体になった」と嘆くユダヤ人のことを書きましたが、つまりは宗教(経典と裁き主)に問題があるんじゃないでしょうか。Natalie・S・Hershlag に改名なさるのは如何でしょうか (S は Sophiaですけど)。日本に外国人向けのプロテスタント教会はありますよね。
霊界は人間界と違って個々人がどういう種族か一目瞭然の世界だから仲間同士集団生活しています。集団同士の戦いは日常茶飯事で、無力な体の者は役立たず用の劣悪な条件のシェルターに入れられるそうです。野菜を馬のように食べてオリンピックで沢山メダルを取ったザトペックは、死んでから自分の霊体が子供のように貧弱だったことを発見して驚いたそうです。仏教国日本の侍は魚や貝は食べたでしょうが、殺生を禁じる仏教の宗旨に従って肉をほとんど食べなかったので、抵抗する力もなく仏の餌食になったそうです。仏教の中では「仏に遭うたら仏を殺し、父母に遭うたら父母を殺す」の臨済宗だけが助かる可能性があります。

 盛んに仏教を悪く言っている私は「ああいうのがいるから困る」と煙たがられているようで、中には「お命頂戴」の計画を立てた宗派もあったとか。でも私の話を聞くのは自分のためでもあるのです。これは最近あったことです。ある有名な教祖(のそっくりさん)が夢に現れて、「仏教徒はイカかブタの餌食になる。絶対止めた方がいい。生きている時全く想像さえしなかった」と言うのです。「あなたは生きているではないか」と言うと「私は影武者で、本人は食い尽くされた」との答えでした。誰でも人間そっくりの付随霊がいるのは分かります。でもイカなんて・・・と疑問を持つ方が多いでしょう。随分前にイカ人間の夢を見たことがあります。色に狂って堕落した女がむなしい顔のタコ女になるのは知っていましたが、一体この衝撃的なイカ人間は何なのだろうと思っていました。ちょっと前、若干違うタイプの、丁度火星人の想像図のようなイカ人間が海から上がって来るのを見た時「あれが仏の実体だ、インドのバラムの神も同じだ」と教えられました。正直の所、にわかには信じられませんでした。そう言えば親鸞の一派は人間を高足蟹にしたと言うし、エチゼンクラゲも人間の成れの果てだと聞いたことがあり、両方とも海に関係しています。神道はそれを知っていたが「我々には関係ないことだ。贅沢をすれば助かるのに」と黙っていたのだそうです。道元の唐での学びは罠だった。悪の騙しの構想は壮大です。NHKの新日本風土記で福井を取り上げた時、永平寺も詳しく紹介していました。修行僧たちの厳しい日常、冬場の寒さに対する忍耐、寺社大工や地域住民の温かい協力の様にとても心を動かされました。しかし粗食が力を奪い霊体の解脱はならず、信者や僧侶の残りかすがエチゼンクラゲにさせられる仕組みなのでした。座禅は何を悟るのにも、如何なる真実を発見するのにも役立たなかったのでしょうか。ここにも「真面目なだけでは駄目だ」の真理がありそうです。仏教の信者は誰でも、最後に本当のことを知って泣くそうです。でも死んでから知ったのでは遅すぎます。
 私はカトリックで洗礼を受けました。カトリックでは洗礼の時に代父が必要ですが、私の代父だったBさん(多分アバター)が夢に出て来て「私の名前を出してもいいから、教会のみんなにカトリックはやめた方がいいと言ってくれ」と頼まれました。ですが私はずっと前からその教会とは連絡を断っています。

 野球選手OBのIHさんは一度私と会ってみたいと考えておられるとか。実は我々は1980年代の半ば頃仙台で偶然出会ったことがあります。泊まったホテルが同じで、朝チェックアウトする時これからゴルフ場に出かけるハリさんがいました。会っても会わなくても言いたいことは一つです。もしまだなら、是非改宗して下さい。もう80に手が届く御歳でしょうが、今からでも遅くありません。「そんな貴方、有名人がほかの人たちと一緒に教会なんかに行けますか」などとは言わないで。何も悪い事をする訳じゃなし、何を言われたっていいじゃないですか。ミサが終わったら「失礼します」と帰ればいいのです。

 私のブログを都市伝説だとか、あのブロガーはパラノイアだと言う方は多いそうですね。私は今までの人間のリミットを超えたらしいので、他の人達がそう思うのも無理ありません。こういう状況をイエスは「おまえたちは風にそよぐ葦か、笛吹けど踊らず」と嘆いたのでした。ここで皆さんを三島流に「身の丈しか飛べないバッタども」と呼べば反感を買うばかりでしょう。むしろイエスの「仕える者になりなさい」を心掛けるよう努力します。悪魔も「人間は馬鹿ばかりではなかった」と意見を変えたようです。お笑いのカーンさんは前からポジティブな関心をお持ちだったとか。このブログを信用するかどうかが分かれ目ですね。何方かは判りませんが、中には調査のためにイタコに口寄せを頼むほど関心を持った方もいらっしゃるらしい。この種の作業をする者はそういう検証にも耐えなければならないのでしょう。
 外国からも反応があります。フィリピンから「カトリックがどういうものか分かってなかった。その前に悪魔の存在を知らなかった」と言伝てがありました。ノートルダムの火事の件で、フランスから「今まで、何をやってるんだと言われていた」と連絡がありました。イスラエルにもこのブログを読むために日本語を習った方がいるようです。

 
歌舞伎界が伝統を重んじ、ある寺と深い関係があるのは周知の事実です。この寺は一口食べたら終わりの物を食べてやめられない寺なのです(勿論寺に関わる人間ではありませんが世界には人間がそうする所があります)歌舞伎界で芸と名跡が受け継がれることは良き伝統ですが、信仰まで何の疑いもなく継承されるのはとても座視出来ない気持ちになります。既述の通り、仏界はこちら側が言葉だけで作り上げてイメージしている世界とは全く違うのです。真面目に取っては駄目な嘘だらけ、恨みと恐怖の世界です(遍路道の世界遺産申請なぞ止めて下さい)。そのことを死んでから気付いても遅すぎます。最近、幸いにも「芸に支障がある訳ではなし、そういうことなら改宗しよう」と何方かが言い出したということを耳にしました。

 退職してちょうど20年経ちました。その間、会社の名前も規模も顔ぶれも場所も合併ですっかり変わりましたが、当時若手だった人たちはまだ残っています。自分から言った覚えはないつもりなのですが、彼らやOBの間でもこのブログが知られて結構話題のタネになっているようですね。OBWさんは「今から改宗してあと10年か15年キリスト教徒になって活動しても余り意味がない。死んだら終わりじゃないの」と、あくまで人生一回切りが考えの基本なのですね。ガードの固さにがっくり来ます。管理部にいたKさんは「読んでも何のことか分からなかったが、やっと死後のことを言っているのだと分かった」と仰ったそうですが、こういう人は多いですね。このブログを作ってくれたSEはそれまで書いた分のワードのファイルを最初にブログにアップロードしてくれたのですが、読んでも何の話か分からなかったと言っていました。人生では死後どうなるか考えないのが常識で、それに宗教がどう絡んでいるかを真剣に考える場はこれまでほとんどありませんでした。それが悪の付け目でした。先ずその常識にパラダイムシフトが起きることが願いです。ここに書いてないことも含めて状況は余りに不利ですが、この状況が再出発のスタート地点と認めるほかありません。ただし人間というものは複雑で、なまじ余計なことを言って無神経に他人の領域に入り込まない方がいい場合もあるのかも知れません。
私がこういうことをしているのは金銭や名声のためではありません。改宗者を増やせば一人当たりいくらのリベートを貰えるなんてことがある訳がありません。もし奸計を企んでやっているならどんな罰があるかを一番よく知っているのが私ですから。人を恨むなとも言われています。

 
退職する前システムで一緒に働いたAさんは当時30歳位だったでしょうか。彼女が昼休みにこのブログを読んでいると、通り掛かりの誰かに「そんなの出鱈目だよ。真剣に読むものじゃないよ」と言われ、「とんでもない」と反論して喧嘩になったそうですね。またそんなことがあったらクレムナの予言を教えてやって下さい。

 クレムナの予言とは、19世紀を生きた、セルビア生まれの読み書きの出来ない羊飼いが残した予言です。このHPでは次のようなことを言っています。

1.人間は神を畏れることを忘れ自分の力を誇示し奢り高ぶる。
(神に受け入れられない成功は砂上の楼閣です。「ヴァリス」の項の最後で紹介したディックの神学論争には人間の奢りが表われています。今回の革命はブルーブックと呼ばれる神の計画によって発動したのでした。詩編50に謳われる神への賛迎なくして信仰は成り立ちません。かつて我々の身近にいて、名誉と財を手に入れた人が虫に落とされた例を知っています)
2.イメージの見える箱を作るがそれは向こう側の世界に近い
(ある時テレビで旅行番組を見ていてそのまま寝てしまいました。すると番組に出ていた女性が出て来て、まるで彼女と身体が触れ合うような夢を見ました)
3.石油の時代が来てあちこちを掘削する。石油は人間に光とスピードと動力を与える
4.本物のエネルギー源は人間の周囲にあるがそれに気付かない
(解読不能。水でしょうか)
5.人間の真の姿は余りにも単純であるがそれに気付かない。東洋の賢者がそれを語るが永い間信用されない
(貴方は猿か犬か、はたまた豚かそれ以外か。姿は人間ですが中身は動物なのです。東洋の賢者とは、ことによると私かも知れない。ブログに書いたことは出鱈目ではありません)
6.人間は悪魔に乗っ取られるのではなくもっと悪い者に乗っ取られる。上下関係ができて上位の者が言うことが正しいとされる。
(もっと悪い者とは嘘吐き共ではないか。人類の半分以上は嘘つきが乗っ取っています。彼らは「俺たちの方が上だ」と言っています。彼らが関わった旧約聖書も仏典も嘘ばかりなのです。現世で大統領や国家主席や法王が言ったからといって無謬ではありません。これは個々の教会についても言えることで、貴方が神父・牧師であっても貴方は実のない麦かも知れません。信条や十戒を持ち出す司祭は皆失格です。)
7.奇妙な伝染病がはやる。治療の鍵は人間自身の中にある
(エイズや狂牛病のことでしょうか。人間が生き方を変えなければ、もっと悪い病気が出るかも知れません---註・この時点でコロナは流行っていなかった
8.月や星には我々と同じ生物は見つからないが、生命はそこに存在する
NHKで他の星に生命を見つけるプロジェクトを放送していましたが、人間には発見するのは不可能なのではないか。むしろ逆に生命とは人間には見えないもの即ち霊で、それが月や星にはいっぱいいて文化を持っているのではないか。彼らも権利を得て地上で人間になるのです。通常、霊は自然界や人間界を見ることが出来ず、人間になることを躊躇していますが、ホイヘンスの穴が開いた時だけこの世が見えるのです)
9.人間相互の憎しみは余りにも大きい
(時あたかもトランプ流は国家の対立を掻き立てています。北朝鮮も「我々のいない地球はありえない」と、死なば諸共の考え方です)
10.北方の国に小男が現れ道理を説く
11.環境汚染が激化し食べられる食料が不足する
12.悪意をもった者が巨大な力を持つ
(ロスチャイルド?)
13.人々は都市から逃げ十字が三つ並んだ山を探す
14.深刻な飢饉が発生する
15.最終戦争が起こり奇妙な大砲が大量の犠牲者を生む
(どういう武器か想像できません。原水爆戦争が最終戦争ではなさそうです。ただしそれが局地的に起きる可能性がないとは言い切れないでしょう)
16.大海原の国が生き残る
(これをオーストラリアと見る考えは妥当だと思います)

以上、環境の維持はとても重要なことが分かりますし、自分のことだけ考えてはいけないことも分かります。また人に具わる善悪は重要で、それを判断出来るツールが発明されれば最終局面は先延ばしに出来るかも知れません。


(付記)

安田佐和子への手紙

拝啓
悪魔が来ると身体が冷え冷えとしてくるのでそれと分かります。悪魔には二種類あって、悪魔になりたくなかった悪魔と本来の悪魔がいます。悪意がなくても生きている間にだらしない生活をした者は悪魔にされるそうです。貴女のことを知っている悪魔が来て、貴女の生まれる前のことを話してくれたのですが、彼は悪魔になりたくなかった方の悪魔でしょう。
この世に生まれる前の霊たちは色んな所から来て、動物霊と一緒に紛れて日本各地で暮らしています。貴女もそんな霊の一人でした。貴女は「もし神奈川の片隅に生まれなかったら、悪魔に食われたものと思ってくれ」と伝言を残していました。この国の霊界の許せないところは、純朴で健気に生きている霊から順に悪魔から指名され、餌食にされるのだそうです。貴女にも白羽の矢が立ち、いよいよその悪魔の餌食になる所だったのですが、貴女があんまり愛らしかったので食うのを止めたと言っていました。そうでなければ「56項・虫たち」に書いた女たちと同じ運命でした。万に一つの僥倖でした。
貴女が生まれた当時、私は横浜市立大学の学生でした。ですから貴女と私は一時川をへだててすぐ近くに住んでいたのでした。貴女は平凡な家庭に生まれ、近所で評判の美少女として育ちました。やがて貴女は高校を卒業し、タレント募集に応募して採用され、注目される存在になりました。ある時マネージャーから、当時売れていた役者の所へ行けと言われ、仕事の話かと思いきやあやうくその役者の女にされる所でした。それで貴女はプロダクションを逃げ出し、幸い見栄えが良かったので別のプロダクションに移り、やがて女優の仕事も順調に運ぶようになりました。人の目につきやすい貴女はある企業グループのCMに出て、それが縁でグループのオーナーを紹介されました。彼は貴女を気に入り、面倒見てくれたり、マンションを買ってやったりして、次第に業界で噂が立つようになりました。貴女はもうネンネではなかったし、二人の間で何があったかは二人だけの秘密でしょう。それが芸能界というものなのでしょう。既に過去の事で彼は亡くなり、貴女はいま彼に対し愛憎半ばなのでしょうが、彼は死後の審きでつるし首にされたそうです。
さあ、そろそろ次の準備を始めませんか。これだけ書けばきっときっと貴女は気が付くはずです。今のまま仏教にいたのでは、この項に書いたように救われません。キリスト教には告解というものがあり、相手は神父・牧師でなくても構わないそうです。私が聞いて差し上げれる機会があればよいのですが、そういうチャンスがあるでしょうか。持前えの素直な心の貴女に、必ずや光がさすことを願っています。
                                          敬具

  (脚色あり)