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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

プライバシー

 自分のアバターと会話する人間は私くらいかも知れません。「アバターは邪悪」の項の続きです。ギリシャの霊界はアバターについて知悉していてトリックに活用していながら、あえてこの世の人間には伏せていたから、ギリシャ哲学にアバターは出てきません。ただし前項に出てきたプシケーの物語などの寓話でそれとなく教えています。つい最近見た夢の場面は夕方のように薄暗い海で、そんなに身体は大きくない子供のような男女のカップルが泳いでいました。女は水面下の下半身は何も着ていないようでした。それを見て男が感じたリビドーが私にも伝わり(人間とそのアバターは意識が繋がっています)、私のある記憶が蘇りました。前に私は妹と性的関係を持った夢を一度ならず見たことがあり、目が覚めて「俺は妹と実際にそんなことをした覚えはないし、したいとも全然思っていない」と不思議に思ったのでした。そして今回あれは私のニセアバターと妹のニセアバターの仕業だったのだと理解した時、怒りの導火線に火が点きました。もし私がこのことに気付いてブログに書いていなければ、審きで「実の妹と関係を持った動かぬ証拠」としてこの映像が利用されたに違いないでしょう。それは妹にとっても同じでしょう。私の異常に気付いた仲間が彼を連れて来て、「どうしよう。殺してしまおうか」と相談していました。私はそれにOKのサインを送りました。大分前、私の親しかった友人が50代半ばでなくなり、彼の浄土真宗の葬式に出たことがあります。その件で後で知ったのは「もしセカンドハウスか借り部屋があり、葬式にも火葬場にも行かないでしばらくそこにじっとしていれば助かる可能性があった」ということでした。私も死期が近づいたらそれを手配する事も考えられますが、アバターがいたら隠れ場の足がつくだろうと思ったからです。彼は捕らわれて三日間泣いて過ごしたらしい。

 ところがしばらくしてケロっとして現れて「そういう訳で無事放免された」と言いました。その間どういういきさつがあったのかは知りません。しかし私に対する反感は変りません。私を「絶望的な窮地に立たせたいと思っていた」と言います。履歴の記録には私のことを「だらしない人間」と書かれていました。反対に「この人はだらしなくない」と食ってかかる者がいました。それを聞いて私はあわてて食器を洗って片付けたり部屋に掃除機をかけたりしました。しかしこの「だらしない」は「女にだらしない」という意味でした。私は妻が来た時以外今借りている北関東の部屋に女を咥えこんだことはありません。ところが誰かがあちら側でエロ本を買って部屋に置いてあったのでした。それ専用の誰も読まないエロ本が二束三文で売られているらしい。最近点検に来た者がいてそのエロ本が見つかり何か指示されたのでしょう、数日後私は「本は捨てたよ」と言われました。ニセアバターは「ベトナムに帰れ」と言われ「何で俺だけが帰らなくちゃならない」「故郷は受け入れてくれない」とゴネていました。

 アバターなんて考えない頃、誰かが私のクレジットカードのサインと同じサインをする夢を見て「誰が何のために私のサインを真似るのだろう」と思ったことがあります。自分が店頭でカードを使った時書いたサインは同時にあちら側でも書かれ記録されたのでしょうが、夢で見るのは自分が寝ている時のことです。アバターはカードを勝手に使うことが黙認されているのでしょう。それやこれやでとんでもない借金が残されているらしい(これを書けば私が借金を承知していることになるから書かない方がいいと思っていました)。また最近夢の中で日付も支払先も用途も署名も記載されていないが、手書きで便箋に何行かゼロがいっぱい並んだ数字と右側に簡単なメモだけを書いたペーパーを見ました。「調査中」の判が押してありました。多分合計すると相当な額になるでしょう。誰が書いたかを調べようにも、30人位いる付け人は8年位でシャッフルされるから問い質しようがありません。人間は審きで「有難うございました」と言わされ(誰も言わないらしい)、この借金の弁済を要求されます。有り金で払えなければ(余程の金持ちでなければ払えない額です)残金は命と引き換えです。こんなやり方は仏教だけでしょうか。ともかく仏教で助かる者は「一部の例外を除いて」いないと思った方がいい。しかし実はそれだけではありません。法華は大学生の頃大阪で私をスイヨプと呼ばれるコリアン(か北朝鮮かは分からない)に売ったらしい。大阪には大きいコリアンタウンがあります。一体全体これらの不安は改宗してもまだ付きまとうのかと、やり切れない思いですが、それでも改宗しないまま死んでイカ族に取り囲まれるよりはましでしょう。他方この国の状況の変化は明らかに感じられて、ガバメントは地歩を固め、秩序も住まいも暮らしも改善した様子は確かにあり、余計な取り越し苦労をすることはないのかも知れない気もします。この件に関しては後述ましす。

 「インド」の項でシバ神とパールバティーが結婚したが、シバ神がヒマラヤから戻って来ない話を書きました。ガイドはその理由を「インドの神は強かったが火器を持っていなかったので、火器を持っている敵に破れた」と言っていました。私はインドでイカ族がヒンズー教徒も仏教徒も見境いなく襲った結果、仏教も負けてイカ族に乗っ取られたのだろうと思っていましたが、どうやらそうではないようです。元来イカ族が仏教の元祖なのではないでしょうか。信じるも信じないも貴方次第ですが、SF2の⑨「内なる宇宙」でホーガンが光軸教や螺階教という仏教に似た宗教のことを書いたのは、仄聞すると遠い昔の歴史上の事実に近いらしい。京都某寺にある秘宝の天女像は愛らしい顔をしていますが、その実態は顔に似合わず恐れられています。国立大学にいるという知恵の菩薩も同様です。釈迦が仏教を起こしたのは見えない存在に教理を教わったのだと思います。だから彼もまたムネモニックな人間だったと思います(しかし釈迦は結局災いだけをもたらしたと言われています)。モーセもヨハネもそうであり、イエスもゲッセマネの丘で神の声に耳を傾けていました。だから私も歴史的な・・・と尊大ぶる気はありませんが、重要な宗教改革に関わっているのは間違いないでしょう。歴史的な転換期に責任重大だが過ちは人の常とも言います。悪意ある声に騙されることなく正しい情報をお伝えしようと願っているのです。新しい統治方式としてイエスを筆頭とするガバメントが旧体制をくつがえし、霊界に人間中心主義の治世を再建しようとしている事実はどうか真実だと受け入れて欲しいし、マリア信仰に対する見直しも決して私の自作自演ではありません。両方とも死ねば誰でもすぐに分かるでしょう。彼女たちは「どんな男も女の股間に触りたい欲望を抑えられない。だから誘い込めば来るし後はこっちのものだ。いずれ勝つのは我々女の方だ」という信念を持っています。ギリシャでバラ族が公認されたのも女の怖さが密かに知れ渡っていたからでしょう。しかしこれにも危険が潜んでいたのです。

 仏教は異端で信じるも信じないも自己責任ですが、既述のようなイカ族の振舞いは目に余るとガバメントも認識しているようです。我々の目にはいたいけない幼女を、熱湯でゆでて食っているのは人間界では考えられないことですが、それはイカ・タコが人間にゆでて食われるお返しらしい。私のクリルタイ即ち付き人グループにワタナベと呼ばれる者がいましたが正しくはタイから来ていたワタナノンドで、タイ風の腰巻のような着衣の下は8本足でした。仏教で助かるであろう「一部の例外」とは人間になったイカ族のことです。もしこの国でイカ族以外の仏教徒は淘汰されイカ族だけが助かるのなら、イカ族がますます増えるのは簡単な算術です。だから彼らは「我々は人間だ」と言っているそうです。一体イカ族の活動範囲は仏教国だけに限るのかというと、そうではないらしい。イタリアにもいるらしいし、イアン・フレミングの言うオクトパシーのスペルは冗談でしょうがイギリスにもいると聞きました。

 私は30才の頃ある女性と知りあい、彼女と結婚する気で親戚に仲人も頼み式場も予約していました。そして当時九州に一人でいた母の所へ会わせに行きました。それからしばらくして彼女の母親から呼び出しがあり(彼女は母と二人暮らしでした)、行ってみると母親の妹も来ており、「貴方たち二人が既に性交渉があったことを最近知ったが受け入れられない」、だから「娘と結婚させる訳には行かない」と言い出すのです。それまでその母親とは色々と食い違いがあり、口には出さないがお互いわだかまりがあったのは確かです。「こういう人に母親面をされるのは叶わない」と内心思っていました。結局手切れ金を払って婚約は解消しましたが、別れる時彼女も「自分は母の許可した人としか結婚出来ないだろう」と言ってました。彼女はその母親の生んだ子ではないが育ててもらった恩があるという特殊な事情があったのです。しかし彼女は気の強い女で、交際中彼女に紹介した私の親しい友人たちに、別れた後で電話で一方的に悪口を言い触らしていたのには閉口しました。当時は何も考えていませんでしたが、最近判ったのは彼女はイカ族だったのです。

 以来すっかり女性不信に陥った私ですが、結婚しないつもりはありませんでした。40才の頃友人が紹介してくれたのが今の妻で、10才位年が離れています。結論から言うと彼女はモート人でした。付き合っている間は余り感じなかったのですが、結婚すると随分見下すような態度をとることがあるのが判りました。何か相談を持ちかけた時「私は首をタテにふらない」と言ったのには驚きました。外面(そとづら)はいいのですが、私に対しては言葉使いが丁寧だとか相手の気持ちを推し量るというのとは全く逆の面がありました。結婚したての頃テレビで悲しい話のルポルタージュがあって、それを見ながら目に涙を溜めていると、何か珍しいものを見るようにジロジロと私の顔を見て含み笑いをするのには驚きました。そっと見ないふりをするのではなく、全く感覚が違うと思いました。結婚前にお互い家から電話していた時彼女が突然「ピロピロピロピロ」と話し始め、「何それ?」と聞き返しても黙っていて答えませんでした。あれはモート流の話し方だったのではないでしょうか。煙草をとっても嫌がります。洗礼式のときは教会に呼びましたが自分も入信する気はなく、私がミサに行くのは彼女がパソコンやヨガの教室に行くのと同じこと位にしか考えていないようです。このブログも最初の頃ちょっと読んだだけで今は全然関心がありません。

 ある夜更けに布団の中で寝ている時鮮明に見た夢で、風呂場で洗濯物をハンガーに干している者がいました。妻は隣で寝ています。この世と霊界とは時間帯が違うことは知っていました。それは妻が好きでよく着ている、白地にブルーのライン入りのシャツを来た男性でした。彼は身長165cmの妻と同じ位の背格好です。妻は洗濯が好きな方です。それを見た時「モートの特徴は性転換すること」がひらめき、それが彼女のアバターであることを直観しました。こうして妻がモートであることを自覚してから、周りが色々な事を打ち明け始めました。結婚生活の最初にやって来たモートグループのリーダーが私の仲間に対して冒頭に言った言葉は「奴隷ども、我々の言うことを聞け」で、それは記録に残っているそうです。私の特性を知っていて、まず厳しい緘口令が敷かれましれた。結婚生活約40年の間に、彼らに脅されて不承不承やらされたことが随分あったらしい。子供を産ませて献上させるのもその一つで、「タダのものを食って何が悪い」と嘯(うそぶ)くのです。また娘を凌辱し「ヒーメンの値段はいくらだ」と馬鹿にするのです。彼らは平気で嘘を吐きひとを騙します。長い間にもはや私の財産は根こそぎ奪われて無くなっているそうです。もし子供が生まれていたら複雑な問題が起きたらしい(決して子供を作らないよう産児制限したわけではありません)。アバターは女の服装をしたり男の服を着たりしたそうですが、現在は男になったら代わりに女が来るようです。モート人と結婚するとほとんどの場合こうした事が起こるようです。これは男女が逆の場合も同じですが、特に男の方がモートの場合女はもっと悲惨らしい。だから「日本人はうかつにヨーロッパ人とは結婚するな」と言われているそうです。私は最近アーモンド型の目をした地上にはいない二体の動物が私を見下していたかすかな夢の記憶を思い出し「多分あれがモートだったのではないか」と思い当たりましたが、何時のことだったかは覚えていません。

 最近はこうした事情も大分変わったでしょう。人間は数が減って全然不利と思われたにも拘わらず、この国ではガバメント軍が無事に反革命側に勝利し、その結果序列も組み替えられました。栃木では女も髪を切り男装して戦いに参加したそうです。埼玉ではまるでフランス国歌さながら、パウロのエフェソ5に「眠りについている者起きよ。死者の中から立ち上がれ」とあるように、復活した人間たちが戦列に加わったそうです。千葉にイカの大群が飛来したとの知らせがありました。九十九里浜は外敵侵入の入口のようです。神奈川に私そっくりのニセモノが現れ「革命軍なんかに加わるな」と触れて回ったとの報は意外でした。神奈川には寺・神社とマリア族の本拠などの反革命軍の根城があり、キリスト教徒の参加者も少なかった。このように所により応募者数はまちまちでしたが、実は強力な外部からの助っ人があったのです。それはイスラム教徒の参加です。歴史をふり返れば、コルドバにいたイスラム教徒は神が悪魔からキリスト教徒を助けるために派遣したのでしたが、キリスト教徒は彼らを追い出しレコンキスタ達成と喜んだのでした。十字軍もヨーロッパ人の独断と無知がもたらしたものでした。この食い違いの元はカトリックのせいではないでしょうか。ギリシャへのノスタルジーを再燃しマリア崇拝を演出したルネッサンスとは一体全体何だったのか。国境の線引きを争ったヨーロッパ人には何か的外れな所があったと言っては失礼でしょうか。神はイスマイルに「耐え難きを耐えよ」と命じたそうです。私も多数意見に迎合して彼らとは立場が違うと思っていましたが、光に向かって祈っていた彼らを我々も見習わなければならないのです。

 もし地獄の番人が悪魔だけなら、悪魔が有罪になって地獄に送られても仲間に刑を執行しはしないでしょう。そのために悪魔を処罰する人間たちもいてやはり悪魔と呼ばれていましたが、種の序列をきめる今回の戦いで彼らもガバメント側に付いたのでした。彼らはもはや悪魔と呼ばれなくなったようです。でたらめなタダ働き制度もなくなり、誰でも働きに応じて相応の収入があり、昨年から収入に応じて税が徴収されています。地域ごとの自治組織も出来て区長も選ばれているようです。生まれ変わりもこれまでのような勝手なまねは出来なくなるでしょう。半島で革命軍への参加者はいなかったようです。