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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

ブレークスルー

マリア(マダム、マドンナ、ウスペンスキー、ノートルダム)の手口を箇条書きに書き出してみた。
人の子に食事も与えないで暗い部屋に閉じ込め、延々と歌ばかり歌わせる。200年もすると人の子は自分の名前さえ忘れすっかり頭が馬鹿になる。
・食べ物はモートとイカ族が食べた後の残り物を食べさせる。魚はいつも腐りかけである。あれこれ下らない注文をつけて食い合わせを指図するが大根だけは自由に食べても良い(浅草の大根寺はその名残りである)。
・言われた通りにやっていると突然罰金を取りに来る。理由を聞くと「ルールが変ったのにやり方を変えていないから」だと言う。
・「その方が安心だから貯金しなさい」と貯金を勧めるが、金が必要になり下しに行くと「お前の貯金はゼロだ」と言われる。
・クレジットカードを使って無理な借金をさせる(私の借金の大半はこれではないか)。
・人の子が肌身離さず持っていた物を奪われる。
・何かの出来事があって報告する場合「サプライズ、サプライズ」以外言ってはならない。
・耳削ぎをする。
・しゃれこうべを拝ませる。
・嘘を吐くこととデタラメな報告書を書くことを人の子に命じ、見返りにご褒美をあげる。人の子の中には「頭のいい方が勝つのが道理」と彼等の側に付き、ひねくれて育った者も多い。
・替え玉を人間グループに送り込み、反対意見を言わせて意見の一致を妨害する。
・「ダニエルに献金すれば彼の恩恵が期待出来る。私はダニエルと旧知の仲だから取り次いでやる」と大金を出させる。彼らにとって旧約聖書もこういう利用法で役に立つからまだ残しておきたい。イギリス人はマリアを排除したがダニエルとパウロは受け入れてしまった。彼らは騙されているとはつゆ知らずダニーボーイを歌いセントポール寺院を建てた。ダニエルはイカ族でパウロ(哲学者)はモートであろう。「メネ・メネ・テケル・ウパルシン」を解読することは普通の人間には不可能で、ダニエルは人間にしては頭が良すぎる。オッペンハイマーがバガヴァッドギーターに詳しいのと似ている。イカ族も永遠の命はないからダニエルにも後継者がいるが、そのうち二人も日本にいて「人間なんてみんな馬鹿だ」と言い合っている。
パウロの後継者には水掛け論の秀才が選ばれる。裁きの場で議論を吹っ掛け、不利になると巧みに論点をずらし、合格点を与えない。既に私は哲学者から0点を付けられている。余りいい気はしないが、ガバメントは「奴らの採点なんか気にするな」と言っている。
・「この世は地獄だから行かない方がよい」と吹き込む。自分たちが人間になるためである。
・セックスについて人の子はいいように利用され、聞くに堪えない(文章に書けない)話ばかり。
・人の子はこんな酷い目にあわされたのに「有難うございました」と言わされる。
「言う通りにやれ」と、マリアグループに命じられるままにやる愚かささに気付いて、人の子はそろそろ反旗を翻してもいい頃であろう。フランスでは悪の元凶であるノートルダムに誰かが火を付けたのだが、また前の通りに建て直すおつもりだろうか。フィンランドよこれでもまだウスペンスキー寺院を守り通しますか?こんな所でお葬式すれば死者はモート族に取り囲まれること必定です。S女子大はキャップを脱いだ方が良い。

 日本には幸福の科学やPL教や天理教等の独特の宗教があり、ほかに仏教系や神道系の宗派がある。幸福の科学の信者が「お前たちの依り代は誰だ」と問われ「東大だ」と答えた所「馬鹿なことを言うな」と受け入れられなかった。儀式における教祖のいで立ちから仏教系にされたであろう。PL教や天理教の教祖がカニバリストだとは思えないから、それで信者が助かるなら大変結構な話である。しかし事はそんなに簡単ではない。スピリチュアルな教義を持つある神道系の宗派が「信者の裁きは我々の仕事だ」と今頃抗議の声を上げているらしい。という事は、日本はこれまで悪魔優位の国であり、全般的にクラバックが評価と裁きを担当していたと考えられる。だから哲学者はキリスト教だけでなくここでも何やかやと裁きに口ばしを入れて大いに暗躍しているのではないだろうか。
 古い神社がどういう所か区別するのは難しい。鎌倉の八幡神社は八幡太郎義家を祭っていて源氏の守護神である。八幡太郎もカニバリストだったとは思えないが、八幡大菩薩と呼ばれるのが気になる。悪意はなかったのだろうが八幡太郎は仏教の守護者であったから、仏教系以外ないだろう。時代背景を考えれば止むを得ないがモート・イカ族(MS)連合が見逃す訳がない。
 平家が(多分騙されて)建てた厳島神社は仏教系ではないだろう。平成8年に世界遺産に指定された。しかしこの神社が悪しき神のいます所であることは知る人ぞ知る。広島カープの選手が「あんな所決して行くな」と他チームの選手にこっそり教えていたそうである。厳島神社は海に鳥居を設け、海から来る神を招いている。その神とはギリシャ神話でペルセウスに首を切られた筈のメデューサである。メデューサは心臓に杭を打たれなければ死ななかった。水天宮の神もこのメデューサであり、ある美人が水天宮の化身である。美人の誘惑が罠であることはオイディプス王の神話で語られている。王は二度と美女に迷わされないよう自分の目をくり抜いた。水天宮の化身は私のブログを読み「プロテスタントなら救われるとは甘い」と笑っていたらしいが実際その通りだった。実は私も水天宮の被害者である。
 鹿島神宮は剣豪塚原卜伝を生み戦いの実力を持っていた。藤原氏とは「富士を笑う」の意味だと聞いたことがある。春日大社も興福寺と同じで仏教系だろう。天神様は藤原氏と対立した神で私は信用している。
 本には一切出ていないと思うが、霊界には七部教(または七分教)と呼ばれる宗教があるらしい。現世にはないので字も分からない。これも人間中心主義の宗教であるが「この世のキリスト教は未来を考えず後ろ向きな話ばかりしている」と地上のキリスト教を批判して誕生したのだそうである。この宗教は霊界で高い地位を与えられているらしい。

 ゼウスがプロメテウスと対立したように、宗教には水と火の対立、もしくは海と山の対立という永遠のテーマが隠されている。このブログの「インド」の項を読み返すと、現地ガイドが「シヴァがヒマラヤに行ったきり帰って来ないのは、シヴァには火器がなく敵の火器を怖れたから」と話したことを書いていた。水の中では火は使えないから火器の技術は進歩しなかったのだろう。従ってヒンズーの神々は元をただせば水生だったのだろう。ハリジャンは人間だという噂は本当かも知れない。インドで生まれた仏教もイカ族の宗教である。
 最近インド首相のモディーがウクライナのゼレンスキーとロシアとの紛争の解決に向けてフレンドリーな会談をしたことが報道された。ウクライナがイカ族の国だとすれば両者には共通点がある。ついで乍ら、密教寺院で護摩を焚くのは「効き目がありますぞ」と売りつけた高価な護符が、期限切れで用済みになったからといってゴミ捨て場に捨てる訳にはいかないからだろう。とまれ我らの国はヤマト民族である。 

 しかしすべてが単純に水と火の対立の図式に納まるわけではない。その例がモートである。SF「銀河帝国の興亡」(アシモフ)にミュールと呼ばれるマインド・コントローラーが出て来る。
 数学者のハリ・セルダンは彼が開発した心理歴史学的計算方法によって銀河帝国の首都星トランターは5世紀以内に廃墟と化すことを予見する。そして彼は学者3万人と共に宇宙の果ての星に移住し、その星をファウンデーションと名付けて活動の基地にする。彼らはそこで人類のすべての叡智を納めた銀河百科辞典(エンサイクロペディア・ギャラクティカ)を編纂してファウンデーションの図書館に収める。将来この百科辞典を人類が利用することによってトランター滅亡後の混乱から首尾よく抜け出し銀河帝国の再興を少しでも早く実現可能にするためである。
 セルダンの予見した通りトランターの権威は失墜し、形ばかりの後継者が支配権を持ってはいるが、大半の陸地は農作物を作る耕地になった。代って銀河帝国は貿易商が利益を求めて宇宙を飛び交うビジネスの世界になるが、中には剛直なハン・ブリッチャー大尉のように、ファウンデーションの方針が予定する通りに帝国が復興することを期待する軍人もいる。ここで、何となく頼りなげな外見を纏い、卑屈な態度を装うミュータントのミュールが現れる。彼の出現はセルダンの予見にはなく、その影響力は波紋のように広がり次第に伝播して行った。従ってセルダンによる予測にじわじわと狂いが生じ始めた。そこでブリッチャー大尉は齟齬発生の元凶であるミュールを命を懸けて排除しようと試みる。しかしいざ対峙してみるとミュールはすべてお見通しで、何故かミュール抹殺を断行する気は起きない。そして自然と敵意が消えてミュールの存在を受け入れてしまう。かといって大尉の人格が別人のように変ったというわけでもない・・・・
 モートにはミュールのようなマインド・コントロールの能力があると思う。彼らの得意技は夢の中での下品なリビドーの極めてリアルな再現であり、誰でも経験すると思う。また少年時代に大変興味深いことを発見して次の日曜日に図書館に行って是非調べてみようと思った事があった。しかし日曜日になると最早興味がなく、あの気持ちはどこへ行ったのかと不思議だった。一番ひどいのは、大学4年生の時の刑事訴訟法の期末テストで、試験問題を読んだ瞬間「ああ、あの事を書けばいいのだな」と思った。しかしすぐ関連する別件を思い出しその方を書いた。刑訴は必須である。その結果刑訴だけ合格点を取れないで追試を受けるはめになった。他にも色々あるが、これらの出来事には全部ビジパップが絡んでいると思う。「オクトパス」の項に書いたビジパップとは家に来ていたモートの名前で、私の3人のモートの兄弟の誰に付いて来たのかは分からない。人間の一生はモートに足を引っ張られることが多いと思う。

 仏教国日本はMS連合の金城湯池である。11日の能登半島地震から半年経ってNHKが特集番組を放送していた。まだ再建は困難に直面し遅々として進んでいない。中学生を筆頭に3人の子供を震災で亡くした父親が仏壇に3人の遺影を飾り、線香を上げているシーンがあった。それを見て「3人は親よりも先にイカ人間にされたのだな」と思った。後で分かったことだが、まだ幼くて何の罪咎もない子供たちに対し同情の声があったにも拘わらず、MS連合は「ルールはルールだ」と例外を認めなかった。
 また724日、日本のチカラという番組で「被災した子供たちに笑顔を」というタイトルの東日本大震災特集を放送した。ここでも子供たちを亡くした父親が仏壇の前で思い出を語るシーンがあった。しかし既にイカ人間になって海を流浪している被災した子供たちに今さら笑顔が戻る訳がない。無知とは恐ろしいものだと思った。学校で習う訳でもないし、スマホで動画を撮ってYoutubeに載せることも出来ないから、イカ人間が存在しその原因が仏教であることを納得させるのは至難の技である。多分僧侶は知っている筈だが黙っている。ヒエロス・ガモスの摂理によって出会う筈のパートナーがイカ人間にされたのを知って怒り悲しむ声が私には聞こえる。震災に限らず子供の事故死は多い。こんな悲劇を未然に防ぐにはプロテスタントの教会が出来るだけ多くの新生児に幼児洗礼を施すことしか思いつかない。幼児洗礼には時間も経費も掛からない。この動きに先鞭を付けるのはバプティストが一番適任だと思うが如何でしょうか。先ず誰かが始め、やり続けることで日本人の意識が変るかも知れない。

 私の母はさんざん痛めつけられてみじめな思いをした人の子の1人だったのではないだろうか。時々「自分の食い扶持は自分で稼せがなくちゃ」「ちゃんと働かなければ今日(こんにち)様に申し訳ない」等と呟くので、父が「その言葉は誰に言われた、俺は言った覚えはないぞ」と不思議がった。母は父親を日露戦争で亡くし、残された3人の幼な子を抱えた母親の手で育ち、40才過ぎて父の後妻になった。そんな母の総仕上げがイカ人間になり海で波間をさまようことになるとは、考えてみれば余りに気の毒で泣きたくなる。父の実家も母の実家も法華で、母が84才で死んだ時まだ何も考えなかった私が父の例に倣い法華で葬儀を出したのだった。

 仏教がMS連合軍による宗教だからマリアは既に日本に来ていた。この金髪美女が日本の子供たちを虐めて食い物にしているのを日本人は知っていたが、自分たちがインドから来た仏教を信じているせいだとは知らなかった。他方この金髪女はキリスト教徒が信じる女神であることは分かっていた。太平洋戦争は仏教徒のキリスト教に対する無謀な挑戦であったことを、いま90才以上の人のうち何人かは覚えているだろう。815日(マリア降誕祭)は日本が敗北を認めた終戦記念日でもあるが、この日を選んだのはマリアに対し敗けを認めたことを意味していた。
 
 「プロテスタントの教会」にも色々あって何かと問題ありなのは既述の通りである。これをトリコロール化現象と呼ぶ。プロテスタントを自称しているにも拘わらず教会がカトリックの代表であるノートルダム寺院とそっくり同じ顔ぶれと環境になっているのである。ベルサイユ宮殿もモートの巣であるが、教会にはマリアやパウロやその他聖書の登場人物(多分後継者)が入り込んでいるし、牧師たちは長らく彼らと親和して、もはや癒着している。彼らが指導した既存の祈りはすべてモートの意図する方向へ捻じ曲げられ、讃美歌はアメン・ラーに捧げられていた。換言すればキリスト教とは Of the Mort, for the Mort, by the Mort の宗教だったのであり、正典とされる聖書も唱える祈りも信条も然りである。

 従って我々は嘘も教会も牧師も聖書も聖餐もアーメンもない集会をするしかないが、定例(または順送り)の集会所が出来ればそこには使徒たちが蒙(こうむ)った苦難のシンボルとして十字架だけは掲げたい。完全な万人祭司である。毎週集会は多すぎると思う。成功の鍵として、我々は地域ごとに同志を募る必要があるだろう。そして互いに助け合って団結の力を維持し、新生児には幼児洗礼を施す。葬儀の形式は仲間たちだけを招いて自宅で密葬するのが基本、ということになる。葬儀に集まった地域の仲間はしばし故人を偲び、ガバメントに救いの願いを託して死者を葬送し、「我らこそ星を継ぐものとならん」と歌うのである。地域は違っても同一宗教であることを示すために共通の名称を掲げなければならなくなるだろうが、新しい宗派の名前はまだ未定である。大きな組織になる可能性があるが、私はその宗祖になるつもりはない。イスラム教のように後継者争いをするのは避けたいからである。