これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。
“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”
昭和19年、我が家は金沢から長崎県の一都市に引っ越した。父はそこで高校の先生の職についた。以下の二つのエピソードは私がまだ小学校に入ったばかりの頃のことである。
隣に父の同僚の先生一家があり、私と同い年の女の子と、一年下の私の妹と同年の男の子がいた。
近くに農機具や藁束や材木をしまう大きな小屋があった。ある時隣の男の子と二人だけで小屋の中で遊んでいると、突然彼が服を脱ぎだし柔らかな藁の上に四つん這いになり、お前も服を脱いで自分の上にのしかかれ、と強い命令口調で言った。私は素直な子供で、普段年長者から命令されると従わなければならないものと思っていた。彼は年下だったが同じように強い口調である。それにしても何か尋常ではない。言われるままにしなければならないのかと迷っていると、突然上の方から「やめろ!」という男性の厳しい声がした。それで私は立ちつくしたままだった。
ちょっとの間彼はそのまま待っていたが、私が応じないのをみて、不機嫌な顔で文句を言いながら立ち上がり、そそくさと着衣して出て行った。私は傍で半ば茫然と彼の挙動の一部始終を眺めていた。
当時の家屋はどこも部屋の間仕切りなど不備だったから、彼は両親のそんな姿を見る機会があったのだろう。
そのあたりは農村地帯で、親が教師だった我々を除けばほとんど農家の子供達だった。よそ者の私と違って、彼らは野山を遊び場にしてその辺の土地の状況に詳しかった。ある時私より下級生の農家の二人の子供と一緒に川添いの道を歩いていた。それは夏の大雨のあとで川は普段よりはるかに増水していた。その川は周囲の田から流れ出た水が注ぐやや大きい流れで、我々が歩いて来た道に平行して流れていた。道の下に太い導管を通して小川の水が直角に右手の川に注いで合流している場所があった。小川も道の高さぎりぎりまで増水していた。
子供には子供らしい競争心があり、武勇を自慢したくなるものだ。
一人がもう一人に言った。
「おれは川側から土管をさかのぼって小川の方に出ていける」
その反対に、小川の方からだったら息さえ耐えれば水流に身をまかせてくぐり抜けることは簡単である。
「でも、今は水が多いから水圧が強くて無理だろう」ともう一人は用心深い。
言いだした方はさっさと裸足になって川にもぐり、本人が言うのだから心配ないだろうと待っている我々の期待通り、しばらくすると潜った方とは反対側の小川に浮かんで出てきた。
弱気だった方も「おれもやってみる」と言い出した。「やめとけやめとけ」と止められたがもう川に潜っている。私達は緊張して待っていた。間もなく彼も小川の方に出てきた。
私も引っ込みがつかなくなった。身体なら私の方が大きかった。「ぼくもやる」と言うと二人は引き留めた。しかし「この二人に出来るなら僕にも出来るだろう、泳ぎに自信はないが目をつむって必死に手足を漕げば進むだろう」と思った。
水中に入ると水圧は思ったよりはるかに強く押し流されそうになった。初めて水の中で目を開け、土管の先が明るく見えた。とても泳いで進めるものではなかった。
その時女性の声がした。
「手足を広げて土管に突っ張りなさい」
私は四肢を伸ばして丸い内壁に突っ張り土管を立ったまま進んだ。そんなに長い土管ではないから、息の苦しさなど感じるひまさえなく、すぐに小川の方に出て浮かび上がった。
二人は見直したような、安心したような顔で私を見た。二番手だった方が「土管を歩いたんだろう?」と聞いた。聞き返さなかったが彼もその方法を水中で閃いたのだろうか。「うん」と答えると、最初に潜った子供が「おれもそうなんだ。実は前ここで大人たちがそういうことをやるのを見ていたんだ」と白状した。
今でも、あれは危ない無茶な冒険だったと血の気の引くような思いがする。あの声に助けられた。
2006年10月2日、銃と怒りで武装した男がペンシルバニア州ニッケル・マインズ近くのアーミッシュの学校に乱入し、女生徒5人が死亡、5人に重傷を負わせた。この事件は「アーミッシュの許し」という本に詳しく出ている。幼い男の子が標的になった時、年長の女生徒が「代わりに私を撃って」と申し出て犠牲になったというエピソードが後日涙を誘った。
教室には多くの子供達が閉じ込められていたが、犯人が駆け付けた警官隊に銃を向けて対応している間に、「今の内に逃げなさい」という声がみんなに聞こえて脱出に成功したという。
ユダヤ人はB.C.の時代には一般人が普通に声を聞いたらしい。三島由紀夫は「英霊の声」を聞いた辺りから常軌を逸脱し始めた。女流作家の赤坂真理もこの特殊な感受性の持ち主のようである。