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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

最後の晩餐

 デミウルゴスは採鉱が本来の仕事であったが、金を産出するジンバブエからギリシャに行ったのは普通の人間の体形を獲得するのが目的だった。ピグミーのままではこの種族が地球上で幅を利かす存在になれるとは思えなかった。彼らは知力と語学力をもってしてギリシャでもあなどり難い存在となり、例によって「奴隷ども」と威嚇してトップのランクを獲得しようとした。彼らの統治法として民族を配置転換でシャッフルし家族関係やルーツをごちゃまぜにするやり方はギリシャ人との間で大喧嘩を引き起こしたそうである。イエスはイスラエルの地でこの問題児たちと敵対するのではなく、彼らをキリスト教という新しい宗教に取り込もうとしたのではないか。これが「汝の敵を愛せよ」だったし、ペテロもその一人だった。しかし、だからと言って彼等がやり方を変えない限り全体をそのまま受け入れられるものではないことは分かっていた。

 マタイ253145に良く知られた次のような文章がある。少し長いが聖書を手にしたことのない人のために全文を引用する。
「さて、人の子が自分の栄光のうちに到来し、すべての聖なるみ使いたちが彼と共に到来するその時、彼は自分の栄光の座に付くだろう。すべての民族が彼の前に集められるだろう。そして彼は羊飼いが羊をヤギからよりわけるように彼らを互いにより分け、羊を自分の右に、ヤギを自分の左に置くだろう。その時王は自分の右にいる者たちにこう告げるだろう。『さあ、わたしの父に祝福された者たち、世の基礎が据えられて以来あなた方のために備えられていた王国を受け継ぎなさい。わたしが飢えると食べ物を与え、わたしが渇くと飲み物を与え、よそから来ると宿を貸し、裸でいると服を着せ、病気でいると見舞い、ろうやにいると来てくれたからだ』。「その時義人たちは彼に答えてこういうだろう。主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えておられるのを見て食物を差し上げたり、渇いておられるのを見て飲み物をさしあげましたか。いつわたしたちは、あなたがよそから来られたのを見て宿を貸し、裸でおられるのを見て服をお着せしましたか。いつわたしたちはあなたが病気をなさったり、牢屋におられるのを見て、あなたのところに参りましたか「王は彼らにこう答えるだろう。『本当にはっきりとあなた方に告げる。これらのわたしの最も小さい兄弟たちの一人にあなた方がしたことは、わたしにしたのだ』。
 それから王はまた自分の左にいる者たちにこう言うだろう。『のろわれた者たちよ、わたしから離れて悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入れ。わたしが飢えても食べ物を与えず、わたしが渇いても飲み物を与えず、よそから来ても宿を貸さず、裸でいても服を着せず、病気でいたり牢屋にいても見舞ってくれなかったからだその時彼らも答えて項言うだろう。『主よ、いつわたしたちはあなたが飢えておられたり、渇いておられたり、牢屋におられるのを見てお世話をしませんでしたか。「その時王は彼らに答えてこう言うだろう。『本当にはっきりとあなた方に告げる。これらわたしの最も小さい兄弟たちの一人にあなた方がしなかったことは、わたしにしなかったのだ。これらの者は永遠の処罰に入り、義人たちは永遠の命に入るだろう」。

 これが「一緒にやろう、ただしこれが条件だ」というデミウルゴスに対するイエスの提案だった。この時点で多分まだイエスはナノワイヤーのこともジュラシックパークのことも分かっていなかったのだと思う。もし分かっていたら彼等こそ悪魔であって交渉の余地はないと判断した可能性が高い。最近はモートに対する扱いが厳しくなっているようである。しかし、彼らの中には極めて少数ではあるが、仲間のやり方に同調するよりむしろ人間の方に肩入れする者もいるのである。ヤハウェが来た時「白モートと黒モートがいる」と言っていた。つまりMwJMbJ がいる訳だが、話がややこしくなるのでこれまで MJ 一本で通していた。どういう背景があるのか知らないが、大阪ではこの違いを弁えてモートを区別しているようである。キリスト教で MwJが救われるというルールはまだ生きていてそのことを Approbation と呼ぶが、別の言い方をすれば種の如何に拘わらず後ろ指を指されない生き方をすれば「天は自ら助ける者を助ける」のである。しかしこれまでさんざんナノワイヤーで痛い目にあった多数の人の子からは「いまさら Approbation なんて持ち出すな」という声もある。イカ族についてイエスがどう考えていたのかは分からない。もし十二使徒の中に誰かイカ族の者がいるのであればモートと同じに考えていたかも知れない。しかし布教の段階でイエスは判断が甘過ぎたと思ったかも知れないし、結果的にモートの奸計がこれ程のものだとは予想しなかったのではないか。

 ペテロは MbJ だった。最初ポンティオ・ピラトはユダヤ教祭司の訴状を読んで「私はこの男に罪を見出さない」と刑の執行を拒んだ。しかし二度目の訴状を読むと、使徒たちだけがいる内輪の会合でイエスが「ローマもいづれは滅びる」と言って、ローマ帝国を侮辱したという控訴事由が書かれていた。ローマ帝国の永遠性と、皇帝の未来永劫の尊厳と栄光を信じるピラトはこの訴えを無視出来なかった。そしてこの控訴事由が事実であるかどうかを調べるよう祭司たちに命じた。イエスは自分が危険な罠に嵌っていること、また誰がユダヤ教祭司に内通したかを感付いていた。カイサリアでイエスと十二人の使徒が集い食卓についたのが「最後の晩餐」であった(マタイ24章)。全員が食卓につくと、イエスはこれから自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者の糾弾を受け、殺され、三日目によみがえることを弟子たちに語り始めた。するとペテロが「主よ、そんなことがあるはずがありません」と口を挟んだ。イエスは声のした方を振り向いて、ペテロに「悪魔の手先よ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、悪魔のことを思っている」った。そう言われてペテロが激高しない筈がない。その歴史的瞬間をダビンチがミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院の食堂の壁に描いている。この絵はその時の状況の迫真的な再現であろう。私はこの壁画を1980年代に見たが当時は修復途中で全体が痛んでぼやけていた。

 百聞は一見に如かずで、絵を見て納得して頂きたいのだが、次の点を先ず頭に入れて絵を注視して欲しい。
・厳しい顔をしたペテロ(左から5番目の白髪の男)が右手を後ろ手に隠し鋭い抜身のナイフを持っていて、飛びかからんばかりにイエスを狙っている。ペテロの右腕は彼の前にいるユダ(左から4番目の男)の身体に隠れていて、画面の中にいる他の12人はまだナイフに気付いていない。
・ペテロはヨハネ(イエスの隣りにいる左から6番目の若い男)を左手でどかそうとしているが、ヨハネはペテロの方に身体を寄せ行かせまいとして「まあ落ち着きなさい」と宥めている。
・小ヤコブ(左から2番目の赤い服の男)は伸ばした左手でペテロの襟首を後から掴みペテロを制している。
・ペテロがユダの後ろを通ろうとしユダを卓上に押しのけている。ユダは財布を右手に持っていて、あとで衛兵に会う前に既にその財布は膨らんでいる。
あるHPに掲示してある絵が鮮明で一番わかりやすいのだが、絵に到達するまでスクロールダウンしなければならず、拡大することも出来ない。そこで「最後の晩餐」で検索しさらに「画像」をクリックすれば多数の絵が一覧で出くる。その中に BizLog というHPの明るい絵が見付かる筈である(多分一段目か二段目)。これをクリックすればフルスクリーンの表示に変る。その一覧の絵がこれである。ダビンチの「最後の晩餐」について色々の人が書いているようだが私はどれも読んでいない。すでに誰かが書いているにせよ、のあわやという修羅場が骨太な真実であろう。絵の続きの状況を想像すると、ペテロは皆にとり押さえられ刃傷沙汰にはならなかったが、「覚えてろ。全力をあげてお前たちのキリスト教を滅茶苦茶にしてやるからな」くらいの捨て台詞は言ったであろう。その結果改竄されたのが現在の新約聖書マタイであり、何やら混乱している。この時のイエスの心境にしてみればペテロに「あなたの上に教会を建てます。天国の鍵を与えます」などとゴマをする気にはとてもなれなかっただろうし、「この中に裏切り者がいる」という言葉も晩餐の最初に出るべきなのに2614に出て来る。そして裏切り者をユダに仕立て上げている。ミラノのサンタ・マリア修道院のこの壁画にはイエスの額に釘を打ったがあるそうである。さすがにカトリックの、マリアの名を冠した修道院だけのことはある。

 そう言うわけで、誰かに「キリスト教に改宗した方がいいですよ」と言う場合にも「ただしカトリック以外」と付け加えなければならない。しかしプロテスタントの中にも「聖書は霊感によって書かれた誤りのない神のことばである」とか「シンクレティズム(異なる信仰や解釈)との対話を拒否する」ということを標榜するセクトもある。このブログがそんな彼らの固いガードを破れるだろうか。私が「実はカトリックで洗礼を受けました」と言うと既にカトリックに洗脳された人間であるかのように思われることが多い。自分がブログでカトリックを批判していることを言うと「とんでもない、カトリックこそベストだ」とある牧師に言い返された。セクトのよく分からない教会を訪ねた時「この教会を始めたのはドイツ人だそうですが、どういうセクトの方ですか」と尋ねると「仏教がどの宗派も全部釈迦であるようにキリスト教はどこもイエスで、みんな同じですよ」と質問に回答してくれなかった。「なぜ自分から進んで何が正しいかを判断しないのですか(ルカ12:59)」。ルーチン通りミサをするだけでなく時には深堀りする必要もあると思う。我々は手強い敵を相手にしていて下手をすると付けこまれることを分かって欲しい。「ガバメントは誰かが勝手に一人でやっていることで我々には関係ない」のではなく、当然イエスもその中心にいる。
 「ヨーロッパ世界の誕生(アンリ・ビレンヌ)」という本に「帝国の東西両部分のうち、ギリシャ語世界がラテン語世界を文明の点で凌駕していたことは紛うことない事実であって、こと新しくこれを主張する必要はあるまい(p-120)」という文章がある。宗教も同様で大きな違いは片や東方正教はソフィア崇拝なのに対し、こなた西方教会、就中ローマはマリア崇拝であるし、既述のとおりペテロのこともある。信者が受ける恵みは数値化出来ないが前者の方がずっと多いと思う。プーチン氏が最近行った記者会見に「説明不足で説得力がない」という報道があったが、こういう問題の常として、絶対何かあからさまに言えないことがあるのだと思う。私は迂闊にウクライナ問題に首をつっこむなと言われている。
 「爆弾発言」の項に書いた実姉は2019年に亡くなった。葬式は真言宗だった。彼女は人伝てに私がこのブログを書いているのを知っているらしかった。生前は「根も葉もないことを訳知り顔に言うのには困ったものだ」と言っていたらしいが、死後しばらくして「ひどい扱いを受けた。弟の言うのは本当だった」と言っているのを人伝てに聞いた。どうせ婚家の宗教を抜け出せと言っても聞く耳は持たないし悶着を起こすだけだろうから、会って話したことはなかった。法華経の本を出した作家も、僧籍に入った女流作家も、仏教の教えを取り入れて成功した実業家も、弥勒賛歌を作曲した音楽家も、仏教に「よくやった」と言われたことは絶対になかったことは間違いない。彼等のやり方がいかに酷薄かという例として、仏教のために献身的に働かされる餓鬼でさえ、気の毒なことにエン人(*註)にされているのである。

 日本で旧体制が施行するルールがいかに不条理かということをある女に以下の例を挙げて教えられた。先ず離婚すると女は再婚出来ない。女の職業は制限されている。同じ民族同士で相互扶助や金の貸し借りは出来ない。民族の特性は許されない(みんな同じにやらねばならないというグローバリズムである)。行動範囲は決められていて捕まったら終わりである。食事のルールは前に書いた通りである。これらをこまごまと書いたルールブックがあるらしい。こういうくそルールの打破を目指して女たちも立ち上がったのだった。モートの中にさえ人間になったが「あんな世界には戻りたくない」と思っている女性がいるようである。マタイ1128の「疲れた者、重荷を負う者は誰でも私の所へ来なさい。休ませてあげよう」は彼女たちへの呼びかけではないだろうか。 

 パンデミックは彼らにとってダメージだったのかも知れない。これはカミュの「ペスト」に出ている。しかし何故日本だけうまく行ったか外国から疑問を持たれているようだから種明かししなければならないだろう。実は人間系の命には死んでも復活し怪我をしても元通りに治すことが可能なコマンドがある。グレイのラウルが言ったように人間は IS-BE なのである。その事実を知っていたから皆は相打ちを怖れず最後の力を振り絞って敵に向かって行ったのだった。それがどういう呪文かはガバメントが知っている。マタイ1724の「イエスは弟子たちにいわれた。誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、十字架を負い(死を覚悟して)わたしに付いてきなさい。命を救おうと思うものはそれを失い、わたしのために命を失う者はそれを見出すのです」はそのことを指す。危ないから関わり合いになりたくないと尻込みする者は反って見捨てられるだろう。イベリア半島やフランスやドイツからも「日本に続きたい」という声がある。

 そういう次第で日本にいるうち現在人間になっている者とその仲間を除いて66日にモート族が地球を離れ、その歓声が私にも聞こえた。マリアの国は今も健在だそうだが「神の眼の小さな塵」に出ているマゼラン星雲コールサックのモート星ではないらしい(作者が故意に作り変えたのだろう)。これに対し残されたモート族はしゃかりきになって得意の子作りに励み、もう大分増えて前とほぼ同じに近い位の数に回復しましたとさ。いたちごっことはこのことである。彼らが私を「女に手紙を書いて呼び集めいかがわしいことをしている」だとか「ドラッグを愛用している」などと悪い噂を広めているのは嘘ですからね!

(*註)オリゲネスもエン人だった。