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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

モーセ

 イエスはツロとシドンの地方へ行かれた。するとその地方出のカナンの女が出てきて「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。しかしイエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。するとイエスは(それに)答えて(女に)言われた、「わたしはイスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。しかし女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのはよろしくない」。すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも小犬もその主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます」。そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。(マタイ15:21~28)
この逸話からイエスが遣わされて活動する地理的範囲が判るが、話が如何にも巧妙に出来ていて面白い。先ずイエスは女を「犬の子」と見ている(女性の「人の子」は少ない)。犬は安産なのだそうで日本でも妊娠した女を犬に見立てて帯祝いに犬帯を贈る習慣がある。イエスは自分の活動範囲外の「犬の子」にパン(恵みの言葉)を与えることを拒むが、女は「犬の子」が(範囲外の「羊の子」でない女が)食卓の外に落ちたパン屑を食べて(こっそり漏れ聞いたイエスの言葉を受け入れて)イエスを主と仰ぎ信仰心を持つことはあると答えた。イエスは女の信仰心をほめて娘の病を癒した。

 角・鎖(ビンコリ)・乳と言えば人は何を想像するだろうか。これらはモーセに関連する言葉だが、私がモーセは牛だったのではないかと考えていた時「地獄の牛はモーセそっくり」と言う声がした。モーセには二本の角があったと言い伝えられている。ビンコリは霊界でモーセを指す隠語だがミケランジェロの作った有名なモーセ像はビンコリの名を持つ教会にあり、モーセの目指す理想郷には「乳と密の流れる川」があるとされた。
同胞を虐げたエジプト人を撃ち殺す腕力、神の声を聞いてもなかなかエンジンが懸らない出足の遅さ、一カ月もあれば行ける距離を40年もかかった牛歩などいかにも道草を食う牛らしいと思うのは私だけではあるまい。
聖書ではモーセがシナイ山で受けた石板を持ち帰るとユダヤの民が黄金の牛の像を作っていた。それを見てモーセは怒り石板を叩き壊したが、思い直してもう一度シナイ山に登り十戒の書かれた石板を受けたことになっている。然し同じ神がおいそれと二度も石板を与えるだろうか。神は厳しく重要な言葉も指示も一度だけ、としたものである。グノーシスではモーセに石板を授けた神とイエスの神とは違うと考えるらしい。むしろモーセがシナイ山に登ると文言の異なる二種類の石板がありモーセはその一方を選んだ、黄金の牛の像は指導者モーセを讃えるためユダヤの民によって既に作られていた、選ばれた石板には偶像崇拝を禁じる条項があったのでそれに従って牛の像の破壊を命じた、と考える方が辻褄が合う。怒ったモーセが十戒の書かれた方ではない石板を粗末に扱って叩き壊したというストーリーもその神への対抗意識をわにしてわざとらしい。出エジプトの指導者として歴史に名を残すモーセにユダヤを別の道へと導くチャンスがあったのだが、彼は本能的にmisanthropicな牛の選択をしてしまった。牛とシヴァは近い。

 ともかくここから偶像崇拝の禁止という十戒の第二条項が恐るべき力を持ってその後の宗教界に影響を及ぼす。ユダヤ教・キリスト教だけでなくイスラムも偶像崇拝の禁止を信奉して過激に実践し歴史的な価値のある博物館の古代彫刻さえ目の敵にする。名前は忘れたが、30年程前に訪れたベニスのある教会には窓を除くすべての壁面に優れた浮き彫りの彫像がありその素晴らしい出来栄えと雰囲気に感動したが、教会内を一巡しつつこんなにもたくさんの像を飾るのは偶像崇拝の禁止に抵触しないのだろうかと不安に駆られている自分がいた。私も十戒に犯されていた。
古来人々はギリシャ・ローマの神殿に限らず「48項・対立物の統合」に列挙したメソポタミアや仏教・インド土着のヒンズーの神々も信徒はすべて聖所にその像を祀って灯りや花や供物を奉げまたは頭を下げて尊崇した。偶像崇拝を禁止するという事になればユダヤ人は自分の神の像を作らないだけでなくすべての先在する神々の像の前で敬虔に振る舞うことを許されず、もしそれらが自分の領域にあれば破壊しなければならない。これは第一項の「唯一自分だけが神である」を強調し実践させるための巧妙な策略であった。今日のキリスト教において、むしろプロテスタント系の教会がこの偶像崇拝の禁止を厳格に遵守しイエスやマリアの像はおろか十字架さえない簡素そのものの教会があるが、恐ろしい錯誤と言うほかはない。イエスは自分が祀られたいとは思わなかっただろうが偶像崇拝を禁じただろうか。彫像には意味と無言の存在感がある。彫像が雰囲気を作る。そんな教会ではそこにいるのが例え自分一人でも自分だけではないと思わせる。通りがかりにイエスの像に頭を下げ十字を切ることは信仰の表示であり行いである。そのように振る舞ったに違いないあのベニスの教会の信徒は像のお陰で随分助けられたに違いない。教会を家庭の延長のように心得てジーンズの短パン姿でミサに来ていた新教の女性も少しは身形を考える気になるだろう。
学校の講堂のような何の飾りもない四角い空間で、もし牧師が旧約の話しかしない日があればまるでシナゴーグと同じではないか、偶像崇拝の禁止を誉められたげに遵守することは例えキリスト教徒であれ十戒の「唯一自分だけが神である」に従うことになるのだと悪魔は主張したに違いない。これが空論ではないことを私は知っている。そういう論理はこじつけだと言えば過去の様々な漁夫の論理の例を持ち出して自分の正当性を譲らなかっただろう。マリアは何度も仕分けの見直しを頼んだのだった。それに対し「前例を変えたいというお前たちの論理を我々に認めさせたいなら、その代りこちらの新しい論理も認めろ」と無理難題を持ち出す。結局は水かけ論になり、救われるべき多くの魂が悪魔の側のものになった。「悲しいことばかり」とサタンは言う。
ドレスデンに行った時フラウエン教会(残念ながらその時イベントがあり一般客は入れなかった)の前庭にルターの像があり、入口の小窓から覗くと真新しい金箔の天使像が見えた。さすがにマリアの名を冠したあの教会で悪魔の言い分は通らなかっただろう。

 十戒の石板を納めた契約の櫃は一対のケルビム(ケルブ)の像によって守られていた。ケルブとケルベロスは同じではないかと考えるのは一部から「目に余る独特の論理」を指摘される私だけではないだろう。ユダヤ人は楽園の東を守っていたケルブを智天使と呼び第二天使の位を与えているが、ギリシャ人はケルベロスを冥界の番犬以外の何ものでもなくその名は「底無し穴の霊」を意味すると定義している。私は地中海のマルタ島で国犬とされているファラオハウンドの現物は見たことがないが写真で見るとその名の通りアヌビスそっくりで、別名ケルブ・タル・フェネック(マルタ語でうさぎを狩る犬)と呼ばれているそうである。この犬はフェニキア人によりマルタに伝わって伝説と共に残っていたのであるが、古代フェニキア語がマルタに残っていてまさかケルブが犬を指すことの証拠に挙げられるとは旧約の作者も思わなかっただろう。エゼキエルの“油を注がれたケルブ”とは一体何を意味するのだろうか。エジプト・ユダヤ・ギリシャ・ローマに共通する犬族の潜在力は何か恐ろしい。
日本の地でクラバックの長に仕え、勝手なルールを作り、彼らにとって忌々(いまいま)しいタバコを貴重品並みに値上げし、脱出を阻止し、「言われた通りにやれ」と余すところなく目を光らせ、ことごとに審判に嘴を入れ、日頃霊界を仕切っていたユタカと呼ばれるケルブは伊豆七島を根城にしていたが、天狗が撃たれたことにより立場を失くした。彼の本質が暴かれ追求の手が伸びたが獰猛な犬共に守られて難を遁れたらしい。伊豆半島から房総半島に至り内陸を含む関東地方は危険地帯だったが、多少改善されたとはいえ暗雲は完全に晴れていない。
その彼が八月中頃のある朝方家の外に来て、脅しの効いた声でしばらくの間喋っていたが余り耳を貸さなかった。「正体(サルタ・・・・であること)を見破られた」「地球なんて宇宙のゴミだ」「計画している外国旅行には行くな」と言っていたことだけは聞き覚えている。

 モーセがエジプトの役人に追われて国外逃亡中燃える柴の中から語りかける神と出会い、その名を問うと「ヤハゥエ・ありてある者」と答える。普通に考えて「私は(昔)あって(今も)ある者」という意味だろうと思う。時代は失楽園・カインとアベルの後ノアの大洪水・アブラハム・ユダヤ人のエジプト在住を経てこれからモーセが主役となる出エジプトが始まる所である。かつてこの神は楽園にいてアダムとイブと共に過ごし、供物としてカインの穀物よりアベルの羊を選び、アブラハムにイサクを捧げさせた。これらはユダヤ人エジプト在住末期のモーセにとっては遠い過去の話であるが、「私は今またここにいてこれからユダヤ人に近づく」と教えたのだろう。

 話はここから新約・ヨハネ福音書に移る。その第五章に
“あなたがたは聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書はわたしについてあかしをするものである。(539)もしあなたがたがモーセを信じたならばわたしをも信じたであろう。モーセはわたしについて書いたのである。しかしモーセの書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか(54647)”
という章句がある。「イエスまたは真の救世主がやがてその父の名によって来る」ことを示す箇所がモーセ五書の中にあるのだろうか。そういう文章は具体的にはないというのが一般の見解のようである。モーセはヤハゥエについては語っているからもし「その父の名」がヤハゥエであると言いたいとすればヨハネ福音書原文の通りであるが、これは常識及び今まで書いて来た私の見解と全く矛盾する。何か変だと感じる人は多いと思う。
当時のユダヤ人はモーセの書いたものを信じていたはずである。むしろモーセを固く信じ込んだ者はイエスを信じなかったのである。相矛盾するものを両方共信じる者はいない。だとすればこの文章は本来次の通りだったのではないか。否定か肯定かを変えれば意味の通る文章になる。
“あなたがたは聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書(トーラー)はわたしについてあかしをするものではない。もしあなたがたがモーセを信じたならばわたしを信じないであろう。モーセはわたしについて書いていなかったのである。しかしモーセの書いたものを信じるならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか。“
さらに第八章で
“イエスは答えられた、「わたしがもし自分に栄光を帰するならわたしの栄光はむなしいものである。わたしに栄光を与えるかたはわたしの父であって、あなたがたが自分の神だと言っているのはそのかたのことである。あなたがたはその神を知っていないがわたしは知っている。もしわたしが神を知らないと言うならば、あなたがたと同じような偽り者であろう。しかしわたしはそのかたを知りその御言を守っている。あなたがたの父アブラハムはわたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。そこでユダヤ人たちはイエスに言った、「あなたはまだ五十にもならないのにアブラハムを見たのか」。イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしはいるのである」。(85459)”
という章句がある。
この文章のままではユダヤ人たちが自分の神だと言っているのはイエスの父であるということになる。しかしその時ユダヤ人はまだイエスの父を知らないが、ヤハゥエなら知っていた。もともとユダヤ人が自分の神だと言っているのはヤハゥエである。
ヨハネは“あなたがたは自分の父(原文では‘自分の神’だったかもしれない。‘あなたがたの父’はアブラハムを指す場合が多い)すなわち悪魔から出てきた者であって、その父(同様)の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから人殺しであって真理に立つ者ではない”と言った。そのヨハネがこのような文章を書くだろうか。ここにも黒い手が悪事を働いている可能性が高い。もとの文章は次のようなものだったであるまいか。
“イエスは答えられた、「わたしがもし自分に栄光を帰するならわたしの栄光はむなしいものである。わたしに栄光を与えるかたはわたしの父であって、あなたがたが自分の神だと言っているのはそのかたのことではない。あなたがたはその神を知っていないがわたしは知っている。もしわたしが神を知らないと言うならば、あなたがたと同じような偽り者であろう。しかしわたしはそのかたを知りその御言を守っている。あなたがたの父アブラハムはわたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。そこでユダヤ人たちはイエスに言った、「あなたはまだ五十にもならないのにアブラハムを見たのか」。イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしはいるのである」。”
「わたしはいる」を「ヤハゥエ イレ」と言うそうで黒い手が意図的にヤハゥエと関係付けたのかも知れないが、試みにここも直すとすれば元はどうだったか確信がない。しかし「わたしの生れる前わたしはアブラハムといたのである」と変換することは可能かも知れない。何故ならアブラムがアブラハムに改名したのは良き神の指示で、彼は天に招かれてイエスと一緒にいて二神ありを悟ったのかも知れない。そうでなければアブラハムはイエスの下る日を前もって楽しみいよいよその実行の時が来たと喜ぶことはなかっただろう。アブラハムは反・ブラフマンの意味である。今回の革命の背後には悪の秘められた大計画があってそれには大物が絡んでいたらしい。革命は最早待ったなしだったのだ。
 ヨハネ福音書が公会議で黒子達によって手を入れられ証拠隠滅されたという説は前に紹介した。審判で「お前たちが認めるヨハネ福音書にイエスの父はヤハゥエと書いてある」と悪の側に引っ張られたキリスト教徒が「何人もいた」。たとえ誰かに捏造されたと主張してもお前たち人間がした事だと突っぱねられただろう。悲しいことばかりである。

 これまでヨハネ福音書には多少の違和感があった。「キリスト教徒は神が選ぶ」と書かれているのは当時のユダヤ世界で信者をユダヤ教徒かキリスト教徒かに仕分けする場合のことで、インノケンチウス3世やボニファティウス8世を例に引いて最早この言葉は破綻していると前に書いた。信徒になりたての受洗者が洗礼式の挨拶で言うのはまあいいとして、長年経験のある牧師が自分で言うのはどうだろうか。無知をさらけだしているとしか考えられない。ヨハネはユダヤ人の固定観念に縛られてサタンを悪魔と見ていた。「キリスト教は愛」はヨハネ福音書の特徴だそうで黄金律や「汝の敵を愛せ」や「父なる神は人間を愛しそのひとり子を送られた」に見られるようにそう言えなくもない。私は「QUO VADIS」の項で甘すぎると書いたが、あることがあってこの見方は生かした方がいいと考えるようになった。
それは今年の終戦記念日の頃放映されたインパール作戦の映像である。ショッキングなのはロジスティクスを考えない戦術の無謀さだけではなく「何千人殺せばどこそこの都市を落とせる」と計画する軍参謀の倫理観の比類ない劣悪さである。何千人を殺すとは敵の数ではなく戦闘で死ぬ日本兵のことである。同胞の命も完全に捨て駒であり消耗品だった。兵隊なぞ一銭五厘でいくらでも集められると言う驕り、投降ではなく玉砕せよとの酷薄な指令、カミカゼや回天によるスイサイドアタック戦術。戦中だけにあった中国人や朝鮮人を見下したスローガン。それらは日本の軍部にキリスト教精神が寸毫もなかったからだと言えるためにはキリスト教には愛がなければならない。招魂社を祀ることをガバメントが過ちとする意味がやっと分かった。招魂社で劣悪な倫理観の軍上層部の魂が上位に扱われ、使い捨てられた兵隊の魂が最下層に位置付けられるとすればそんな慰霊所があることは間違いである。もし日本が勝っていたらどうなったかと思うと、勝ってはならない戦争だった。軍隊に日本精神の美学を見た三島の霊はどう思っているだろうか。革命で働く彼の姿がちらっと見え、自分達だけでやれると思ったがなる程外国の助けが必要なことがよく分かったと言っていたらしい。

 政治家が時々ヒトラーのことを口走って批判を浴びるのはこのブログと関係あるのだろうか。私はヒトラーの評価を変える気はないが多湖輝氏の疑問には答えていると思う。ヒトラーに対する評価は今のままでよいと言われている。最近「ハイドリッヒを撃て(類人猿計画)」という映画を見たがやはり辛かった。数年前原作のHHhHを読んだのでストーリーは知っている通りの展開だった。ロンドンから夜間にパラシュートでチェコに送り込まれた若い志願兵や抵抗組織のメンバーは皆死を覚悟していた。兵隊をかくまった下宿屋の平凡な女主人が尋問のため連行される直前トイレに行きたいと頼み、許可されてトイレで即効性の毒を飲んで自殺する下りを読みながら大泣きしてしまった。ドイツ軍は敵に対して容赦なかったが日本のように同胞を軽んじることはなかったのではないか。

 このブログが案外広く読まれているとすればそろそろ限度を弁えなければならないのだろうか。エゼキエルの解説書を書いた学者が審判でどう言われたかを紹介したことで大学の宗教学の先生たちの間に動揺が走り、また心理学者の間で「人間が動物の生まれ変わりなんて考えたことがなかった」と話題になっているらしいのは本当か。東大の高名な仏教学の権威がそのせいかどうか何に生まれ変わったかは死後自分で確かめて下さい。今起きている革命の背後にいる、冥界の天と地のヒエラルキーの頂点に立つ大王は一人しかいない。
「50項・イギリス」をアップしたあと「では悪魔って一体何なのですか」とイギリスから丁寧な質問があったようだがそれはこちらが教えて欲しいことです。多分罠と知りつつ答えるとmisanthropicな肉食獣(地上では草食でもあちらでは肉食する動物もいる)、カニバリスト、恫喝されて悪魔の仲間入りしたhenchman等々でしょうか。タイトルに名前が出ている旧約の筆者は一部の例外を除いてほとんど寝返って悪魔の側に付いたようですし、パウロも仲間に脅されて動物の側に付いているようです。ジュラシックパークという名前の通り古代獣の生き残りが人間の死体に群がる場所があるがこれらも悪魔でしょう。こんな世界を作った創造主を讃えていいものか。サタンやルシファーらの堕天使は旧約の嘘だとしても外にどこかに堕天使はいると思われます。地球外からも邪悪な霊が出たり入ったりしているかも知れません。

 色々書いたので最後にこの項を要約する。頼みとするプロテスタントは偶像崇拝の禁止なんかに盲従しないで教会内に彫像で誰を崇拝し頼みとするかを示し敬意を表した方がよい。新約聖書は現存のものしか我々にはないとすれば腐っても鯛の諺に喩えられる。文言に黙従してはならず、現状のマタイやヨハネに特に警戒の眼を向けなければならない。どこが腐っているかを調べて悪魔に言い負かされないように準備しなければならない。私が指摘したことはほんの一部かもしれない(例えば黙示録の“新しいエルサレム”に我々は行きたいと思うだろうか)。マルコは旧約ではなく新約をディープラーニングして悪魔の論法に勝って欲しかったに違いない。東大やハーバードに多数仲間を送り込むbeastたちが次はどんな手を打ってくるだろうか。
マリア崇拝を蔑ろにしているがマリアの尽力に気付き考え直した方が良いようだ。日本のプロテスタントの教会では恰も自分が主役のように自由に振舞っている鼻の高い牧師が多いように見えるのは単なる私の偏見だろうか。イエスは「仕えるものになりなさい」と警告したことを思い出して欲しい。
しかし彼らの今までを見ていると中々こんな注文を受け入れてもらえそうもない一抹の不安を感じる。