これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。
“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”
①甦れ、わがロシアよ(ソルジェニーツィン)1990・12出版
以下に抜粋した通りソルジェニーツィン氏は今回のロシアによるウクライナ侵攻を30年前に洞察しており、彼の危惧は現実のものになった。この内戦(建前上は別の二つの国による戦争である)が他国を巻き込みどんな結末を迎えるのか私には予測出来ないが、ロシアがその次を考える時、彼らは今一度原点に立ち帰って虚心坦懐にソルジェニーツィンの提言を吟味すべきではないだろうか。
▲いったん自分の民族の誇りが傷つけられるともはや我慢ができないのだ!われわれは怒り狂い、石ころ、棍棒、槍、鉄砲を手にして、隣りあっている民族に襲いかかり、家々に放火し、人々を殺戮するのだ。だからわが国をいかに健全に住みよいものにするかを考える場合、いまこの国を蝕んでいる病根や耐え難い苦しみから手をつけるのではなく、先ず民族をどうすべきか、つまり、われわれの生死と結びついた民族の国境をどう定めるか、ということから模索をはじめなければならないのだ。治療法はそのあとの話である。(p-9)
▲今や目覚めようとしているロシアの民族意識が多くの場合、大国的な思考、帝国のまやかしの虜となって、ありもしない大げさな「ソビエト的愛国主義」を共産主義者から受けつぎ、「偉大なソビエト大国」を誇りに思っているのを見ると、私は憂慮にたえない。(p-16)
▲われわれはウクライナがソビエト時代に体験した死の苦しみ(飢饉とチェルノブイリ)に対しては心底同情しないではいられない。しかし、なぜこんな不当な要求が出るのか、なぜ血のつながっているウクライナを切り離さねばいけないのか。(p-23)
▲ウクライナ文化と白ロシア文化に対しては、ウクライナと白ロシアだけでなく、大ロシアにおいても、友情と喜びをもって広く門戸を解放しなければならないのだ。いかなる強制的なロシア化もあってはならない。(p-26)
▲二十世紀(のロシア)は、一切の道徳(的拘束)から解放された政治によって、震撼され腐敗している。まともな人間なら守らなければならない規範(による縛り)から、国家や政治家が解放されている。今やエゴイズムにだけでなく他人の痛みを共感できる心に基づいている、より次元の高い国家形態を求める最後の時が訪れたのである。(p-21)
▲分裂はもはや行きつくところまできてしまった。もうあと戻りすることは出来ない。無理に回避すれば、あちこちで爆発が起きるだけだろう。われわれが一緒にやっていけないことは、衆目の一致するところである。こうなったからには、お互いの苦しみをこれ以上のばすことはない。(p-30)
▲どんな問題に手を付けても、どんなことを考えても、神の正義どころか最も平凡な道徳さえ忘れたわれわれの残酷な心は、自分の利害のことしか追い求めていない。それが現在の政治状況であるかぎり、われわれの誰にも良きことは期待できないのである。(p-25)
▲国家機構の整備(大統領制の導入)は、人間関係の空気そのものに比べれば二次的なものであるといえるだろう。人間が立派であれば、どんな国家体制もよいものになるだろうし、人間が悪意にみちて互いに裏切るような間柄であれば、最も進んだ民主主義体制でも耐えられないものになってしまう。もし人間そのものに正義と誠実が欠けていれば、どんな国家体制になっても必ずやそれ(人間の悪意)が表面化するだろう。(p-70)
▲われわれは教会の好ましい影響を頼りにしたいのだが、残念ながら、国のなかであらゆるものが動き出した今日でさえ、ロシア正教の指導部のなかには勇気をもった活発な動きがほとんどみられない(みんなが貧困にあえいでいる時、教会は当局が誘惑に使う富を拒否するだけの勇気をもたねばならない)。教会が国家支配から完全に自由になる力を自分の中に見出し回復するなら、その時はじめて教会は社会の健全化に力を貸すことができるだろう。(p-75)
▲しっかり安定した社会は、対立のバランスの上にではなく、意識的な自制のうえに成立するものである。すなわち、われわれはつねに道徳的な正義を優先させるという立場にたたなければならないのである。この自制の精神があればこそ、人口がますます増えて、その密度が高くなっている人類の存続が可能なのである。(p-78)
▲あらゆる国家権力が高水準の活動をするためには、それに対する倫理的なコントロールがなくてはやっていけない。このコントロールは、審議権をもつ最高の道徳機関(現在はまだ存在していない)が行うことができる。この機関では投票はほとんど行われず、ある意見とそれに反対する意見はすべてしっかりした理由づけがなされ、それらは国政に反映する最も権威ある意見となるのである。(p-138)
➁ロシア正教の千年(講談社学術文庫)
キリスト教を知ったばかりの初期の正教が、広大なロシアの地に暮らし貧困にあえぐ弱者に向けた慈悲のまなざし、神の愛と恩寵と偉大さを乞食同然の姿をして街角で説いたユロジヴイと民衆の結びつき、人々に恐れられたイワン雷帝の不肖の息子フヨードル帝が人間より神こそが偉大であるとして示した、ひたむきで純粋な汚れない信仰と心からの自己卑下等、目頭の熱くなるエピソードが語られる一方で、私はこの厳しい風土で育まれたと思われる、未開で野蛮で暴力的な、モラルもなくただ生存本能のままに蠢く底辺層の存在を感じないわけにはいかなかった。後者はしばしば時の権力の手先に利用され、抵抗する者を力ずくで服従させるために振う無慈悲かつ強欲な暴行はウクライナ侵攻でも繰り返されているが、20世紀に革命によって表舞台に立ったのは知識を蓄えた彼らではなかっただろうか (NHK教育 2022/6/11日夜放送の番組でノーベル文学賞作家のスベトラーナ・アレクシェービッチ女史は「ダークサイドの人脈」がプーチン大統領を補佐していると言っていた)。ソヴィエトの下にあった当時の権力が聖職者に対して具体的に何をしたか、興味ある方は「共産主義ロシアとロシア正教会」(ストローイエン)からの抜粋(p146~147)をお読みいただきたい。正教の特質はロシアの風土に依って立つ土着性にあると思うが、初めから教会内部にギリシャの怨念を背負いユダヤ人を装った背教者がいて実権を握っていたローマとは出発点が違うと思う。ピョートル1世(1682-1725)のシノド(英国教会のような国家的宗教機関)によって教会が帝政に組み込まれ信仰が支配の具になるまではまだロシア正教は生きていた。
15~6世紀にロシア正教内部で「所有派」と「非所有派」の2つの流れが生まれ今も続いている。前者は統一と権威を重視し儀式において美と荘厳さを強調したが、後者は清廉派とも呼ばれ「自由と愛」そして「自己卑下と悔い改めの心」を訴えた。私見では日本の正教は所有派的色彩が濃いのではないだろうか。私が約1年間通った正教の教会で感じたのは神父がまるで音楽の教師のように祈りの形式的な出来不出来に拘泥する点で、何か大事な語りが忘れ去られているのではないかと感じた。それが何か当時は分からなかったが、今考えれば、隠然として存在している悪魔やモートやマリア崇拝の問題だったと思い当たる。多分先の教会でこれらの問題を持ち出してもけげんな顔をされるだけだっただろうが、これは他の流派のキリスト教会も大同小異だとは思う。正教はガバメントを受け入れるだろうか。
この本の筆者は正教の信者だと推測するが、自分に関わることとしてロシアの歴史と宗教に取り組む姿勢は真摯で内容も濃い。稀な良書であると思う。このブログに書いたグノーシス(2)の記事は「異端」の解釈でもめたらしいが、ローマカトリックがロシア正教では異端とされたことが書かれている。しかし20世紀に正教は共産主義の業火を潜らねばならなかったのだし、プーチン支持派の現キリル総主教が核爆弾に聖水を注ぐ姿を見て、筆者は今の正教に入信を勧めるだろうかと(この本を読んだ時点では)疑問を持った。アゾフスタリ製鉄所に立て籠もったウクライナ兵の妻たちが、なぜロシアとの兵士解放交渉のためにバチカンに行って教皇の仲介を頼んだか、この本を読んで分かった。彼女たちはウニヤ教徒なのだろう。クリミヤ半島のセバストポリはキエフ大公ウラジミールが988年ロシアで最初に洗礼を受け、ロシアにキリスト教を招き入れたことを記念する聖地に近い。ここに金色に光る天使が来ていたがクリミヤのロシア併合以後来なくなったそうである。
➂チェルノブイリ1986(映画)
原子力発電所の原子炉が爆発し発電所の建屋は空高く炎を吹き上げている。地下に冷却水の水槽があり、その水温は既に80度を超えていて、もしこのままで水が沸騰して水蒸気大爆発を起こせば、高濃度の放射能がウクライナだけでなくヨーロッパ中に撒き散らされることになる。水槽の水を抜くための緊急対策チームは建物の設計図を見て地下一階にある排水装置までの最短ルートを探すが、建物の構造に詳しい消防士(主人公)が一階の通路に敷いてあるぶ厚い鉄板をバーナーで焼き切って穴を開け、そこから防護服を着て水中を泳いで行けば排水装置までの距離を100メートル短縮できると教える。もし建物が図面通りに完成していれば通路は頑丈な鉄筋コンクリ―トの床だった筈である。この場合計画を予定日通りに仕上げるための手抜き工事が幸いした。
消防士の息子は爆発が起きた時たまたま発電所に間近い屋外にいて、すさまじい出火の様子に目を奪われてしばらくそこに留まり、放射能を被爆した。息子をスイスの放射線医学専門病院に行かせて治療を受けさせたいのだが、民間人の被爆者はスイスには行けないという。もし作業員が被爆した場合スイスに行ける。消防士はキエフへの転勤が決まっていて送別式も終わっていた。彼が排水装置を稼働させる任務に志願して被爆した場合、自分自身は国内の病院でいいから代わりに息子をスイスに行かせることが出来るか、と問うと「それは可能だ」という答えである。
結局この任務にボランティアして応じたのは消防士と「部下に行けとは言えない」と言うエンジニアだった。二人が通路の鉄板に空けられた穴から煮えたぎる水漕に入り、二人きりになった所でエンジニアが「これは人災だ」と言う。消防士が「犯人は誰だ」と問うと、エンジニアは「今更名前を言っても仕方ない」と答える。ここにも計画経済の党指令目標必達と同じような嘘があった。当時の指導層にとって何が最優先事項だったのかが再度問われねばならないだろう。
高温の水中を渡渉して漸く排水装置に到達し、電源スイッチを入れたが装置は一瞬動いただけでストップする。そこで二人は長く使われたことがない手動排水装置に取り付き、その重い舵輪を力を合わせて回す。程なくして外で排水溝を注視していた関係者は水が溢れ出て来たのを見て安堵する。二人は来た道を帰路についたが高熱と疲労でもはやエンジニアには水中を泳いで戻るだけの余力がなかった。二人の身体は命綱で結ばれていたがエンジニアは自らナイフで命綱を切り、まだ体力のある消防士だけを行かせる。これでエンジニアが知っていた原子炉の構造的欠陥とその犯人の秘密は封じられたことになる。
三か月後治療を終えて健康を回復した息子がスイスから戻り、それを母親が空港で出迎える所で映画は終わる。最初から最後まで、これほどリアルで緊張しっぱなしの映画を見たことは他になかったと思う。チェルノブイリで漏れた大量の放射能は次元の壁を越えて霊界にまで実害を及ぼした事実を知る者は誰もいないだろう。
④ウクライナ侵攻
バイデン大統領が就任して早々にアフガニスタンから予定通り米軍が撤退すると発表した時、ニュースのコメンテーターが「アメリカは負けた。世界中がバイデンを非難するだろう」と言った。これを聞いて「それは違うだろう」と思った。米軍は20年余も駐留してタリバンと戦い、既にビン・ラディンの首は取った。その間アフガンに民主主義政権を作り民主主義の何たるかを示した。ジハードを奉じレジリエントなタリバンが完全に「参りました」と言うまでやるとすればベトナム戦争や朝鮮戦争レベルの戦いを覚悟しなければならないだろう。結果がどう転ぶかはやってみなければ判らない。アメリカ国民がそんなギャンブルプレイを期待しているとは思えなかった。勿論タリバンが主導するその後のアフガンに問題を残したことは否定できないが、物事はそう簡単には片付かない。
かつてアフガニスタンに赤い政権が出来て、反政府組織と戦うためにソビエトの助力を求め、ソ連軍がアフガンに介入した戦いも泥沼化した。ロシアになってシリアのアサド政権を支援したのはアサドからの要請に応えたのか、以前から武器売買等の軍事的友好関係があったのかは知らない。これらとは別にチェチェンとの紛争、2008年のグルジアとの紛争があったが、これらはロシアと隣接する国との国境の線引きの問題だろう(以上全くど素人の歴史観が間違っていないことを願う)。しかし今回のウクライナ侵攻はこれらの紛争と似て非なる面があると思う。
ソルジェニーツィンはロシアとウクライナの分離はありえないことだと思い、しかしそうなったらなったでこのまま行くしかない、と言っていたのだと思う。ウクライナとしては前のソヴィエト政権に心底酷い目に会わされ、しかも「悪かった」の一言さえ聞いていない。両者は兄弟のようなものだったが、モスクワは「兄の言う事を聞け」という態度の一点張りで、ウクライナ側はもはや兄弟の縁を切る覚悟だったのだろう。ロシア人と同じ教会に行かないためにウクライナ正教も作った。2014年にクリミアがロシアに強制編入されたのもウクライナにとっては一方的な横暴だった。造反有理であるが、対立はカインとアベルのように命懸けである。
しかし両者の間に目に見えない、新たな(または昔からあった)別の問題が持ち上がっていた。それは民族の存亡に関わる問題だった。イーロン・マスク氏は最近「日本はいずれ滅びる」と言った。それは日本の出生率がここ数年来連続して減少しており、このままでは日本人の人口が減る一方で未来がないことを指していた。その一因が「仏教国日本では(自分たち以外は)誰も生きて還れないから人間になりたがる者がいない」ということと関係ないと言えるだろうか。5月30日の日経朝刊トップに「死亡が出生越すロシアの十字架」「沈む大国 焦るプーチン氏」という見出しでプーチン大統領がロシアの人口動態に高い関心を持っていること、また「ロシアの運命は子供が何人生まれるかにかかっている」「人口減は国家存亡の危機だ」として人口増を国家目標に掲げていることが報じられていた。彼が「日本人は真実から目を背けている」と言ったという写真付きの記事はその目が私を見ているような気がした。
多くの人々はロシアのウクライナ攻撃を正当化する論拠は何もないと思うだろうが、アメリカの高官が「スピリチュアルなものがあるかも知れない」と言っていた。➁のパラグラフに書いたロシア正教のキリル総主教が「我々はウクライナ教会の苦境を理解している」と言っていた。コザク(コサックの末裔か)というプーチンの補佐官はウクライナ出身で、プーチンと同じサンクトペテルブルグ大学出の秀才だがプーチン支持に迷いはないようである。知っていても今まで誰も口に出さなかったことだが、それはウクライナのモート化である。オーウエルが書いた「1984年」で主人公のウインストンは「ヨーロッパ最後の人間」だった。ヨーロッパがすべてモート化したらモートはその歯牙をヨーロッパ外に向けるしかないし、そうでなければ共食いであろう。プーチンはしばしば「我々はヨーロッパと違う」と言っているが、言い換えれば「我々は決してヨーロッパのようにはならない」ということではないだろうか。メドベージェフ氏も「彼らはロシアに死をもたらしたいのだ」と通信アプリ「テレグラム」に綴った。
ウクライナのモート化には二つの理由が考えられる。一つはウクライナが美人の多い国であること。一時私も海外に結婚相手を探しているウクライナ美人のホームページを見て「こんな美女と結婚したかった」と鼻の下を長くしたものだった。美人に対して死後の審きは甘いのである(モートが両性具有であることを思い出して欲しい)。だからモートがウクライナ美人の姿形を獲得すれば助かる可能性が高かった。モートが最初に狙ったのは金髪美女の多いヨーロッパで、ウィンストンが愛したのは金髪の妻ではなく黒い髪のジューリアだった。「1984年」の隠されたテーマは「人間は見た目だけでは分からない」だった。二つ目の理由は日本がそうであるように革命軍が勝利した所では(そんな事はあり得ない、私は騙されている、という声もあるのだが)、それまで種のトップとして威張り散らしていたが、敗けて格下げされたモートと人間及び他の種とはうまく行かないのである。それでモートはウクライナに移住しモートの国を作ろうとした。アフガニスタンも美女の多い国で、アレクサンダー大王はインドへ行く途中ここで妻を娶った。もしタリバンが頑張っていなければモートはアフガニスタンに行ったかも知れない。
日本でモートはイザヤに導かれていたが、ヨーロッパではマリアが導いていた(日本ではキリスト教が禁止されていたのでマリア崇拝もなかったのは不幸中の幸いだったかも知れない)。ロシア正教は約1000年遅れて誕生したが、元来ロシア人の神秘主義は私を上回るそうである。国民もウクライナで何が起きていたかを知っていたので、それが支持率の高さを支えているのだろう。中には越境して来たモートがロシアの子供を食い殺しているのを見た者がいるかも知れない。でもキリル総主教はウスペンスキー寺院で何が起きていたか気が付かないのか?ロシア正教の仲保者はテセウスである。彼はマリア崇拝を止めるよう忠告したが教会は意味を理解しなかったと言っている。さて形式主義で頑なに伝統にこだわるロシア正教が「生神女」崇拝を止められるだろうか?。どこのハリストス教会でも向かって左側に大きな生神女のイコンがあり、祈りの言葉もある。正教にローマは異端であると教えたのはテセウスだろうし、それだけでなく「性欲なんてあって当たり前」とニセアバターのトリックの移植を拒絶したのも彼だった。だから正教の信者はほとんどが帰還するそうである。それを知って私は最後に正教の信者になろうかと思い、今年2月に北関東のハリストス正教会を訪ね一回だけミサ(ここでは毎月一度だけ)に参加したのだが、ウクライナ侵攻に驚き何事が起きたのかと二の足を踏んでいた。
冒頭でこの戦争をあえて内戦と書いたのはNHK教育 2022/6/11日夜放送の番組で、ある論客が「これは冷戦への逆戻り」と論じたことに異を唱えるためである。
---------------(追記)----------------
④ウクライナ侵攻のパラグラフで、ロシアがウクライナに対して持っている敵対心を対モートと書いた。確かにマリアはモートだが、ロシアはウクライナ人にヨーロッパから浸透しているイカ族を見ているのではないだろうか。モートかイカ族かは混然としていて区別し難い。日本の仏教に於いても同様である。ロシア人には「放置すれば我々はイカ族の奴隷にされる」という不安心理があると思う。このセンチメントはスターリンの頃から引き継がれている。彼らはその姿を見ていると思う。ソルジェニーツィンはこのことを知らなかったのではないだろうか。