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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

苛酷なまでの真実

「ローマ帝国の東西分離後キリスト教も二分した。プロテスタントはカトリックから分かれた。原始キリスト教を忠実に保っているのは正教である」と神父は言った。イオアン(ヨハネ)、マトフェイ(マタイ)などの聞きなれない名前は原語に近いのだろうか。
 この夏は暑く聖堂の中はクーラーがガンガン効いていた。半袖シャツを着ていて二の腕の感覚がなくなる程だったので腕を交差し両掌で二の腕を掴んで温めていた。すると「教会で腕は組まないで下さい」と叱られた。足を組んではいけないとも書いてある。神父は夏でも黒い長袖長裾の礼服を着ているので室温を彼に合わせている。神父が黒い服を着るのはミサで死者の役割を務めるためだそうである。生身の人間が祈るより神に近い死者が祈りを伝える方が神に届くだろうし宗教の本質は死後の願いである。
ホスチアのある日は朝食を摂らず煙草も吸ってはならない。その代りミサが終わると昼食の用意がしてある。また信者が十字を描く時私は皆と同じタイミングで昔の適当な十字を描いていたが三本の指を額から下に、胸では右から左に動かすよう厳しく注意された。古い儀式では二本指だったが三位一体を表す三本指で描くよう祈りの形式が変わった。その時伝統を譲らないでタイガの山奥に移り住み村落共同体との連絡を長い間絶っていた家族が発見された本を読んだことがある(*1)。そこまでこだわる必要があるのかと思ったが真剣さに打たれた。ロシアには性行為を忌み信者に麻酔なしで男女共切除手術を施すスコプツィと呼ばれる特殊な異端があり、ロシア人なら誰でも知っているらしい。「性行為を一切止めよ。そのために人類が滅んでもよい」と言ったトルストイはスコプツィだったのだろうか。

 誰でも正教のミサには独特の深い宗教的雰囲気を感じるだろう。聖堂のイコンは平面的だが美しく、装飾や神父のマントの金色が鮮やかで、ミサは時間もかかり中身も濃い。信徒の祈りは二部コーラス形式で、もし人数が多ければ効果があるだろうが出席者は少ない。たくさんローソクを灯すのも正教だけだろう。意図的なのかなり手が少ないせいか知らないが神父は数が少なく、毎日曜日に必ず神父が司祭する正式ミサがあるわけではない(中心的な教会では毎週執り行われていると思う)。その代り正式な日曜ミサまたは祝日ミサの前日に夕方5時から2時間近い晩祷がある。神父不在の日曜日には信者による代祷がある。神父は掛け持ちで多くの教会を受け持ち多忙である。奥さんの役割は食事の用意やホスチア作りやミサの補助や神父不在時の連絡係に重要である。ローマが「正教は妻帯し堕落している」と非難するのは当たらない、しない方が不自然であると私は思う。マリアは生神女と呼ばれて必ず祈りの中に出て来る重要な尊崇の対象である。聖母被昇天の祝日だけでなく生神女誕生祭もあり、それが9月21日とは知らなかった。
正式なミサに先立ち痛悔と呼ばれる告解の儀式がある。祈りの文章は古めかしく、ネットに出ている経文に読めない字がいっぱい出て来る。それを早口で独特の抑揚で長々と唱えるので聞き取れないから内容を理解して参加している実感はなくシャワーを浴びている感じがする。慣れるまで時間がかかるだろう。「アーメン」ではなく「アミン」と言うから正教の場合祈りの言葉を変える必要はないことになる。神父がミサで「人は死んで土に帰り終わるのではない」「イエスの磔刑は贖罪であるという考えが西のキリスト教で広がったが正教ではそうは考えない」と言ったが、聖書の文言に盲従せずポイントを突いている。今後盛況になる展望には悲観的で信者に高齢者の占める割合が多く、大きい聖堂に建て替えた教会は持て余しているそうである。安易に流れる時流に正教の伝統を維持しつつ未来をどう打開して行くか難しい問題であると思う。ミサ後帰路のそばにあるカトリックの教会では庭に人があふれていた。
新任の神父夫妻が来てミサに参加したことがあった。奥さんは麗人で良い夫を選んだと思った。入信以来あちこち教会を訪ねて来た私にとって正教こそ最後の依るべき望みで、正教の神父なら「盲人が盲人を導く」ことにはならないだろう。職業としての神父の生活は質素だろうが、贅沢なぞ無意味であるばかりか有害である。そう思っていると後ろで若妻の「幸せです」と言う声が聞こえ、涙が出た(下記*2参照)。

 御茶ノ水で電車を降りた時一度だけニコライ堂に参拝したことがあるが、それを除いて私はこれまで正教の教会を訪ねたことはなかった。この二ヶ月間正教のミサを経験して、あることを思い出した。生前の記憶である。
その時私は既に過去の記憶をすっかり消されて姿も小さい子供になり、予定された日本人の妊婦即ち母の胎内に宿りに行く準備のため途中から日本語の勉強会に参加した。そこにはこれから日本に行く者だけが集められていた。言葉の訓練は一通り基礎的なレッスンを受けしばしば「あとは現地で習得」と言われた記憶がある。勉強会が終わって最後に一人一人がメンターの指導を受けた。私は彼に「君は仏教の家に行くがゆくゆくはキリスト教に改宗した方がよい。キリスト教にも色々な宗派があるがロシア正教でなければならない。ただし正教が今度の共産主義革命でどんな影響を受けたか一抹の不安があるのだが。君が行くのは金沢の寺崎という姓の家で、ロシア正教の十字架は寺の字に似ている。改宗する気になった時自分の名前に似た十字架のキリスト教が良いと私が言ったことを思い出しなさい」と言われたのだった。そして衝立の後ろにいる人に向かって「金沢にロシア正教の教会はあるかね」と聞いた。その返事を聞いて「残念ながら金沢には正教の教会はないようだ。カトリックの教会は全国にあるが行かない方がよい」と言った。ハリストス正教のミサで私の定席の目の前の机に懸けた布に金糸で刺繍された十字架を見てこの古い記憶が甦った。然し実際には金沢には3年もいなかった。彼は「豚肉は食べない方がよい」とも言ったと思う。
これに関連すると思われる印象深い夢がある。私は大人に手を引かれて明るい野道を歩いていた。その夢の記憶が鮮明なのは道の両側に刈り入れ間近なたわわに実った黄金色の稲田が広がっていたからである。稲田からすると既に日本の領域に来ていたに違いない。その道の行く手に普通の小学校や中学校に似た二階建ての校舎があり、窓越しに授業を受けている子供たちの横顔が見えた。学校が目の前に近づくと子供たちがこちらを向いて親しみを込めて二階から私を見下ろしていた。皆穢れのない顔をした少年達だった。多分あれが私のクラスメートだろうがみんなは今どうしているだろうか。
喜んで(または止む無く)悪に奉仕している仏教が支配的なこの国に行くことがどんなに危険かは知らない訳ではなかったに違いない。仏教は「人間になればどう生きようが悪魔のエサ、何をしようとママゴト」であって「人間の運命は今のままで良い。我々は絶対に人間にならないから」という立場である。この言葉は最近聞いた。悪魔に人間を届ければたんと報酬があるのだろう。仏教に働かされる子供たちに「人間が可哀想だと思う必要はない」と教え、有無を言わさず得体の知れないものを食わせる。
それでも誰かが何処かに降りて行かざるを得なかったのだ。多分その理由は、霊達にとっても地上はファームだからと推測する。宇宙は膨張しているから地球以外に食材を求める事はいまや不可能に近い。キリスト教が天国に行けば往還することはないと説くのは真実ではない。

  助かるのは1%と言われていた。地上は悪魔が牛耳り悪魔の一存でこのパーセンテージが決められていた。その1%の生き残りも前項に書いたように悪の好き勝手な選択だった。ずっと僅か1%しか助からないことをブログに書きたくなかった。それではついこの間亡くなった大橋巨泉が言っていた「人生は一度きり」が正しいことになり99%は真面目に生きるのは馬鹿らしいと思うだろう。ガバメントはこの枠を広げるために奮闘している。
草創期のテレビ放送で大橋巨泉の話芸は人々を惹きつけた。私も夜中に彼の番組にチャンネルを合わせる視聴者の一人だった。彼の審判がどうだったか秘かに関心があったが最近は誰も何も言わない。現世では頭の回転が速くエンタメの世界で人の上に立って縦横無尽に場を差配する男だったから、審判の場で「そんな話聞いたことがない」と元気よく噛みついたら面白いことになるかと思ったが、フォアグラ丼を堪能しギャンブルに打ち興じた生き方が自分の姿にどう現れたかを見つめれば何も言う元気は沸かなかったかも知れない(下記註*3参照)。言質を取られて足を掬われるだけ、口が裂けても「人生は一度きり」などと言わない方が良いと思う。

 この国だけではなく悪が世界中に猖獗(しょうけつ)しているのは冷厳なる事実であるとしか言いようがない。私だけが聞いた霊界の情報を根拠にその事を書いて理解してもらえるか気が重かった。悪しき宗教が勝手に信者に借金のツケを残すだけでなく、食われた動物は莫大な請求書を突き付け、払えなければ命が代償である。旧約の「主は購われた」とは借金のことを指すであろう。

 何処とは言えないが、人間がその国に生まれる事即ちその命は今生で終わりと運命付けられている国がある。貪欲な食習慣も関係しているだろう。

 アメリカは日本の半分も救われないらしく、原爆を落としたことで神の憐れみを失ったとも言う。最大の都市では降りて来た霊を捕えて食う悪魔の権利が一カ月先まで予約されているそうである。ここでも死者に対して動物の怒りは収まらない。最近の夢で肉を削がれた動物が歯を剥き出して歩行している姿を見た。屠殺された動物はすぐに血を流して息絶えるが、まだ霊体が癒着たまま食肉加工されあのような姿になるのかと理解した。「06・私を離さないで」の追記を参照して欲しい。人間たちも個別に守りの組織を作っているようである。日本では単体でさえ恐れられている殺し屋をある化学会社は何人も雇っているらしい。霊が生き残るか死ぬかもメジャーリーグ級のバトルなのだそうである。表の舞台と霊界の実態の何という違いだろう。

 意外にもイギリスは悪魔さえも手を出したがらない腐敗霊が充満した国で革命は失敗だったらしい。「理由を考えて見ろ」と言われ聖公会か狂牛病と関係あるのかと思ったが、「お前はその心配はいらない」と言われて思い当たった。36項の冒頭を読んで下さい。一生のうちに出会った二人の美しい Scottish ladyを覚えているが残念の限りである。

 日本は満州国に積極的に関与したから中国が根に持つのは止むを得ない面がある。プルコギの国の女性大統領は相変わらず「歴史を忘れるな」と言っているが自分の国がやった歴史を反省する気配はない。あるデモンに「自分が悪い事をしているからと言って他人が同じ事をしているのを非難してはならないことはない」と言われたのに考え方が似ている。これがどうやら私をつけ狙っているK国由来のデモンで、こんなデモンが大きな顔をして目くじらを立てて裁きに口出しするのがこれまでの審判だった。私は仏教によってこれに売られた。最近の記事によればこの国では詐欺や偽証罪や誣告罪の発生率が異常に高く、彼女の父親の元大統領も自著でこの国が平気で嘘を吐く国民性であることを警告していたそうである。嘘のおかげで碁やゴルフが強くなる訳ではないことは知っていますがね。これも最近の報道によればアメリカが戦後すぐに出した調査報告書で日本の統治政府は性産業に関係してはいなかったと報告したそうではないですか。自国の女性歴史学者が慰安婦募集に日本軍は関与していなかったと書いた本が大反発を受けたらしい。
個人的な事を言うと、一緒に仕事したことのある真面目な友人がK語を習いよく旅行に行っていた。何をしに行っていたのか知らなかったが、彼が「女とはもう飽きるほどやった」と言ったらしいのを人伝てに聞いてそんな目的だったのかと驚いた。性産業健在なりか。彼は50代半ばで不幸な事故で亡くなった。いまどき泊まりがけの出張に行ったビジネスマンは女の接待を要求し、床屋では下の方のサービスもあるらしい。実態は綺麗ごとを言っているだけのような気がする。何を言いたいかと言うとこれら全部を合算した結果救いのない来世の国らしいこと。気の毒だがなるべく関わり合いになりたくない。慰安婦像なぞ廃棄するときっといいことがありますよ。
片やひどい生活レベルの北は逆に第二の命を与えられる者が多いらしい。酷薄な指導者によって国民に自由のない被虐的な苦しみを強い戦力に執着した体制が宗教的には理想的な生活であるかのような錯誤は何かがおかしいと感じる。悲しいかな人間の進歩の方向と従来の審判のルール(註*3参照)が噛み合っていない。昨今北の核実験が騒がれている。過去に独特のこだわり方をする民族の住む朝鮮半島の南北対立が次の戦争の火種になりかねない。

 ローマは革命側が勝利したらしい。おこがましい言い方だが、人間がどれだけ重要性を認識して事態を受け止め、旧弊を刷新する新機軸を打ち出すかに懸かっていると思う。必ずしも大々的に変革を公言する必要はないと思うが。(バチカンについてはまだ流動的な情報も届く。)

 ポルトガルはフライブルグを宣言したそうである。

 極めて個人的で危険な考えがある。ドイツは革命を待ち望んでいて何の抵抗もなく易々とハルマゲドンを成し遂げたと聞いたが(ニセ情報かもしれない)、そのことは歴史的事実であるホロコーストと関係ないだろうか。第二次大戦とホロコーストの結果負けて悪役にされたドイツには重い戦争責任が課されヒトラーには最大の汚名が残された。然しあれは勝手放題なヤハウエの非道に憤懣やる方なかった反ヤハウエ側のドイツを使った恐るべきリベンジだったのではないだろうか。少数だが例外的に助かったユダヤ人もいる。スエーデン在住ユダヤ人、杉原千畝がビザを発行したユダヤ人、シンドラーが助けたユダヤ人、映画「ディファイアンス」に描かれたベラルーシのユダヤ人、映画「戦場のピアニスト」や伝記小説「通訳ダニエル・シュタイン」の主人公、「ナチ将校の妻」のエディト、それに強制収容所の生き残り。これらに関係する映画を見、本を読む時私は助かる方に肩入れした。その他無名の助かった人もいたかもしれない。神は助かった人たちには特別な例外プログラムを適用したのではないか。
ホロコーストに先行した1917年のロシア革命にはユダヤが関係していた。

 私は自分の名前に仕組まれたプログラムを何とも不思議に感じる。姓の寺という字が正教会の十字架を暗示する。父の仙太郎という名がケンタウロスを想起させケンタウロスに医術を学んだアスクレピオスと関連する。アスクレピオスはアポロンとラピタイの王の娘コロニス(カラス)の子であるがカラスとは黒い喪服を指すのではないだろうか。つまりコロニスは未亡人だったことになる。誰も知らないことだが私に具わったエネルゲィアで今の正教会の教会にいて不治と言われていたクラゲ女の霊が奇蹟的に人間の姿に治ったと感謝された。仏僧が付けた「みだりに人に教えない重要な奥義」を持つことを意味する私の名前はヨセフの別名である。ただしマリアの夫ヨセフとは関係なさそうである。母の名はハナでサムエルの母ハンナに似ている。そう思ってサムエルという洗礼名を選んだが神話でサムエルがヤハウエと対立したことは後で知った。



(*1)「アガーフィアの森」
(*2)結局正教も止めた方が良いと判断し新教に戻った。その理由について「50項イギリス」の(註*2)参照。共産主義革命で伝統が否定されキリスト教もダメージを受けたことは考えられる。
(*3)
私が知っている限りのデジデリウムのルールは以下の通り。
  太陽の光を避けよ
  賭け事をするな
  剣を使うな
  悪魔の誘惑に従うな
  (人の)誘惑に乗るな
  貯金をするな
  衣食に気を使うな
  食べたい物を食べるな
  生肉・生卵を食べるな
  (生きる道を他人に)教えられてはならない
  良い事を為せ
  涙が出るのは良い事である
  天下国家を守れ
  嫌がらせをするな

知って以来公表するなと言う声もあった。カッコの中は私が説明のため加えた。セックスは禁止ではなくなったと言われた。これらのルールに背けば背くほど霊的な劣化は進むだろう。悪魔はこの他何百ものルールを自作して死者を難詰する。