これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。
“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”
「東大生 婦女暴行」で検索すると東大・慶応・早稲田などの一流大学生による女性に対する悪質なハラスメント記事が見つかります。彼らの中に“エリート意識の強い、自分は何をしても許されると考える差別的で冷酷な性格を見出す”という指摘に同感します。千葉大医学生による同様の事件も寒々しい。「若い頃は本音を言えばお前だってやりたいと思っただろう」と反問されれば全く否定することはできないが、内なる欲望をその通り実行するかしないかの差は大きいでしょう。名古屋大学の女学生が興味本位で犯した殺人事件も尋常ではなく、これには「そんな気は全くない」と答えて少しも嘘偽りはありません。こうした犯罪は大学が悪いのではなく、人間にはもって生まれた個々の特性があるのではないでしょうか。
これらの事件のニュースを聞いた時、高校の卒業式で校長が「この頃は頭のいい馬鹿者が増えた。君たちは決してそんな馬鹿者になるな」と苦々しい顔で訓辞したのを思い出しました。戦後の一時期日本中を賑わせた、山崎某という東大生が高配当を売り物にする金融会社を起こし、運用に失敗した挙句に自殺した光クラブ事件が校長の念頭にあったのではないかと思います。山崎が経営に行き詰った時相談した相手が学友の藤田某で、「君が死ぬことが唯一の解決策だ」と助言したというのも背筋の寒くなるような冷血ぶりです。校長は彼自身も東大出身で、学生仲間にそう思わせるような心当たりがあったのでしょうか。人間には誰にも本人そっくりの随伴霊がいますが、権威者が東大生の随伴霊に「被(かぶ)りものを取れ」と命じると様々な動物の顔が現れるらしい。ジャーナリストのMH氏は三大新聞の一紙の論説委員を務め論客としても評判が高く、彼が生前に書いた文明批評や作品をまとめた分厚い全集がありますが、死んで自分が猿だったことを知って愕然としたといいます。鳥羽僧正は鳥獣戯画で人間を猿・兎・蛙に三分して表現した漫画を描きました。
このブログの冒頭に、ヨハネ黙示録7章“すべてのイスラエル人のうち十四万四千人が額に私たちの「神の僕」である印を付された「人の子」である”を引用しましたが、当時のイスラエルの全人口はどの位だったのでしょうか。100~200万として仮に150万人だったとすれば残りの135万人は動物だったことになります。とは言え犬族を例に取れば人間にフレンドリーなレトリバーや小型犬から獰猛なドーベルマンや狼まで個々の性格は様々です。ある少年が来て「我々は人間のように民族間で戦争しない。知力でも人間を凌駕することを証明した。これまですべての災いの元凶は人間であると考えて人間に責任を取らせた。しかし今度の革命では我々は許されなかった。中には目玉をえぐられた者もいる」と悲しげな声で訴えました。人間の子供と少しも変わらないその愛らしいが沈んだ声の主を私は犬の子と推察しました。和犬の中には柴犬のように子供の頃特に可愛い犬がいます。彼の「ローマはやり過ぎだった」と言う言葉には仲間意識が感じられました。何故ローマが彼の仲間か、ではローマとは犬族の集団なのか。それが岩波文庫の QUO VADIS を読んだ理由でこれからその紹介を書こうとする所ですが、その前に若干書き記します。
インドから来て600年間この国に滞在し、私の仲間にも加入して務めを終え、これから母国のバングラデシュに帰るつもりになったある少年が私のブログで一番重要なことは「退化」だと言っていました。人間はどうしても選択を間違える。自業自得は霊的な身体に避けようもなく現れます。死後自分の姿が無惨に劣化していたり、或いは下級動物に変形しているのを発見して、驚き嘆く霊たちを彼は多数見て来たのでしょう。キリスト教の中でもブルガリアの正教だけは人間の動物への生まれ変わりを知っていたが口止めされていたそうです。デジデリウムに違反することだけでなく、酒も良くないしゴチなぞ決して真似してはいけない(イスラムが戒律としてアルコールと豚肉を禁じています。アルコールを摂取すると気が大きくなって普段はやらない事をやってとんでもないことになる場合があります。豚肉については諸説ありますが、普通の豚は自分を食べて欲しいと思っているようです。人間に良い肉を提供することが勤めだと了解しているのでしょう)。聖者の位を追贈された者でさえ、劣化が原因で実際には神には迎えられず止む無く悪の側に付いた例もあるのです。キリスト教もまたこうした数多の renegade を生み出しましたが、その原因は生前著作で高名を得ても実はそれが悪を喜ばせるだけの謬説だったり、本人は正しいと思ったことが神の意向とは違背していた者も悪の側に取り込まれます。後人は一面だけを見て評判だけを信じてこれらの renegade を尊崇するととんでもない事になります。我々は歴史上の人物だけでなく、親兄弟や知人や同世代の有名人が死んでどのように審かれたかを誰一人知りませんが、すべては例外なく結果が出ているのです。人の死後の運命の知り難さが信仰上の矛盾を産むだけでなく、聖書の難解さも理解不足と錯覚を齎し悔いを残しました。どういう事がキリスト教で食い違いを起こす問題点になるかを前項と下記の付記4.に書きました。
「クオ・バディス」は何と言っても皇帝ネロ治世下という時代背景の特殊性を抜きには語れません。作者シェンケビッチ(1846-1916)はネロを妻ポッパエアの口を借りて「朗詠者や戦車の御者や詩人としての彼の虚栄心にかかわることに逆らうことは危険な」狂王と描写しています(上巻p125)。「神にも比すべき詩人かつ朗詠者であられる陛下が今回あらたに作られたウェヌスの賛歌にくらべればかのルクレテゥスの賛歌のごときは当歳子のオオカミの泣き声のようなものである(上巻p124)」とは、裏を返せばいみじくもネロの新作は「逞しく偉大な狼王の力強く響きわたる吠え声の如し」を意味することになりますが、作者は自覚していたのでしょうか。ネロには政敵を毒殺し、母と前妻を謀殺した過去があります。トロイア炎上をローマで再現して、その舞台で自分が先祖プリアモスに語りかける朗詠者を演じるという自己陶酔を単なる夢想に留まらず実現し、ローマに大火を引き起こします。民衆を欺くため虚偽の風説を流してその責任をキリスト教徒に取らせ、民衆はそれを信じた訳ではないがキリスト教徒が犠牲になる希代の見世物に歓喜します。ローマはキリスト教徒にとって悲劇の舞台となり、この時期ペテロは小アジアに逃亡していた信者に手紙を書いたのでしょう。「悪魔がほえたける獅子のように食いつくすべきものを求めて歩き回っている」とはその時現実にコロッセウムで起こっていた事でした。
映画ではロバート・テイラーが演じた主人公のウィニキウスは軍人で、宴会で酒に酔った宮廷の女たちの誰もが秋波を送る美男子ですが、彼にはそのうちの誰か気の合った美女と一時の悦楽を楽しんだりする気はありません。ウィニキウスが一目ぼれしたリギアは小国からの人質で、恰も「パンのみではなく神の口から出た言葉を糧として食べ咀嚼し身を養っている」が如きキリスト教徒です。若い女である限りウィニキウスへの恋心が密かに芽生えますがそれは信徒であることの二の次です。今日リギアを見つけることは不可能に近いでしょう。リギアの従者ウルススこそこの物語のキーマンではないでしょうか。もし彼が武装してアリーナに立てば栄冠を勝ち得て賞金も美女も豪邸も最高の料理も欲しい侭に手に入ること必定ですが、全くそんな気はありません。彼が巨大な雄牛と戦って得た勝利が観客の大喝采を浴び、雄牛に括りつけられていたリギアの解放に成功します。ペテロの説教(上巻p125)を実践しているのがウルススです。ペテロは「贅沢と快楽を捨て、貧困と純潔な生活と真理を愛せよ。忍耐強く不正と迫害に耐えよ。長上と権威に服従せよ。裏切りと阿諛(へつらい)と誹謗をつつしめ。最後に、互いの間は勿論異教徒にも模範を示せ」と仲間に patience を求める手紙を書いています。ウルススとは鍛冶の神ウルカヌスの暗喩だという声があります。キリスト教が弱者のルサンチマンではない好例です。
ウィニキウスの叔父として物語の軸になるのが実在の人物ペトロニウスで、文学作品サチュリコンの作者です。宮廷ではネロがそのパフォーマンスの出来不出来を気にしてペトロニウスの賛辞を期待しますが、ペトロニウスはけなすが如くに批評しながら結局は言葉巧みに称賛する複雑高等な話術を使います。しかし彼はこの宮廷でこの皇帝に仕えることの無意味さを次第に募らせ、せめて甥ウィニキウスのリギアへの愛を実らせてやりたいというのが残された唯一の望みです。中巻の終わり位から皇帝の歓心はイエスマンである政敵のティゲリヌスへ傾き、ペトロニウスは死を覚悟します。下巻最終章でウィニキウスとリギアの幸せを見届けた上でペトロニウスは医師に命じて静脈を開き自死するのですが、彼を愛し仕えてくれた恩として密かに全財産を遺贈すべく手配していた女解放奴隷のエウニケも同じ方法で彼の後を追います。彼は結局キリスト教には靡かなかったし、作者は自死を異教の美学として半ば肯定・半ば否定しているのかも知れませんが、私が最も感動し泣けたのはこのパートでした。たとえキリスト教徒でも自殺が必ずしも罪ではなくなる場合はあるのではないでしょうか。
遠藤周作の「沈黙」に出て来るキチジローを彷彿とさせるのがギリシャ人キロン・キロニデスですがはるかに質(タチ)が悪く厄介です。生かじりの知識を活用して議論で相手をへこませ、地位のある人物に巧妙に取り入って利益を挙げます。偽キリスト教徒としてキリスト教信者の中にも紛れ込みます。ウィニキウスに嫌われ体罰を受けたことを根に持ち、その腹いせとしてリギアの不幸を願い、キリスト教徒の隠れ家を官憲に密告します。作者はキロンを猿か狐のような風貌の持ち主と書いていますがその根性もまた然り。ギリシャ人とローマ人には気質の違いがあることにも触れ、キロンはキリスト教徒が惨殺される見世物に気を失ってまわりの観客の失笑を買いますが、あとで流石に自分のしたことを後悔します。
作者はパウロをキリスト教を世界に広めることになる偉大な人物だと見做しています。またイエスがエホバの子であるとの誤った説を引用しています。パウロは消沈したキロンに対し、キリストの愛は偉大でたとえ大罪を犯しても悔い改めれば許されると諭し、キロンは本気で信徒になる決心をしてパウロの洗礼を受けます。然しこれは甘すぎると言わざるを得ない。取り返しのつかぬ罪というものがあります。またキリストの愛が簡単にキロンの犯した罪を帳消しにするでしょうか。信者のふりをして紛れ込んでいたキロンの裏切りにより隠れ家から連れていかれた何千人もの信者が、牛の角に刺し殺され、空腹な犬やライオンに食い殺され、やむなく剣闘士と戦わされて殺されたのは神にとって余りにも悲痛で許せないことだったとしか思えません。ローマへの伝教は危険だとイエスが恐れた通りになったのでした。一体ネロの、またローマ人のこの嗜虐性はどこから来るのかと考えた時、ロムルスとレムスの伝説に行き当たります。個々にはそれ程体躯は大きくないが規律と集団戦闘能力に優れたローマ兵の強さの由来は彼らがウルフパックだったからと考えると納得が行きます。ただし歴史が示す通りローマ人はただの野獣集団だったのではなく、土木や建築や彫刻で優れた才能を示したし、ローマ法体系と呼ばれる先例的な統治形態を築いたのでした。
ローマ人の中でもペトロニウスには少し違った性分が見受けられます。大胆な推測ですが、それは彼が人間だったからではないでしょうか。犬族が支配する世界にも人間は混在しています。
私がこの長い物語を読んでみようと思ったのは、ペテロにクオ・ヴァディスと呼びかけたのが本物のイエスだったのかと疑問に思ったからでした。ペテロは神の意図を疑い「主よ!主よ!あなたはこの世の支配権をなんという人物におあたえになったのです。いったいなぜこのような町にあなたの都を建てようとなさるのです」と心の中で叫びます(下巻P123)が、その疑いはたしかです。信徒たちはペテロに対し「私たちの覚悟は決まっているが貴方は主を知る貴重な人物だ。危険なローマから脱出して安全な所で残る余生を伝道に当たってくれ」と懇願し、ペテロも懐かしいガリラヤ湖の畔を思い出してその気になります。彼はイエスも自分が生き延びる方を望むに違いないと思ったのでしょう。
そしてローマに背を向けて従者の少年とアッピア街道に差し掛かった時、明るいものが近付いてきて「クオ・ヴァディス・ドミネ」と呼びかけ「おまえがローマを捨てるなら、わたしはもう一度ローマに行って十字架にかかろう」と言います。ペテロは「クオ・バディス・ドミネ」と言う言葉がイエスの死の直前に交わしたイエスと自分の二人だけが知っている筈の言葉であることを思い出し、光をイエスだと誤認します。
このように作者はペテロを模範的な宗教的指導者のように描いていますが、それが正しい歴史の解釈として受け入れられ神の意に叶ったでしょうか。
然しこれはあくまでフィクションです。光が「クオ・ヴァディス」と呼びかけたというのは何か記録にあることではなく、作者の卓抜なアイデアに過ぎないでしょう。同じことはペテロの回心にもあり、こちらは記録に残っていますが、私はこれを作り事だと思っています。かつて渡来人が盛んに日本語を捏造したことがあったという記事を書きましたが、「騙す」という言葉はダマスカスから作られたのではないかと強く感じるのです。ダマスカスでパウロは神の呼びかける声を聞き、驚きの余り落馬して意識を失い、起き上がって目からうろこが落ちるように天命に目覚めたことになっています。しかしこれは奇蹟的な経験をしてパウロがキリスト教に回心したという、人々を信用させるためのドラマチックなフィクションであって、嘘吐きども常用の騙しの手口だったのではないか。この成功体験から「騙す」という日本語が作られたと想定されるのです。考え過ぎでしょうか。
すべては2000年以上前の過去の出来事で一連のことの結果は出ています。ペテロが生き残って働かなければローマ教は成り立たなかったでしょう。しかし死後ペテロの魂は救出されたでしょうか、またパウロは大手を振って神に迎えられたでしょうか。私はそうは思えません。キロンは狐や猿はおろか、ネズミか毒虫になったでしょう。ポッパエアの霊体は醜く崩れていたでしょう(蟇蛙が正解か)。信じがたいことですが、ネロは鉄くずになったとの噂があります。まれに生命体ではなく物質化する例もあるようです(付記6参照)。
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(1)コロッセウムで初期キリスト教徒が殺されたのと同じように、392年ローマがキリスト教化した後、カトリックは異端・異教に対して牙を剝き、カタリ派を捕縛して火刑に付しワルド派を串刺しにします(「ピエモンテの虐殺」で検索するとその画像が出ます)。十字軍は逸脱し、人肉を食ったという記録さえあります。丁度カリギュラやネロが皇帝に選ばれたように、この本で作者がペテロに語らせた説教から余りにかけ離れた教皇が何人も誕生します。一例がボニファティウス8世(在位1294~1303)で、Wikipedia によれば彼は【聖職にある身としてはめずらしいほどの現実主義者であり、また最後の審判は存在しないと信じていた。敬虔な人から悩みを打ち明けられても「イエス・キリストはわれらと同じただの人間である。自分の身さえ救うことのできなかった男が他人のために何をしてくれようか」と公言してはばからなかったといわれている。何ごとによらず華美を好み美食家で宝石でかざったきらびやかな衣服を身にまとい、金や銀などの宝飾品を常に着用していた。賭博も好み教皇庁はまるでカジノのようであったという。性的には精力絶倫であやしげな男女が毎晩のように教皇の寝所に出入りしたともいわれている。政治的に対立したフィレンツェのダンテからは神曲のなかで「地獄に堕ちた教皇」として魔王のルシフェルよりも不吉な影をもって描かれた】という、まるで悪魔そのもののような人物でした。
(2)マタイ15章および16章にある、イエスと使徒が群衆にパンと魚を与えたことがミサの始まりと言われます。パンとは「神の口から出る言葉」を意味し、「かごに残ったパンが増えた」とは神の言葉が無駄にならずそれによって悔い改め清められた信者が増えたことの意味と解釈されます。ここで女は計算から除かれており、ポステルは女は救いから取り残されていると言いました。ですからリギアのように神の口から出た言葉を糧として吸収する女は貴重です。現在は天の国でも女性もずっと増えているそうです。
十字架は上下左右への道しるべです。退行や劣化についての警告ばかり強調しましたが、正しい信仰を選択し身をよく保つことによって逆に Promotion もあります。「デジデリウム」で引用した「聖灰の暗号」の中の“この貴重な機会をどうして無駄にできましょうか”はそのことを指すと思われます。死後も生まれる前と変わり映えしないで来た道に戻ることを日本では「元の木阿弥」と言います。
(3)「食」でボードレールの「悪魔の最も賢い所は悪魔なぞいないと思わせる所である」を紹介している通り、今日の学校教育では rat race にいかに勝ち抜くかだけを教え、悪魔の存在なぞ「馬鹿げた話」で「真面目に考えるのは変わり者」程度にしか扱いません。なるべく悪魔や死後の問題を考えさせない今の教育システムは「悪魔の学校」と呼ばれています。聖書の解明が遅れた理由として宗教学は文学部で提供され、我こそはと思う受験生が目指す難関をパスする最高レベルの頭脳は関心を持たないシステムになっているからだと言われています。西南学院を出た牧師でさえ悪魔の話を持ち出した時ニヤニヤ笑いをしたのには「一体何を教えて教会にいるのか」と呆れました。
(4)旧約聖書、ペテロ、パウロ、マリア、バチカン、三位一体 これらに対する考え方は甘すぎる。
(5)多分作者はこの本を「ペテロ行伝」と呼ばれる外伝に基づいて書いたのでしょうが、これは極めて信頼度の低い原典であると衆目の一致する所です。そもそもペテロには従順にイエスに従う意志はなかったし、またバチカンで殉教しなかったというのが真実のようです。ですからペテロがガリラヤに帰ろうとした時光るものが現れて「いずこへ行く」と呼びかけ「おまえが去るなら私がローマでもう一度十字架に架かる」と言ったというのもニセの作り話でしょう。物語は面白ければ良いというものではなく、根拠薄弱な出典でこんな本を書いたシェンケビッチ自身も後悔して臍を嚙んだと思われます。また「ペテロ行伝」に出て来るアグリッピーナはペテロに救済されますが、彼女はキリスト教グノーシスでいうエンノイアである高い可能性があります(後述グノーシス1・エイレナイオス「異端反駁」の記述参照)。
(6)余り極端なことを言えば却って説得力をなくすかも知れませんが、私は枯れた観葉植物の葉が縮れて垂れ下がっているのを見て、葉柄ごと強引に引っ張り取った時、突然「痛い!」という声を確かに聞いたのです。