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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

H8

 歴史上の重要人物はほとんど誰かの生まれ変わりだと聞いていた。H8はその女好きで自己中心的な性格、尊大で大物ぶった印象からゼウスの生まれ変わりではないかと思っていた。「H8 暴君かカリスマか(晶文社)」という本を手にしたのはそういう理由からだったが、どうにも読む気がしないで途中放り出し時間がかかってしまった。しかし書くべきことは一杯あって無駄にする訳にはいかない。筆者は前書き(p-012)で「汝の敵を知れ」とはけだし名言であり、五百年前のイングランド王の生涯を知ることは「彼ら」が何者であるかを知る手蔓になるであろう、と書いている。「彼ら」とはH8と先代アメリカ大統領トランプ氏のことを指すが、これはエコノミスト誌の「トランプはH8を思わせる」という記事(2017/5/12)を下敷きにしている。トランプ氏のファンは多いが筆者はH8とトランプを我々(私も含め)の敵と見ているわけで異存はない。しかし実は「汝の敵を知れ」は当のH8自身が使うお決まりの手法だったのではないだろうか。面談者が何者であれH8は相手を見つめ、動揺することも顔色を変えることも声を荒げることもなく頷きながら話を聞いている様を想像する。つまりH8とは相当懐が深く手強い曲者だったのではないだろうか。結果的には面談者の中で彼に受け入れられた者は誰もいないのである。

 折しもH8が王位にいた1500年代はヨーロッパにルターの宗教改革の嵐が吹き荒れていて、聖書とは何か、神とは何かが問い直されていた。旧約聖書が過去の歴史の物語であるのに対し、新約聖書とは2000年前に端緒についたばかりのキリスト教信者が新しい信仰の道を踏み出し、その後も道を誤ることなく正しい方向に進むための指針でなければならなかった。そのために新約聖書記者が分担して描く物語に要求されたライトモチーフは
1.イエスの父なる神を信奉するキリスト教徒は新しい信仰集団であり、旧約聖書を典拠とし誤った神を信奉する(ヨハネ福音書8章)守旧派の祭司・律法学者・パリサイ人とは相容れないグループである。
2.イエスの父なる神を信じる者に死後の復活と救いの道が開かれる。それ故に人は現世の富と栄達と幸福を追うだけではなく死後の命の招きについても備えなければならない。
3.十二使徒の一人ペテロは面従腹背の徒であり真にイエスに従う者ではなかった。彼こそイエスが最後の晩餐で予告した裏切り者であった。そのことはイエスが十字架にかかる土壇場で彼が示した行動、即ち「ペテロの否認」に表れている。だから信徒は重々警戒を怠らず軽率に彼の考えを受け入れてはならない(*註1)。
4.マリアもユダヤ教祭司らと同類でイエスの教えに逆らう者である。彼女の持つ本質的な危険性を警戒しなければならない。
4点であろう。

 新約聖書を起草する上での現実的な問題はペテロの弟アンデレがまだ存命中だったかも知れないしバルヨナ家のファミリーもガリラヤにいるなら、あからさまにペテロの悪口を書けば彼らとひと悶着起きるだろう。マリアについても同じで、余りにフランクな警告はマリヤ本人(とそのファミリー)やイエスの弟たちやエリザベス(とそのファミリー)との間に揉め事を引き起こす可能性がある。だから極力そういう類のトラブルが起きないような、人には言えない配慮が必要だったと思われる。後代の読者は聖書にあいまいさを感じ何故もっと率直に分かり易く書かなかったのかと不満を感じるだろうがそんな気苦労があったことにも思い及ばなければならない。このブログでモート族(人間界に混在している有名・無名の彼らの数は余りにも多い)について率直に真情を吐露する訳にはいかない今の私も同じような悩みを抱えている。

 ヘンリー7世にはアーサー(1486年生)とヘンリー(1491年生)の二人の男児があり、アーサーには一歳年上のカタリナ(キャサリン・オブ・アラゴン)という許嫁がいた。スペインとイギリスの政略結婚である。アーサーが10才の時二人はセント・ポール大聖堂で結婚式を挙げた。その時ヘンリーはキャサリンの付添役として花嫁を式場に先導した。しかしアーサーは挙式後半年も過ぎないうちに急死する。死因は筆者ははやり病のせいだとしている。やがてヘンリー7世が死にH817才で王位を継ぎ結婚するが、相手はなんと兄の未亡人キャサリンだった。弟は義姉を憎からず思っていたフシがあるがのち二人が離婚する段で「父に頼まれて結婚した」と言う。H8とキャサリンの間に娘メアリーが生まれたが、やがてキャサリンの侍女アン・ブーリンに目移りしキャサリンとの離婚騒動が起きる。旧約聖書に詳しかったらしいH8はレビ記の「兄の嫁との結婚は無効である(18-16.20-21)」を援用してキャサリンとの離婚は正当であると主張した(p-136)。これに対し離婚に反対するキャサリン側の教皇特使は申命記の「兄弟のどちらか一方に妻がいて夫が死んだ場合、残った兄弟はその未亡人と結婚しなければならない(25-5)」を根拠として正当な結婚が成立したと反論した(p-144)。ちなみにもし誰かがイエスに「この議論はどちらの意見が正しいか」と問うたならば「それはお前たちの問題でわたしの関知することではない」と答えただろう。

 アン・ブーリンは福音主義者であり、福音主義とはルターの「聖書を拠り所に伝統的なカトリック教会の権威に疑義を呈する改革派(p-139)」でその主張は「聖書の言葉を形式的に守ることではなく、その指示するところに従って行動すること(p-158)」を主眼とする。ここで聖書とは新約聖書以外考えられない。また「その指示するところ」とは冒頭に書いた新約聖書記者たちのライトモチーフを指すであろう。二番目の妃アンはH8との間にエリザベスを生む。やがてアンも嫌われ見捨てられる運命にあったがその理由がまた嘘くさい。H8はさらに4人の妻を迎え待望の男児エドワードを得た。

 プロテスタントの教義の中心である聖書中心主義(p-213)の目的は、キリスト教発足の時点に立ち返り「新約聖書」が信者に何を指示しているかを再確認し、今日のキリスト教徒がそれに則った信仰形態を今一度再スタートすることにある。そのためには聖書記者が書き記した聖書のライトモチーフが何であったか、キリスト教の現状が如何にそこから逸脱しているかを省みて、もともとの新約聖書の教えに立ち戻らなければならない、とする。ルターの唱えた信仰義認、即ち「人は善行によって救われるのではなく神への信仰のみによって救われる」が「カトリックの神とは旧約聖書の神でありこの神の下では善行によっても救われることはなく、新約聖書に謳われたイエスの父なる神こそまことの救いの神である」という意味であれば、ルターの主張は正しくかつ革新的である。またマリアや聖人たちへの崇拝を迷信として斥けた(p-212)のは、前項に書いた通りマリアの本質は悪であり、たとえ誰かが善行だけをなしたとしても身に覚えのない罪を着せられる。そして地獄へ連れて行かれ、そこで下される審きは万に一つも彼を救いはしないことを指すだろう。カトリックが定めた聖人にも同様の嫌疑がある。ルターがこの罠の実態をどの程度掴んでいたかは分からないが、改革の目的が審判にまつわる悪企みと無関係ではありえまい。私が書いたマリアに関するあの記事の後で調査があり、調査官が「救済に与かる者の数が少なすぎる」と問い質したのに対し「誰も救う気はなかった」がマリアグループの答えだった。もう地獄なぞ埋める方針が出たようである。日本ではトリックの片棒を担ぐにせアバターは好条件で東南アジアから連れて来られていた。

 義認説後半の「神への信仰のみによって救われる」とは旧約の主は神でないことを意味する。イエスは「自分は神から遣わされたがパリサイ人の信仰しているのは神ではなく悪魔である」と言っている。マリアも旧約の主に向かって祈るパリサイ派の一人であった使徒行伝1。H8は「ルターの信仰義認説」を認めなかった(p-250)。またH8の信仰が一体何なのか理解し難いことが論じられているが(p-262)彼の位置はルター派でもカトリック派でもなく(さすがに自ら公言出来なかっただろうが)ユダヤ教のパリサイ派に近いであろう。

 H8は庶民院議会の反聖職者感情を巧みに利用しながら教皇の権威や聖職者の特権を否定し、新たに国王を頂点とするイングランド国教会を打ち建て(p-159)自分をソロモンやダビデといった旧約聖書の国王に擬えた(p-168)。続いて庶民的信仰の場である小修道院(年二百ポンド程度の収入、その数約300)とカトリックの出先である修道院の解散に取り掛かる(p-200)。ここに至る過程で「アンの没落以降もH8は福音主義に基づく教会改革とイングランド国教会の教義確立に意欲を示し続けた」と書く筆者の目は曇っている。H8の国教会設立と福音主義台頭とは全く別件である。既述の通りH8が依拠する聖書と福音主義者の議論する聖書は違うし、福音主義者は口が裂けても己の主張の根拠にレビ記を援用したりはしないであろう。H8が目の敵にした小修道院はSF2)の⑨内なる宇宙(上)のジーナが言う「聖パトリックの教え」を信仰する場として庶民に親しまれていたのだろう。彼女がハントに語ったことを今一度振り返って頂きたい。これらの修道院が果して小修道院解散法で言う「明白な罪、さらには邪悪で肉欲にまみれ、おぞましい行いが日常茶飯事になっていた(p-202)」場所だったかどうか、強い疑いを禁じ得ない。小修道院の解散に反対して集合した叛徒の群れは「恩寵の巡礼」と呼ばれる騒擾を起こし英国中を揺るがしたが、教会土地財産が収奪されることだけではなくこの法律の嘘に対する市民の怒りも大きかったのではなかったか。
 また筆者はH8が少年時代に人文主義者エラスムスの薫陶を受けたが故にエラスムスの弟子であると見做しているが(p-213)それは買い被りであろう。H8は大法官トマス・モアを刑場送りにしたが、もしエラスムスが英国に留まって宗教活動をしていればモアと同じ運命に落ちていたと見る方が妥当だろう。エラスムスが晩年スイスで暮らしたことは両者にとって幸いだった。H8はエラスムス抹殺者の汚名と世界中の非難を逃れた訳である。H8がエラスムスに宛てて「キリストの教えを原初の状態に戻し神の言葉が妨げを受けぬ純粋な形で届けられようにしなくてはならない」と手紙に書いたという文章(P-219)を読んで、矛盾と言うか虚言と言うか、開いた口が塞がらなかった。言い方はルターに似せているが同じことを言っているとは到底考えられない(オーウエル流にダブルシンクすると「原初の状態に戻す」とはキリスト教なんてなかったことにするという意味ではないか)。冒頭に書いた通りこれがH8の常用の手口である。相手の言わんとする事のポイントを掴んでさも納得したように巧みな言葉を返し、相手を喜こばせ懐柔するのだが、本心は全く別の所にあって「この不届き者を何時どうやって始末しようか」と同時に考えているのである。好例が恩寵の巡礼による擾乱の指導者アスクである。彼は宮廷に招かれて国王と会談しすっかり懐柔され満足して帰ったが、やがて捕らえられ殺される運命であった。H8による宗教改革の意図がルターのそれとは全然違うことは、フィッシャー枢機卿とトーマス・モアの処刑に始まり、二番目の妻アン・ブーリンの斬首、大法官クロムウエルの処刑等、H8の周辺にいる一連の福音主義者乃至そのシンパに対する狙い撃ちに疑う余地なく表れている。H8が自分に忠勤でその人柄に好感を持っていたクランマー大司教だけが例外的に生き延びたが、彼にも別の悲劇が待っていた。
 
 神聖ローマ皇帝はカトリックの守護者を任じ帝国内のプロテスタント諸侯との戦いに精力を傾けていた。アンとの再婚で教皇から破門されていたH8がその皇帝と手を組んだこと(P-254)は奇妙ではなく共に新しい宗教改革の動きに敵対する反動勢力であった。それまでにもフランスとは何度も対決したが、相互信頼に欠けるこの連合軍がH8にとってフランス攻略のラストチャンスであった。しかしその甲斐もなくあわよくばフランスを取り込むつもりだったH8長年の野望は遂に果たせなかった。晩年健康状態の優れなかったH8は王位継承者の順位を定めて55才で死ぬ。H8置き土産としてヘンリー二世の配下によって1170年に暗殺されたベケット大司教の聖廟を瓦礫にした(P-260)のは、ベケットの最後の言葉「喜んで私はイエスの名のために、また教会を守るために死ぬ」が我慢ならなかったのだろう。この本はそこでほぼ終わりであるが女王メアリーによってクランマーが火刑に処されたことにも触れている。H8を継いだエドワード王は短命で、第二後継者であったキャサリンの子メアリー(マリアの英語名)が複雑な過程を経て女王の位に着いていたのだった。母キャサリンによってカトリックの教育を受けた女王メアリーは国内のプロテスタントを迫害し大量虐殺したため人々にブラッディー・マリーと陰口された。名前も信仰もやったこともまさにその通りだが、メアリーもマリア(アテナ)の生まれ変わりではないか。そうであればゼウスとアテナの親子関係がイギリスで復活したことになる(*註2)。あり得ない話ではない。チューダーとは関係ない二人は金を払って英王室に割り込んだのだろう。クランマーはイギリスの宗教改革に加担したが、そのことで女王メアリーに死を宣告され火刑台に送られた。彼の最後の言葉は「キリストの敵、教皇を認めることは出来ない」だった(p-312)。それは天晴れなのだがクランマーでさえH8のやった英国教会設立は宗教改革の一環と誤解していた気配がある。王権による残忍なライバル処刑はこのあとエリザベスによっても繰り返される。国教会で何がなされているか、私は何度か霊たちに聞かされて知っていた。2017年にイギリスを再訪した時、大英博物館でグループ全員の美術鑑賞が終わった後、与えられた自由時間に「ここにむごい生ゴミが捨てられて浮かんでいるのか」(*註3)と思いながら川沿いの道をテートギャラリーまで歩いた。イギリス人よ、どうか真実を見抜いて欲しい。

 この本はH8の一生を追い彼自身が起こした事と周りで起きた事にH8がどう関わったかを時系列的に綴っている。しかし英国に自分の宗教を作ることはH8が初めから意図していたことだったのではないかと思う。つまり彼はレーテ(忘却の河)をバイパスして人間になったのである。ギリシャ神話でゼウスはヘルメスがまだ幼い子供の時からうまいトリックを作り上手な嘘をつくのを見ていた。世の中にテスラやガウスのような天才が時々現れるのも記憶の消し忘れだろう。中には日本の芸能界のある女性のように「自分は犬だった」と記憶している者もいる。モートも生前を記憶している者が多く、生まれる時「自分がモートだったことは絶対言うな」と口止めされるそうである。モートに優秀な者が多いのはスタート時点から情報量が違うからではないか。私はと言えば記憶は自分がまだ小さい子供で日本語を学ぶために誰かに手を引かれ学校に連れて行かれる所から始まった。それ以前のことは全くの空白で、やっと今年になって私が何処から来たか、生を得て以来何〇年の命かを知った(ただし霊界の声は嘘が多いから要注意)。次に生まれ順である。H8が次男のまま一生を終われば一国の長として我が物顔で国を支配し国教を作ることなど到底不可能だったのは明白であろう。兄アーサーの死因について検索してみると作者と同じような見方が多いが「謎の死」を遂げたという記事もあった。「ハプスブルグ家のクリスティーナがH8の花嫁候補に上がったが、彼女はキャサリンが毒殺されたと信じていたのでH8と結婚する気はさらさらなかった」という文章があるから(P-228)当時の英王室が陰謀の巣だったのは間違いあるまい。H8は自分と関係ある者をことごとく抹殺したが、意外にも「子供の頃ヘンリー王子の傳育の責任者だったエリザベス・デントン(p-031)に後に多額の慰労金を払った」という文章を読んで、もしかするとすると彼女がアーサー暗殺に関係したのかもしれないと憶測した。果たして真相の程やいかに。

 対フランス100年戦争・英国内での薔薇戦争を経て、H8が登場した頃の英国を取り巻くヨーロッパは権謀術策と合従連衡を繰り返す如何に過酷な腕力勝負のバトルフィールドであったかをもこの本は教えてくれた。リンクに登場する者としてイギリス・フランスを筆頭にスペイン・フランスと手を結ぶスコットランド・領邦国家であったドイツ神聖ローマ帝国・イタリア半島の都市国家と教皇等々の名前が上がる。そこは策略とまるで人間の皮を被った動物のような情け容赦ない力自慢が幅を利かす取っ組み合いの場所であり、残された最後の人間の王国はドイツのババリア公国だった。しかしこれも次第に迫り来るモートに取り巻かれ、彼らが使う謎のマジックに追い詰められて最後の時を迎えんとしていた。ビスコンティーの映画「ルードイッヒ」で狂王と呼ばれたルードイッヒ2世が誰もいない劇場でただ一人オーケストラの演奏を聞くシーンがあった。人間の目には見えなくてもそれは残った一族全員が集まった最後の演奏会だったのだ。彼らはモートに殺されて食われるよりも全員自殺する方を選んだ。読みながら「西洋の没落」という言葉が浮かんだが、私には難解なこの本は生憎ずっと昔買ってから「つん読」状態のままである。今や時代の中心はアメリカに移ったと言ってもいいだろう。歴史がどう転ぶかはアメリカが鍵を握っている(*註4

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(*註1)現存する聖書でイエスはペテロに「天国の鍵を与える」や「岩の上に教会を立てる」と言ったことになっている。それらはペテロが将来ローマに派遣されることを予言していたのだろうか。イエスは「わたしはイスラエルの家の失われた羊以外の者には遣わされていない(マタイ15:24)」と言っているが、これをイエス個人の活動範囲はイスラエルに限られる(実際に彼は33才で死ぬ)が「ローマには他の者が行く」ということの暗示と見るべきだろうか。しかしペテロに対する嫌疑は当時から他の使徒たちに共有されていたのだと思う。ペテロのローマ行きに同行する使徒仲間はいなかった。代わりにイエスと直接会って話したこともなく、過去の内情を知らないパウロがペテロに同行し、広く各地に赴き布教活動した。ローマでのペテロは仲間から孤立している印象を受けないだろうか。ペテロがローマから書いた二通の手紙は偽作という意見が多く、ガリラヤにも帰らなかった。ペテロを選んだのはイエスではなく神であったとすれば、神はキリスト教の発展は一足飛びには行かず、先ずペテロが広める形で植え付けるしかないし、さもなければキリスト教は生き残らないと知っていたと解釈するのも可能で、そうであればマタイの1524281920(世界宣教宣言)の矛盾も一応は納得出来る。この辺り聖書改竄の疑いが濃い。何れにしてもペテロとその後継者によってローマでなされたことはと言えば旧約聖書の正典化・ニケーヤ信条・「異端」の歪曲・マリア信仰・司教のキッパ着用など、イエスの神経を逆なでするようなことばかりである。二面性のある重要人物のペテロの役回りは複雑で難解である。
(*註2)発見された最古のヒトのミトコンドリアと最古のヒトのY染色体では前者の方が5万年位古いというから女であるアテナ(アフリカヌス)の方が先に生まれ、人間の生死のからくりをじっくりと観察し知恵を付けた訳である。しかし生物学者はこの差をどう説明しているのだろう。
(*註3)こんな話はポトマック川でもセーヌ川でもネバ川でも隅田川でも聞いたことがない。
(*註4)2025年にトランプ大統領が再登場する。私の考えはこれを書いた当時と違って、彼の活躍を期待している。