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これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。

“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”

元型

 小達雅子さんは二つの戒名を持って裁きの場所に行った。一つは実家が彼女に贈った戒名、もう一つは婚家から贈られた戒名である。彼女も素朴に仏教が救いの教えであるとを何の疑いもなく信じていたと思う。イカ族は彼女に「こうなることは実家も婚家も両方が望んだことだ。それにお前は西遊記で三蔵法師を演じたではないか」と言ったに違いない。彼女は「騙された」と長い間悲嘆に泣き暮れて過ごした。そして「是非もう一度だけ人間に戻って過ごしたい。今度は必ず救われる道を選びたい」と願っていた。今彼女は波間を漂って魚を追いかけているだろう。私は余り邦画を見ない方だが「鬼龍院花子の生涯」は見た。原作を読んだこともないし、かつての遊郭に興味があった訳でもなかった。ただ夏目雅子の映画を一度見たかっただけだ。あのどきついセリフは彼女の人柄に似合わないヤラセだと思った。芸能界とはあざとく危険な場所である。

 多分392年にキリスト教がローマの国教になったのをきっかけに、古い宗教が連れだって日本に来てヤマト古来の神に割り込み八百万の神となった。仏教伝来は552年だからその160年ほど前である。ローマはキリスト教以前ゼウスを筆頭とするオリンポス神を信仰していた。しかしキリスト教徒を迫害しオリンポス神を信仰した皇帝たちが神の意に添わず、彼らの死後の運命が如何に悲惨なものであったかを、ラクタンティウスが「迫害者たちの死」に書いた。ゼウスの実体は海洋民族エトルリアを象徴するタコだった。イカ族もそうであるように、タコがどんなに賢い生き物であるかは多くの学者が認める所であり、ナショナルグラッフィクにも取り上げられた。最近もカリフォルニア州が「タコを虐待してはならない」という罰則のない条例を定めた。

 ローマでお払い箱になったゼウスが次に目を付けたのは、周辺を海が取り巻き、気候温暖にして温和で善良で信じ易い性格の人間が住む日本だった。そしてゼウスは金刀比羅宮の主神になった。これが「ある方」即ちMr.Somebodyの正体である(「VR」の項参照)。それまでヤマトはまほろばだった。ゼウスは人間と動物の序列、人間の前世記憶抹消、エロイムのエリアかエッサイム(クラバック)のエリアかの線引き、付き人のシステム、配置換え、裁きの規則などの一切のルールを定めた。インドから仏教を引導したのも彼の計略であったろう。
 名古屋の熱田神宮の主はアッタンのイカ族であろう(なぜ草薙剣が熱田神宮にあるのかは判らない)。三重の伊勢神宮は女神アマテラスに見立てたエジプト神トートを祭るが背後にバールがいると思う。バールはユダヤと関係がある。「アメリカ大統領選」の項に書いた厳島神社のゴルゴンも一緒に来て瀬戸内海に居ついたのだろう。こうした外来の神はほとんどが悪神クラバックで、それまで日本にいた神がエロイムということになる。最近ある女神(霊は決して自分から名乗らない)が私に別れを言いに来た。彼女は近々母星に帰る予定らしかったが、先が見えたのだろうか。「まほろばの頃ヤマトはいい所だった」と名残惜しそうだった。出雲の神は日本古来の神であろう。道真公は以前からいた神の1人で、人間になって藤原氏の支配に対抗した後、地方に流されたことに怒り都に災難(単なる自然災害ではなかったと思う)を齎して天神様と呼ばれるようになった。これも日本民族のルーツの一つであろう。
 青森にキリストの墓があるように、北海道・東北にヘブライの民がいた。ソーラン節や青森の地名に「戸」がある事はその名残りであろう。彼らは外来勢力であるがエロイムであり、近畿地方の京都・奈良を中心に集結していたユダヤの民とはライバルの関係にあった。両者の中間地点にある長野の諏訪神社がどちらに組するかは私には分からないが、水辺に近いことが重要なキーかも知れない。

 密教は讃岐生まれの空海によって中国から齎されたが空海による独自色が濃いのではないだろうか。彼がタコ人間であったかどうかは分からないが、同じ讃岐の金刀比羅宮と深い関わりがあったのは間違いないと思う。イカの方が陸性がありイカを池や沼沢地に導いて繁殖させイカ族人間を増産した。中学生の時ジュール・ベルヌの「海底2万マイル」が映画化され、みんなで見に行った。潜水艦ノーチラス号が大ダコに襲われるシーンは迫力満点で面白かった。今年(2024年)10月23日にフジテレビの「世界の何だこれミステリー」という番組で、能登半島の富山湾側に棲息するダイオウイカの動画を放送した時、あの映画で見た大ダコを思い出した。ベテランのフロッグマンが真っ赤な大イカを追って接触し、ちぎれたイカの触手がフロッグマンの肩に1メートルばかりへばり付いていた。イカは触手のイボイボで獲物が食べられそうかどうかを確かめるそうで、人工的なゴム製のスイミングスーツはイカの食欲をそそらなかったのであろう。それでフロッグマンは大イカに食われる難を逃れた。この辺りの海は垂直に地底に落ち込むトラフ状をしており、3メートル位あるミズダコもいると言っていた。この近くに来迎寺という密教寺院がある。
 今年の元旦に能登半島は震度7の地震に襲われて被災し、その復興がまだ手付かずなのに夏の大雨で更に被害が広がった。11月にもマグニチュード7程度の地震があった。来迎寺がいかに禍々しい寺院であるかは霊界で知られている。小達さんのように犠牲になった仏教徒がイカ人間になって富山湾に放出されているのである。能登と同じような例がハイチである。2010年の大地震で首都ポルトープランスは壊滅したが、同じく2021年と2023年にも大きな地震があった。「サウンド・オブ・フリーダム」という映画(Youtube で要約版を見た)に、ここで子供の人身売買が行なわれていることが画かれていた。現在もハイチは治安が悪化する一方で300万の市民はギャングの人質状態にあり、駐留する国連軍は任務を放棄して逃げ出した。

 天然災害は何か良くないことに対する神の怒りの表れであるという考えはあながち荒唐無稽な発想ではないと思う。地球文明の歴史は何度もスクラッチ&ビルドをくりかえした。アトランティスという広大な大陸が滅んだ記録はプラトンの著作に残っているが、プラトンもモートだったとすれば、ペテロが「主の日は突然にやって来る」と仲間への手紙に書き送った警告はモート族の間で共有された伝承記憶であり、ナノワイヤーはアトランティス・テクノロジーのレガシーだったのかも知れない。またかつてインド洋にあり同じく高度な科学文明を誇ったレムリアが海の底に沈んだのも、イカ/タコ族が増えすぎて神の怒りに触れたせいだったのかも知れない。途方もない仮定のように見えるが、モートは陸の地底国に棲み、イカ/タコ族は深海にいたお陰で、両者は地球の大変動にも耐え抜いたと考えれば話の筋は通る。

 動物の系統樹図を見ると生命は原生動物から発達して脊椎動物と無脊椎動物に分かれ、最後に人類が誕生したことになっている。これは霊界でも現世でも同じであろう。「元型」とは系統樹図にあるすべての生命が個々に誕生した時の霊的な種別を言うのではないだろうか。現世にいる生命も自分の元型を持ち運んでいる。犬の生命を与えられた者は犬の元型の持ち死んでもまた生まれても犬の姿であり、魚の生命を与えられた者は魚の元型の持ち死んでも生まれても魚の姿であり、人間の生命を与えられた者はあの世でもこの世でも人間であるという、すべての元型が一切混交しないで単純な形で保たれている状態の地域をまほろばと言うのであろう。

 ところが人間の中には人間が守るべき原則に悖(もと)る生き方をする者があり、その罪の如何によって魚としてこの世の海に生まれ変わったり、犬になってこの世に生まれ変わったり、昆虫になってこの世に生まれ変わったりする。これらの魚・犬・昆虫は死ねば霊界に帰ってそれぞれの集落に集まり、また現世で魚・犬・昆虫になることをしばらくの間繰返すが、一定期間を過ぎると人間に戻ることが出来る。つまり魚・犬・昆虫の中には魚・犬・昆虫の元型を持った者と人間の元型を持った者がいる訳である。彼らは現世でも魚・犬・昆虫のグループに集うだろう。「一定期間」が何年、何百年を指すのか私には分からないが、「虫たち」の項でこの問題を取り上げた。こういう人間たちが持つ元型には Inactive のサインが付き、罰を受けた時点でカウンターが最大値に初期設定される。そして時間が経つに従ってカウンターはマイナスされ、カウンターがゼロになると元型マークが自動的にactive 状態に変わり人間に戻る。あらゆる命にこのような元型/現型のコントロール・システムがあるのではないだろうか。SF「三体」でワン・ミャオという科学者が自分で取った写真にこのカウンターが現れるくだりがある。私の仮説が正しいとすれば、カウンターはワン・ミャオが人間でいられる残り時間であり、タイムアウトすると彼は次に死んだ時点で元型に戻る運命ということになる。ヨーロッパにしてもインドにしても中国にしても、人間でない元型を持った人間が大多数だと思う。

 今住んでいる近くに密教の寺があり、私の家は寺の西側で、寺と家の間に川と中学校がある。その川で人間の顔をした多数の子イカが水面下にいるのを見たし、イカ族は学校を占拠して棲み家にしている。寺の東側にショッピングモールがありモールには映画館がある。そこで「友人T」の項に書いた映画「オッペンハイマー」を見た。その時あのモールもイカ族の棲み家であることが分かった。海なし県の群馬県にある榛名湖にもイカ人間がいることを書いたが、考えて見れば群馬県にも多数の仏閣がある。仏教の裁きでイカにされたイカ人間が榛名湖に放たれるのであろう。雨が降れば榛名湖から湖水があふれ出て水は碓氷川かどこかの川に流れる。その時イカ人間も下流に流され、やがては海に流れ着くだろう。だから元型が人間である小達さんはもう海にいると思う。友人T君のように元型がイカの場合川や湖や海には流されず、学校やモールのような仲間たちの住所に招かれるだろう。

 もし救いの手が及んで誰かが小達さんを連れて来れば、彼女が人間の胎に宿り人間に戻ることは可能だろう。イカ族が人間の胎に宿るのと同じことである。しかし現在彼女が一体どこにいるのか探すのが大変である。女は海からやって来るという話を聞いたことがある。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」でヴィーナスは貝の上に立っている。貝は彼女が海から来た事を表す。また好色な女はマグロにされるという話もある。ヴィーナスは美人だから沢山の男が言い寄って来るだろう。それを無下に拒絶しないで受け入れれば好色な女ということになる。この絵はヴィーナスはマグロにされたが、贖罪の期間が終わって元型の美女に戻った図だと見る事が出来るだろう。マグロは集団で回遊するが、イカやタコが仲間同士で情報交換するように、中には元型がマグロのベテランがいて元型が人間のマグロに色々とアドバイスするだろう。そろそろ人間に戻るマグロがいればどうすれば無事戻れるかを指示し帰還の手助けをするだろう。ところがイカ人間はイカやタコに助けてもらえない。魚を捕れと言われているからバラバラに魚を追っている。時期が来てそろそろ人間に戻る頃だということにも気付かない。水の中で人間に戻っても陸地に帰れない。方向もわからない。少しは泳げても、水の流れに逆らえない。やがて海底に沈んで海の藻屑になるだけで、永遠の命は葬むられる。カトリック信者も仏教徒と同じ運命である。イカ族の人類抹消計画が如何に準備周到であるかを考えるとぞっとする。彼らの陰謀は長きに渡って着実に成果を挙げ、人間の数はどんどん減っている。

 末日聖徒は世の終わりの時に救われて滅亡を免(まぬがれ)ることを目指す人間集団であろう。彼らも聖書とは別の物語を持つキリスト教徒である。日本で新しい宗派を起こすのは末日聖徒と同じ考えであるが、日本の特殊事情も考えなければならない。日本各地で人間グループ対反人間グループの対決があった時、今上天皇のアバターも人間の1人として戦列にいた。最初反人間グループが彼を襲おうとした時、1人が「天皇には手を出すな」と阻止し、それから入り乱れて戦いが始まったことがあった。伊勢神宮は反人間グループに属する神社である。天皇といえども伊勢を崇めれば無知な仏教の信者が辿るのと同じような運命が待っている。宮内庁は皇族の伊勢崇拝を廃止すべきであろう。最近も古代の天皇が伊勢を離れるよう説得しに現れていたが通じただろうか。それとまほろばの頃からいる神々も志は同じであろう。試みに Christian Solidarity of Japan (CSJ) という教会名を考えたのはこれらのユニットも連合の仲間に招くという意味である。

 エリアによって支配者がエロイムかクラバックかの違いがあることを意外に思う人は多いようである。それだけでなく、人間が引っ越ししてクラバックのエリアからエロイムのエリアに移ると身代わりを要求される決まりがある。誰かを替わりに犠牲に差し出さなければならないのである。この事を今まで私が書かなかったから、クラバックは「まだ誰も書いた者がいないではないか」と主張し、ガバメントが問題点として取り上げることを拒否したらしい。「人間が気付いて書き記せば議論の対象になる」という古い決まりがあった。今迄は「Default は悪魔が決める」という悪魔優先の時代だったのである。しかし人間に霊界の状況をすっかり見通して問題提起させるなんて無理な話ではないか。ガバメントの中で「そんな取り決めはおかしい。霊界の問題に対しては霊界の者が自主的に動くべきだ」という意見が出た。そしてガバメントはクラバックのエリアの堅牢なゲートを爆破して内部査察した。するとそこには大きなサッカースタジアムのようなすり鉢型の建物があって、中に沢山の子供たちがいた。皆人間の女に生ませて連れて来られた子供たちである(「サクリファイス」の項に引用した、大江健三郎が「赤ん坊は揺籃の中で殺した方がいい」と言った子供たちである)。創世記の昔アダムとイブが二人に性徴が現れるまで楽園で養育され、頃合いを見て犠牲にされる所だったのと同じ状況であり、それが今も続いていたのである。子供たちは何も知らず言われるままに服従し、閉塞して自由もなく、何の希望もない無気力な生活を送っていた。このことが発覚し神々の怒りを買った。リーダーであったゼウス(多分後継者だろう)は懲罰を受けたが替え玉かも知れない。彼らはまだ「悪魔の方が上だ」という主張を取り下げていない。