これは一人のマイノリティーが書いた自分自身とこの国の救いなき来世についてのレポートである。W.ジェイムスは労作「宗教的経験の諸相」で“超感覚者は無敵である”と言ったが果たしてそうだろうか。この時代、むしろ私は“常感覚者は巨象である。我々はその足に踏み潰されないよう必死に逃れる蟻のようなものだ”と思う。しかし今、孤立の怖れを捨てて私はこう叫ばねばならない。
“人々よ、長い眠りから目覚めよ。無知の麻薬の快楽に耽るな。そしてこの警告を受け入れる人々に神の恵みあれ。”
今年の初めロシアのプーチン大統領が「ウクライナをナチストから解放する」と宣言し、突如としてロシア軍がウクライナに侵攻した時、今さら何を言い出すのだろうと思った。もう時代は変わっているのにロシア人の固い頭はまだ80年前の出来事に捉われているのか、と。ウクライナと何の関係もないドイツにとっても古傷を蒸し返されれば「まだ我々への敵愾心は消えないのか」と身構えざるを得ないし、安定した需要と供給の関係を保って相互にメリットがあった天然ガスの取引も見直さざるを得なかった。NATOの同盟国であるアメリカと西欧諸国はこの戦争を単にプーチンが仕掛けた一方的な暴挙と見て、以前から反ロシアの意志がありNATOへの加入を希望していたウクライナに大量の武器弾薬を援助して肩入れし、同盟の誼でドイツもウクライナ軍に戦車を供給した。とは言え一部ドイツ人は民族の記憶を思い起こし、口にこそ出さないが「彼らはあの時の我々と同じなのではないか」とロシアに対し惻隠の情を持つ者がいたと思う。世界の歴史にはスターリン率いるソビエトロシアが大祖国戦争(1941~)において多大の犠牲を払いながらもヒトラー率いるナチス軍を撃退したことが刻まされている。歴史家はその時一部ウクライナ人がナチス軍に加わって対ロシア戦争に参加したことを引き合いに出し、今回のウクライナ人に対する敵対行為はその時彼らが敵側についたことへの遺恨であろうと解説する。しかしその時一部ウクライナ人がナチス軍に加わったのは「敵(ロシア)の敵(ナチス)は(ウクライナの)味方」の論理であって彼らがナチストだったからではなく、ロシアへの反感にはソビエトロシアがウクライナに齎し同胞を塗炭の苦しみに陥れた強制移住と飢饉(1933)の記憶が基底にあったと思う。スターリンは飢饉なんてありもしないフィクションだと言い、ソビエトの歴史上はなかったことになっているが、ウクライナ人の意識に生じたロシアとのギャップは到底修復することの出来ないものであったし、突然の横暴に対する敵対心は今も固い。
この10月21日にロシアのプーチン大統領がキリル司教によって主席エクソシストの地位を与えられたことが報道された。これはプーチン氏の主導によるウクライナ侵攻をキリル司教が追認した事を意味するだろう。エクソシストとは悪魔払いの専門家のことであるが、この放送があった時分割されたテレビ画面に司教と共にその右側に映し出されたプーチン氏が「我々はサタンを成敗する」と言った。だからウクライナ侵攻は悪魔狩りだったのである。ここで私はプーチン氏に対し「貴方は誤解している。サタンは悪魔ではない」と原則論を振りかざし間違いを指摘する気にはなれない。日本の霊界の場合でも、去年ガバメントが関東地域でモートと対決する仲間を募った際、神奈川に私とそっくりな男が現れ「ニセ情報に騙されるな。もう革命はとっくに終わった。戦いに参集する必要はない」と触れて回ったそうである。神奈川県には私の会社の昔馴染みがいる。それと同じように悪魔は世界中にニセのサタンを作って悪事をさせサタンの信用を落しているのである。実に悪魔のやることは手が込んでいて煩わしい。ウクライナの状況はどうかと言うと、多分ウニヤ教徒はモート人である。だから同じモート人のペテロを尊宗するバチカンにロシアとの戦争中止の仲介を頼んだのだろう。「ナチス」とは額面通り取ってはいけない暗喩(オーウエルの言うダブルシンク用語)であった。本音を言えばプーチンは「悪魔に支配されているウクライナを叩きのめす」と言いたかったのだろうが、突然悪魔なぞと言い出せば世界はこぞって「プーチンは気が狂った」としか思わなかっただろう。
これまで何度も書いたように、人間の中には少数の人の子とイヌ族やサル族やブタ族その他の種族がいて、同様に日本にも多数のモート人間が一緒に暮らしている。だからウクライナのウニヤ教徒がモート人であっても別段何の問題もあるまいと言うだろうが、そんな甘い「みんないい人」的発想がいかに無知で危険かを、私の家族を実例にして説明したい(自分の家族の話だから家族以外に秘密を明かされて困る者は誰もいないだろう)。私の父は高校の教師で家宗は法華だった。父の最初の妻は女二人、男一人の三人の子供を残して早死にした。父は毎日仕事があって幼い子供の面倒は見られないから親戚筋で一人暮しだった母と再婚し、私と妹が生まれた。最初の妻は父が見合いした時「世の中にこんな美人がいるのか」と思うほどの美形だったらしく父は気に入っていたと思う。彼女の旧姓は渡辺で、法華の寺で生まれたので蓮子と名付けられたが、その実体はイカ族即ちバンパイアだった(くれぐれも美人は要注意といわれている)。私が生まれた当時は8本足でワタナノンドという名のタイ(バンパイン宮殿と呼ばれる寺がある)から来た先妻の付き人がまだ家にいた。そして我々5人の兄弟姉妹のうち何と3人がモートだった。妊娠した女親の胎児にどんな種族をアサインするかは法華が決めたことだった。宗教を選ぶことがどんなに大事なことか分かるだろう。私が生まれた時私の仲間が家に訪ねて来て、初めてモートを見て「かわいい動物がいる」と言ったが「かわいいなんてとんでもない」とたしなめたのは父の分身だろう。頑固な性格の妹は私と一学年しか違わなかった。妹もモートだったのは10才位の頃たまたま女だけ四人が部屋にいて、妹が「生まれる前私はネズミだった」と言ったのが通りがかった私にも聞こえたが、私が部屋に入ると妹は警戒して固く口を閉ざした。二体の縞模様をした見慣れない動物が上から私を覗き込んでいた記憶は妹が生まれたての頃だろう。だから我が家はまるで動物園だったらしい。家の中でモートたちとモート以外は別々の部屋に寝ていたが、モートは盛んにメイティングし「また子供が生まれた」とあきれる声が聞こえた。ナノワーヤーを使ったマジックはモートの技であることが知られていてみんなを萎縮させ、服従させるのに十分な効果があった。私の仲間はモートが「奴隷ども我々の言う事を聞け」と言い出した時「本末転倒だ」と抵抗を示したが、既に我が家は彼らの支配下にあった。人殺しのカニバリストであるモートは序列のトップとして振る舞う点が他の種族と大いに違う。私と一緒に来た子供も犠牲になったし、素直で従順な子で、女なら見栄えの良い子はまず先に彼らのターゲットになった。成人した女は彼らの要求通り子供を生んで誕生間もない幼児を差し出さねばならなかった。ルカ福音書の23:29『不妊の女と子を産まなかった胎とふくませなかった乳房とはさいわいだと言う日がいまに来る』というイエスの警告はこのことを指している。モートの横暴は宗派を問わず世界共通のテーマであるが、こんなに悪魔の所業を言い当てている宗教は他にないだろう。
NHKが放送した「ヒトラーとスターリン」という番組で反ユダヤのヒトラーは「ロシアはユダヤ思想を推戴している国家だ」と嘲笑していた。階級対立の思想である共産主義はユダヤ人マルクスによる産物であり、その本質はグローバリズムである。ヒトラーはアーリアン民族の優越を旗印に掲げる民族主義者であったから、独ソの戦いはグローバリズムと民族主義の衝突であったとも言えるだろう。しかし敗戦によって戦後45年余ドイツも国の東半分がコミュニズムに支配された。民族というものは国の象徴としてトップに王や皇帝や天皇を持っているが、モートに支配されたフランスは早々と国王をギロチンにかけた。ペテロの手紙1には背景にグローバリズムがあり、その理由は民族は一地域に永住出来るが、モートは寄留者であり、人間を食いつくしその国が完全にモート化すれば共食いを避けるために別の国に移動せざるを得ないからである。ドイツ(ヴィルヘルム2世、1918年)もロシア(ニコライ2世、1917年)も丁度同じ頃に帝政の終焉を迎えている(そして現在両国とも帝政に郷愁を抱いているがプーチンの方が色合いが濃い)。ロシアではポグロムと呼ばれるがドイツにもナチスによるユダヤ人ホロコーストがあった。このように露独両国は若干の違いはあるものの共通項目があり素人目にはよく似ていると思う。プーチンの意図はソビエトロシア時代の領土を復活することにあるという見方がある。では彼はスターリンの後を継いでソビエトロシアの書記長になりたかったのかというと、それは違うと思う。スターリンが祖国防衛に果たした指導力を高く評価するとしても、彼はスターリンと違って宗教を重視する民族主義者である。だから彼の望みはソビエト時代に拡散した領土にいるロシア人及び戦後ロシア領になった地域の住民を含めて、同胞をロシアの国境線の内側に囲い込みたいのだと思う。目的は彼らにロシア正教の恩恵を及ぼすためである。国防費増税論があるが、プーチンがウクライナ侵攻と同じように日本に攻め込む心配は杞憂にすぎないだろう。今度の戦争でロシアはハード的(兵器面)にもソフト的(人材面)にもソビエト共産主義のレガシーに頼ったが、それが世界の進歩に遅れていてどんなに頼りがいのないものであるかをプーチンは痛い程実感したに違いない。共産主義の残滓はむしろ負の遺産に過ぎないのではないだろうか。
モートはそれまでいたギリシャ(グノーシスの項参照)がモート人だけの過飽和状態になって移動しなければならなくなった。既述の通り共食いを避けるためである。ユダヤの国は美人がいて男も頭脳優秀であったから次の目的地であった。かくてパレスチナにモート化されたギリシャ人が流れ込んで来た時、モート神デミウルゴス(バール)信仰とそのライバルのアポロンによる父なる神(人間の神)信仰も同時に入って来て、どちらがイスラエルの神の座を占めるかユダヤ教の神殿をめぐって覇を競った。イエスの時代、前者(エッサイム)は旧約聖書上で全能神と自称し、あたかも信者に富を約束する者であるかのごとく教宣する神であったが、新約聖書にあるように、後者(エロイム)から見れば嘘つきで人殺しの人間の敵、即ち悪魔であった。モートによって旧約聖書が改竄される前、全能神とはバールではなくモレクのことではなかったか。
ギリシャ人が流入する以前、パレスチナのユダヤ人には「モレク神--サタン--ヤハウエ」と繋がる一連の信仰体系があった。恐るべきことに、ヘブライ語で記された旧約聖書がギリシヤ語77人訳聖書へ訳された時、それは単に原典が逐語的に翻訳されたのではなく、同時にモートにとって都合がいいような改竄がなされたのであった。現存する旧約聖書上で、かつて出エジプト後のユダヤ民族放浪の時代、短気者のモーゼはホレブから戻ると金の牛の偶像が祭られているのを見て冷静さを失い、神から貰った石板をたたき割って、モレク信仰に対し怒りを示したことになっている。しかしこれはヘブライ語原典の歪曲であり、あたかもモーセの性格が短気であったかのような、また彼がモレク神崇拝を拒否したかのような粉飾がなされたのである。その狙いは反モレクの源流が民族の指導者モーセの時代からあったかのように見せかけるためであった。こんな改竄が可能であったのは、ユダヤ人にはまだギリシャ語を理解する語学力がなく、翻訳前・翻訳後の両者を対比することが出来なかったからであろう(モートが持つ語学習得の能力は驚異的である)。またそれまでユダヤ人にとって単に信仰の入口にすぎなかったヤハウエの存在はエッサイムにより神聖な至上神に仰々しく祭り上げられた。これも長らくユダヤ人に親しまれたヤハウエを民族神として信仰させ信者を自分の方へ誘い込むためであった。
モーセにとってだけでなく、モレクやサタンにとってもモートはあくどいまでの嘘吐きで全くいい迷惑であった。サタンもデミウルゴスの側に靡かなかったから、捏造された楽園神話で人間を堕落させる悪魔にされた。モレクの巨人像には牛のような角がある(しばしばモーセ像にも角がある)。レビ記でモレクは子供の生贄を求める残忍な神とされたが、これもモートが自分の悪事をモレクのせいにした聖書捏造であった。ここでA.C.クラークの書いたSF「幼年期の終わり」が思い起こされる。この本に出て来るオーバーロードのモデルはモレク神だろう。カレルレンが「我々にも失敗があった」というのはデミウルゴスにその地位を奪われたことではないだろうか。また彼らの科学力であれば出エジプトでモーゼのために反重力装置を使って海を割ることも可能だったかも知れない。まさに全能神である。イエスは父なる神の名を明かさなかったが、多分父なる神とは同じくこの本に出て来るオーバーマインドではないだろうか。そう考えればイエスの父なる神とモレク神には上下関係があって整合しユダヤ神殿で衝突しない。ヤハウエには一遍の書きものが来て否応なく悪魔に「これからお前は我々の側だ」と通告され(これは私が本人から聞いた)、ヤハウエを信仰する者は悪魔信仰に結び付けられた。マタイ6:24に「だれもふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」という文章がある。ユダヤ教徒がヤハウエを信仰するとその後ろに全能神がいた。ヤハウエは自分の役どころが本意ではなかったが、富も仲間のためには必要であるからと思って命令通り全能神に追随した。そして頑張って富を蓄積したが全部モートに奪われた。それでもさらに工夫して蓄財したがまたモートに奪われた。気の毒なのはユダヤ人である。知らないうちにヤハウエの立ち位置が変わり、それ以来ユダヤ教徒は悪魔のエサになった訳である。
しかしローマに戦いを挑み敗北して蹴散らされ、全ユダヤ人がディアスポラ化した結果ユダヤ全体のモート化は成らなかった。こうして二種類のユダヤ人が形成された。ヒトラーのホロコーストもロシアのポグロムもユダヤ人にはタイプの異なる二種類があることを考慮しなかった。大雑把に言って、モート化したユダヤ人(MJ)のうち代表的なグループはフランクフルトのゲットーからロスチャイルド家を起こして事業に成功し、モート化しなかったユダヤ人(NJ)は彼らとは別行動をとり、そのうちロシアで貧しく暮らしてポグロムに遭った者がいる。MJの一人であるペテロこそイエスを刑死の罠にかけた犯人であって、ロシアにいたユダヤ人(舞台の「屋根の上のバイオリン弾き」に登場するテヴィエ)はNJで芝居の中で言われるような「キリスト殺し」ではなかったというのが真相であろう。現在アメリカで政治・経済・報道・司法を牛耳って「ディープステート」と呼ばれているのがモート化されたユダヤ人(MJ)であり、他方彼らに軽蔑され「ほとんどが貧しく、異常なほどつましい生活を好み、それを人生の糧として生きてきた」と形容される(広瀬隆「赤い楯」上p-155)のが正統派のユダヤ人(NJ)である。この二組のユダヤ人は青ナイルと白ナイルのように混じりあわない。ディープステート(MJ)に支配されたアメリカは今やマッカーサー・シンドロームであると言われている(「神の目の小さな塵」で戦艦マッカーサー号にミニチュア・モートが異常繁殖した)。アメリカも実はロシアと同じ状況なのだし、米大統領はウクライナに武器援助して戦火を焚きつけている場合ではないと思う。世界は彼が停戦に向けて仲介の役割を担うのを切望している。最近の政治情勢ではトランプ氏は影響力を失いつつあるように見えるが、彼はディープステートの正体に気付いている一人ではないだろうか。現在のイスラエルはMJであるが、その証拠はモシェ・ダヤン将軍が死んだ時(1981年)「仲間に会えると思ったがモートばっかりだ」と言ったそうである(これはナタリーさんへ忠告である)。
今年の8月にこの国に神が訪れた。彼は長崎の原爆記念碑像のように巨きかったが、私には彼が姿も顔形も日本人そっくりだったのが予想外だった。これまで神と言えば西洋画に描かれたのを見るのが普通で私の神イメージもそれによって形作られていたが、彼は日本の民族神で日本人のルーツが住んでいる星から来たのだろうか。彼の目は正面から真直ぐ私を見ていた。エスニックな神々は「やっと神が来てくれた」と喜んでいたらしい(従者が「唯一キリスト教を信じろ」と言っていたが、それは神社の中には悪魔の手先もいるからかもしれない。信用出来る神社のお札ならご利益があるが、私は伊勢を信用しない)。神はモートを痛めつけて、去り際に「モートは嘘つきだ」という言葉を残したらしい。しかしモートがどんな目にあったかはよく判らない。モレク神が1000人の決死隊と有志を選抜してモートに決戦を挑んだという情報があった。その功あってこの国ではモートは少々弱体化したようだが、サタンは「無血開城はあり得ない」と言っていた。案の定、世界がサッカーのワールドカップに熱中していた頃(11月末)、モートによって宇都宮に原爆が落された。私は胸が塞がるような陰惨な景色のリアルな夢を見て、一体何があったのかと不思議だったが、煤けた身体で頭髪が焼け焦げた数体の霊たちの姿が見え、「まだ身体があるだけましだ」と言っていた。二次大戦中のドイツでも同じ事があったそうである。人間とモートの対立を傍観していた他の種族もこれで反モートについたのではないか。